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第八十一話 禍々しい夜


 リュクルゴスに肩を支えてもらいながら、ぼくたちは焚き火のところまで戻ることにした。

「まったく、これから長いってのに、怪我なんかして。リュクルゴス、あなたもなにやってるんですか!」

 戻るやいなや、二人揃ってアーサーに怒られてしまった。

 いつかのように、薄っぺらな布を地面に敷いて寝る。地べたに体をつけると、寒いというほどではないが少しひんやりした。やがてふくろうの声すらも消えて、かすかな木のざわめきと、みんなの寝息しか聞こえなくなった。ぼくは足の傷が痛むのと、静けさに緊張してなかなか眠りにつけなかった。

 天気がいいのは幸いだった。木々の隙間に星が輝いているから、思ったほどには暗くない。この世界に来て、こんなにじっくりと星空を眺めたのは初めてだ。大きな星と小さな星が交互に瞬いて、まるで話しかけてきているみたいだった。星座の知識があれば、向こうの世界の星の配置と同じかどうかわかったのにな。

 ぼくは夜空を見上げながら、今日の出来事について考えていた。

 リュクルゴスにとって、ぼくが王かそうでないかなんて、ある意味ではどうでもいいことなんだ。自分の尊敬する女性が死んでしまうことは、彼にとって生きる意味をなくすほど辛いことに違いない。

 そしてそれはぼくにとっても同じことだった。ルイーズは元の世界につながる唯一の鍵であり、それを失うのは、母さんを失うのと同じことだからだ――。


 それから、森を歩く日が続いた。森はだんだんと鬱蒼としてきた。葉の色はより深くなり、枝はおばけのように曲がりくねり、道には木の根が張り出している。リールからの道を示す敷石はほとんど草と泥に埋もれてしまっていたので、ぼくたちは何度もしゃがんで石を探すはめになった。幸い、道中で凶暴なモンスターや魔物に出会うことはなかった。ところどころで茶色いトリプスに遭遇した程度だ。地図の通りなら、道は森を北に突っ切って、次の都市へと繋がっているはずだ。だけどこの数日間ずっと同じ景色が続いていたので、本当にこの先に町があるのか不安になってきた。

 景色に変化が訪れたのは、三日目のことだった。今朝からどんよりと曇っていた空から、ついに雨が降り出したのだ。

「まいったなあ。雨宿りできる場所もないし」

 マントを頭にかぶったリュクルゴスが言う。

 それから十分ほどして、ようやく地図にも載っていない小さな集落が目の前に現れた。森の切り開かれたところに飾り気のない木造の家が十軒ほど建っていて、まるでアイオリアで初めて寄ったパーンの森の村のようだ。

「ちょうどよかったですね。雨宿りさせてもらいましょう。運がよければ泊めてもらえるかも」

「ええ? 俺は嫌だよ。野宿にしようぜ」

 これもいつかを思い出すやりとりだ。しかし、アーサーはため息をつきながら言った。

「シーアくん、甘く考えないでください。こんなに毎晩毎晩野宿していてもし強力な魔物に襲われでもしたら、身が持ちませんよ」

 シーアの顔があからさまに曇った。雨に濡れて泥んこで、みんないらいらしているせいもあったかもしれない。偉そうに、と毒づく声が聞こえて、ぼくは焦った。

「俺はそんな生活を何年も続けてきたんだけどな。どんな住人がいるかもわからないのに泊めてもらおうだなんて、お前こそ甘く考えすぎなんじゃないか?」

「ま、まあまあっ。とりあえず入ってみて、だめなら出ればいいじゃん」

「でも言葉が通じるかな……」

 黙って様子を見ていたリュクルゴスがつぶやいた。確かに、リールではアイオリア語がある程度通じたけど、こんな森のなかの村ではどうだろう。

「わかったよ、俺がアディス語で聞いてやるよ。でもどうなっても知らねーぞ」

 シーアが肩をすくめながら言った。

「あれ、シーア、アディス語わかるの? もしかしてエルフは動物の言葉だけじゃなく、人間の言葉も全てわかるとか!?」

「そんなわけねーだろ。昔チュートニアから出てきたときにこの国を通ったから、大体覚えたんだよ」

 それも十分すごいことだと思うけど。彼がアディスにいた期間はそんなに長くないだろうし、人を避けていただろうからあまり話す機会もなかったはずだ。やはりエルフは頭がいいのかもしれない。

 しかし、シーアがアディス語を使う機会はなかった。村に足を踏み入れてみると、全く人の気配がなかったからだ。村はずれの一軒を試しにノックしてみるが、誰も出てこない。

「警戒してるのかな」

 耳を澄ましてみても、雨が屋根を叩く音がするだけで、家のなかからは物音ひとつしない。ぼくたちは顔を見合わせた。

「住人には申し訳ないけど……」

 リュクルゴスは玄関ドアを蹴った。黒ずんだ木のドアは見るからにオンボロで、それだけで簡単に開いてしまった。

「どういうことだ、これは?」

 なかはひと目見てわかるほど異様な状態だった。テーブルには鍋や食器が置きっぱなし、箪笥は開けっぱなし。まるで空き巣にでも入られたかのような荒れっぷりだ。

 他の家々も廻ってみたが、どこも同じ様子だった。それによく見れば外壁に傷がついていたり、不自然に農具が散乱したりと、戦ったような形跡がある。

 ぼくたちは村の広場に出た。土がむき出しの広場には、いくつも木の杭が立っていた。杭の下にはたくさんのカラスがいて、濡れた地面をつついて回っている。

「なんだろう?」

 ぼくたちが近づくやいなや、カラスたちは一斉に飛び立った。カラスたちがつついていたものを見て、ぼくたちは言葉を失った。これはたぶん――お墓の跡だ。杭は倒れていたり斜めになっていたりで、大急ぎで埋めたような様子が見てとれる。遺体が棺桶に入っていないから、いくつかは雨に濡れて、露出してしまったらしい。

 ぼくたちは地面を見つめたままなにも話せず、また、動けずにいた。

「一体なにがあったんだろ……」

 ようやく発したぼくの呟きに、応えられる人は誰もいなかった。

 ぼくたちは最初にノックした家で勝手に雨宿りさせてもらうことにした。窓の外が刻々と夕闇に染まっていく。アーサーが戸棚で見つけた蝋燭に火を灯してくれた。

「小降りになってきたみたいだな。とはいえ今から出発したら真っ暗になっちまうから、今日はこのままここで泊まらせてもらうか」

 リュクルゴスが雨戸を開けて言った。

 外からカラスの鳴き声が聞こえる。まだ死体を漁っているのだろうか。

「不気味ですね……」

 この家にはいくつかの部屋があったが、到底入る気にはなれなかったし、灯りももったいないので、ぼくたちは簡単にご飯を済ませた後、リビングの床で寄り集まって寝ることにした。

 眠れるわけがないと思ったが、さすがに雨のなか歩き通しで疲れが出たのだろう、横になった瞬間、吸い込まれるように眠りに落ちるのを感じた。


 エンノイア……エンノイア……。

 どこからか母さんの声がする。気がつくとぼくは川を眺めて立っていた。川面から上がってくる肌寒い風に吹かれて、木々がざわめいている。アイオロスに呼ばれた、あの日の光景だ。ぼくは母さんの声がする、家のほうに向かって歩いていった。古い家が立ち並ぶ住宅街、ぼくたちはそのうちの一軒を借りて住んでいるんだ。

 懐かしい玄関ドアを開けると、そこには――ルイーズがいた。なぜか全面ガラス張りになっていて、ルイーズはその向こうに立っている、というより、浮いている。青い髪を扇状に広げて、眠ったように目を閉じている。その姿はひどく美しくて、まるで生きたまま氷漬けにされたかのようで――。


 ルイ――!


 叫ぼうとした瞬間に目が覚めて、ぼくはそれが夢であったことを悟った。じつはリュクルゴスとルイーズについて話してからというもの、ずっと同じ夢を見続けている。不気味なようでいて、けれどもガラスの向こうで目を閉じるルイーズの姿を思い出すと、不思議と心が安らぐような気もした。夢のなかの彼女はガラスの向こうに拘束されてはいるけれど、頬も唇も綺麗な薄ピンクに染まっていて、生気に満ちていたからだ。夢にこんなこと言っても仕方ないんだけど。

 まだ夜中らしく、部屋のなかは真っ暗だった。よく見えないけど、みんな寝静まっているらしい。床に寝ているので、家具を見上げる格好になっていて変な感じだ。次第に目が慣れてくると、迷路のように並ぶテーブルと椅子の脚の間に、デュークがいるのがわかった。

 すっかり目が冴えたぼくは、尿意を覚えてきた。しかしこの世界のトイレは残念ながら家の外にあるのだ。ぼくは脱いで干していた服をとって、デュークを肩に乗せると、みんなを起こさないようそっと扉を開けた。

 雨はとうに止んでいて、月が出ていた。だからなのか、家のなかよりも少しは明るい。濡れた土の臭いがする。土のなかにあるものについては……考えないようにしながら、ぼくは家の外壁をたどりつつ、昼に場所を確認していたトイレに向かった。用を足したあと、ぼくはふと家の裏に立つ人影に気づいた。一瞬どきりとしたけど、すぐに知っている人物だとわかって、胸を撫で下ろした。ただ、彼がなにをしているのか(、、、、、、、、、)ということについては、なかなか理解ができなかった。

 はじめは、目の錯覚かと思った。彼が手に持つ杖の先を地面に叩きつけると、黒い別の人影が現れ、そしてもやになって消える。彼はそれを何度も何度も繰り返していた。いらいらしている様子がこっちにまで伝わってくる。

 こんな夜中に一人でなにをしているんだろう? なにかと目聡い彼には珍しく、こちらに気づきもしない。ぼくはその人物に声をかけてみることにした。

「アーサー」

 ぼくの声に振り向いたアーサーは、あからさまに驚いていた。

「エンノイアくん……」

 アーサーは青い目を見開いたままゆっくりと、ぼくに向かって杖をつきつけた。


「ア、アーサー、なにを……」

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