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第八十四話 町長の秘密

 どこからか母さんの声がする。気がつくとぼくは川を眺めて立っていた。川面から上がってくる肌寒い風に吹かれて、木々がざわめいている。アイオロスに呼ばれた、あの日の光景だ。ぼくは母さんの声がする、家のほうに向かって歩いていった。古い家が立ち並ぶ住宅街、ぼくたちはそのうちの一軒を借りて住んでいるんだ。


(今日も同じ夢だ)


 ――そう、これは夢だとわかっていた。最近、毎晩同じ夢を見ている。この先の展開はもうわかっていたけれど、ぼくはいつものように歩を進めた。夢のなかでもいい、あの女性(ひと)に会いたかったから。


 懐かしい玄関ドアを開けると、そこには――ルイーズがいた。なぜか全面ガラス張りになっていて、ルイーズはその向こうに立っている、というより、浮いている。青い髪を扇状に広げて、眠ったように目を閉じている。

 だけど、今日はすこし様子がちがっていた。ガラスにひびが入っている。ルイーズに早く会いたいのに、ガラスが割れることを思うと、ぼくはなぜだか不安でたまらなかった。しかしぼくの不安をよそにガラスのひびはみるみる大きくなっていき、ついに音を立てて割れてしまった。ぼくは重力に従って倒れ来るルイーズを支えようと、うんと手を伸ばした。水色の細い髪が指に絡まる――。


「うわっ、なにすんだ!」

 予想外の声音がして、ぼくは目を覚ました。ぼくの指に絡まっていたのは、細くて綺麗なのは同じだが、ルイーズとは全くちがう銀色の髪の毛だった。シーアがぼくの顔をのぞき込んでいたのだ。彼は心底気持ち悪そうな顔をしながら、ぼくの手から髪の毛を引き抜いた。

「なんだ、シーアか。脅かさないでよ」

「こっちのせりふだよ。起こそうとしたらいきなりつかまれたからびっくりしたぜ。……屋敷が静かになった。そろそろ行くぞ」

「はあ? 行くってどこに?」

「屋敷を調べるんだよ。あいつの腕輪を見たか?」

 まだ夢半ばだったぼくは、いらいらしながら言った。

「うんうん、すごく豪華だったね。なに、盗みでもする気?」

 シーアはため息をついた。

「ちげーよ、ばか。あの腕輪のことをよく思い出してみろよ」

 たくさんの宝物を見せつけられたから、ぼくにはもはやどれがどれだかわからなくなってしまった。でも、そういえば、数々のきらびやかな装飾品のなかで、彼の腕輪だけは宝石のはまっていない地味なものだった気がする。そして、複数の紐をねじり合わせたような、変わった模様が彫られていた。シーアは続けた。

「あれに彫られていたのは、エルフの組み紐模様だ」

 その言葉にぼくは一気に目が冴えて、ベッドから跳ね起きた。

「それ……、どういうこと?」

 シーアは胸元に下がるエルフの指輪をいじりながら言った。

「俺は、それを確かめたい。すこし屋敷を探ってみようぜ」

 もうぼくに異論はなかった。ぼくたちは連れ立ってそっと部屋を出た。もちろん、デュークも一緒だ。


 部屋の外は冷え冷えとした空気に満ちていた。いくつも並ぶ縦長の窓からは月の光が差し込んでいて、明かりがなくても十分に見渡せる。ぼくは、リュクルゴスたちがいるはずの隣の部屋のドアを見ながら言った。

「二人に相談しなくていいかな?」

 シーアはすこし顔を曇らせた。

「でも、()()()も一緒だろ……?」

 シーアが言うあいつとは、アーサーのことだ。森の邪気のせいだと思いたかったけど、森を抜けてもシーアのアーサー嫌いは変わっていないようだった。

「すこし探るだけだ。なんかわかったら、あいつらに言えばいい」


 外から見たとおり、屋敷はかなり広く、迷路のようだった。どの廊下にも押し黙ったように無機質なドアがいくつも並んでいる。

「こんなにたくさん部屋があるのに、一体どうするの? 一個一個調べるのは大変だよ」

 あたりに気を配りながら、ぼくは小さな声で言った。

「宝物を見せられたとき、ドアがすこし開いている部屋があったんだ。書斎みたいだった。そこを調べれば、やつが一体なんの商売をしているのかがわかるはずだ」

 シーアはそう言って、薄闇色の廊下を迷うことなく進んでいく。ぼくたちが泊まっている部屋は三階だったので、まずは宝物庫や書斎のある二階へ降りるための階段を目指す。

 黒マントの見張りは、屋敷の外ほど多くはないようだ。とはいえ何人かが廊下を巡回しているようだったから、ぼくたちは角ごとに立ち止まっては隠れながら、慎重に進んでいった。

 そうして、寝室に案内されたときにも通った石階段が見えてきたとき。

「くそ、見張ってやがる」

 カンテラの灯りがちらつくのが見えた。階段の前に黒マントの兵士が一人立っているようだ。ぼくたちは角に隠れてしばらく様子をうかがっていたが、そいつは退屈そうにそわそわしたりあくびをしたりはするものの、全くその場を離れる気配がなかった。

「デューク、頼む」

 シーアが小さな声でそう言うと、デュークは見張りの兵士に向かって飛んでいった。わざとらしく顔の前をグルグルと飛び回り、別の通路へと向かう。兵士は興味を引かれたようで、何事か言いながらデュークを追いかけていった。

「今のうちに!」

 ぼくたちは急いで階段を降りていった。


 二階も同じようにドアが並んでいた。宝物庫へと続く奥まった通路を無視して通り過ぎると、角部屋にたどり着いた。

「ここだ」

 立派でも地味でもなく、なんの変哲もないドアだ。シーアが耳をくっつけてだれもいないのを確認し、ドアを開ける。

 部屋はしんと静まり返っていた。真ん中に一組の机と椅子があり、片側の壁には本棚が置かれ、もう片側の壁には大きな絵が掛けられている。そして机の上にはたくさんの本や紙が雑然とばらまかれている。ぼくとシーアは顔を見合わせて、うなずき合った。ぼくたちは元々の配置を変えないように気をつけながら、それらをひとつひとつ調べていった。もっとも、ぼくにアディス語は読めないから、シーアに書類を手渡したり、調べ終わった書類を元に戻したりしただけだけど。


「織物とか麦とか、普通の取り引きの内容ばかりだ」

 ぼくたちはそれから三十分ほど調べていた。だけど、シーアの知りたいような情報はなかなか見つからないようだった。やがて目につく書類はほとんど調べ尽くし、ぼくは次第に疲れてきた。

「ねえ、やっぱりこんなことしても無駄だよ。エルフの腕輪は、たまたまお店で見つけたんじゃない? シーアの指輪みたいに」

「いいや、どうしても気になるんだ。あいつがエルフとなんの繋がりがあるのか。あいつがやってるのは絶対に真っ当な商売なんかじゃない。感じるんだ」

 シーアは真剣だった。ぼくはそれ以上文句を言うのをやめた。

 そのとき、窓を外からコンコンと叩く音がした。ぼくたちは顔を見合わせて凍りついた。息を潜めて恐る恐る見守っていると――。

「ピピッ」

「デュークだ!」

 ぼくは音のした、部屋の一番左端の窓を開けた。思った通り、窓の外にはピンととさかの立った、黄色い鳥が飛んでいた。階段の兵士を引きつけてくれた後、外側から戻ってきたようだ。しかしデュークは一瞬中に入ったかと思うとすぐにまた出て行って、すっと視界から消えた。ぼくは身を乗り出して、彼の姿を探した。けれどもそれほどの間もなく、デュークは見つかった。なにか訴えるみたいに左隣の窓の前で羽ばたいている。もっとよく見ようとしたが、下に兵士たちの持つ松明の明かりがポツポツと見えて、ぼくは頭を引っ込めた。

「デューク、なんだか知らないけど早く中に入ってよ。兵士たちに気づかれちゃう」

 そう言いながら作業に戻ろうとして、ふと違和感に気づいた。もう一度そっと身を乗り出して窓の外を確認する。この窓は部屋の一番左端だが、隣にさらにもうひとつ窓がある。ここは角部屋で、隣に部屋はないはずなのに。

 ぼくは窓の横の壁を見た。こちら側の壁には額に入った大きな絵が掛けられている。さっきはよく見ていなかったけど、よく見たら町長を描いた絵で、まるで王様のように着飾って金銀財宝を手にしている。

(なんて趣味の悪い絵!)

 ぼくはそうひとりごちながら、右に左に、額をあれこれ動かしてみた。

「シーア!」

 ぼくの呼びかけに気づいて、シーアが駆け寄ってきた。彼はすぐに息を呑んだ。ぼくの思った通り、額は扉のように開き、窓がひとつだけある小部屋が現れたのだ。

「隠し部屋をつくるなんて、ますます怪しいな……」

 シーアの言葉に、ぼくはうなずいた。これはもう、後ろめたいものがある証拠だ。

 小部屋には、小さな机と、その上に数冊の本が置いてあるだけだった。シーアがそのなかの一冊を手に取り、パラパラと中身を確認する。

「これも帳簿みたいだ」

 シーアはそう言って、その本を手にしたまま、固まってしまった。

「なに? なにが書いてあるの?」

 シーアは震える声で読み上げた。



売上目録

豊穣の月5日


人間,男,10歳,健康状態良好――16,000ルアン

人間,女,15歳,ろうあ――24,000ルアン

エルフ,男,推定40代,左足欠損――8,000ルアン

エルフ,女,推定10代,健康状態良好――32,000ルアン


計80,000ルアン



 ぼくは総毛立った。たったこれだけの記述で、とんでもない悪事の証拠だとわかってしまったからだ。他の本も開いてみると、帳簿は何冊にも渡り、何年分にも及んでいることがわかった。思えば、町の人たちはみんなこのことを知っていたんだ――つまり、町長が人身売買をしていることを。シーアは見るからに綺麗な少年だし、ぼくは無力な子供、それもこの国ではなんのつてもない外国人だ。ぼくたちが売り物になりうる存在だとわかって、それで門番や宿の人たちはぼくたちを遠ざけようとしていたんだ。だけどこの町は町長のおかげで栄えていて、きっとだれも面と向かっては手が出せないんだろう。そして、町長がつけていたエルフの腕輪。あれは売られていったエルフから奪い取ったものに違いなかった。

 シーアの手は震えていた。ぼくはかける言葉が見つからなかった。


 そのとき、急に部屋が明るく照らし出された。帳簿に気を取られていたせいかぼくたちは人の気配に全く気づかず、隠れる暇もなかった。まるでさっきの絵から抜け出てきたみたいに、目の前に町長が立っていた。後ろには武装した黒マントの男たちを従えている。

「ベッドにいないと思ったら、こんなところにいたんですか。ひとの家を漁るのは感心しませんねえ」

「どの口で言うんだか」

 シーアが毒づいても、町長は笑みを崩さない。町長が後ろの黒マントに合図すると、シーアは羽交い締めにされた。無理やり髪がかき上げられ、シーアの尖った耳が露わになる。

「ね、わたしの言ったとおりでしょう? 最近はこんな風に髪を染めているエルフも多いようです」

 そう言いながら、町長の背後から近寄ってくる男がいた。やがて黒マントの持つカンテラにその人物が照らし出され、ぼくはあっと声を上げた。ボサボサ頭の陰気な中年男――昼間の両替商だった。

「お前もグルだったんだな!」

 シーアは黒マントたちの腕を振りほどき、両替商につかみかかろうとした。しかし、途中でがっくりと崩れ落ちた。

「シーア!?」

 駆け寄ろうとしたが、急に足から力が抜けて、顔を床にしたたか打った。朦朧とした意識のなかで、町長とシーアの声がした。

「やっと効いてきましたか。忌々しいチュートニアの薬師め。まがいものをつかまされたかと思いましたよ」

「痺れ……薬、か……」

 ぐったりとしたシーアを、男たちが連れて行く。

「ピピイ、ピイ!」

 ぼくより先に、デュークが町長たちに飛びかかった。黒マントたちがデュークに斬りかかろうとする。ぼくは痺れて声を上げることもできなかった。そのうちに、デュークはさっき開け放したままだった窓から飛んで行った。何人かの部下が捕まえようとしていたが、町長は、放っておけ、と手で合図した。

 ぼくは無理やりに起き上がって、近くにいたやつの足にしがみついた。だけど体に全く力が入らず、すぐに蹴飛ばされる。再び起き上がろうともがいていると、両替商が近寄ってきて、耳元で囁いた。

「後でわたしがなんとかしてあげますから、それまで大人しくしていてください」

「え?」

 隙をつかれて、腹にパンチを食らった。こいつは見かけによらず力が強い。ぼくはついに完全に倒れ伏した。

 視界の端にデュークが飛んでいくのが見えた気がした。といってもデュークはとっくに窓の外で、夜闇のなかそんなにはっきり見えるはずもないから、もう夢のなかだったのかもしれないけど。

 ぼくは心のなかで叫んだ。


 ――頼んだよ、デューク……!

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