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第七十一話 人魚の能力

 色のちがう石を踏み外に出ると、六つのポセイドン像全てが水を吐き出すようになっていた。部屋はひんやりとした水煙に包まれて、こんなぼくでも神妙な気持ちになってしまうほど、神秘的な情景を形づくっていた。

 そして――。

 水に押し上げられながら、船は穴の真下に姿を現した。

 ポセイドン像は一斉に水を吐くのをやめた。何事もなかったかのように、再び静寂が部屋を支配する。これには息を呑まずにはいられなかった。

「計算されているんだな……ちゃんと、船が上がってきたところで水が止まるように」

 リュクルゴスがかすれた声で言った。

 ぼくたちは船に降り立ってみた。ぼくたちが立つとほとんどいっぱいいっぱいなくらい非常に小さいが、一応クラシカルな帆船のような姿をしている。

「さて、船に乗れたのはいいですが、これをどうしろと?」

 アーサーは長い杖をオール代わりにして船を動かし始めた。しかしそれほど広くもない部屋、すぐに壁にぶつかり、どうすることもできなかった。

 頭の上にはもちろんさっきまでいた部屋の床があるわけで、その空間はシーアがぎりぎり立てるほどの高さしかなかった。アーサーやリュクルゴスは頭を引っ込めなくてはならないほどだ。

 ぼくたちは小さな船の上で途方に暮れていた。エレナはしゃがんで水の底を見つめていた。

「お父さまなら水面を上げるのも下げるのも自由なのに」

「このあたりの海面が上昇したのは、ポセイドンが魔界と戦ったからなんだって言ってたっけ?」

「そう。トリアイナを使って陸の魔物を海に沈めたのよ」

「トリアイナ……そうか!」

 ぼくはあることを閃き、入り口の像のところまで戻った。ずり下がったトリアイナはいつの間にか元に戻っていた。再びそれに触れると、みんなが待機している隣の部屋がざわつき始めた。

「水位が下がってるぞ!」

 ぼくの思ったとおり、入り口の仕掛けは下の部屋の水位を調節するものだったのだ。海面を自在に上げ下げできるというトリアイナのイメージを、水の仕掛けに重ねたのだろう。ぼくは急いで隣の部屋に戻り、水位が下がるとともに離れつつある船に飛び乗った。

 次第に部屋の様子があらわになり、ぼくたちは水中に沈む両開きの立派な扉を発見した。あそこに宝玉のある祠があるのかもしれない。

 もっとよく見ようと、身を乗り出したときだった。

「危ない!」

 シーアの声がしたと思った瞬間、ぼくは床に突き飛ばされていた。

「いたた……」

 頬から血が出ている。なにかが側を勢いよくかすめていったようだ。

「うう……」

 後ろから自分のものとは別のうめき声が聞こえ、慌てて振り返ると、シーアの肩に大きな魚のような生物が噛みついていた。体長は一メートルほど、目は血走っていて、恐竜のような牙が口から飛び出す勢いで生えている。

 尻尾をつかみ引き剥がそうとするが、牙が肩をしっかり捉えていて、全く離れる気配がない。短剣で切りつけてみるが、シーアを痛がらせるばかりだ。

「どけ!」

 リュクルゴスは長い剣でその生物を一刀両断した。やつはお腹から下がばっさりと落ちたが、それでも上半分は噛むのをやめない。凄まじい執念だ。

 しかしさすがに力はなくなってきたようで、シーアは恐る恐る肩から長い牙を引き抜いていった。くっきりと歯型に沿って血がにじんでいる。シーアは顔をしかめていて、かなり痛そうだ。

「と、とにかく休んでて」

 ぼくはシーアを船の隅に座らせた。そして今度は慎重に水面を覗く。ぼくは目を剥いた。血の臭いに釣られたかのように、同じやつらがたくさん集まってきている。

「デルキュオン、イルカのモンスターですね。ときどき漁師が襲われるという話を聞きますが、実物は初めて見ました」

 斬り落とされたものを調べながら、アーサーが言った。

「一体どこから入ってきたって言うんだ?」

「きっと海から歩いてきたのよ。でもいつしか穴が土砂に埋もれて出られなくなったのね」

 リュクルゴスの質問に、エレナは真顔でとんでもないことを言った。

「イルカが、歩いて? ふざけてる場合じゃないって!」

 ぼくは叫びながら剣を抜いた。デルキュオンは驚くべき跳躍力で次々と水面から上がってきた。リュクルゴスが船から身を乗り出して、飛びかかってきた瞬間を狙って斬り落としていく。

 ぼくも応戦しようと剣を構えると、一体が刃にがっちりと噛みついてきた。デルキュオンの体ごと振り回し、どうにか剣から引き剥がす。その隙に跳んできた一体が腕をかすめて、袖を引き裂いていった。

 リュクルゴスもだいぶ苦戦しているようだった。

「雷でやっつけてくれないか!?」

「わかりました!」

 デルキュオンたちはみんな水に浸かっているから、雷で感電させようというわけだ。しかしアーサーが杖を構えた瞬間、彼の腕にもデルキュオンが喰らいついてきた。これでは魔法どころではない。

 だんだんと水が退いてきて、床が見えるほどになってきた。さすがに水がなくなれは、やつらも泳げなくなるはずだ。水深がなくなってヒレをばたつかせるデルキュオンたちを見て、ぼくはほくそ笑んでいた。

 しかし。

 ぼくたちは唖然とした。デルキュオンの尾びれが床についたと思った瞬間、それが大きく「く」の字を描いた二本の脚に変わり始めたのだ。

 あまりに異様な光景に、だれも声が出せない。ぼくたちが呆然と見ている間に、デルキュオンたちは二足歩行の奇怪な生物へと進化を遂げていた。まるで、イルカの前半分と、犬の後ろ半分を組み合わせたかのようだった。

「なるほど、文字通り歩いてきたんだね……」

「だから言ったでしょ?」

 笑う気力もない。船がゴトリと音を立て床についたとき、ぼくたちはすっかり脚の生えたイルカに囲まれていた。

 デルキュオンは新たにできた関節を使って跳躍すると、今度は船の上に着地した。リュクルゴスの前に、二体のデルキュオンが立ちはだかる。彼は突進してくる一体をひょいとかわすと、隙をついて背中から斬りつけ、振り向きざまにもう一体を船から蹴落とした。

 その戦いぶりに見とれていたぼくの前にも、一体が向かってきた。横のエレナが息を呑んだのがわかった。

「下がってて。ぼくが倒すから」

 そう言ってエレナを背中に隠す。デルキュオンは脚をばねのように縮めて前傾姿勢をとった。

 ――来るっ。

 腹めがけて突撃してきたところを上手くかわす。緊張で汗がどっと噴き出した。デルキュオンはすぐに身を翻し、再びこちらへ飛びかかってきた。

 そのとき、目の前にデュークが躍り出た。デルキュオンは勢いのままデュークに噛みつこうとしたが、サッと上に避けられ空を噛むことしかできなかった。ぼくは隙をついて真上から剣を振り下ろした。刃は弾力ある体を中ほどまで裂き、デルキュオンは血を流しながら床に転げた。

 その様子を見届ける間もなく、デュークの焦る声がした。さらなる一体が船のへりから飛びかかろうとしている。ぼくはそれを注意深く見つめていた。

 しかしデルキュオンの跳躍力はぼくの想像をはるかに超えていた。跳んだと思った次の瞬間、見えたのはデルキュオンの裏側だった。やつはぼくの頭の上を跳び越えたのだ!

 後ろで小さな悲鳴がする。

 ――このままだとエレナがやられてしまう!

 そう思い振り返ったとき、驚くべきことが起こった。跳び上がったデルキュオンがエレナのすこし手前で着地に失敗し、床に叩きつけられたのだ。

 エレナは胸の前で手を組み、歌っているかのように口を大きく動かしていた。でも、声は出ていない。かすかに空気が震えているような気がするだけだ。

 ぼくは他のデルキュオンたちも様子がおかしいことに気づいた。上手く歩けないようで、お互いにぶつかり合ったり、船から落ちたりしている。

「なにが起こったんだ?」

 戦っていたリュクルゴスたちも異変に気づき始めたようだ。

「人間には聞こえない音よ。イルカは目で見る代わりに、この音がものに当たって跳ね返るのを利用して周りを見ているの。でもわたしが今同じ音を跳ね返したものだから、混乱しちゃったってわけ」

 エレナは早口にそう説明すると、また「ぼくたちには聞こえない音」を出し始めた。デルキュオンたちは間違えて仲間に噛みついたりしながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、大混乱だ。

「いいぞ! 全部を倒す必要はない、あの扉まで突っ切ろう」

 リュクルゴスの言葉に、みんなは無言でうなずいた。戦い始めて数十分、疲労の色も濃くなってきた。シーアもアーサーも怪我をしている。船の外にはまだ数体のデルキュオンが残っていたが、ぼくたちはすかさず船から飛び降り、扉まで走った。怪我をしたシーアが心配だったが、リュクルゴスが彼の肩を支えてくれていた。

 一斉に次の部屋へ飛び込んで扉を閉めると、正気を取り戻したデルキュオンたちが扉にぶつかってきた。とはいえ、突き破るほどの威力はないようだ。ぼくたちはようやく難関を切り抜けて、大きく息を吐いた。

「帰りはどうするか、考えたくもないな」

 リュクルゴスは苦笑した。まさに「進むしかない」という状況だ。扉の先はまっすぐな廊下になっていて、先には両開きの立派な扉が見えた。

 歩き出そうとしたとき、エレナがふらりと壁に寄りかかった。

「大丈夫!?」

「うん……ちょっと疲れただけ」

 青ざめた顔で小さく笑う。あの技はえらく体力を消耗させたらしい。あんなすごい能力をどうして出し惜しみしていたんだ、と思わなくもなかったが、ぼくはエレナの様子を見て責める気がなくなってしまった。

 消耗しているのはエレナだけじゃない。ぼくは、ひときわ呼吸が荒いシーアのことも心配になった。彼はさっきデルキュオンに肩を噛まれている。血はシャツにべったりと染みついて、肩全体に広がっていた。

「これくらい平気だ」

 シーアはそう言って肩を貸していたリュクルゴスから離れ、一人で歩こうとし始めた。

「早めに治療しておいたほうがいいぞ」

「そうだよ。引き返すこともできないんだし、どの程度の怪我なのか確認しておかなくちゃ」

 懸命にそう頼むと、シーアは渋々シャツのボタンを開けて、肩を露出した。

「うわぁ……」

「ひどいな」

 これでよく大丈夫だなんて言えたもんだと感心するほど、傷は見るからに痛々しい。ぼくたちの反応を見て、シーアはぷいと顔を背けた。

「アーサーの薬草を使おうよ」

「いやぁ、これほど深い傷では逆効果だと思いますよ。とりあえず、洗っておきましょう」

「ね、泣きたくなるほど悲しい話して」

 一緒に覗き込んでいたエレナが、いきなり口を挟んだ。唐突すぎる発言に、ぼくたちは唖然とした。

「いいから早く」

「わ、わかった」

 とはいえ、「悲しい話」なんてすぐに思いつくものでもない。あれこれ考えを巡らせていたが、ぼくはエレナを見て、とある話を閃いた。人魚にまつわる悲劇――そう、『人魚姫』だ。

 ぼくは、こんなときになにをやっているんだろうと思いつつも、シーアのことをアーサーに任せて、人魚姫の物語をひととおり語った。

 嵐のなか王子を助けた人魚姫は、王子に会いたいあまり美しい声と引き換えに足を手に入れるが、自分が王子を助けたのだということを伝えられない。結局彼女は愛を得ることができず海の泡になってしまう――。

「ひどい話だな」

「まったく、だめな王子ですね」

 いつの間にかリュクルゴスたちまで聞き入っている。怪我をしているシーアまでもが神妙な顔でうなずいていたので、ぼくは笑ってしまった。

 みんなの顔を見渡して、ぼくははっとした。エレナが涙を流していたのだ。同じ人魚だけに、共感するところがあったのだろうか?

「かわいそう……。でも、これでよかったのかもね。人間と人魚は、しょせん相容れないのよ。足があったって、なんの意味もないんだわ」

「エレナ……?」

 うつむいたエレナを励まそうと、ぼくは手を伸ばした。リュクルゴスが「油断するな」と目で訴えかけている。でも、ぼくにはエレナの涙が嘘には思えなかった。エレナの肩に触れようとした、ちょうどそのとき。

「これでいいわ!」

 エレナは意気揚々と身を起こし、いきなりシーアの身体をつかんだ。

「な、なにするんだよ」

 突然のことに、身をかわす隙がなかったようだ。シーアが恐々と見つめる前で、エレナの頬を一滴の涙が滑り落ちていった。そして、その雫はシーアの肩を濡らした。

「まさか……」

 ぼくは目を疑った。涙が落ちると同時に、みるみるうちに傷口が塞がっていったのだ。さらに二、三滴の涙が落ちる。完治とまではいかなくとも、傷はかなり綺麗に治っていった。

「そういえば、聞いたことがあります。人魚の涙には治癒効果があると……」

 アーサーが呆然と見とれたまま言った。次いでアーサーの腕の傷も治してもらうと、もう彼はすっかりエレナのとりこになっていた。もちろん彼の場合、興味があるのはその能力だけだろうけど。

「信じられない。痛くなくなったぜ」

 シーアはすっかり元気になって、肩を振り回していた。エレナはぼくの頰の傷もついでに治してくれた。なんだ、このために泣いてたのか――ぼくはすっかり拍子抜けしてしまった。

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