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第七十話 追憶の碑

 ぼくたちは早速壁の穴をくぐり抜けた。当然のようにそのあとに続くエレナに、ぼくは驚いて声をかけた。

「エレナも来るの?」

「もちろんよ。こんな面白いことって百年ぶりくらいだわ!」

 まったく、ぼくたちにとっては真剣な用事なのに。半ば呆れつつも、本気で楽しそうにする彼女の様子に、なんだか胸がむずむずするのを感じた。

「エレナを連れて行ってもいいかな?」

 思わずみんなに尋ねると、リュクルゴスがにっこり笑って「もちろん」と返してくれた。

 だけど、問題もある。ぼくの脳裏に、砂浜を形づくる白い石たちのことが浮かんだ。それから、自分の手や足がかちんこちんに固まって、ぼろぼろに崩れていく様子も浮かんだ。

 彼女を連れて行っても大丈夫だろうか。リュクルゴスにこっそりそう耳打ちすると、彼もまたこっそりと返した。

「逆に、だからこそ側に置いておく意味もある。いざってときには、人魚たちとの交渉に使えるかもしれないからな」

 要するに人質みたいなものだ。あまり好きな考え方ではなかったけど、ぼくは納得した。エレナはぼくたちの内緒話を気にするふうでもなく、あたりを見回していた。


 それから、壁に設置された松明に手探りで火を灯していく。全てを灯し終えると、部屋は薄明かりに包まれた。

 両側には無機質な白い円柱が立ち並び、うっすらと青色が見てとれる高い天井はドーム状になっている。地上の建物と繋がっているらしいらせん階段もあったが、その先は石のふたでぴたりと閉ざされていた。

「そこは開けないほうがいいでしょう。上がどうなっているかわからないですからね」

 アーサーは階段を見上げるぼくにそう言いながら、奥の壁に置かれた像に歩み寄っていった。

「なんと美しい……」

 大きさは二メートルほどで、ドラゴンのような顔と手足でありながら、体は蛇のように長く、全身に魚のようなヒレをいくつも持っている。見たこともない生物の形をしたその像は、床に突き立てられた三の槍に巻きついていた。

「ポセイドンですね。都の神殿にこれぐらい立派な像がつくれたらいいのに!」

 アーサーは興奮しながら像を撫で回していた。滑らかな曲線を描いた体と、透き通るようなヒレは、まるで飴細工でつくられたかのようだ。表面には、気が遠くなりそうなほど細かく鱗の模様が刻まれていた。

 ふと視線を移すと、父親・・の像を見つめるエレナの姿があった。

「ポセイドンは本当はこんな姿をしていたんだね」

「そうよ。この『トリアイナ』で海を自在に操れたのよ」

 彼女は嬉しそうにして、三叉槍を撫でた。するとどうだろう、そんなに力を入れたとも思えないのに、いきなり槍がずり下がり、先端が床の下に消えてしまったのだ。

 これには飛び上がるほど驚いたエレナ。「ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」と像に向かって謝っていた。

「いえ、元から動く仕掛けのようですよ」

 アーサーがそう言うので、ぼくたちは息を潜めて様子をうかがっていたが、特になにも起こらなかった。

 やっぱり水の浸食で壊れてしまったんだろうか? かすかに不安になりつつも、ぼくたちは先へ進むことにした。


 像の隣にはアーチ状の通路があり、その先は円形の空間になっていた。外壁に沿って、波のような文様が描かれた六つの扉が押し黙るように並んでいる。それぞれの扉の前に対応するような太い柱があり、柱と天井の境にはポセイドンの大きな頭が六つ突き出していた。

「こわ……」

 牙をむき出しにした六つの頭に見下ろされて、ぼくはなんだか居心地が悪かった。ガーゴイル――ロンドンの教会でよく見かけた、建物の上に鎮座した怪物――のことが頭に浮かぶ。あれは本当は雨どいとして機能しているらしいけど、まるで見張られているみたいで昔は怖かったもんだ。

 床の中心には大きな穴が空いていて、その下にも部屋が広がっていた。しかし、降りるための階段がない。ぼくたちはとりあえず降りるのを諦めて、扉のひとつに入ってみることにした。


 一番左の扉の奥には、祭壇だろうか、扉と同じ文様が彫られた大理石の台だけがあった。上には金属のお盆が置かれていて、なにかの種や植物が供えられているが、もはや原型を留めていない。持ち上げようとすると、砂のように崩れ落ちてしまった。

「壁に文字があるな」

 リュクルゴスが奥の壁を松明で照らすと、金色に光る文字が浮かび上がってきた。

『はじめに光があった。光はふたつに分かれ、太陽と月となった。これがすなわち、原初の男と女である。やがて月は最初の子どもを生んだ。赤子は月の手をすり抜け、光の届かぬ場所に落ちた。そこは永遠の闇と、そこから生まれた醜悪な魔物たちが支配する地、魔界と呼ばれるようになった』

 アーサーが文字を手でなぞりながら読み上げてくれた。

「一体なんの話をしてるんだ?」

 リュクルゴスの問いかけに、アーサーは神妙な顔で答える。

「始まりの神話ですね。テラスティアの神話では、太陽の神はアポロンという男神、月の神はセレネという女神です。そしてその二人から最初に生まれたのが魔界の神ハデスとされています」

「魔界にも神がいるの?」

 これには驚いてしまった。テラスティアの神々は言わば正義の味方みたいなもので、だからこそエルフたちと共に魔界を倒したのだとばかり思っていたのに、その魔界にも神がいるなんて。

 そういえば、エレナは「ハデスを除く十一人の神さまが魔界を倒した」と言っていたっけ? ぼくは今さらながら気がついた。

 ぼくの疑問に応えたのは、意外にもシーアだった。

「魔界も世界を構成する要素のひとつだからな」

「でも魔界は千年前に倒したんでしょ?」

「それは封印されたというだけで、消えたわけじゃない。魔界はいつでも復活の機会を狙ってるんだ」

 リュクルゴスはうなった。

「じゃあ、もしかしてバイバルスは魔界を復活させようとしているのか?」

「どうだろうな」

「さすがですね。わたしが説明するまでもありませんでした」

 アーサーが言葉を挟むと、シーアははっとして口元を押さえた。そして、

「……いろいろ思い出してきたんだ。たぶん、エルフにも同じ神話が伝わっていたと思う」

と、すこし気まずそうに言った。


 この部屋には、他になにもないようだった。しかし円形の広間に戻ってきたぼくたちを待っていたのは、驚きの光景だった。

 今出てきた扉の近くのポセイドン像が口を開け、勢いよく水を吐き出していたのだ。それはちょうど、吸い込まれるように穴のなかに落ちていた。

「下の部屋に水が溜まりますね」

「しかし、それでどうしようっていうんだ?」

 ぼくたちは、疑問の答えをすぐに見つけた。小さな船のようなものが、わずかばかり溜まった水に浮かんで揺れていたのだ。ぼくたちは、このまま水位が上昇していけば、浮かんできた船の上に降りられるかもしれないと思った。

 しかしたった一体のポセイドンからの水流では、部屋全体が満たされるのにはとてつもなく時間がかかりそうだった。他の像からも水を流してみようということは、だれが言うでもなくすぐに決まった。


 ぼくたちは次の部屋へと入った。この部屋も同じ構造で、祭壇がひとつあり、奥の壁に文字が刻まれていた。

『最初の子を失った月は大いに嘆き悲しんだ。太陽は月の悲しみを癒すため、時を生み出すことにした。すなわち、一日の半分は身を隠したのである。これが時となり、太陽が照らす時を昼、月が照らす時を夜と呼ぶようになった。やがて月は四人の子どもを生んだ。土、火、水、風である。時、土、火、水、風――この世の五元素が揃うと、地上は生き物たちでいっぱいになった』

 壁の文字に近づいた瞬間、足の下が凹んだのを感じた。よく見ると、そこの石だけ他のものとは色が違っている。

「ねえー、これって」

「しっ」

 アーサーに静かにするよう示され、わけがわからないながらも言うとおりにすると、扉の向こうからごうごうと水の流れる音が聞こえてきた。さっきは気づかなかったが、どうやらこの石がスイッチとなって水が出ていたらしい。

 ちょうど祭壇の真ん前だ。壁の文字を読もうと思ったら、必然的にここを踏むことになる。

「ふーん。先に行きたければ神話を学べってことかぁ」

 ぼくはいたく感心した。

 仕掛けがわかったので、ぼくたちはさっさと進むことにした。時計周りに各部屋を周り、祭壇前の石を踏む。

 仕掛けを作動させるたび、流れる水の量は増えていった。そしてぼくたちの思惑どおり、穴の下の水位は上昇し、船はどんどん近づいてきた。


 そうして六つめの部屋に足を踏み入れたときだった。床に砕けた石版のようなものがいくつか落ちている。アーサーはそれを拾い上げ、緊張した声で言った。

「……なにか書かれていますね」

 覗き込むと、引っかいたような文字が表面にぎっしりと刻まれている。

「パパス・アキレウス。この神殿の司祭が書いたもののようです」

 その名を聞いた途端、エレナがはっと息を呑んだのがわかった。

 アーサーは千年前の司祭アキレウスが書いた文章を読み上げ始めた。今までにもアイオロス神殿の竪穴に描かれた絵などは見てきたが、千年前の文章が残っているのは初めてだ。なんだか読むのが怖い気がした。

『地上の神殿に避難者が溢れている。魔物の襲撃により家や田畑を失う者多数あり。神殿の食糧も底を尽き、上では餓死者も出ているようだ。

 もう紙とインクも切れてしまった。のちの時代に訪れた人が読めるように、ここに刻んでおこう』

 魔界の侵食があった時代に書かれたものだろうか。ぼくたちは静まり返ってしまった。アーサーは、別の日に書かれたと思しき他の文章も読み上げ始めた。

『百年に一度しか人間の前に姿を見せないと言われる人魚の島だが、避難者の一人の船乗りに聞いた話から、島の位置を特定することができた。人魚の島には冬でも実る果実があり、魔物も寄りつかないという。わたしはみなと神殿の地下から人魚の島へと続く洞窟を掘ることにした。地下からであれば、海の魔物に襲われずに避難できるかもしれないからだ。

 だが問題は島の住人である人魚だ。彼女たちには心がないのだと言う者もいる。しかしわたしは彼女たちとの交流を試みるつもりだ。真摯に頼めば、彼女たちも我々の滞在を許してくれるはずだ。偉大なる海の神ポセイドンのご加護を……』

『もうすぐ島にたどり着ける。まず男衆で島に上陸し、安全が確認されてから祠の周りで待機させている女性や子どもを連れてくるつもりだ。ついに我々はやり遂げたのだ!』

「文章は、これで終わりのようです」

 エレナは浮かない表情をしていた。

「知っている人?」

「ええ……ずっと昔に会ったことがあるわ」

 エレナはそこで間を置き、想いを馳せるように目を伏せた。

「素敵な人だった。若くて、知的で、優しくて……綺麗な金色の髪をしてた。そう、あなたみたいにね」

「えっ、ぼく?」

 いきなり視線を向けられて、ぼくは照れた。しかしよく考えれば、単にアキレウスと同じ金髪であることを指摘されただけだということに気がついた。

「この首飾りは、その人がくれたのよ。もう使うこともないから……って。それから、いろんなことを教えてくれた。草の服のつくり方も」

「もしかして……恋人だった?」

 ぼくは、なんの根拠もなくそう思った。アーサーがもの言いたげに咳払いする。

 エレナは笑って首を振った。

「ちがうちがう、ただの友だちよ。……でも、初めてできた友だちだったの。もう死んでしまったけどね」

 エレナは首飾りを撫でながら、懐かしむように言った。ぼくは彼女に気づかれないように、みんなと目を合わせた。祈りの道具の首飾りは――彼女の言うことが本当だとすれば――奪いとったものではなく、司祭からもらったものだったのだ。エレナの寂しげな目を見ていると、人魚に関する悪い噂は誤解なんじゃないかとすら、ぼくは思い始めていた。

「この部屋にはどんな神話が書かれてるの?」

 水の仕掛けを作動させるのは、この部屋で最後だ。ぼくはなんとなく、神話がどうなっているのか気になった。

『この世の発展を、魔界の神は羨んだ。魔界を哀れんだ月は、太陽のいない間だけ魔物がこの世に現れることを許した。それからというもの、魔物は夜に限りこの世を荒らしに来るようになった。そして……』

 アーサーはそこで読むのをやめた。文字が途切れていたのだ。

「ここから先は未完成です。ちょうど書きかけたところで神殿を放棄せざるをえなかったのでしょうね」

 そういえば、この部屋の文字はただ刻まれているだけで、金箔が貼られていない。もうそんな余裕がなかったのかもしれない。供え物もなく、祭壇の装飾は中途半端だった。

「続きは自分で勉強しろってことだな」

 しんみりした空気を変えるためかもしれない、ぼうっと立ち尽くしていたぼくの頭を、リュクルゴスが軽く叩いた。

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