第七十二話 無謀な挑戦
ぼくたちは廊下を進み、両開きの大きな扉を開けた。
最初の部屋と同じような、ドーム型の天井と円柱のある部屋。その中心に、宝玉のある祠はそびえ立っていた。
これで、見つけた宝玉は三つ目になる。残る宝玉はあと二つ。ぼくは気持ちが昂ぶるのを感じた。
「早く行こう!」
「ずいぶん、散らかってるんだな」
リュクルゴスが、いくばくか困惑した様子で言う。祠の周りには朽ち果てた生活用品や服らしきものが散乱していた。それらを掻き分けつつ進んでいると、足がなにか固いものを踏んだ。その正体を確認しようとして、ぼくは驚きのあまり尻餅をついた。
白く細長いこれは――。
「骨だ……!」
同じような白いものが、他の場所からもいくつもいくつも出てくる。繊維くずに埋もれるようにして、たくさんの人骨が散らばっていた。
脳裏にテラスティアの司祭アキレウスが遺した言葉が浮かぶ。
『安全が確認されてから祠の周りで待機させている女性や子どもを連れてくるつもりだ』――。
「洞窟を掘った男たちの家族か……。結局、島には連れて行けなかったんだな……」
リュクルゴスが骨のひとつを拾いながら、やりきれないといった様子でつぶやいた。シーアは深刻な顔で歯噛みしていた。エレナはうつむいていて、表情はよくわからなかった。
「でも、どうして!? アキレウスは無事島にたどり着けたようだったのに」
「それより、まずは祠を開けましょう。宝玉が心配です」
思わず悲鳴のような声を上げるぼくを押し留めて、アーサーが言った。そんな彼も、ショックは隠せないようだった。ぼくたちは骨を踏まないように気をつけながら、ゆっくりと祠に近づいていった。
祠の正面の無機質な石の扉には、中心に「船」の絵が描かれた丸い金属板があった。いつもの要領でそれを回し扉を開くと、まばゆいばかりの水色の光を放つものが現れた。ポセイドン神殿の宝玉だ。
ぼくたちはほっと息を吐いた。周りがあまりにもひどい状況だったので、宝玉もなくなっているのではないかという気がしていたのだ。
「準備はいいですか?」
アーサーが宝玉に手を伸ばす。ぼくたちは各々武器に手をかけ、うなずいた。
宝玉が台から持ち上げられると、光の模様が乱雑に壁を這い回った。ぼくたちはそれを目で追いながら、固唾を飲んだ。このあと警報のようなけたたましい音が鳴り、なにかしらの敵が現れるはずだからだ。
しかし今回は、どれだけ待ってもなにも起こらなかった。慎重な動きを続けていたアーサーも、手にとった宝玉をしまい終えていた。
「どうしたんだ?」
緊張を破って、リュクルゴスがかすれた声を発した。
「今回は、妨害はなしなのかな」
「いや、音を鳴らす装置が壊れているのかもしれませんよ。上はもう海に沈んでいるわけですし……」
アーサーの言葉に応えるかのように、上からズズンと地響きがした。
「ついに来たか!?」
「なんだかいつもと様子がちがいますね……」
地響きは断続的に、それも、どんどん近づいてくるようだ。
「行くぞ!」
リュクルゴスの一声を合図に祠から飛び出した。そのとき、目の前を大きな塊が落下していった。
部屋全体が揺れる。ぼくは床に転げ、とっさに手元にあったなにかにしがみついて耐えた。
「げっ!?」
気づくと目の前にガイコツの顔があって、ぼくは心臓が飛び上がるかと思った。
慌てて離れようとするも、揺れが激しくて動くことができない。そして今度は上から大量の水が落ちてきた。なにがなんだかわからないまま、ぼくはガイコツにしがみつき続けた。口に飛び込んできた滴は、なぜかしょっぱかった。
ようやく揺れも水の落下もおさまり、見上げると、ドーム型の天井にいびつな穴があいていた。ああ、天井が割れて海水が流れ込んできたんだな、と考えかけて、違和感を覚える。それにしては、これだけですむのはおかしい。天井はまだ形を保っていたし、水も床にいくらか溜まっている程度で、到底部屋全体が埋まるほどの水量ではなかったからだ。
目を凝らすと、穴の上で赤黒い生物が身を躍らせている。そいつはひとしきり動き回ったあと、部屋のなかにするするとなにかを下ろしてきた。
「なんだ、これは」
「クラーケン、タコのモンスターです! まさかこんなところで出くわすとは……」
次第にぬめりを帯びた触手の全体が姿を現す。両腕で抱えるほどの太さで、表面には顔ほどの大きさの吸盤が無数にある。
やつは狭い穴から侵入を試みていたが、足一本を挿し入れるのが限界のようだった。
横にいるエレナの様子を確認しようとして、ぼくは彼女がいないことに気がついた。いや、よく見れば床に近いところにちゃんといた。びしょぬれになった彼女の足は、なんと魚のものに戻っていた。
「濡れると元に戻ってしまうの」
エレナはヒレを持て余しながら言った。寝そべるような格好になったまま、立ち上がれないでいるようだ。
彼女を助け起こそうと手を伸ばしたとき、触手が勢いをつけてこちらに向かってきた。ぼくはエレナを庇うようにしながら、床に転がってそれをかわした。触手はそのまま、祠の前に立つみんなに向かっていった。
「うわっ」
「気をつけろ!」
みんなは両サイドに分かれるように避けた。代わりに触手の直撃を受けた祠にはひびが入った。
クラーケンはその後も暴れ続けて、天井が軋んだ。やつの大きな体が栓のようになって海水を防いでいると言えたが――侵入されるのが先か、天井が崩れるのが先か。
「向こうに戻ろうか!?」
ぼくはエレナとともに部屋の真ん中で立ち往生して、みんなと離れてしまっていた。ぼくが叫ぶと、すぐにアーサーが反対した。
「いや、戻っても扉を開けた瞬間デルキュオンにやられるだけです」
「そっか。じゃあどうすれば……」
「いいですか、よく聞いてください。穴を塞ぐクラーケンをどかせばこの部屋は海水で埋まります。わたしが魔法で泡を出すのでそれで天井の穴から脱出しましょう!」
「なるほど。あったまいい!」
その作戦を実行すべく、アーサーは早速呪文を唱えて、クラーケンの足に炎を浴びせ始めた。クラーケンの動きは激しさを増す。そこをシーアの矢が的確に射抜いていく。しかしやつはなかなか天井を離れようとしない。
ぼくが剣を抜いて加勢しようと駆け出そうとすると、目の前に触手が迫ってきた。今度はとっさに反応することができず、目を見開いたまま硬直してしまった。しかし、触手はぼくの顔に風を与えながらも、あっさりと頭上を通り過ぎていった。
「え……」
「きゃあっ」
なにが起こったんだと思った瞬間、背後で高い声が響いた。今度こそエレナはその場からいなくなっていた。目を離した隙に、クラーケンの触手に巻き取られてしまったのだ。エレナはあっという間に振り回され、高く抱え上げられてしまった。
「くそ、エレナを離せ!」
触手に向かって斬りつけるが、なかなか当たらない。シーアが弓で援護してくれたが、クラーケンは全く動じなかった。
そのとき、再び爆音がした。もう一本の触手が、天井のいくらか離れたところから姿を現した。ふたつも穴を開けられたせいで、上からどんどん瓦礫が降ってきた。
「まずいな……もうあまり保たないかもしれない。エンノイア、早くこっちに来るんだ!」
みんなは部屋の隅の柱の下に避難していたが、ぼくはエレナを助けるまで動くことができなかった。遠くにリュクルゴスの声を聞きながらも、ぼくは新たに現れた一本の触手を睨んでいた。赤黒いものが視界を塞ぐ。それをわざと避けずに、弾き飛ばされる寸前でしがみついた。
「なにをする気だ!」
下でみんなの悲鳴のような声が聞こえる。ぼくの身体は一気に地上から離れた。激しいジェットコースターのような浮遊感に耐える。しばらくして動きが落ち着くと、床からは結構な高さになっていた。もし落ちたら、ちょっと痛い、くらいじゃすまないかもしれない。
ぼくは、自分でも驚くようなことを思いついていた。はっきり言って無謀としか言いようがないが、やるしかない。
滑り落ちないようしっかりとしがみつきながら、つかまった触手がもう一本の触手に近づくのを待つ。そうして勢いをつけて、今度は渾身の力でそっちに飛び移った。
「く……」
ぼくの手は、エレナがつかまっているところよりも先端に近い部分をとらえた。しかし勢いがありすぎたのか、あっという間に手も足も滑り落ち出した。重力に引きずり込まれるような感覚がした。
「ちっ。無茶ばっかりしやがって!」
毒づく声がしたかと思うと、落ちる速度が一瞬だけ弱まった。その隙に、抱きつくようにしっかりとしがみつき直す。動きに妙な抵抗を感じてよく見ると、なんと服のあちこちに数本の矢が刺さっていた。触手に縫い留められていたのだ。
下を見ると、怒ったようなシーアの顔があった。
ぼくは左腕をしっかりと触手に絡ませてから、袖を破りながら右腕を矢から自由にし、腰の剣を抜いた。
エレナは目をいっぱいに開いてぼくを見ていた。
「いま、助けるからね……!」
エレナに対してというより、自分を奮い立たせるためにぼくは叫んだ。胸の奥が熱くなってくる。
このチャンスを逃してたまるものか。そう思いながら、頭上をきっと睨み上げた。そして大きく剣を振り上げた。
――空気を震わせるような低いうめき声が部屋中に響く。ぼくは頭の上のところからばっさりと触手を切り落とした。これはかなり効いたようで、クラーケンは激しく暴れ出した。
当然、ぼくは宙に放り出された。歯を食い縛って床に叩きつけられるのを覚悟していたが、意外にも待っていたのは緩く弾む感触だった。それからつるりと滑って、床に投げ出される。斬り落とされた触手がクッションのようになって、怪我をせずにすんだようだ。
暴れるクラーケンは、捕らえていたエレナも放り出した。ぼくは彼女を受け止めるため、急いで真下に走った。
「離れていくぞ!」
文字どおり、あっという間もなかった。クラーケンの姿が見えなくなるよりも早く、穴から海水が一気に流れ込んできた。同時に天井も柱もなだれ落ちていく。しばらくあっけにとられていたアーサーは弾かれたように正気を取り戻すと、杖から大きな泡を放った。目の前はほとんど水に覆い尽くされたが、水の重さか、エレナの重さか、腕にずっしりとした感触が伝わった。
「エンノイア!」
手を伸ばしたシーアの姿が、水に飲み込まれていく。ぼくはエレナを抱えながら泡に向かって走った。しかし流れに足をすくわれ転んだ。潮くさい波が目に、鼻に、口に、容赦なくぶつかってくる。水圧に押されて、手足の感覚はなくなっていた。当然、腕に抱えていた人物の感触も。
「エ、エレナ……」
もうどっちが上か下かもわからない。ぼくはあっという間に流されていった。