第八話 草原の都
村人に追われるように村を出たぼくたちは、再び都に向けて歩き出していた。
「そりゃ、感謝されたくて助けたわけじゃないけどさ。なにもあんな言い方しなくても……」
ぼくは、黙々と前を歩くシーアに愚痴をこぼし続けていた。
「それに、村のためにあのコを犠牲にしようだなんて。納得がいかないよ」
お礼なんてどうでもいい。そのことが一番許せなかった。
するとずっと押し黙ったまま聞いていたシーアが、初めて口を開いた。
「人間なんてそんなもんさ。自分の利益のためなら、平気で他人を踏みにじるんだ」
「シーア……」
胸を締めつけられる思いがした。それはおそらく、彼の経験から出た言葉なのだろう。
女の子を助けることを、無駄だと言ったシーア。きっと今までにも幾度となく人に傷つけられ、失望させられてきたにちがいない。
それこそが、彼の人間嫌いの所以なのかもしれなかった。
「あのっ」
ふいに後ろから呼び止められた。振り返ると、腕に包帯を巻いたサテュラが息を切らしながら走ってきていた。
「あ、君はさっきの! もう怪我はいいの?」
「は、はい。おかげさまで。あの、それより……」
サテュラは辛そうな表情で続けた。
「さっきの村長の言ったこと……どうかお気になさらないでください。近頃は魔物の襲撃が多く、村の者も気が立っているんです」
ぼくは驚いた。彼女は怪我をしているにもかかわらず、ぼくたちを励ますためにわざわざ追いかけてきたのだろうか?
「それに、私は助けていただいてすごく感謝しています。だからどうか、気を落とさないでください……」
最後の方は、まるで懇願するようだった。
どうしてこの子を犠牲にするなんてことを考えられるんだろう。こんなに優しい女の子なのに……。さっきの男の言葉が、胸に突き刺さる。
ぼくはそれを振り払い、精一杯の笑顔で答えた。
「大丈夫、全然気にしてないよ。君にそう言ってもらえてよかった」
全然気にしていないというのは……嘘になるかもしれない。それでも、サテュラはぼくの言葉を聞いてとても喜んでくれた。
「そうだ。あなたたちは旅の方ですよね?」
旅なんて大げさなものじゃないけど、曖昧にうなずいておく。
「ぜひうちのトラちゃんを使ってください!」
「トラちゃん?」
「無事だったんですよ」
サテュラはとても嬉しそうに言った。
「ああ、家畜の?」
ぼくは彼女が、家畜が焼けたかもしれないと嘆いていたことを思い出した。
「元々はこの森にいるモンスターなんですけど、人に慣れているから大丈夫ですよ。今連れてきます」
そう言うと、彼女はスカートを揺らしながらまた村のほうへと駆けていった。モンスターと聞いて、ぼくはなんとなく嫌な予感がした。
「これが、うちのトラちゃんです!」
「げっ!?」
戻ってきたサテュラが連れていたのは、はじめこの国に来たときに襲われたあのモンスター――トリプスだった。
ぼくとトリプスはどうも相性がよくないらしい。「トラちゃん」は、ぼくを見るなりうなり声を上げ始めた。
そして案の定、ぼくを追いかけ始めたのだった。
「こらやめなさい!」
「うわあああ!」
◇◆◇◆◇◆◇
「ねえシーア。これって傍から見たら結構恥ずかしいよね」
「言うなよ。これだって歩くよりゃ速いんだぜ」
二人してトラちゃんに乗り、一路、都を目指す。雑草の生えた甲羅はやわらかくてなかなか乗り心地がいいけれど、亀の背中に乗っているみたいでなんだかかっこ悪い。トラちゃんの足は本当に亀に毛の生えたような速度で、それがまたかっこ悪さに拍車をかけていた。
「それより見えてきたぜ。王都アエロポリスだ」
森を抜けると、そこは小高い丘になっていた。突然に視界が開けてきて、やわらかい風がほおをくすぐっていった。はじめ来たときにも感じたけれど、ここはぼくの住んでいる町よりも一足早く春が訪れているようだ。
シーアが指差す先を見て、ぼくは息を呑んだ。
丘の下はその街を除けば、ただただ草原が広がるばかり。大海原に浮かぶ一艘の舟のように、都は草原の中に忽然と姿を現した。
建物はどれも真っ白で、若草色とのコントラストがまぶしいほどに強烈だ。
街は円形の城壁に囲まれているのだが、城壁の外まで建物がはみ出していて、大きな街であることがわかる。かすかに人影も見えて、にぎわいがここまで伝わってくるようだった。
「一番大きな建物が王宮、その隣は大神殿だ」
街の奥のほうにそれらしき巨大な建物と、神殿のようなものが見えた。
どちらも白大理石でつくられたエンタシスの柱だ。ぼくは、古代ギリシアの遺跡を思い出した。
「すごい……」
思わずつぶやくと、横に座っていたシーアが得意そうにほほ笑んだ。
「この地は……いや、このアイオリアから北のチュートニア、東のアディスに至るまで、かつてテラスティアという巨大な国が支配していたんだ。アエロポリスはそのテラスティアの遺跡の上につくられた街だ。だから今でもその頃の雰囲気を残している。ほら、街の周りにもいくつか遺跡が見えるだろ?」
普段は無口なシーアが急に饒舌に話しだしたので、ぼくは驚いてしまった。
でも見れば確かに、街の周りに遺跡のようなものがある。城壁の外には朽ちた神殿の柱や、がれきが散乱している。
その遺跡群と、現在都に建てられている建物があまりちがわないことから、シーアの言うとおり、都はテラスティアという国の様式を引き継いでいるらしかった。
それからシーアはわずかに眉をひそめて言った。
「テラスティアは、千年も昔に滅んでしまったんだけどな……」
「なぜ滅びてしまったの?」
「魔界が浸食してきたからだ。懸命に戦い、ついには魔界を抑え込むことに成功したが、それでも国の壊滅は避けられなかったんだな。テラスティアはチュートニア、アディス、アイオリアの三つに分断されたというわけだ」
シーアは切なそうに言った。千年も昔の国に、思い入れなどあるのだろうか? ぼくにはよくわからなかった。
ともかく、この国は本当に魔界という存在に脅かされているらしい。とても実感のある話ではなかったけれど、つい先ほどのワイバーンとの攻防を思い出して、ぼくは身震いした。
丘を下りようとすると、聞き覚えのある羽音が頭上に響いてきた。
巨大な翼、感心するほどに見事なフォルム。胸に傷を負ったあのワイバーンが、なんと都の上空を飛んでいる。
「まさか都を襲う気!?」
「もうそれほどの体力はないと思うが……見つからないほうがいいな」
そう言ってシーアがトリプスを歩ませようとしたとき、目の前で驚くべきことが起こった。ワイバーンが飛んでいる付近の空だけが不自然に曇りだしたのだ。
そして雲の合間から閃光が走り、雷の筋がワイバーンに命中した。あっという間に黒焦げになり、墜落していく。
突然のできごとに、ぼくはなにがなんだかわからなかった。
「魔法だ……」
シーアがつぶやいた。
「魔法!?」
「なんだ。魔法も知らないのか?」
シーアは半ば呆れつつ、説明した。それはぼくにとって、とても信じがたいものだった。
この世界には、自然界をとりまくさまざまな要素――炎や、雷や、風など――にそれぞれをつかさどる神がいる。例えば水の神が雨を降らし、風の神が季節の風を運んでくるというのだ。
魔法というのはそういった神々の力を借りる術なのだそうだ。
「シーアも使えるの?」
まるでおとぎ話のような説明に、ぼくはあんぐりと口を開いたまま聞いた。
「ばかいえ。あれには生まれつきの能力と、相当な修行がいるんだぞ。魔法の使える人間はたいてい『神官』として神殿に属しているから、きっと大神殿の神官が雷の魔法で倒したんだろう」
魔物や魔界が存在するくらいだ。そして今こうして目の前で不思議なことが起こった。こんなに非現実的な話を聞いても、信じるしかなかった。
でも、すごいな。弱っていたとはいえ、あんなに強い魔物を一撃で仕留めるなんて。一体どんな人がやったんだろう。なんだか、かっこいい!
ぼくは呑気にもそんなことを思った。
ワイバーンの末路を見届けてから、ぼくたちは再び都を目指しトリプスを歩ませた。
いよいよ「プネウマの鏡」のある、都へ。それを壊せば、母さんをロバートから取り戻してもらえる。
本当に、そんなことができるんだろうか?
――仮にできたとして、ぼくは無事に元の世界に帰ることができるんだろうか。
それについては、あまり考えないことにしている。最悪のことを考え出すと恐ろしくて、足が震えて一歩も踏み出せなくなる。
胸にあるのは、不安か、期待か。
一歩一歩都に近づくたびぼくは、胸の鼓動が早まるのを感じていた。