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aiolos(アイオロス)  作者: つるけいこ
第十一章
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第八十七話 山城

 ――ため息が聞こえるようだった。


 感嘆なのか、失望なのか、そこに込められた感情をうかがい知ることはできなかった。青紫色の瞳が、瞬きすることさえ忘れて、じっと前方を見つめている。

 崖下には無機質な針葉樹の森が広がっていた。見つめていると飲み込まれてしまいそうだ。キリキリと緊張をはらんだ冷たい風が、森の上を滑り来る。そして、上方には――。


 ()かずとも、ぼくにはすぐにわかった。


「ミロス山……だね」

 チュートニアの東方に位置するという火山。森よりもずっと高いところに、いち早く朝日をその身に受けながら、威圧するように黒い影がそびえ立っている。ぼくたちはしばし疲れも忘れて、その光景に見惚れていた。

「とうとう、こんなところまで来ちゃったんだな……」

 隣に立つ少年がつぶやいた。

 なんて遠くに来てしまったんだろう、ぼくはそう思った。そもそもこの世界がぼくにとって遠い異世界だというのに、南のアイオリアから海を渡り、人魚の島を経て東のアディスに行き、そして旧テラスティアのなかで最も北となるこの大地に、ぼくたちはついにたどり着いてしまったのだ。

 ぼくはリュクルゴスたちのことを考えた。彼らも無事でいるだろうか。不安がずしりと胸にのしかかる。

「行くぞ、エンノイア」

 だけど、宝玉を集めて、ルイーズを助けるまで、絶対にあきらめるもんか。ぼくは自らにそう言い聞かせて、ともに長旅を続けてきたエルフの少年と、この見知らぬ土地を歩み出した。


◇◆◇◆◇◆◇


 馬車を空飛ぶ魔物に襲撃され、歩きを余儀なくされたぼくたち。ラーヤは人質として、ぼくたちと離れて先頭を歩かされていた。心配だったけど、ぼくたちは黙ってついていくしかなかった。

 夜を徹して歩き通し、夜明けとともに現れたのは、半分山肌に食い込むようにして建つ、要塞のような城だった。何羽ものカラスがギャアギャアと叫びながら、城壁に沿って飛び回っている。昨日の怪鳥を思い出して、ぼくは身震いした。

 そして、崖の向こうにミロス山が見えたというわけだった。

「ここはもうチュートニアなのかな?」

 ぼくは列についていきながら、前を行くシーアにひそひそ声で言った。

「そうですよ」

 ぼくの疑問に答えたのは、シーアではなかった。後ろからの声に驚いて振り返ると、英語――この世界の人たちにとってはアイオリア語――で返事をしたのは、ローブ姿の御者だった。昨日の怪鳥との戦いの最中、唐突にシーアに弓を手渡してきた人物だ。昨日はそれどころではなくて気づかなかったけど、そういえばこの人はあのときもアイオリア語で話しかけてきたんだ。薄灰色のローブを着た彼は、昨日は目深にフードをかぶっていたけど、今は下ろしていて、てっぺんに少しだけ長い毛を残した刈り上げ頭が見えていた。

「チュートニアは外国人の入国を制限しているんでしょ? その割に国境のようなものは見当たらなかったけど」

 御者は指抜きの黒い手袋をした手のひらを突き出し、待った、というような動作をした。

「チュートニアは国の名前じゃありません。チュートニアは――昔の言葉でテウトニといいますが――『山の見える土地』という意味です。だから山が見えたらそこはもうチュートニアと呼ばれる地域ですよ」

 わかったようなわからないような説明に、ぼくは頭を抱えた。

「ええとつまり、ここはどこの国に属しているの?」

 その質問には、彼の顔色が変わった気がした。唇を舐めて、

「アディスでもなく、チュートン王国でもないところ。そうだな、さしずめチュートン王国になりそこねているチンケな自治領といったところかな」

と言った。

 昨日から妙に馴れ馴れしく接してくる御者に違和感を抱いて、ぼくはあらためて彼の姿をまじまじと見た。小柄で、どんよりとした陰気そうな目と、分厚い唇が印象的な中年の男だ。と、そこまで考えて、ぼくは驚がくの事実に気がついた。髪型がちがっているけど、よく見たらこいつはフォーブリアの両替商じゃないか!

「て……んめえっ。なに、のうのうと……」

 シーアも同時に気づいたらしく、怒りをあらわに御者、もとい両替商ににじり寄った。

「どうりでおかしいと思ったんだよ。昨日くれた弓、俺が持ってたやつと全く同じだったから……うわっ」

「わあっ」

 シーアが言い終えるより先に、ぼくとシーアは二人そろって襟首をつかまれ、そのまま木々の生い茂る斜面の下に投げ落とされた。そして御者も「うわあっ」なんて言いながら自ら滑り降りてきた。足を滑らせたふりをしたらしい。

「てめ……」

「静かに。御者になりかわってここまで来ましたが、わたしが見守れるのはどうやらここまでのようです。ここから先がどうなっているのかは、あなたたちに調べてほしい」

「なんだって?」

 御者はさらに声を低くして言った。

「きみたちを買ったのはチュートン王国の貴族なんかじゃない。そう(かた)っているだけです。わざわざチュートン王国の紋章に似せたマントまで羽織ってね。町長が大事に大事に保管している宝飾品、あれも見かけばかり派手にしているだけでチュートン王国の品にしては下品な安物ばかりですよ。だけど権威に弱い町長(あの男)を利用するには打ってつけの手だ」

 御者は意地悪そうにクックと笑った。

 あまりにも想定外の言葉に、ぼくたちは目を丸くした。それに、こいつは町長の仲間じゃなかったのだろうか。

「お前、一体何者だ……?」

「わたしのことなんかどうだっていいじゃないですか。それより、気になりませんか? 同胞たちがどうなっているのか」

 御者はシーアの肩に馴れ馴れしく手を回した。シーアは身をこわばらせたが、力強く引き寄せられているらしく、逃れることができなかった。

「きみは意志の強そうな目をしている。最初見たときから、きみになら頼めそうだと思ったんですよ。そして昨日のハルピュイアたちとの戦闘を見て、予感は確信に変わりました。つまり、きみは勇敢で他人思いな少年だとね。せっかくの逃げるチャンスだったのに、女の子のために武器を捨てたのには感動しましたよ」

 突然そんなことを言われて、シーアは言葉を失っていた。

「あいつらがなにを企んでいるのか調べてさえくれれば、アイオリアからのお仲間の無事は約束します。それに、きみたちのことは頃合いを見て助けに来ますから」

 それは暗に、従わないと無事ではすまないと脅しているようなものだった。白目がちの垂れ下がった目からは、真意を読み取ることはできなかった。

「これをお返ししておきましょう。感謝してください、わざわざ町長から買い戻したんですよ」

 御者は一瞬だけ手のひらを広げて見せて、それをシーアの上着のポケットに差し入れた。

 向こうから、ぼくたちを探しているらしい声がする。御者は素早い動作で腰から短剣を引き抜くと、自らのすねを切りつけた。ぼくたちが驚きの声を上げるより先に、護衛の一人が斜面の上から顔を出した。御者はなにかわめきながら、自分で切りつけたところを大げさに痛がった。

 ぼくは、彼がなにをしようとしているのかを察した。あいつらは歩けなくなると仲間でさえ置いていくくらいの連中だ。案の定、ぼくたちだけを引き上げると、御者をその場に置き去りにしていった。つまりあいつは怪我をしたふりをして、この場から逃げたのだ。

 それから、ぼくたちは再び城目指して歩き始めた。シーアは握られていた肩を払いながら、気味の悪いものでも見たような顔をしていた。

「なんなんだ、あいつ……」

「それで、どうするの? ぼくたちに調べてほしいって……」

 シーアは舌打ちした。

「あんなやつの言いなりになりたかないけど、今の俺たちには探ってみるより他に方法がない。それに……エルフたちの境遇が気になるのは本当だ」

 近づいてくる禍々しい城砦を見据えながら、シーアは言った。ぼくも同感だった。

「一体なにをポケットに入れられたの?」

 シーアは空を仰ぎ見ながら、大きく息を吐いた。

「こんなものだけ恩着せがましく返されてもな……」

 そう言って彼がポケットから取り出したのは、組み紐模様の指輪だった。


 やがてたどり着いた城には、白と青で半分ずつに分けられた背景に、カラスの絵が描かれた旗が掲げられていた。重そうな鉄扉の前で、ぼくたちはようやくラーヤと会わせてもらえた。彼女は色白の顔を真っ赤にしながら駆け寄ってきた。

「ごめんね、ごめんね、あたしのせいで……。二人は逃げられたのに」

「そんなことないよ。あそこで逃げたところで、逃げ切れたかどうかはわからないし。とにかくみんな無事でよかった」

 ラーヤは泣きじゃくりながら、それでもはっきりした口調で言った。

「あたし、二人のため、なんでもするから」

 そのとき、シーアは急に白髭の男に腕を引っ張られた。鉄扉が開かれ、城のなかへ連れていくつもりのようだ。エルフ、という言葉が聞こえた気がした。ぼくたちも続こうとすると、黒マントの部下たちに突き飛ばされた。

「きゃあっ」

「なにするんだよ!」

 すぐに別の部下が馬車とともにやってきて、ぼくとラーヤは強引に馬車に押し込まれた。一方、シーアは引きずられるように城内へと連れて行かれた。そして、鉄扉は固く閉じられた。

「シーア!」

 ぼくは叫んだ。こんなところで離れ離れになるなんて!

 無情にも、ぼくとラーヤを乗せた馬車は出発した。それから、城からごく簡単に舗装された道を通り、町らしきところへたどり着いた。二、三階建ての山小屋のような建物が細々と連なっている。すごく小規模ではあるけれど、これでも城下町なのかもしれない。通りから少し離れたところに建つ粗末な木造の館の前で、ぼくたちは下ろされた。

 建物のなかは、オンボロの机以外に家具の類は一切なく、床一面にわらと布が雑然と敷き詰められていた。買われた人間はここで生活させられているのだと、すぐに察しがついた。日中だからなのか誰もおらず、世話役らしき女の人だけが優しげな様子で出迎えてくれた。だけど、ぼくもラーヤもチュートニアの言葉はわからないし、不安な気持ちで立ち尽くしているしかなかった。

 ぼくたちを連れてきた馬車が帰った後、ぼくたちは交代で、桶に湯を入れただけの簡素な風呂に入れられた。それから、パンとスープを食べさせられた。もっと過酷な生活をさせられるんだと思っていたから、壁のある建物と風呂と食事があることは幸いだった。それに加えて、女の人は柱と柱の隙間のわらの積まれたところを指して、「休め」とジェスチャーで示してくれた。シーアのことは心配だったけど、昨日から食事も摂らず、一睡もせず歩いてきたから、ぼくはもう限界だった。ラーヤと二人で狭苦しいところに潜り込み、並んで横になった。

「床が硬いなあ。わらが敷いてあるだけありがたいけど」

「あたし、平気。いつもこういうところ、寝てた。牛や馬と」

「ほんとに? 家のなかで寝ないの?」

「父さん、母さん、アイオリアに住んでたけど死んだ。あたし、アディスの親戚の家、行った。もらわれっ子、家で寝られない」

 何気ない調子で放たれた彼女の言葉に、ぼくは絶句してしまった。どうりで、村が魔物に襲われたというのに、家族を心配する様子も、寂しがる様子もないと思ってたんだ。

「ごめん、辛い話させて……」

「なんで謝る? 話すの楽しいよ。いつも話す人いないから、二人と会えて嬉しい」

 その言葉通り、ラーヤはこんな状況でもなんだか楽しそうだった。鼻歌を歌いながら敷かれたわらを整えていたが、ふと、表情を曇らせた。

「シーア、一人で大丈夫かな……」

「きっと、大丈夫だよ。彼は強いから」

 ぼくはそう言ったが、内心不安でたまらなかった。

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