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第八十話 新天地にて

「エンノイア、まだ寝てるのか? 出発だぞ!」

 次の日。まだ夜も明けきらないうちに、ぼくはドアを叩く音で容赦なく起こされた。

「ねむ~い。足いた~い」

 下の酒場で朝食のスクランブルエッグをつつきながら、ぼくはぼやいた。

「ほーら、言わんこっちゃない」

 向かいの席に座ったリュクルゴスが呆れつつ笑う。彼も同じ時間まで起きていたはずだが、もうすっかり支度を済ませている。

「もうちょっと出発を遅くしてもいいんじゃない?」

「だめですよ。ここは知らない土地ですし、早く次の街に着いて、なるだけ野宿の回数を減らしたいんです。昨日の夜、街で地図を探したんですが、驚くべきことにこの国には国全体の地図というものがありません。この街の北に広がる森を抜けたら、そこから先は未開の地ですよ」

 アーサーがテーブルに地図を広げながら言った。森の絵のなかに埋もれるようにしていくつかの地名が書かれているのを除けば、そこにはほとんどなにも描かれていなかった。

「なにより一刻も早く陛下を助けたいしな」

 陛下、という言葉に、ぼくは目の覚める思いがした。そうだ、それが一番大事なことだ。

「そういえばシーアは?」

「食糧を調達してくるって言ってましたねぇ」

 朝食を食べ終えて外に出ると、昨日の賑々しさが嘘のように、リールは元の静かな街に戻っていた。アイオリアよりもほんの少し冷たい風に煽られて、昨日撒かれたチェシュの花びらがくるくると舞っている。まだ人通りは全然なく、宿の向かいにあるパン屋だけが営業を始めていた。

「よう、寝ぼすけ」

 漫画のようなセリフを吐きながら、シーアは石畳の道を跳ねるようにやってきた。デュークと、デューク似の不細工なぬいぐるみと一緒だ。腰には「食糧」の野うさぎが下がっている。

「ちょっと見てきたけど、街の外はずうっと森だぜ。早く出発しないとな」

 彼はさっきのアーサーと同じことを言ったが、その口調は心なしか明るい。悪い人間から逃れるためでもあるけど、彼はやっぱり森が好きなんだろうな。

 そして朝日が眩しく照らしつけてきた頃、ぼくたちは街の門をくぐった。

「なに、チュートニアに? お前たちも物好きだな」

 重厚な石造りの門の前には、つば広の帽子をかぶり、金糸の刺繍の入った赤いベストを着た男たちがいた。どうやらこれがこの国の兵士の格好らしい。書類を見せて行き先を説明すると、止められはしなかったが驚かれた。

「気をつけろよ。向こうは小国同士の小競り合いが続いているらしいからな。それに最近は地震が多い。噴火の前触れじゃないかって言われてるぜ」

「噴火……火山があるの?」

 門番はうなずいた。

「ミロス山というデッカイ山があるらしい。もちろん俺は直接見たことはないけどな」

 その名を聞いた瞬間、シーアははっとしていた。ぼくは小声で聞いた。

「シーアの住んでいたところの近く?」

「いや。でも村から山は見えていたような……気がする」

 それから彼は、しばらく考え込んでいた。噴火したらエルフに被害が及ぶからかと思ったが、どうも考え込んでいる理由はそれだけではないようだ。今はうまく説明できない、とだけ言われてしまった。

 街からはしばらく石で区切られただけの簡素な道が続いている。その周りを、苔むした木が並び立つ。足を踏み出した瞬間に、草と土の匂いがした。

 道案内するかのように、ぼくたちの前を幻想的な青色の蝶が飛んでいく。それについて歩くうちに、木々がだんだん迫ってきて、あたりはあっという間に森になった。

「わっ」

 ガサッという音と共に、ぼくたちの前に動物の親子が現れた。ぼくたちのことを気にすることもなく、道脇に生えた木苺を食べ始める。一体なんの動物なんだろう。頭に三本の角が生えていて、背中に甲羅みたいなものを背負っている。甲羅にはフカフカの草が生えていて、模様の隙間には桃白色の花が咲いている。これは……。

「もしかしてトリプス?」

「でもアイオリアのとなんか違うな」

 そう言われてみると、アイオリアのトリプスは黄緑色の毛をしていたけど、こいつは茶色だ。それに、少し毛深い気がする。

「へえ、面白いですねえ。トリプスは草木のモンスターですが、その土地の植物の影響を受けるんですね」

 アーサーがまじまじと調べ出す。よく見れば、こいつの背中に咲いているのはアディス固有の花、チェシュだ。

 トリプスを見て思いついたのか、シーアが口を開いた。

「ところで、花祭りの『人外の者も来る』って、あれって魔物(ゴブリン)のことだったのかなあ?」

 思いがけない言葉に、ぼくは瞠目した。当然にそうだと思ってたけど。

「なにか気になることでも?」

「言ってただろ、気に入られちゃうかも、って。あれってなんだったのかなって」

「確かに……」

「ほら、ゴブリンが後ろをつけてきてるぜ」

 そう言ってシーアはひょいと後ろを指差す。

「ひいい」

 もちろん冗談だったけど、木陰からぼくたちのことを見つめているゴブリンを想像して、ぼくは身を竦めた。魔物に気に入られるなんて冗談じゃない!

 それから、ぼくたちは黙々と歩き続けた。やがて日が傾いてきた。時間で言えばまだ四時くらいだと思うけど、明るいときは爽やかに見えた光景も、うっすらと木々に陰りがさしてきた今はなんだか不気味に見える。木と木が手を繋いで、ぼくたちを見張っているかのようだ。

「今日はここが限界のようですね」

 きっとみんな同じように感じていたんだろう。不安感を押し殺して歩を進めていたぼくたちだったが、ついにアーサーがそう宣言した。

 ぼくたちは少し開けたところで休むことにした。ここからはシーアの本領発揮だ。シーアはさっさと薪を集めて、ご飯をつくり始めた。内容はリールで買っておいたパンと、今朝摘んでおいた木苺と、シーアが獲ってくれた野うさぎだ。グロテスクだなんて思わせないほど、手際よく野うさぎを捌いていく。

「大したもんだな」

 リュクルゴスが感心する。彼も討伐隊で野営はしていたけど、ここでは出る幕がないみたいだ。ぼくはシーアと初めて会った頃のことを思い出した。火の爆ぜる音に心地よい寂しさを覚えて、胸の奥がムズムズしてきた。

「えへへ。なんか、こういうのも悪くないね」

 心にしまっておこうと思っていた言葉を思わず呟いてしまって、案の定シーアには呆れ顔をされた。

「余裕だな、お前……」

「そう、悪くないな」

 唐突に後ろからがっしりと肩をつかまれて、ぼくは振り向いた。

「リュクルゴス」

「覚えてるか? 討伐隊の野営地(キャンプ)で、剣を教えてやったよな。あれから随分いろんな相手と戦ってきたんじゃないか? 実戦の成果、見せてくれよ!」

 そんなわけで、ご飯のあと、ぼくたちは久しぶりに手合わせすることになった。だいぶ日は落ちていたが、まだ見えないほど暗いわけではない。焚き火から少し距離をとったところに、ぼくとリュクルゴスは向かい合って立った。

 ぼくは少なからず緊張していた。いくらモンスターや魔物とは戦ってきたとはいえ、こうして面と向かって人と剣を合わせるのは、キッソスの暴漢と戦った以来だ。もちろんあのときの命を賭けた戦いとは比較にならないけど、真正面から剣の腕を試されるというのは、それはそれで違った緊張感があった。

 ぼくが持つのは、アイオロス神殿で拾った刀身の短い剣。千年前につくられたとは到底思えない刃の輝き、そして柄の立派な装飾に、ぼくはもはや愛着すら湧いていた。今までに幾度となく手放しそうになったけど、よくここまでついてきてくれたもんだ。

 ほどよい重みを感じながら、剣を振り上げる。

 初めて剣を持たせてもらったときは、使い方がわからなかった。今は考えるより先に、腕と体がどう動けばいいか知っている。ぼくが駆けながら剣を振り下ろすと、リュクルゴスは口元にゆったりと笑みを含みながら、危なげなくそれに応じた。森のなかにキインと高い音が響き渡る。

 ――見える。

 ぼくが最初に感じたのは、それだった。

 リュクルゴスの筋肉の動きが、視線の動きが、不思議と手にとるように見える。自分で言うのもなんだけど、これといって特訓したわけでもないけれど、身のこなしというか、勘というか、確かにあの頃とはなにかがちがう気がした。

 右、左、と繰り出される攻撃を的確に受け流していく。打ち合わせたわけでもないのに、お互いに次は相手がどこに動くのか知っているようだった。

「ずっとこんな動きじゃつまらないだろ。本気で倒す気でこいよ!」

「言ったね? 後悔しても知らないよ!」

 静かな森のなかに、二人の声が響き渡る。ぼくは挑発するように言った。

 それから幾太刀かぶつかり合って、ふと脇腹に隙が見えた。リュクルゴスなら絶対大丈夫という確信があったから、ぼくは剣を持ち替えて、そこを突き刺す形で思いきり突進した。

「おおっと。やるなあ」

 案の定、リュクルゴスは難なく飛び退いて身をかわした。それからすぐにぼくの持つ剣を上から叩きつける。落とさせる気だ。そうはいくもんか、と、ぼくは負けじと下から押し返した。そしてスライドさせながら横に逃れて、勢いのまま再び斬りかかった。

 いつの間にかリュクルゴスの顔が真剣になっていた。剣と剣がひときわ強く交差して、何羽かの鳥が驚いて木から飛び立っていった。

 剣ごしに目が合うと、彼は緊張の糸が切れたように笑って言った。

「さすがだな。暴漢たちをねじ伏せただけのことはある」

 ぼくはずっこけそうになった。

「それはもうやめてよー」

「はは。じゃあ、これはどうかな」

「え?」

 今度は見えなかった。いきなり身を屈めた彼の動きを追う間もなく、左膝にじいんとした痛みが走る。一気に足の力が抜けて、ぼくは転んだ。

 地面についた膝から真っ赤な血が流れ出ている。脈打つような痛みが襲ってきた。心臓がバクバクして、息が苦しくなって、立ち上がることすらできなくなった。

「いたたた……ほんとに切るなんて……」

「あ……悪い。夢中になりすぎた」

 少しの間があって、リュクルゴスは初めて気づいたかのように言った。それから慌てて駆け寄ってきて、助け起こしてくれた。

「なあ……陛下は無事だと思うか?」

 包帯代わりの布を結びながら聞く。なぜ突然、と思いつつ顔を上げてみたが、もう暗くてリュクルゴスの表情は見えなかった。

「わからないよ。でもバイバルスは言ってた、ルイーズ……王さまはずっと眠っているって。だから少なくとも、命は無事なんだと思う」

 それきりリュクルゴスは喋らない。切られたのもそうだけど、なんだかいつもの彼らしくない。さっきまではあんなに楽しそうだったのに。

 あたりはとうに真っ暗になっていた。どこからかふくろうの鳴き声がする。ぼくは急に不安な気持ちになってきた。

「ねえ、もう焚き火のところに戻ったほうがいいんじゃない?」

 答えの代わりにいきなり布をきつく結ばれて、ぼくは悲鳴を上げた。

「いたた。だから、さっきからさあっ。おかしいんじゃないの?」

「……神はなんと言っている?」

 ぼくが怒る声を遮って、リュクルゴスは低い声で言った。その言葉の意味を理解するのには、時間がかかった。そして理解すると同時に、心臓が凍るような感覚がした。

「どうして……」

「その反応ってことは、当たりなんだな……」

 当たりってなにが、とは聞かなかった。でもぼくの沈黙は、それこそ彼にとって肯定でしかなかった。つまり、ぼくが選ばれし新しい王であることの。

「前から少し変だとは思ってたんだ。船の上でクラーケンと戦っているとき、お前は宙に向かって話していたよな。あれで俺は確信したんだ。まあ、あのとき誰と話していたのか、あの会話にどんな意味があったのか、俺にはなんにもわからないけどさ」

 しばらくの間ぼくは言い訳を探していた。でもなにも思いつかなかった。

「神はなんと言っている?」

 リュクルゴスは、同じ質問を繰り返した。ぼくはついに観念した。

「ごめん、ほんとにわからないんだ。ルイーズのことは、なにも……。確かにどこからか声が聴こえることはあるけど、本当に時々だし、こっちから問いかけることはできない」

「そうか……」

 リュクルゴスは気落ちした様子でため息をついた。

「いや、すまない。お前だって、辛いよな……」

 そう言われても、どう答えていいかわからなかった。

「黙っていてくれないか?」

 だしぬけに放たれた意外な言葉に、ぼくは目を見開いた。

「お前が新しい王であること。それにどんな意味があるかわかるか?」

 質問の意図がわからなくて困惑しているぼくの様子に構わず、リュクルゴスは話し続けた。

「アイオロスの心臓……あの水晶球が光っているのを見せたとき、俺は言ったよな。これは陛下の死期を意味していると……」

 ぼくはうなずいた。だからこそ、執政官はルイーズの救出を中止させてしまったのだ。

「新しい王が現れたことで、陛下の死はより確定的になった。でも、俺はそんなの信じない。俺たちがこうして助けに行くことで、陛下の運命は変えられると思ってる」

 運命……。脳裏に、昨晩のアーサーの姿が浮かんだ。

「お前が悪いわけじゃないんだ。個人的に言えば、俺はお前のことが好きだよ。ただ、その……」

 ぼくは、なおも言葉を選んでいるリュクルゴスを押しとどめた。

「大丈夫。言いたいことはわかってるよ。ぼくだって、王さまが死んでしまったなんて思いたくない。必ず王さまを……ルイーズを、助けよう」

「ありがとう……エンノイア」

 やっとリュクルゴスにいつもの笑顔が戻った。

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