第七十八話 花祭り part 1
その夜、ぼくたちは早めに就寝することにしたのだが、ベッドに入って数刻経った頃、外からうっすらと笛と太鼓の音が聞こえ始めた。ベッド脇の窓を開けて下の路地を覗き見ると、頭に花飾りをした何人かの女の子たちが、ふざけ合いながら駆けていく。
こうなるといてもたってもいられない。ぼくは数分おきに起き上がって、窓を開けたり閉めたりしていた。そういえば……と振り返ると、隣のベッドでは紫髪の後頭部が布団の中でもぞもぞと動いている。どうも彼はさっきから寝返りを繰り返しているようだ。
「もしかしてシーア、眠れないんじゃない?」
そう声をかけると、やはり彼は起きていたようで、すぐに返事が返ってきた。
「……横のやつが窓を開けたり閉めたりうるさいからな」
「奇遇だね。ぼくも外がうるさくて眠れないんだ。ね、仕方がないからちょっとだけ祭りを見に行ってみようよ!」
やや間があってから、彼は寝そべったままこちらを向いた。
「共犯にする気か?」
不機嫌そうな顔で睨まれたが、ぼくは力いっぱい答えた。
「そのとおり!」
それからぼくたちは、リュクルゴスたちの部屋の前をそっとすり抜けて、階段を降りた。祭りの間は閉めるのだろう、一階の酒場はもう真っ暗になっていた。しんと佇むテーブルたちを横目に、エントランスを横切ろうとしたとき。
「こらっ」
背後から声を掛けられて、ぼくたちは固まった。恐る恐る振り向くと、そこにはほうきを手にした給仕のお姉さんがいた。
「坊やたち、どちらにお出かけかしら?」
「み、見逃してよ。別に悪いことしようってんじゃないんだからさ」
お姉さんは、顔を引きつらせているぼくたちを見て大笑いした。
「わかってるわよ。こんな楽しみを目の前にして、部屋にこもっていられる人なんていないわよね。おじさんたちはどうだか知らないけど。ううん、人だけじゃない。人外の者たちだって集まってくるんだから」
ぼくとシーアは顔を見合わせた。
「まっさかあ!」
冗談よ、なんて言われると思っていたのに、お姉さんは意味深に微笑んだだけだった。
「ふふふ。きみたちみたいな可愛い子は、気に入られちゃうかもね。でも怖がることないわよ。決して悪いやつらじゃないから」
薄暗い路地を抜けて大通りに出ると、すぐに人の流れにもみくちゃにされた。
「***!」
「わぷっ」
声とともにいきなり大量の花びらを浴びせられて、ぼくはわけがわからなくなった。やっとのことで目を開けると、花びらの入ったかごを持った女の子が、いたずらっぽい顔で笑っている。歳はぼくと同じくらい。金色の髪に編み込むようにたくさんの花飾りをつけて、チェシュの花と同じ桃白色のワンピースを着ている。どうやら彼女も「花の妖精」の一人らしい。
すぐに状況を理解したぼくは、わざと口を尖らせて言った。
「いきなりやるなんてひっどいなあ!」
しかし女の子はぼくの言葉なんて聞こえていないかのように笑ったまんまで、今度は両手をがっしりとつかんできた。
「え、え、あ、ちょっと!」
そのまま力強く引っ張られるので、転ばないように足を動かすしかない。連れて行かれるまま、やがて広場らしき場所に出た。
ぼくは思わず驚きの声を上げた。広場と言っても、元の広さがわからないくらい人でごった返している。夕方港に着いたときには静かだったのに、どこにこれだけの人数がいたんだろう。この街の人たちはもちろん、外国人らしい、頭に布を巻いた見慣れない衣装の人もいる。花の妖精に扮した少女たちも、今は各自好きに見て回っているようだ。
出店もたくさん出ていた。広場を取り囲むように並び、ウインナーやビールや雑貨なんかを売っている。人々の熱気に加えて、花と食べ物とお酒の混ざったような匂いがただよってきて、ぼくは軽くめまいがしてきた。
「ええと、なにか食べる?」
とりあえず話しかけてみるが、女の子はにこにこしたまま小首を傾げるだけだ。どうやら彼女はアイオリア語がわからないらしい。というか、ぼくはそもそもお金を持っていないんだった。
「ね……」
話し掛けようと振り返ってみるとシーアがいない。それに、デュークも。女の子に手を引かれているうちにはぐれてしまったようだ。慌てて探そうとするが、人が多すぎてすっかり身動き取れなくなってしまっていた。
そのとき、広場にいたみんなが一斉に拍手をし始めた。何事かわからずきょろきょろしているぼくの肩を叩いて、女の子はなにか言いながら正面を指差す。伸び上がって見ると、簡単に設えられたステージの上に楽団がいるのがわかる。どうやらあそこで演奏していたらしい。その中の一人、バイオリンのような弦楽器を持った男が広場に向かって手を振っていた。そしてそれまで流れていた哀愁ある笛の音がぴたりとやみ、アップテンポの曲が流れ出した。
それを合図に、押し合いへし合い思い思いに踊り始める広場の人たち。ぼくをここに連れてきた女の子も例外ではなかった。ぼくの手をひっつかんで、踊るというより回り出す。
「うわあああ」
ぼくは文字通り振り回された。勢いでかごの中の花びらが舞い上がるもんだから、周りの人たちも大盛り上がりだ。ぼくにわからない言葉ではやし立てている。曲が終わると同時にぱっと手を離されて、ぼくは遠心力で吹き飛ばされた。
「バイバイ。アリガト」
女の子はへたり込んだぼくの耳元でたどたどしく言うと、踊るように人混みに消えていった。
一体なんだったんだろう……。
しばらく呆気にとられていたぼくは、大事なことを思い出した。シーアとデュークを探さなきゃいけないんだった。
人を掻き分けながら、彼らを探してあてもなくうろうろしていると、ひときわ人だかりができている店があった。そしてなんと、並んでいる列の中にシーアの姿があるではないか。彼の肩にデュークもとまっている。
ぼくのこと探しもせずに一人(と一羽)で遊んでたなんて!
文句を言おうとしたが、普段クールな彼がなににそんなに興味を引かれたのかふと気になって、ぼくはしばらく陰から様子を見ていることにした。
しかしそれほどの間もなく、ぼくはすぐにそれがなんの店かわかった。そして、シーアがそこに惹かれた理由も。それは向こうの世界でも、祭りのときによく見かけるものだったからだ。店主はアディス語らしき言葉で叫んだ後、恐らく同じ内容を今度はアイオリア語で言った。
「射的だよ。一回一ルアン、もしくは五〇ダリント」
ルアンはアディスの通貨。ダリントはアイオリアの通貨で、ダランの百分の一の単位だ。
店の棚には人形やきらきらした飾りなど雑多なものが並べられていて、棚から打ち落とせば景品がもらえるようだ。使うのはおもちゃのような小さな弓で、矢の先端は丸くなっている。見ている間にも何人か挑戦していたが、その度に周囲からは落胆の声がした。なるほど、これならシーアも腕試ししてみたくなるに違いない。
シーアは自分のお金を持っているから、ポケットからコインを取り出し、店主に手渡した。手際よく矢をつがえると、周りから歓声が上がった。そりゃあ、弓はシーアの本業だからな。彼の人並み外れた容姿も相まって、周囲にはどんどんと人が集まり始めていた。
あんなに目立っちゃっていいんだろうか? でも、これだけ人が多かったらかえって悪いやつらもなにもできないか。
そんなことを考えてるうちに、シーアは矢を放った。
シーアが狙ったのは、鳥の形をした不細工なぬいぐるみだ。とさかのような飾りがなんとなくデュークに似ているような……気がしないでもない。もちろんはずすなどということはなかったが、ぬいぐるみはほんの少しゆらゆらとしただけで、すぐに立ち直った。今度こそはと期待していた周りの人たちも、がっかりして離れていった。
十三年も生きていると、世の中の仕組みも大体わかってくるというものだ。ああいうのは重りが入れられていたり、土台に貼り付けられていたりと、取らせない工夫がされているんだろう。森で生きてきたシーアは知らないだろうけど。
「兄さん手慣れているみたいだけど残念だったねぇ。はい、これ残念賞のキャンディー」
ぼくは、ため息をつきながらその場を離れていく人たちを掻き分け掻き分け、ようやくシーアに近づくことができた。
「残念だったね」
「いいや、もう一回だ」
ぼくは耳を疑った。それからシーアはまた失敗して、三回戦に突入していた。景品が欲しいというよりは、狩人の意地だろう。まったく、付き合いきれないや。
すっかり射的に客を奪われている隣の店は、ボールを投げて缶を倒すゲームのようだ。あれならぼくにもできるかも、と店主に声を掛けようとして、ぼくにはお金がなかったのを再び思い出した。ぼくはがっかりして、他のところをまわることにした。とはいえ一人じゃつまらない。またあの女の子に会えないかなあ、なんて考えながら広場に向けて歩き出すと、シーアが慌てて追いかけてきた。
「どこ行くんだよ。なあ、あの弓絶対おかしいと思う。だから自分の弓でやらせろって言ったらだめだって言うんだぜ」
「本物の弓でやったら景品に穴が開いちゃうよ……それよりさ、さっきぼくを引っ張っていった女の子見かけなかった?」
「それよりって、お前なあっ。それに、なんだよ。つい今朝までエレナに夢中だったくせに、もう浮気かよ」
「う、浮気なんかじゃないもん。シーアみたいなお子様にはわからないだろうけど」
「キャー!」
ぼくたちがくだらない言い争いを始めようとしていたとき、背後から悲鳴がした。慌てて振り返ると、混乱して右往左往する人々の中から、ゲッ、ゲッ、と到底人間のものとは思えない奇妙な声がした。周りの何人かをなぎ倒して、そいつは姿を現した。ボロきれをまとっていて一見人間のような風体をしているが、顔は豚か猪のようで、下顎から生えた牙が突き出している。毛むくじゃらの手には、ほとんど棍棒に近いような太い剣が握られていた。姿が見えてくると、土と獣の臭いがした。
「ゴブリン……」
シーアは緊張した面持ちで言った。
「まさか、魔物?」
「ああ。チュートニアの森でよく見かけてた。一匹一匹はそんなに強いやつじゃないが、こんな街なかじゃ厄介だな……」
言いながら、シーアはそいつに向かって弓を構えた。もちろん本物の、だ。
「きゃっ、あの子弓を向けてるわ!」
「助けてくれえ」
付近の人たちはシーアの弓を見て、さらに大混乱になってしまった。人々の合間にゴブリンの姿が見え隠れする。
「くそ、これじゃうまく狙えない」
そのとき、広場のあちこちで悲鳴が上がった。
「大変だ。何匹もいるみたいだぞ」
「リュクルゴスたちに知らせよう!」
とてもぼくたちの手に負えそうにない。ぼくたちは宿に向かって走った。




