第七話 闇からの襲来 part 3
放物線を描きながら飛んでいった矢は、薄オレンジに染まった夜空に吸い込まれていった。ドラゴンは全くひるむこともなく、女の子を掴んだままだ。
「あれ?」
「お前……下手だな」
シーアが呆れた声で言った。
「貸せ。弓っていうのはこうやって射るんだ」
シーアはぼくから弓をむしり取ると、その繊細な外見からは想像もつかないほど軽々と弓を引いた。
矢はまっすぐに飛んでいく。そして、正確にドラゴンの足を貫いた。
ドラゴンは耳をつんざくような悲鳴を上げしばらく暴れていたが、やがて女の子を解放した。声を上げる間もなく、女の子の体が宙に投げ出される。
慌てるぼくをよそに、シーアはドラゴンを見据えたまま言った。
「下は森だから大丈夫だろ。それより……来るぞ!」
「え……」
ぼくが聞き返すより早く、怒りに狂ったドラゴンがこちらに向かって突進してきた。ものすごい風圧で、なにがなんだかわからなくなる。ドラゴンの鋭い爪が、目の前に迫ってきた。
身がすくんで動くことができない。目を固く閉じ、身をかがめ、ドラゴンが過ぎ去るのを待つ。
痛みを覚悟したその瞬間、何かが覆いかぶさってくるような感触がした。
ようやく風がおさまり、おそるおそる目を開ける。
「……?」
何事もなかったようだ。ドラゴンにさらわれたわけでも、怪我をしたわけでもない。
だがシーアはそうではなかった。なんと、彼はあのドラゴンの鋭い爪で肩を引っ掻かれていたのだ。大怪我というほどではないが、服が裂け、血が出ている。破れた服の隙間から、肌に痛々しい数本の筋が見えた。
苦しそうに息を吐きながらしゃがんでいるシーアに触れようとすると、うるさそうにはらいのけられた。
「いいからお前はあの女を助けに行け!」
「シーアはどうするの!? まさか、こんなところに置いていけないよ」
シーアはぼくの言葉には構わず、ドラゴンをにらみつけた。
「俺は、あいつを倒す……!」
草木をかきわけながら、必死で女の子を探す。村からは少し離れたところに落ちたように見えた。それほどの高さではなかったが、木に叩きつけられていないか心配だ。
ドラゴンは、再び村の広場のあたりを旋回していた。
下の方から数本の矢が飛んでくる。その何本かはドラゴンに刺さり、何本かはうまくかわされた。
(シーアが戦ってるんだな)
村の様子を確認してから、再び女の子を探し始めたとき、草木の間に赤いスカートとブーツが見えた。
ぼくはそれらがあの女の子が身につけていたものだということを思い出した。はやる気持ちを抑えつつ、丁寧に草をかき分ける。
落ち葉のクッションの上に、人が倒れていた。思ったとおり、さっきドラゴンにつかまっていた女の子だ。
歳はぼくと同じくらいだろうか。金色の長い髪にカチューシャをしている。気を失ってはいるが、幸い目立った怪我はないようだ。
どうやって運ぼうか考えあぐねていたら、彼女が目を覚ました。ぱっちりとした目を二、三しばたたかせて、信じられないという顔でぼくをまじまじと見る。
「あ……あなたが助けてくださったんですか?」
ありゃりゃ、まいったな。そうとも言えるし、そうでないとも……。困惑しつつ、とりあえずぼくはちゃっかり手柄を自分のものにしておいた。
女の子の名前はサテュラといって、母親と暮らしているらしい。母親は無事に森に避難したそうだが、家畜を逃がそうとサテュラだけが村に戻ったのだそうだ。
「でも、きっともう焼けてしまいましたよね……」
そうつぶやく彼女に、ぼくは何も言えなかった。
彼女に肩を貸し、歩きながら、ぼくはあることについて考えていた。さっき、ドラゴンに襲われたときのことだ。
あのとき、一瞬何かが覆いかぶさってきたような気がした。あれは、シーアがぼくをかばってくれたのだ……。
だからぼくは怪我をせずにすみ、彼は肩を引っ掻かれてしまった。
人間嫌いと言いながら、ぼくをかばってくれる。女の子を見捨てろと言いながら、今こうして村のために戦っている。
ぼくにはシーアがよくわからないよ……。
木の下に身を隠しながら、サテュラと一緒に村の入り口まで行くと、シーアは広場でドラゴンに矢を放っていた。
しかし残念なことに、ドラゴンの巨大な胴体にはシーアのちっぽけな矢などかすり傷でしかないようだ。何本矢が刺さろうが全く動じていない。
そのとき、ドラゴンが再び大きく息を吸い始めた。炎を吐く気だ。
「あーんママー」
間の悪いことに、親とはぐれてしまった小さな子どもが広場に出てきてしまった。
ドラゴンがそちらを振り向く。
「危ない……!」
ぼくが駆け出そうとしたとき、シーアがとっさに子どもをかばった。真っ赤な炎が二人に容赦なく襲いかかる。
「シーア!」
背中に炎を受けてしまった彼は、がっくりとうなだれた。
「村に他に戦える人はいないの!?」
サテュラに尋ねると、彼女は本当に申し訳なさそうに答えた。
「最近は魔物が出るので森に入れなくて、若い男はみな出稼ぎに行っているんです……。村に残っているのは女子供と老人ばかりで」
「そんな。じゃあどうしたら……」
そのとき突然、ぼくの脇からデュークが飛び出した。そのまま真っ直ぐドラゴンへと向かっていく。そしてドラゴンの顔をくちばしでつつき始めた。
「デューク、何をする気だ!」
ぼくは気が気でなかった。案の定、デュークはあっさりとドラゴンの翼に払いのけられてしまった。しかし、それでもめげずにまとわりつき続ける。
とうとうしびれを切らしたドラゴンが、デュークに向かって軽く火を吐いた。
軽くといってもデュークにとっては全身が包まれるほどの炎だ。真っ黒になったデュークが広場に墜落してきた。
ぼくは悲鳴を上げて、ついに危険もかえりみず広場に飛び出した。
見るも無残な黒い塊が、煙を出しながら落ちている。頭には最悪の事態が浮かんだが、ぼくは必死にそれを振り払った。
泣きそうになるのをこらえながら、そっとデュークを拾いあげる。
少々羽が焦げてはいるが、デュークはピンピンしていた。彼はぼくの顔を見るなり嬉しそうに羽ばたいた。
それを見て、なおさら涙がこぼれそうになる。
「どうしてあんな危ないことをしたんだよ!」
デュークを叱ろうとして、ぼくはドキリとした。
焦げた羽の下にのぞくデュークの目は、真っ直ぐにぼくを見つめていた。
まるで、何かを訴えかけるように。まるで、ぼくを試すように。
ぼくにはデュークの言葉はわからないけど。その視線の意味は、わかる気がした。
「デューク、お前……、まさかぼくに戦えって……?」
返事をするように、デュークは一際大きな声で鳴いた。
――そうだ、戦わなくちゃ。助けるんだ。村の人たちを。そして、シーアを。
だけど、どうしたらいいんだろう。ぼくには、力も、武器もない。
何か良い方法はないだろうかとあたりを見回すと、家屋から焼け落ちた丸太が一本、落ちていた。
――そうか、これなら……。
アイツは意外にも、炎を吐くとき特定の場所を狙って吐いている。魔物は知能が高いのだと、シーアは言っていた。
ぼくは閃いた。
本当に一か八かの方法だけど。あるいは、うまくいくかもしれない。
ぼくはシーアが弓を下ろしていることに気づいた。もう矢が残っていなかったのだ。
ドラゴンが勝ち誇ったように、シーアに向けて炎を吐こうとしている。不意のことに、シーアは避けることができず、立ち尽くしていた。
ぼくは全力で駆けると、シーアを突き飛ばし、かばった。
もろにくらうことは避けられたが、熱気が背中に当たる。背中が焼けそうなほど熱くなった。
「エ、エンノイア!?」
シーアが目を見開いて驚いている。ぼくはシーアをかばうようにして立つと、ドラゴンに向かって声高に叫んだ。
「やいワイバーン、村を焼くなんてずるいぞ。ぼくと正々堂々勝負しろ。負けたら大人しく帰るんだぞ」
シーア含めて、周りの人たちはみんな何を言ってるんだと言わんばかりにぽかんとなってしまった。
ドラゴンにこんなこと言ってもしょうがないと思う。でもセリフはどうでもいいんだ。ヤツの気が引ければ。
ぼくは方向転換して、ドラゴンを挑発するように走った。
狙い通り、ヤツはぼくの後をついてくる。身を低くし、炎を吐く準備をしている。
徐々に高度を下げ、その口は手の届くほどの高さになった。そしてついに、ドラゴンは大きく口を開けて息を吸い込んだ。
――今だ。
ぼくは、さっき見つけた丸太を拾い上げると、それをこれ以上ないというほど勢いよくドラゴンの口にねじ込んだ。何本か歯の折れるような感触もしたが、ぼくは構わず思い切り押し込んでやった。
「やった……!」
突然のことにドラゴンは目を白黒させながら動揺していた。
必死に足をバタつかせるが、丸太はドラゴンの口にピッタリとはまっているのでなかなか取れない。
だけど、ぼくは困ってしまった。これ以上、どうしたらいいかわからなくなってしまった。ぼくにはドラゴンにとどめをさす手段がないのだ。
そのときふいに肩を叩かれ、声が聞こえた。
「よし、後は任せろ!」
シーアだった。彼は腰のベルトから短剣を取り出すと、まだ暴れているドラゴンの腹に突き立てた。
ドラゴンの悲鳴が村中に響き渡る。
勢いよく剣を引き抜くと、ドラゴンの腹からどす黒い血があふれ出てきた。さらにもう一撃加えようと、剣を構える。
そのとき、ふいにドラゴンが翼をはためかせた。
「うわっ」
翼に弾き飛ばされるシーア。
ドラゴンはそのまま浮上すると、一気に飛び去ってしまった。しばらくぼくたちは注意深く見つめていたが、血を流したドラゴンは、そのまま朝焼けのなかに消えていった。
「ちっ、長い剣ならとどめがさせたのに……」
「シーア!」
ぼくはシーアに駆け寄った。さっきの肩の怪我と、服の背中が少し焼けていること以外は、特に大きな怪我はないようだ。
「この、ばか」
あれれ、てっきり褒められると思っていたのに。いきなりポカッ、と頭をこづかれてしまった。
「なんて無茶なことをするんだ! 失敗したらどうするつもりだったんだ!?」
再び手を振り上げた。またたたかれると思い、とっさに目をつぶると……。
「……だけど。お前見かけによらず勇気あるんだな。感心したぜ」
シーアはそう言って、ぼくの頭にふわりと手を置いた。
そっと目を開けると、彼は笑っていた。
その様子を見て、胸に何か、熱いものが込み上げてきた。彼が無事で、本当によかった……。
ぼくは、そんな気持ちになっていた。
ぼくは笑って、シーアとハイタッチした。
森のほうから、何人かの人の声が聞こえてきた。避難していた村人たちのようだ。
サテュラが言っていたとおり、村人のなかには老人と女の人、それと子どもたちしか見当たらなかった。
その中のリーダー格と思しき老人が前に進み出た。
じつのところを言うと、ぼくはちょっと不謹慎な期待を抱いていた。はっきり言って、ぼくたちはヒーローだ。この村を救ったんだから。
だからきっとこのあと、村長さんに感謝の言葉なんかを言われて、村中の女の子にちやほやされて、村に伝わる宝なんかをもらったりして。そんな変な想像をしていた。
しかし、男の口から告げられたのは予想外の言葉だった。
「お前たちは余計なことをしてくれたな」
「え……?」
「見ろ、村はすっかり焼かれてしまった。これで明日からどうやって暮らせというんだ」
「そ、それはそうだけど……」
村が焼かれたのはぼくたちの責任じゃない。そう反論しようとすると、男はぼくの隣にいたサテュラを苦々しげに見た。
「その娘を差し出せば魔物も大人しく帰ってくれたかもしれんのに……」
「そんなぁ……!」
助けを請うように、シーアの方を見る。しかしシーアは、皮肉っぽい笑いを浮かべただけだった。
「だから言っただろ? 助けても無駄だって」
そう言って、村の外へと歩き出してしまった。結局ぼくも、村人たちに追われるように村を出た。
サテュラが物言いたげに、村を去るぼくたちを見つめていた。