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第七十七話 リール港

 ほどなくして船はアディスの港町、リールにたどり着いた。半ばぶつかるように桟橋に船を寄せると、ギブズさんはひょいと飛び降りて、ロープを結びつけた。すぐに剣をぶら下げた役人らしき男が近づいてくる。

「アイオリア人か。ずいぶんと船が壊れているようだが、なにかあったのかい?」

 役人はぼくたちにわかる言葉で話しかけてきた。

「ああ、ちょっとな。魚やタコと一戦交えてきたんだ」

「ははっ、そいつはバケモノみたいにでかかったのか。アイオリア人は冗談がうまいな」

 リュクルゴスはエゲアポリスの司祭からもらったという書類を見せた。エゲアポリスとリールは平時なら連絡船が出ているほど行き来が盛んらしく、ぼくたちは役人に通行税と船の停泊料を支払うと、難なく上陸することができた。

 船を降りてからも、ぼくは桟橋に立ち尽くしたまま海を見つめていた。さっきまでの騒動が嘘のように、海は優しく凪いでいた。

「ほら、いよいよお前が楽しみにしていた外国だぞ」

 リュクルゴスが通りがかりにぼくの頭に手を置いて言った。

「気持ちはわかるが、俺たちは前に進まなきゃ」

「うん……そうだね」

 ぼくは自分の両頬を軽く叩いた。夢はもう終わったんだ。目を覚まさなきゃ――ルイーズを助けるために。それが、身を挺してぼくたちを救ってくれた、エレナの望みだから。


 アイオリアに最も近いこのリールの街は、ちょうどアディスの南端にあたり、アディスの海側の玄関口であるのとともに、この国の首都でもある。アディスは南北に長い国で、南部はアイオリアとの行き来も盛んで、言葉や通貨も通じるが、北へ行くほど森と山に囲まれた閉鎖的な土地になっていくのだそうだ。そして、その先にあるのがシーアの故郷、チュートニアというわけだ。

 くすんだ色をした漆喰の壁に、赤茶色の三角屋根と煙突がいくつも折り重なっている。リールは首都だというのに、静かで落ち着いた街のようだ。人通りも少なく、色調を抑えた街並みに、桃白色の花を咲かせた木々が際立つ。傾きかけた陽のなかで、風に煽られて、あちらこちらに花びらが舞っていた。

 鎧をつけたリュクルゴス、長いローブを着たアーサー、紫色の髪をしたシーア。すこし変わった訪問者たちに、周りの人たちはみなちらちらと視線を向けていった。すぐに興味をなくして通り過ぎていったけど。

 アイオリアとは全く違う光景に、期待なのか緊張なのか、ぼくは胸がどきどきしてきた。

「今日はこの街に泊まって、これからの道筋を考えよう。出発は明朝だ」

「お腹、空いたな……」

 そろそろ夕食どきなのだろう、港付近の家々からおいしそうなにおいが漂ってきて、ぼくはぽつりと呟いた。夜が明ける頃に洞窟を出てから、人魚たちから逃れて、クラーケンと戦って、そして……エレナと別れて。あの一連の騒動の中で、今日は全くご飯を食べていなかったことに、今さらながら気づいた。緊張から解放されて、ぼくの胃はようやく空腹感を思い出したようだった。

「そうですね。でも夕食の前に、宿を探しましょう」

 アーサーの言葉に、ぼくははっとした。

「そっか。これからは神殿を使うこともできないんだ」

「それだけじゃありませんよ。この先は街も少なくなってきますから、野宿も増えるでしょうね。資金の補充もできませんし」

「あ、のう~」

 ぼくたちがなんだかんだと言いながら歩き始めようとしたとき、ギブズさんに呼び止められた。

「ああ悪い、そうだったな。受け取ってくれ」

 リュクルゴスはずっしりと硬貨の入った袋をギブズさんと、二人の水夫たちに投げた。

「謝礼と、連絡船が来るまでの滞在費も入ってる。言っておくが、ちゃんとみんなで分けるんだぞ。酒で使い切るなよ」

 そうか、ここでギブズさんとはお別れなんだ。ちょっと困ったところもあったけど、彼の見事な舵さばきのおかげで助かったのは確かだったから、ぼくはすこし名残惜しく感じた。

「ここまで連れてきてくれてありがとうギブズさん。元気でね」

「おう。ボウズもな!」

 応えながらワタワタとリュクルゴスの投げた袋をつかんだ彼は、早速中身を確認していた。

「え、これだけ? 道に迷うわ、タコに追われるわでさんざん苦労したのに、もうちょっとイロつけてくれてもいいんじゃありません? お偉いさんみてぇなのにケチだなあ」

 前言撤回。道に迷ったのも、クラーケンに追いかけられたのも、元はと言えばギブズさんのせいじゃないか!

 結果的に宝玉を手に入れたり、エレナと出会えてよかったとはいえ、これにはさすがに頭にきたぼく。思わず言い返そうとすると、横からシーアが飛び出したのが見えた。

「うわあっ」

 シーアの体当たりで、ギブズさんは派手に水音を立てて、桟橋から落ちていった。水夫たちが慌てて駆け寄っていく。

「しまった、やりすぎたか?」

 振り返ったシーアに、リュクルゴスが肩をすくめて言った。

「いや、彼は泳げるらしいから大丈夫だろ」


 ぼくたちの前に、こぼれそうな勢いでコップが置かれていく。

 ここは簡易的なホテル、古風な言い方をするなら宿屋だ。一階が酒場兼食堂になっていたので、ぼくたちは部屋をとったあと、ここで夕食にすることにした。周りではいかにも港の労働者風な男たちが飲んだり食べたりしているが、騒がしいというほどでもなく、そこそこの賑わいといったところだ。

 ここらでは水代わりというくらいビールが一般的なようで、みんながまず注文したのはビールだ。でもぼくは「子どもだから」ということで、レモネードのような飲み物。シーアだって大して年齢変わらないくせに、ずるいよな。

 飲み物の上には、街に咲いていたのと同じ桃白色の花びらが一枚添えられていた。

「では、陛下に」

「デュ……アイオロスに」

「みなさんの無事に」

「旅の成功を祈って」


「乾杯!」


 みんな思い思いのことを言って乾杯した。デュークも皿に入れてもらった水をつついた。「陛下に」と口にしたリュクルゴスが、ちらりとぼくを見たような気がして、ちょっとだけ気になった。

「****?」

 陽気そうな給仕のお姉さんが、白い歯を見せながら何事か話しかけてきた。ぼくたちがぽかんとしていると、お姉さんは言い直した。

「あなたたち、ひょっとしてアイオリア人? アディスへようこそ。花祭りを楽しんでね」

「花祭りって?」

「あら、この時期に来る外国人はみんな花祭り目当てかと思ってたけど。今年はアイオリアからのお客さんはだいぶ少ないけどね。連絡船がしばらく止まってたみたいだから」

 それから彼女は、花祭りについて説明してくれた。街のあちこちで見かけたこの花はチェシュというアディス固有の花なのだそうで、その開花から花祭りは始まり、期間中はあちこちに花を飾るのだという。そして今日はちょうど祭りの最終日。夜には街の女の子たちがこの地に伝わる花の妖精の姿に扮して、街を練り歩きながらチェシュの花びらを街中に撒いて回るというのだ。屋台などもたくさん出るらしい。ぼくは想像するだけでうきうきしてきた。

「へえ、面白そう。見に行ってみようよ!」

「でも、始まるのは夜からなんだろ? 気持ちはわかるが、明日からは長距離歩くんだ。余計な体力使うなよ」

「そうですよ。それに、神聖な神殿のお金には、きみが遊びに使う分は含まれていませんよ」

「見るだけだよ。早く帰るし、お金も使わないよ」

「ダメダメ」

 リュクルゴスとアーサーにことごとく却下されて、ぼくは膨れた。お姉さんが哀れんでいるのと面白がっているのと半々な様子で、ぼくらの顔を交互に見合わせていた。


 二階の部屋に入るや否や、ぼくはふかふかのベッドに転がり込んだ。

「あー、やっとベッドに寝れる!」

「船の中だってベッドだったろ?」

 隣のベッドに腰掛けて荷解きを始めたシーアが、本気で「?」という顔をする。シーアはぼくと同じ部屋だった。外で寝ると言って聞かないのを、三人でようやく説得したのだ。

「そりゃ、野宿に慣れてるシーアには、同じに見えるだろうけどさ。このベッドに比べたら、船室の硬いベッドなんて石の上に寝てるのと同じだよ」

「そういうもんかなあ」

 シーアはピンと来ていない様子だ。

「ところでさ。気になったんだけど、シーアには一体誰が見えていたの?」

「なんの話だよ?」

「人魚が見せた幻だよ! 一番会いたい女性を見せるっていう……」

 そう言いながら、脳裏にエレナが見せたルイーズと母さんの幻が浮かんで、ちくりと胸が痛んだ。あれは本当にリアルだった。

 シーアは、ああー、と言って天井を仰ぎ見た。

「いや、なんにも見えなかった。だから真っ先にお前のところに駆けつけられたんだよ」

「なあんだ。つまんないの」

「つまんなくて悪かったな」

 シーアはむっとしたが、ふと思い出したように、ぽつりと言った。

「リュクルゴスに奥さんが見えるのはわかるとして、意外だったのはアーサーだな。あいつも俺が助けなきゃ危なかったんだぜ。呆けちゃってさ。普段なんでもわかってるって顔してるから、ちょっと意外だった」

「ええっ」

 ぼくは跳ね起きた。


 アーサーにも女性の幻が見えていた……。

 思わぬ弱みを握った気がして、ぼくは笑いが止まらなかった。だって彼は以前、「俗世を離れて久しいわたしには、男女のことはわからない」なんて、澄ましたことを言っていたんだから。

 アーサーとリュクルゴスの部屋に行くと、部屋にはアーサーしかいなかった。彼は机に向かって、草花らしきものを観察していた。

「なに、それ」

「人魚の島で採集したものです。薬草として使えるものがないかと思って」

 あの状況下でいつの間に採っていたんだか。半ば呆れつつ、なんと話を切り出そうかとにやにやしながら見守っていると、向こうから声をかけられた。

「エンノイアくん、うっとうしいですよ。遊び相手なら他を当たってください」

 しかしぼくは負けじと絡みついた。

「前にも言ったけど、ずいぶん薬草にこだわってるんだね」

「ええ、まあ」

 アーサーはこちらに顔を向けることもなく答えた。

「薬草採集が好きなのはいつから?」

 どうにか彼の注意を引こうと、ぼくは適当に話を振った。これは上手くいったようで、アーサーは片眉を上げてちらりと視線をよこした。

「そうですね……十年くらい前、大神殿に勤めるようになってからでしょうか」

「ふうん、じゃあ大人になってからなんだ。なにかきっかけがあったの?」

 アーサーは手を止めて、さっきよりも長い時間こちらに視線を向けた。

「きっかけ……なぜそんなことを?」

「や、深い意味はないんだけどさ。そんなに熱中するのは、なんでかなあって」

 何気なく聞いただけだったのに、彼はぼくの言葉を真剣に吟味しているようだった。やや間があって。

「……大切なひとを助けたかったからですよ」

 彼は、小さな声で言った。

 ぼくは、人称代名詞が彼女(her)であることを聞き逃さなかった。これは上手いこと話が進んだもんだ。

「ふうん。男女のことはわからない、なんて言っておきながら、やることやってんじゃん」

 ぼくはできるだけなんでもないふうを装って言った。しかし。

 アーサーは手に取りかけた草を落とした。それから、両手のなかに顔をうずめて、動物のように身体を縮めながら、うなり声を上げ始めた。

 こんなに動揺した彼を見るのは初めてだ。ちょっとからかってやろうと思っただけなのに、ここまで大きな反応が返ってくると逆に心配になってきた。

「だ、大丈夫?」

「なにか、誤解しているみたいですが……」

 手の隙間から、息継ぎをするかのように苦しげに話す。

「大切な女性というのが、つまり、いわゆる……恋愛的な意味だとは限らないでしょう……」

 ぼくは意表を突かれた思いがした。そういえばそうだ。あのときぼくに見えたのは、最初はルイーズだったけど、それから母さんの姿になった。つまりぼくにとって、一番会いたい女性、一番大切な女性は、母さんだったというわけだ。納得したような、つまらないような、複雑な気分になった。

 それきり、何事もなかったように黙々と作業を続けるアーサー。でも、その目は真剣そのもの。とある予感がして、ぼくの心はざわめいた。

「もしかしてその人、死んじゃったの……?」

「いえ、まだです」

 彼はすっかり元通りになって、そっけなく答えた。さすがにそれ以上深く聞く気にはなれなかった。

 ()()、か……。からかったりして、悪いことしちゃったな。

 ぼくは彼の知らない一面を見た気がした。いや、彼はエレナのことも一生懸命手当てしてくれていたではないか。

 キッソスの青年に、父親の死を受け入れるよう説いていたアーサー。ぼくはあの言葉に少なからず感動したんだ。でも、始めから運命を受け入れられるほどひとは強くないし、また、弱くもない。彼は神官として生きていくなかで安易な奇跡なんて存在しないことを思い知らされてきたからこそ、彼なりの方法で、運命と戦おうとしているのだろう。

 ぼくは、そう思った。

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