第八十三話 フォーブリアの町
二匹のドラゴンはびゅんびゅんと風を切って進む。ぼくはデュークが飛ばされないように手で押さえながら、寒さに身を縮めていた。
やがて眩しいほどの朝日が眼下の森を照らし始めた。邪気の森の闇が、みるみる後退していく。ドラゴンたちはだんだんと高度を落とし始めた。そして再び木の葉を突き破って、森のなかに沈んでいった。地面が十分に近くなったところで、ぼくたちは飛び降りた。別のドラゴンに乗っていたアーサーとリュクルゴスも無事だ。それからドラゴンたちは不思議なほどスムーズに、音もなく土に潜っていった。
「花の妖精に木のドラゴン、か。不思議なところだな、この国は」
リュクルゴスが感心したように言った。
まだ森のなかではあるけれど、近くに町があるのは上空から見てわかっていたから、ぼくたちはすぐに歩み始めた。そうして太陽が真上に近くなったころ、ぼくたちは町の入り口と思しき門に辿り着いた。久しぶりに見る立派な構造物に、心から安堵する。
「やっと落ち着いて休めそうだな」
「お腹空いた〜。なに食べよう?」
「役人にあの村のことを伝えないといけないですね」
石造りの重厚な門の前にはリールでも見たつば広の帽子をかぶったアディス兵が二人立っていた。ぼくたちがあれこれ言いながら門をくぐろうとすると、手に持った槍斧を互いにクロスさせて妨害された。
「な、なんだよう」
口を尖らせるぼくのことを気にも留めず、片方の兵士が朗々とした口調で何事か言う。シーアが通訳してくれた。
「何者だ、と言っている」
「そうか。これを見せなきゃな」
リュクルゴスは、リールのときと同じようにエゲアポリスの司祭にもらった書類を出した。書類にはぼくたちが執政官の許可を受けた正式な訪問者であり、討伐隊長リュクルゴス・ヘイロウタイ、アエロポリス大神殿所属の神官アーサー・クロア、以下その従者二名、その身元はアエロポリス大神殿が保証する……ということがアディス語で書かれているらしい。ぼくとシーアは「従者」ということになっているようだ。
実際にはリュクルゴスは一時的とはいえ討伐隊長をやめているし、今回の旅は正式な国の任務ではないのだが、そこは大きな問題ではないだろう。というのも、アイオリアとアディス間の行き来は基本的に自由だからだ。
……のはずだったのだが。
門番たちはしばらくぼくたちを上から下まで眺め回していた。そしてあからさまに困惑した表情を浮かべると、再び槍斧を交わらせ、通せんぼをした。
「ここはお前らの来るべきところじゃない、引き返したほうがいい、と言ってる」
シーアが言った。
「なんでだよ。身分証はちゃんと見せただろ?」
食ってかかったリュクルゴスを、門番たちは容赦なく押し返した。
そのとき、背後から男の声が聞こえた。振り返ると、幾人かの付き人を従えて馬に乗った人物が急ぎ足でこちらに向かってくる。騎乗していたのは、見るからに立派な装束を着た口髭の男だった。
門番たちは男を見るなり慌ただしくかしこまった。呆然と立ち尽くすぼくたちの前で男は馬を降りると、門番たちと話し始めた。そして先ほどの書類をあらためると、アイオリア語で言った。
「アイオリアの方ですか。これは失礼しました。わたくしはこの町の町長のリアルトといいます。旅人は歓迎しますよ」
町長の手引きで無事町に入ることができたぼくたちは、中心の通りを歩いていた。
ここはフォーブリアという町らしい。通りには背の高い赤茶色の建物が立ち並んでいて、規模はだいぶ小さいとはいえ、リールに似た町並みだ。
あ、あとであの服屋を見てみよう。
不気味な森と村で疲れ切っていたぼくは、ようやく気を取り直して、あたりの店を物色していた。
「森のなかでよくこの規模の町が維持できますね」
「確かにな。あの男の手腕なんだろう。彼は町の人たちからとても尊敬されているようだし」
リュクルゴスは周りを見渡しながら言った。というのも、町のいたるところにさっき出会った町長リアルトの肖像画が掲げられているからだ。
通りすがる町の人たちは、ぼくたちのことをあからさまにじろじろと見ていた。
「だけど、なんか、いやな感じだね。密入国者でもあるまいし」
ぼくは言った。「密入国者」という言葉は前にテレビで見て覚えていた。
「外国人に慣れていないんでしょう。これくらいで怖気づいてちゃいけませんよ。チュートニアではもっと苦労するでしょうから」
「えっ、どうして?」
「チュートニアはひとつの国ではなく小国の集まりで成り立っていますが、そのなかで最も有力な国とされているチュートン王国は外国人の入国を厳しく制限していますからね。入国できるのはごく一部の許可を受けた周辺国の商人だけです。アイオリアとは国交もありませんし、わたしたちの入国が認められるかどうか……」
「じゃあぼくたち密入国者になっちゃうの?」
「たぶんそうなるでしょうね。でも、陛下を助けることのほうが大事でしょう? それとも、エンノイアくんは怖いですか?」
「怖くなんてないよ! どうやって入国するのかなあって、思っただけ」
アーサーは口に人差し指を当ててウーンとうなった。
「それはまだ考えているところです」
「まずは宿を探さないとなあ」
リュクルゴスが言った。
「そうですね。さすがにそろそろベッドで寝たいですね」
アーサーがちらりとシーアに視線を向けたが、シーアは片眉を上げただけだった。さすがのシーアも今回は異論はないようだ。
「おい、どこか休めるところを知らないか」
リュクルゴスが通りゆく若い男に何気なく話しかけると、男はびっくりして逃げてしまった。リュクルゴスは肩をすくめた。
「やれやれ。俺たちはしばらく町を散策しておくからさ。シーア、頼みたいことがあるんだが」
「俺に?」
急な提案に、シーアは目を丸くした。リュクルゴスはお金の入った袋を出した。
リュクルゴスの言うには、これからはもうアイオリアのお金は使えなさそうだということで、アディスの通貨ルアンに替えようとのことだった。そして、その役目はアディス語のわかるシーアに託されることになった。
「ちょろまかすやつもいるからな。気をつけろよ」
「俺がそうするとは思わないのか?」
「ここまで一緒に旅してきたんだ。今さら疑ったりしないよ」
「あ、そ」
シーアはフンと鼻で笑って、踵を返した。
「あ、待ってよ。ぼくも行く!」
ぼくはシーアを追いかけた。
シーアは基本森で暮らしているけれど、町で獲物の売り買いをする生活柄こういったことには勘が優れているようで、すぐに両替屋らしき建物を見つけた。通りから一本入っていったところで、周りの背の高い建物に埋もれるようにしてオンボロの小屋が建っている。小屋のなかは暗く、設られたカウンターには、黒髪でボサボサ頭の中年男が座っていた。男は頬杖をついたまま、視線もよこさずに硬貨を数え始めた。
「……アイオリアから来たんですかい?」
「そう……あっ」
何気なく答えて、ぼくは気づいた。
彼もアイオリア語が話せるらしい! 町長は別として、町の人たちからはずっと知らない言葉ばかり聞こえてきて緊張していたから、ぼくはちょっとだけほっとした。
両替が終わって、男はやっと顔を上げた。そこで初めてこの陰気な両替商の目にぼくたちの姿が映ることになった。すると彼は急に、へえ、ほう、と唸りながら、品定めでもするようにシーアのことをじろじろと見始めた。そして分厚い唇をぺろっと舐めて、
「面白い髪色をしてますねえ」
と言った。
その言葉でぼくは初めて気づいたのだが、キッソスでキリエさんに染めてもらった紫色のシーアの髪は、いくらか元の銀色が見えてきてしまっていたのだ。窓から差し込む光に反射して、キラキラ光っていた。
シーアはあからさまに顔をしかめて、ぼくの背中を押した。
「エンノイア、早く行くぞ」
扉を開けて出ようとするぼくたちに、再び男の声が飛んできた。
「町長……リアルト様にはもう会われましたか?」
シーアは男の言葉を無視して足早に出て行った。ぼくもすぐに後に続いた。
その後、リュクルゴスたちと合流したぼくたちは、まずお店で上着などを揃えた。朝晩が冷える日が増えてきたからだ。それから、酒場で遅めの昼食を摂った。
この町では常にそこらじゅうから視線を感じる。今も酒場ではみんなぼくたちのことなど気にも留めず盛り上がっているようなふりをしながら、絶えずぼくたちの様子を伺っているのがわかった。だけど、一番困ったのはそんなことじゃない。昼食の前にリュクルゴスたちが見繕ってくれていた宿のいくつかに行き、シーアに話をしてもらったのだが、全て断られてしまったのだ。いわく、面倒ごとはお断りだ、と。
「泊まりたいだけなのに、面倒ごとって……」
ぼくはアディスの五"ルアン"コインをもてあそびながら、ぼやいていた。両替商はうさんくさい人物だったけど、両替はきちんとできていたようだ。
「よっぽどよそ者が嫌いなんだな。なんのための宿屋なんだか」
リュクルゴスは苦笑した。
「この分だと今日も野宿ですね」
「こんな大きな町に来ておいて野宿だなんて……」
ぶつくさ言っていたぼくたちのテーブルに、一人の男が近づいてきた。さっき町の入り口で助けてくれた、町長のリアルトだ。特徴的な口髭に加えて、金糸の刺繍の入った深緑色のチュニックに白いマントという、ひときわ派手な出で立ちをしているのですぐにわかった。彼はまたアイオリア語で話しかけてきた。
「おや、先ほどのアイオリアの方々ではないですか。宿はもうお決まりで?」
「いや、まだだが……」
リュクルゴスが答えると、町長は目を輝かせた。
「それはちょうどよかった! では、ぜひうちにお泊まりください」
「え……いいのか?」
「もちろんですよ。もう準備はできています。わたしは客人をおもてなしするのが大好きでして。どうぞ、夕食も食べていってください」
ぼくたちは顔を見合わせた。それは願ってもない申し出だ。とはいえ、妙な押しの強さになんとなく気持ち悪さを感じてしまう。それに、町長が入ってきてから、酒場の雰囲気が一変したのがわかった。みんな静まり返って、複雑な表情でこちらを見ている。そんな周りの様子をよそに、町長はすっかりご機嫌になっていた。彼は店主に何事か叫び、その場にいた客はみんなグラスを掲げて感謝のような言葉を口にした。たぶん、奢りだとかなんとか言ったんだろう。でもみんな全然本気で笑っていないのがわかる。町長は尊敬されているというよりも、恐れられているように見えた。
リュクルゴスはそんな様子を眺めながらしばらく唸っていたが、やがてうなずいた。
「わかった、世話になるよ」
少し不安に駆られながらも、行くあてのないぼくたちに他の選択肢はなかった。
町長に付き従って町の奥へと向かっていく。町長はぼくたちの前を歩きながら、興味津々といった様子で何度もこちらを振り返っては見ていた。
「ところで、従者の方々はどこでお買いに……いえ、お雇いになられたのですか? ずいぶんとお若い方々のようですが」
ぼくとシーアが従者だという設定を忘れていたから、みんなしばらく呆気に取られた。
「あぁー、雇ったというわけじゃなくて、たまたま同じ目的があったからさ。ただで、というか、自主的に一緒に来てくれてるんだ」
リュクルゴスが当たり障りなくそう答えると、町長は大げさに感心の声を上げた。
「ほう、自主的に! それは、素晴らしい。じつに素晴らしい。それで、場所はどこで? どこで知り合われたのですか?」
「それ、お前に関係あるか?」
それまで黙って聞いていたシーアが、ついにいらいらした口調で言った。
「いやあ、これは失礼しました。なにしろ閉鎖的な場所なものですから、外の世界の話を聞くのが好きでして」
やがて町の最奥に、場違いに大きな建物が現れた。視界いっぱいに広がる石造りの壁にはいくつもの窓が並んでいて、高さは三階建て、四隅に尖塔が建っている。屋敷というより城と言ったほうがよさそうだ。鉄鎧に黒マントを羽織った男たちが槍斧や剣を持ってそこらじゅうを警備している。マントにはみんな同じ火を吹くドラゴンの紋章が描かれていて、それが一層ものものしさを感じさせた。
「やけに立派な家に住んでるんだな」
リュクルゴスが、いくぶんか含みのある言い方をした。町長は気に留める様子もなく、薄く笑みを浮かべた。
「チュートニアに行かれるのですか。あそこはいいところですよ」
その夜、ぼくたちは夕食をご馳走になっていた。夕食も建物に負けず劣らず豪華だったけど、ぼくは緊張していて味わう余裕もなかった。家来が次々と運んでくる料理を、無心で口に運んでいた。
「行ったことがあるのか」
「ええ、まあ。わたくしはチュートニアで商売をさせていただいておりまして」
「警備の方々が着ている黒マントに描かれた紋章もチュートニアのものですね?」
アーサーの質問に、町長はわずかにたじろいだ。
「よくご存じで。誠に光栄ながら、わたくしはチュートン王国のさる貴族様より多大なご厚意をいただいておりまして、兵士もお借りしているのです。そうそう、いくつかの宝飾品も賜りましたよ。後でお見せいたしましょう」
夕食を終えると、町長はチュートン王国の貴族からもらったという品々をひとつひとつ見せびらかしてきた。アクセサリーや家具や剣など、どれもこれみよがしに宝石が散りばめられた悪趣味なものばかりだ。よく見れば、彼自身も指輪や腕輪など、きらびやかなアクセサリーをいくつも身につけていた。話を聞きながら、ぼくたちはだんだんうんざりしてきた。
ぼくたちの寝室は二部屋与えられたので、いつもの通りぼくとシーア(それとデューク)、リュクルゴスとアーサーでそれぞれ使うことにした。きっちりとシーツの整えられた大きなベッドが二つ。窓には赤いベルベットの重厚なカーテンがかかっている。デューク用に金ぴかの鳥かごを貸そうかと言われたが、こいつは普通の鳥じゃないから、と丁重にお断りした。
シーアは部屋に入るなり、あちこち調べたり、窓を開けて外を見渡したりしていた。それからずっと、硬い表情のまま窓辺の豪華な椅子に腰掛けていた。
「シーア、まだ寝ないの?」
「こんな怪しいところで寝られるかよ」
「そうだね……」
ぼくはベッドに横になった。その瞬間に、めまいにも似た感覚が襲う。町長が不審であることは間違いないが、野宿続きの疲れのためか、ぼくはあっという間に眠りに落ちてしまった。