薫×光一
夕方までの学校の授業が終わる。所属している部活は今日は休みなので、放課後の掃除を終わらせると薫は早々に家に帰って来た。
兄弟が居らず一人っ子のお陰か、彼には専用の一人部屋がある。ほっと一息をつく為に自室のベッドに横たわり、読みかけのハードカバーの小説を開きかけた時だった。
インターホンが鳴る。母の小走りする音が聞こえる。何故だか彼は嫌な予感がしていた。
恐る恐る廊下に出る。そっと階段の手摺に腕を乗せ、二階から一階の様子を確かめる。案の定、“奴”は薫の顔を視認した。
「げっ」
「よう薫。遊びに来たぜ」
「出てけ」
「薫。お友達にそんな事言うんじゃないの。石井君だっけ? 今お茶とお菓子用意するから、薫の部屋にあがっててね」
「お構いなく」
家族以外には人当たりの良い母は、息子の精一杯の文句を華麗に受け流してキッチンに入る。それにまんまと乗っかる友人は、薫の嫌そうな顔を見ながらも相変わらずにこにこ顔で階段を上る。
「俺に近付くな」
「ちょっと来週の数学のテスト対策に付き合って貰うだけじゃーん」
「お前と狭いスペースで且つ同じ空間に居るのが嫌なんだよ!」
「知ってるから。薫がツンデレだという事は」
「本気じゃなかったらこんな大声誰が出すかッ!」
抵抗空しく。友人は部屋の主に構わず室内に乗り込んだ。
結局、一時間は付き合わされた。
「いやあ公式教えてくれてアリガトなー」
「ノート貸すだけで……済むと思ったのに」
「俺、理解力ないからさ」
「まったくだ」
あーだこーだと数式を教えるのに約一時間。今教えた所が一通り出来るようになったならば、次のテストは光一が赤点を取る事はまずないだろう。でなくとも、赤点を取ってきた暁には薫は彼を蹴り倒すつもりでいる。
叱咤しながら説明した為、喉だけでなく精神的にも疲れてしまい、薫はベッドカバーに顔を埋めた。
「薫! ゲームしようぜ」
「そんな気力、残ってると思ってんのか」
「何で? 俺は超元気だよ」
「お前じゃねえよ」
最早怒るのも疲れてきた。息遣いが荒くなりそうだ。
「もう帰れ。用は済んだだろ」
「いや、せっかくだからもうちょっと居る」
「部屋の主が断った時点で出て行くべきだろ、普通……」
「薫に訊きたい事あるんだよ。数学以外で」
光一の声音が妙にしんみりしている様に感じられ、薫は顔を上げて彼の方を振り返った。
「……何だよ」
「どうして文芸部に入ったんだ?」
唐突だった。そして、今更の事だ。
「文学には前々から興味あったんだよ。それだけだ」
「なーんだ。志望動機は羽美っちかと思ったのに」
光一がにやりと笑ってみせる。
「だろ?」
分かりきっているような目だ。薫は大きく溜息を吐いて、下手に誤魔化すのも面倒だと思った。
「――似てたんだよ」
ポツリと落ちる一言。それ以外に彼女を気にするようになった理由が思い付かない。
光一は誰に、と訊かなくても解っていた。
「中学の頃のお前に?」
薫は静かに首肯する。
彼は、高校に入ってからは皆勤を果たしているものの、中学時代は二年次から学校に来なくなっていた。光一は薫と同じ中学だった為、その事は承知している。だが薫と光一が接点を持ったのは、高校からだ。
彼の不登校の理由は、クラスで孤立している。たったそれだけの事だった。
元から人付き合いは苦手な方で、周りに合わせるという事が上手に出来なかった。そのせいで、友達が出来ずに一人で居る事が多かった。
友達と騒いで盛り上がれる。そんな『普通な事』が出来なかったお陰で、見事にクラス間で行われる悪口のいいカモとなってしまった。
そして、思い出すと笑えてくる。
「似たもの同士、惹かれ合うっていうヤツ?」
「そんなんじゃない……ただ」
「ただ?」
「……一人の方が楽だと思えても、孤独でいる寂しさは知ってるから」
「ふうん?」
「それに、実際苦しんでた。風間は」
初めて薫が光一に引っ張られて文芸部室に入った時、あの紙を見付けた。
『絶望なんて、とっくに感じていたのに――』
――感じていたら、わざわざ紙に書いたりしないと思った。
そうなりそうだっから。誰でも良いから知って欲しかった。だから紙に書いたのだと薫は思った。
どうしても、無視出来なかったのだ。
彼女が心の奥底に隠していた言葉を確かめた後、薫は担任である恭賀から彼女の事を聞いた。たった一人の文芸部員。孤独に耐えるだけでも辛い筈なのに、折れずに立ち続けている。
「本当は弱くなんかないのにな。何で周りは自分より遥かに上に居ると思うんだか」
「まあ確かに。羽美っちは薫によく似てるよ」
光一は、折り畳み式のミニテーブルに頬杖をつく。
「この際だから俺も訊くけど」
「おっ。何なに?」
「と思ったがやっぱ良い」
「ええ? 気になるじゃんか。教えろよ」
「だから良いって。面白い話じゃねえから」
「偶には悟りたいみたいなムード、俺は嫌いじゃないけど」
――……見透かされている。
口には出さないが降参である。薫は、やや間を空けて言った。
「……何で俺なんかに構うようになったんだ」
彼がずっと、一番問いたくて訊けなかった事。女子ならともかく男子が素で訊けるような事ではない。だがしかし、光一は暢気な表情のまま、その辺になげてある青年誌を取る片手間に答えた。
「友達を増やしたかったから。他に理由があると思うか?」
あくまで飄々と。半年彼と付き合っても、こういう奴なんだと理解するまで、まだまだ時間が掛かりそうだ。
「俺、中学の頃はお前と一緒のクラスにはなった事なかったんだけど、不登校するような奴はやっぱ風の噂で流れてくるからさ。一方的に薫の事知って……ホントはちょっと交流持ってみたいってずっと思ってたんだよ」
「だから、それが何でだよ」
普通の奴なら、自分とは関係ないと放って置く。
そう。『普通な奴』ならば――
「だって、他と違うっていうなら気になるに決まってんじゃん」
「…………は?」
薫は思いの他、友人の呆気ない言葉に反応が遅れる。
「いや。『変な奴』っていうのは、敬遠するものじゃないか?」
「何で?」
「何でって……」
答えられない。薫は敬遠される方で、する方の気持ちなど考えたくもなかったから、解らないのも当然だ。
「『変な奴』って呼ばれるのは、他より個性が強いってだけだろ。そういう奴と関わってみたいと思う人も居るよ」
「けど、無口な奴とは付き合いたがらない奴の方が多いだろ」
「そうだね。でもさ」
光一は雑誌から顔を上げて薫を見た。
「解ってくれる奴は絶対居る」
「そうかな」
「すくなくとも、薫は羽美っちを救ってあげたじゃないか」
薫はキョトンとした。
「救うって……んな大袈裟な事してねーよ」
「でも笑ってる」
「誰が」
「羽美っちが」
「……お前、恭賀から風間の事聞いたのか?」
「あれま。何で分かったの」
「俺も、同じ事したから」
「うん。やっぱり友達になりたかったら知りたいと思わなくちゃね」
「それは、恋人に対するものじゃないのか」
「そう?」
「そうだろ」
「風間さんはでも、自分はどういうものなのか知って欲しかったんだよな」
「…………」
「つまらない人だと解った上で、友達になってくれるって望んでたんだよな。周りにそんな事を期待するのは、自分勝手だって思っても」
薫もそうだった。こんな自分と気が合う者は、いつかきっと見付かると思ったが、結局そんな期待をしても無駄なのだと諦めてしまった。
「俺さあ」
光一がふと思い出したように口に出す。
「周りと違うとか。変わってるとか変って言うんだろうけど、それはつまらないんじゃなくて面白いと思うんだ」
「面白い……?」
「そう。薫や羽美っちみたいな奴を、面白いと思ったから仲良くなりたいんだよ」
「クラスで、浮いてる奴を、か?」
「浮いてないだろ~」
「いや、浮いてんだよ。風間には失礼だけど」
「薫。勘違いすんなよ。自分から浮く奴が居ると思う?」
「え?」
「そんなモンは周りが浮かしてるんだ。『浮いている』人なんて、居る訳ないよ」
恥ずかし気もなく。当たり前の事のように。
「……よくそんな臭い科白堂々と吐けるな」
「ええっ。ひっでえな」
「でも――」
何も、伝わらなかった訳じゃない。
「その言葉に、救われる奴だって居るんだよな」
――いつもなら彼の成績や日頃のふざけた行動に嫌気が差している所だが、今日ばかりは、彼と話していて心が軽くなった気がした。
口には出さないが
救われたのは薫自身だ。
薫が光一と視線を合わせると、彼は相変わらず、いつもの様な笑顔を見せつけてきた。
本当は、ずっと嬉しかった。
内でも外でも、どうしても素直になれないが。
彼と友達の関係になれた事が、とても――嬉しかったのだ。