第六話 闇からの襲来 part 2
「……イア」
誰かが遠くで呼んでいる気がする。
「……ノイア」
まただ。
うっすら目を開ける。あたりは薄暗く、まだ夜中のようだ。
――眠いんだよ。邪魔しないでよ。
ぼくはほんの少し体の向きを変えて、再び心地よい眠りの世界に入ろうとしていた。
◇◆◇◆◇◆◇
「エンノイア!」
ぼくは飛び起きた。
瞬時にあたりを見回して、自分の置かれた状況を理解する。どうやらここは森のなかで、自分は木にもたれて眠っていたらしい。
薪の爆ぜる音が聞こえて、火の見張りをしていたことを思い出す。目の前の炎が薄闇をオレンジ色に染めるのを確認して、ほっと肩をなでおろした。
やれやれ、今日は一日中歩いたからな。
昨日はシーアが先に見張りをしたので、今日はぼくが先にすることになったのだが、なにしろ疲れた。数分と経たないうちに眠りこけてしまったのだ。
ぼくは昨日襲われたコウモリのような姿をしたモンスター――プテラスというらしい――のことを思い出し身震いした。
もう二度とあんなのには関わりたくない。しっかり見張らなきゃな。
両頬を軽く叩いて自分自身を戒めたあと、ふと焚き火の反対側で眠るシーアを見た。
肩まで届く銀色の髪を、束ねることもなく無造作に投げ出している。こちらからは顔が見えないが、スースーと静かな寝息が聞こえた。
彼について、気づいたことがある。
昨日の夜も同じように火の見張りをした。四時間ずつ交代で、片方は見張りをし、その間片方は眠った。
しかし彼は、ぼくと見張りを交代したあとも時々起きては、ぼくの様子を伺っていたのだ。
最初は眠れないのかな、とか、ぼくが居眠りをしないか心配なのかな、とか思った。
でも次第に、ぼくを警戒しているというのかな……ぼくが怪しい動きをしないか、目を光らせていることがわかってきた。まるで、人間におびえる獣のように。
今の彼の手には、組み紐模様の鞘のついた短剣がしっかりと握り締められていた。
普段は、ちょっぴり素直じゃないけど優しくて、意外とノリがよくて、普通の少年に見える。けれど、森の中に隠れ住み、他人の前で眠ることを警戒し、村に入ることを拒む。
そういったことが、シーアがこれまでたどってきた人生を物語っているような気がした。
しかし、さすがに疲れたんだろう。今日はぐっすり眠っているように見える。
起きていた気配も、起きだす気配もなさそうだった。
ちょっと待てよ。
ぼくは自分で自分の頭に待ったをかけた。じゃあ誰がぼくの名前を呼んで、ぼくを起こしたというんだろう。
「ピピッ」
ぼくが考えていると、どこにいたのかデュークがひどく慌てた様子で飛んできた。ぼくの顔の前でしきりに羽をばたつかせる。
デュークがこうしてなにかを訴えてくるのは二度目だ。一度目は、ぼくが森で道に迷っていたとき。なんとデュークは、一度は離れたシーアを呼びに行ってくれたのだ。
どういうわけかシーアにはデュークの言いたいことがわかるようで、ぼくが道に迷ったことを悟り、助けに来てくれた。
ぼくにはデュークの言っていることはわからない。でも、今回はそんな心配をする必要はなかった。
なぜなら、すぐにデュークが慌てている理由がわかったからだ。
「うわっ」
途端、ものすごい突風が顔に吹きつけた。とても目を開けていられない。あんなに頑張って見張っていた火も、あえなく消えてしまった。
間もなく、突風を起こした原因のものが現れた。
ぼくは言葉を失った。月明かりをさえぎって木々の間の小さな空を覆い尽くしたのは、とてつもなく大きなドラゴンだったのだ。
巨大な翼で、森の上空を優雅に飛んでいく。その見事なフォルムに、ぼくは思わず目を奪われてしまった。
よく見ればそのドラゴンには手がなく、朝に見た小さなドラゴンに似ていた。
もちろん、大きさは全然ちがう。
「シーア!」
起こすまでもなくシーアはとっくに起きていた。あまりの風に立ち上がれないでいるようだ。
シーアは鋭い目でドラゴンを睨みつけた。
「魔物……ワイバーンだ」
ワイバーンと呼ばれたそのドラゴンはぼくたちの存在に気づきもせず、村のほうへと飛び去って行った。そのあともしばらく風はおさまらず、あたりの木々の葉を巻きあげていった。
「逃げるぞ!」
呆然と突っ立っていたぼくの腕を掴み、シーアが急かす。
ぼくたちは取るもの取りあえず、森のなかを走り出した。百メートルほど離れたところで、村のほうを振り返る。ぼくは信じられない光景を目の当たりにした。村の上空を飛んでいたドラゴンが大きく息を吸うと、口から巨大な炎を吐いたのだ。咆哮と炎の衝撃の入り混じった轟音が、森の木々をざわめかせた。
先ほどまで暗闇だった森のなかは明るく照らし出され、ここまで熱気が伝わってきた。
村の近くに生える木が炎を噴き上げ次々と倒れていく。奇妙に見晴らしのよくなった村は、あっという間に炎の海と化していた。人の気配すらほとんどしなかった静かな村が、一転して悲鳴に包まれた。燃え上がる家々から、次々と村人たちが飛び出してくるのが見えた。
赤ん坊を抱えた女の人、親とはぐれたらしい子ども、炎に囲まれて行き場のなくなった老人……。懸命に家を消火しようとする人もいたが、とても意味のあることとは思えなかった。
村が、文字通り地獄のように変わってしまったのだ。
「シーア……」
ぼくは思わずシーアの袖をつかんだが、シーアはぼくのほうを振り返ることもなく、炎に包まれる村をじっと見つめ続けていた。
すると突然、村の上空を飛んでいたドラゴンが下降し始めた。
村の中央の広場に降り立ったドラゴンは、炎から逃れようと広場を逃げ回っていた女の子の肩を鋭い爪でつかむと、そのまま上昇し始めてしまった。
「さらうつもりなんだ。助けなきゃ!」
ぼくは袖をつかんだまま、とっさにそう言った。しかしシーアは力なく立ち尽くしたままだ。
「いや……助けても無駄だ。行こう」
そしてぼくの手を払いのけると、村とは反対方向に歩き出そうとした。
「無駄……だって?」
ぼくは耳を疑った。
見捨てろっていうのか? 目の前で村が襲われているのに。女の子がさらわれようとしているのに。
シーアはいいやつだと思ってた。素直じゃなくても。人間嫌いでも。なんだかんだでぼくを助けてくれた。
それなのに……。
「そんなの納得できない!」
ぼくは叫んでいた。シーアが驚いてぼくのほうを見る。
「弓を貸して。ぼくが助ける!」
ぼくはシーアが背負っている大きな弓を奪い取ると、ドラゴンに向かって構えた。
弓の弦は思った以上にかたく、歯を食いしばりながら引くのがやっとだ。
「お、お前、弓が使えるのか!?」
シーアが背後で叫ぶ。
「やったことないけど……」
弓を一層強く引く。弦が指に食い込んで激しく痛んだ。
「やるしか……ないだろ……!」
叫ぶと同時に、ぼくは矢を放った。