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薫×詩音×光一

 部室に風が吹き抜ける。二人の男子の黒髪がごおっと揺れた。

 彼女が勢い良く部室のドアを開けるのは、最早恒例になっている様だ。

「見舞いに行くわよ!」

「何だ何だ」

「どうしたどうした」

 狭苦しい部室に入って来て早々、威勢の良い一言に、薫と光一は長椅子に座ったままポカンとなった。この彼女の、経緯をすっ飛ばしてただ目的事項だけ言うクセはどうにかならないのだろうか、と薫は内心で溜息をついた。

「見舞いって……何?」

 親友の疑問を引き受けて、光一が幼馴染に尋ねる。

「羽美ンとこに決まってんでしょっ」

「何に決まってるか分かんなかったから訊いたんだけどなー」

 光一は苦笑して、頬をポリポリと掻いた。

「今日教室まで羽美を迎えに行ったらさー、何だか風邪引いて休みなんだって。だから今から風間家へ果物とかポカリ持って行こうと思うんだけど、文芸部総出にする事にしたのよ」

 遅ればせながら詩音が説明する。本当に遅い。

「誰が」

 イマイチ詩音の言い分に納得出来ない薫は、間髪入れずに聞き返す。

「あたしが」

 真顔で、胸に手をバシッと当てて詩音が応えた。とても清々しい。薫は眉を顰めて苛立ちを隠す努力は基本しない。

「部長でも副部長でもないお前にそんな権限が何処にある」

「何よー。良いじゃん。薫だって羽美の部屋見たいでしょ!?」

「お前の目的はそっちかよ……」

 見舞いというより家捜しをしたいという詩音。彼女に対し、呆れて物も言えないとでも言う様に、薫は額に手を当てて項垂れた。

「それに、皆で行ったら絶対羽美は喜ぶと思うのよね。あたしは」

「うーん。それはそうかもなあ」

 暫く二人の遣り取りをぼーっと見ていた光一が詩音に同意して、腕を組みながら頷いた。

 薫は一度口を噤む。

「決まり? 決まった?」

 薫の反応を見て、詩音は拳を振り上げガッツポーズをした。

 いつも正しい事を言うのは大抵薫という事になるので、今回は押し負かせたのが余程嬉しいのか、詩音は目を爛々と輝かせてにこっと笑う。

「ふふんっ。じゃあさっそく部費でお見舞い品買いに行きましょうよ」

「いや、そこは自腹だよ。つーか詩音。どうせなら明日行かないか? 明日は土曜課外授業休みだし、朝から圧し掛ける事だって出来るぜ」

「その言い方どうにかなんないのか、お前。第一、朝早くなんて風間家に迷惑だろ」

「薫だってあっちはいつ行っても喜ぶだって事、分かってるだろ?」

 何かを企む様な笑みを広げていたかと思えば、今度はにこやかに笑う光一を見て、薫は再び押し黙った。

 ――文芸部に後から入部した三人は、羽美がどれだけ友達というものに恵まれていなかったか知っている。そして三人に彼女の境遇を話してくれたのは、他でもない一人の教師だった。

 実際は、見舞いに行けば羽美が喜ぶと〝確信〟しているのは、薫も含め、ここに居る全員なのである。

 詩音はテンションが急激に下がって、拍子抜けた様に長椅子に腰掛けて足を組んだ。

「もう! 今から行く気満々だったのにィ。ま、良いけどね。じゃあ明日、校門の前で八時に集合よ」

 詩音が片方の拳を腰に遣り、びしっと薫と光一の間を指差して勝手に決定する。

「どうして何でもかんでもお前が決めるんだ」

「薫が提案してくれないからよ。あたしかこうが言うしかないでしょ」

「そうそう。冷静な二人に馬鹿騒ぐ俺達。そういうそれぞれの長所は利用してかないとな」

「ちょっと光! 馬鹿騒ぐって何よそれ。あたしの事?」

「他に居ないだろ。薫も羽美っちも話せば普通に煩くはなるけどね」

「お前らと一緒にすんな」

「な~に~よ~。頭で言えばあたしが一番なんだからね。薫にはこの前の小テストで勝ってるもの」

 勝ち誇って、えっへんと鼻を鳴らす彼女を褒め称える者はこの場には居ない。ちなみに頭がそれ程良くない羽美と光一は、さり気なく除外している。

「総合で言えばどうかな?」

 嘲笑うが如く、薫が滅多に見せない笑みを零す。目は笑っていない。

「はあ!? 今に見てなさいよっ。三学期終わったらお互いの通信簿見せ合って勝敗をはっきりさせるんだから!」

「テメエは子供か」

「いーんじゃねえの? 他人の悪口延々と喋るよりはガキっぽい事、雑談してる方が」

 そう言って、光一は頭の後ろで腕を組み、上体を仰け反る体勢になる。その時、彼の視線が向かい側に座る、薫の背後の棚に向いた。

「何だあれ」

 光一が長椅子の背凭れに体重を預けたまま、何の気なしに棚の上を指差した。薫と詩音の視線もそちらに向く。

「ん? あの引き戸の事?」

「いや、その上」

「あー。文芸部ノートな」

 薫がさらりと言って、引き戸式の棚の上に放置された大学ノートを拾い上げる。

「部活動記録とか書いたりするヤツ?」

「多分、そう」

 薫が開くノートを、詩音が彼の隣に座って覗きこむ。光一は組んだ両腕をテーブルの上にどしっと乗せて、彼らに加わってノートの中を見た。

 印刷で線が引かれたノートの上に、部活記録が綴られているのは最初の五ページだけで、後はほぼ女子が描いた落書きで埋まっていた。

「あははっ。何だこれ。歴代文芸部員も意外と真面目にやってなかったんだなあ」

「いや、結構ちゃんとしてると思うぞ。昔の文芸誌とか見ると凄いし」

「えーそうなの? 文学はあんま興味持ってないけど、ちょっと読んでみよっかなー」

 彼らはここで初めて『文芸部』を振り返り、認識した気がした。元々三人共、入部したきっかけが『創作したい』という意欲ではないから仕方ない。

 寧ろ今より昔の歴史に興味津々である。

「このノートもつい三年前くらいに作ったやつだろ。見ろ。去年の先輩なんか書き込んですらいないぜ」

「ホントだー。これだけ落書き描きまくっても、ノートの半分すら行ってないじゃない……」

「俺達はほぼ毎日来てるのになー。休日覗いてー」

 そういえばそうだ、と薫と詩音も改めて思う。

 ここに来る事が日常になるなど、つい最近までは考えもしなかった。

 そしてノートをペラペラと捲っていく内に、今年度の記録も何一つ書かれていない事に気付く。

「羽美も書いてないわね」

 詩音が頬杖をついて呟いた。

「意外。羽美は真面目だから、何となく書いていそうだったのに」

「そうだよな。まあ絶対部長が書かなくちゃいけない訳じゃねーんじゃね。実際、活動自体がユルユルしてる訳だし」

「そうね。羽美、この前小説か詩の作品を何でも良いから書いて来て、って言ってたじゃない? あれ参っちゃったのよね。あたし、そういうの絶対書けないのに」

「あはは。俺もー。でも四人の作品集めないと部誌に出来ないんだろ」

「じゃあお前ら二人で合作でもやれば? そうすれば一作で済むぜ」

「それ良い! 光、さっそくお話考えるわよ。お笑いでも良いのよね、薫」

「風間を笑い死にさせたいならやれば?」

「きっまり~」

 そしてまたもや強引に決める詩音に、肩を思いっ切り平手打ちされた光一は、叩かれた方の肩をがくっと下げた。何とか手をついてテーブルの上で踏み止まる。

 痛そうと思いながらも、同情の念すら送ってやらない薫。その時、ノートの一番後ろのページに二つに折り畳まれた紙が挟んである事に気付いた。

(あ……)

 この紙を、薫は知っている。

「それ何よ」

 目敏く詩音が薫が手にした紙を奪い取ろうとする。が、薫は掴んだ部分に妙に力を籠めて、紙を離そうとしない。

「? 何よ。見・せ・な・さ・いっつーの」

「テ・メ・エ・に・は関係ねっつー話だ」

「そんな事言ってると、益々見たくな・る・じゃ・な・い・のォ~……」

「うるせえ離せ!」

「つべこべ言わずにとっとと見せなさいよバカ!」

 二人の手に掴まれて、もう少しで紙が破けそうだ。ちなみに光一は彼らを止めようともしないで暢気に欠伸をする。

「薫、何でそんな頑なに紙、守ろうとしてんの? 自主規制なら加担するけど。詩音に」

「俺じゃねーのかよ!」

「あーもう往生際が悪い男ね、アンタはッ」

 ぎっと薫を睨み付ける詩音の目は、万が一この場に飛び入りした者は見ただけで身が竦んでしまうだろう。薫は何もかもが面倒臭くなって、仕方なく白状する。

「……風間の黒歴史だよ」

「は?」

「?」

 詩音と光一が同時にきょとんとなった。薫は後ろにはねた髪を撫でながら話す。

「読みたいなら読めば良い。……けど、幻滅はしないでやってくれ」

 暫く二人は何の事だか解らず呆然となるが、少し経ってから察して、恐る恐る薫から紙を受け取って中身を視認する。

 そこには、羽美が学校生活だけでなく家庭でも苦しい思いをしていた事が書かれていた。家庭内暴力、監禁など大袈裟なものではない。だがどんな些細な事でも、羽美は深く気にしてしまう傾向があった。多分、今もそうなのだろう。

 彼女が心の中に溜め込む事しか出来なかった感情が、今ここに、赤裸々に語られている。

 薫は詩音と光一の目を見た。彼らは同情とも呆れているとも取れない表情をしている。ただじっと紙の上に書かれた文字を目で追っているようだ。

 書かれてある事は、羽美の中に潜む闇のほんの一部に過ぎない。そんな短文を読むにもそれ程時間が掛からないだろうと踏んでいた薫は、何故彼らがここまで長く紙と向き合っているのか解らなかった。

「おい、お前ら――」

「この一番下の文、誰が書いたの?」

 黙々と読んでいる最中かと思えば、突然詩音が口を開く。

「あ? 全文風間の……」

「でも字が違うじゃん。それに、自分への慰めっていうか第三者への慰めってカンジよね、これ」

「うん。俺にもそう見える」

 頷く光一の顔は、真剣の欠片もない。

「!」

 咄嗟に思い出した薫は、無理矢理詩音の手から紙を奪い取る。

「あ、ちょっと何よ。ホントに紙、破けちゃうわよ」

「そう……だな」

 薫は俯いて、少しだけ顔を赤くした。

 詩音が首を傾げる一方で、光一が口元だけでにっと笑っている。

「……え、もしかして。さっきの文章、薫のだったの? 羽美へのメッセージ? 交換ノート?」

 男子二人の反応を見て詩音は察した。

「ちげーよ……多分風間は読んでねーと思うし。俺が一方的にだ」

「ふーん。やっぱり薫が書いたんだ」

 と言う光一は、最初から誰が書いたのか解っていた。

 そもそも初めてこの部室に入って、刺身を食べるついでに書いたものだから、その時一緒に居た光一が解らない筈がないのである。羽美が書いた文章に付け足しした事を忘れていたのは、薫の方だった。

 二人に、文字にした自分の言葉を見られた薫は、気まずさと恥ずかしさで背を向ける事しか出来ない。

(あんな、理想論みたいな事――)

 薫が自己嫌悪に陥りそうになる寸前だった。

「悪くないわね。あたしも書こうっと」

「え?」

 あっちは意にも介さない様子で、手近にあったシャープペンシルで文字を書きこもうとする。それをボーっと見る薫の背中を、光一はポンと叩いた。

「だーれも羽美っちの事を馬鹿にしたりせんよ――お前の事もな」

 そんな科白を恥ずかし気もなく言う光一を、不覚にもじっと見つめてしまった。彼は今度は白い歯を見せ付けて笑う。

「ほら、光。何してんのよ。アンタは書かないの?」

「んー。書くに決まってんじゃん。俺だって羽美っちに伝えたい事あるもんねー」

「アンタの場合、ここで書いたって後で口でぽろっと零しそうだけどね」

 他愛もない話を繰り返す光景。

 薫だけではない。羽美もこんな日常を望んていたのだろうか、と思う。

 学校で仲間と呼べる存在を持っていなかった彼女は、一年間、どんな思いで過ごして来たのか周りには想像もつかない。

 だが、これから同じ文芸部員として一緒に過ごして行く事で、学生生活は悪くないものだという事を少しでも知って欲しい。――それとももう知っているだろうか。分かって、いてくれているだろうか。

 薫はふと窓格子を手に掴み、横にスライドさせて外から来る風を誘い込む。

 夕日が瞼の裏に焼き付いて、彼はそっと目を閉じた。


『野沢君。これから宜しくお願いします……来てくれて、ありがとう』


 彼が入部を決めた時、彼女は笑顔だった。

 泣き腫らして赤くなった目を隠さずに、彼女は両手を後ろに遣って、笑顔を向けてくれた。

 そんな彼女に何かを与えられたなら、これ以上の喜びはない――と言いたい所だが、大した事は結局何もしていないのは薫自身、重々承知している。

 ただ自分がして貰ったら嬉しいだろうという事をしただけ。

 それだけだ。


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