第六十二話 船出
それからぼくたちは、港へと戻った。島、もとい亀との戦闘はまだ続いていた。
先頭に立つのは、やはりリュクルゴス。なんと彼は亀の頭の上にまたがっていた。振り落とそうと暴れる魔物の上で懸命にバランスをとり、剣を突き刺している。しかし亀の皮膚は厚く、致命傷には至らないようだ。やがて亀が高々と首を持ち上げると、リュクルゴスは地面に転がり落ちてしまった。
ぼくは慌てて駆け寄った。
「大丈夫!?」
よかった、怪我はないようだ。彼は石畳の上に寝そべったまま、決まり悪そうに頭を掻いた。
「らちがあかないな」
亀は足や頭にみんなの攻撃を受けながら、ゆっくりと町のほうへ移動し始めていた。やつが動くたび、ぶつかった建物にひびが入る。慌てた住人がパラパラと飛び出してきた。
このまま町に向かわせてはまずい。なにか方法を考えなくちゃ。ぼくは頭を働かせた。
なんだかんだ言ってもあいつは亀だ。亀の弱点は……。
ぼくは考えた作戦を、リュクルゴスに耳打ちした。すると、彼は盛大に噴き出した。
「直球だな!」
「だめかな?」
リュクルゴスはからからと笑った。
「名案だと思うぜ」
彼はぼくに馬を連れてくるよう言った。この作戦はなによりもみんなの協力が大事だ。そのために、リュクルゴスに討伐隊のみんなに呼びかけてもらうことにした。
大勢が亀の周りで戦っていて、うっかりするともみくちゃにされてしまいそうだ。リュクルゴスは馬に飛び乗ると、みんなの前に躍り出た。
「みんな、聞いてくれ。こいつには剣はきかない。だから――」
戦っていた討伐隊員たちは一斉に振り向き、なにかいい作戦があるのかと目を輝かせた。リュクルゴスは彼らに向かって、爽やかに言った。
「――みんなでこいつをひっくり返そう!」
みんなは一瞬動きが止まり、ぽかんとした顔を見合わせた。そして誰かが噴き出したのを皮切りに、突如どっと笑いが起きた。ぼくは、リュクルゴスがばかにされるのではないかと内心はらはらしていた。
「なるほど!」
「やってみよう!」
ぼくの心配をよそに、兵たちはノリノリで亀の片側に並び始めた。二十人ほどで一斉に島の一端を担ぐ。ぼくもその列に入り、一緒に持ち上げた。
リュクルゴスの合図に合わせて力を入れると、わずかに島が持ち上がった気がした。しかしいきなり体を持ち上げられた亀は、全力で抵抗し始めた。足を激しくばたつかせるので、まわりにいた何人かは弾き飛ばされた。それでも負けじと駆け寄ってきて、再び持ち上げる。
町の人たちもぼくたちの様子を見て集まってきた。亀をひっくり返すのを手伝うべきかどうか迷っているようだ。漁師なのかもしれない、日焼けした屈強な男が、自分の太い腕と亀を見比べている。しかし町の人たちが怪我をしてはいけないので、討伐隊の誰も積極的に手伝ってとは言わなかった。
突然、周りが騒がしくなった。みんな島のてっぺんを見上げている。何事かとぼくも同じ方向を見ると、なんと島の上にシーアが立っている。
彼は手にロープを持っていた。かなり太く長いロープで、両手で抱えなければ持てないようだ。元は船を繋ぎ止めるためのものだったのかもしれない。
彼はよほど身軽なのか動く背中の上でも危なげなく歩き、ロープをてっぺんの木に巻きつけると、側面を滑るようにして地面に下りてきた。
ぼくは亀から手を離して、シーアに駆け寄った。
「なにしてるの!?」
彼はぼくの質問には答えず、木に巻きつけたロープの強度を確かめると、討伐隊がいるのとは反対の方向に引っ張り始めた。ロープが木の幹に食い込む。しかし折れはしないようだ。
ぼくはようやく彼の行動を理解した。こちら側から引き倒すつもりなんだ!
それを見ていた町の人がぽつりぽつりと亀を引くのに加わり始めた。綱引きの要領で一列に並んでロープを引く。これなら魔物に近づかなくてもいいし、踏まれる心配もない。ぼくもシーアの隣でロープを握った。
反対側では討伐隊員たちが島を持ち上げ続けている。これには、さすがの亀の巨体もぐらついてきた。そして、あるとき急に手の先の抵抗が軽くなった。
「うげっ」
「ぎゃっ」
「ぐへっ」
勢い余ってシーアが後ろに転ぶ。それにぶつかってぼくも転び、ぼくの後ろでロープを引いていた人たちも、次々とドミノ倒しに転んでいった。そして衝撃音とともにもうもうと砂ぼこりが立ち上った。
ようやくそれらがおさまると、目の前にひっくり返った亀がいた。足をばたつかせ右や左に転がるが、島が重すぎて起き上がれないようだ。てっぺんの木はつぶれている。
亀は完全に動きを封じられていた。それを見て、ぼくたちは歓声を上げた。
むき出しになった亀のお腹は意外に柔らかそうだ。リュクルゴスは呼吸で上下する白いお腹を、弾むようにしてよじ登っていった。そしててっぺんにたどり着くと、おもむろに剣を突き立てた。
咆哮が上がり、空気がびりびりと震える。ぼくは耳を塞いだ。リュクルゴスは歯を食い縛りながら、再び剣を突き立てていた。討伐隊のみんなも彼にならってお腹をよじ登り始めたので、ぼくもそれに続いた。
みんなでよってたかってお腹を突き刺していると、やがて亀は動かなくなった。
ぼくはお腹から飛び降りてきたリュクルゴスに声をかけた。
「すごい!」
「いや、お前たちのおかげだ。なかなか楽しかったよ」
リュクルゴスは討伐隊員や町の人たちのほうを振り返った。
「お前たちもな!」
彼がそう言うと、周りから歓声と拍手が湧き起こった。いつの間にか誰かが鐘楼に登っていて、鐘を打ち鳴らしていた。
戦いが終わったあと、リュクルゴスにバイバルスのことを話すと、彼は激しく毒づいた。
「くそ……あいつが見ていたのか」
「やっぱりバイバルスは、魔物を放って魂を回収することが目的みたいだ。鐘楼に登って石に魂を集めてたよ」
「矢を一発くらわせてやったぜ。急所は外したが、深手は負ったはずだ」
リュクルゴスはぼくたちの話を黙って聞いていたが、やがて大きくため息をついた。
「ともかく、お前らが無事でよかった。もう一人で対峙しようなんて思うなよ」
リュクルゴスに釘を刺されて、ぼくは仕方なくうなずいた。
その後リュクルゴスは、討伐隊にバイバルスを探すよう命じた。しかし、傷を負っているにもかかわらず、やつの姿はどこにも見つからなかった。ワイバーンに乗って遠くへ行ってしまったのかもしれない。
町の人たちからいろいろ聞かれるのを避けて、ぼくたちは港からすこし離れた場所に来た。まだあまり被害のなかった住宅地だ。みんな港に集まっているのか、人気がなかった。
「ええと、それで、ここにはなにしに来たんだっけ?」
シーアが頭を小突く真似をする。
「アディスに行くんだろ!」
「そうだった、そうだった。で、一体どうやって行くのさ」
リュクルゴスは苦笑交じりに港の方角を見た。
「いつもならこの町から連絡船が出ているんだが……あれじゃあな」
白い家々の向こうに折れたマストや破れた帆が見える。港に停泊していた船はあの亀の魔物にぐちゃぐちゃに踏み荒らされていた。普段はアディス側の港町リールとの行き来が盛んな町らしいが、とてもすぐに船が出せるとは思えなかった。
「おいらに船を出させてくだせえ。い~い船を持ってますぜ」
背後から聞こえたダミ声に振り返ると、上半身裸で毛むくじゃらの男が立っていた。赤ら顔で、片手に瓶を持っている。多分、瓶の中身は酒だ。うさんくさいことこの上ない男の様子に、リュクルゴスは顔をしかめた。
「お前、酔っているだろう。大丈夫なのか?」
「でも急いでるんでしょ?」
男はからかうように言った。確かに港や船の修理を待っていたらいつになるかわからないし、早いに越したことはない。一応船を見てみようということで、ぼくたちは仕方なく男についていった。案内されるまま町の外れに行くと、唐突に家が途切れて海岸になり、そこに数隻の大小さまざまな帆船が停泊していた。
「ここは漁船用の場所です」
「それで、お前の船は?」
リュクルゴスが尋ねると、男は一隻の船を指し示した。
ぼくは「はあー」と声を上げながら、高いマストを見上げた。港にあった船に比べると見劣りはするが、それでも高さは十メートルほど、全長は十五メートルほどはある。停泊している船のなかでは抜きん出ていた。
「ふむ……これなら行けるかもしれないな」
リュクルゴスはうなずきながら言った。
男はギブズさんと言って、ここらへんを仕切っている漁師なのだそうだ。ちょうど金が入り用なので、連絡船代わりに乗せてくれるらしい。渡りに船とはこのことだ。
すぐにでも出港できるということで、今日中に出発するつもりではいたけれど、ぼくたちは一応町の神殿に立ち寄った。
「魔物を倒していただき、ありがとうございました。お礼をしたいのはやまやまですが……すぐにお発ちですよね?」
「ええっと、はい」
ぼくは迷いながら答えた。神官たちの姿を見てなにか忘れているような気がしたが、それがなんなのかは思い出せなかった。
「ではこれを」
神官の一人が、リュクルゴス宛ての手紙を持ってきた。
「またキリエさん?」
リュクルゴスは差出人の名を見るなり、唇を引き締めた。
「いや……エルザからだ。アディスに行ったら連絡が取れなくなるからな」
ぼくははっとした。この国では手紙は伝書鳩や人伝てに渡してもらうのが一般的なようで、確かに彼がアディスに行ったらやりとりができなくなってしまう。それも、宝玉を全て集めてアイオリアに戻ってくるまでずっとだ。
エルザや家族のことを大事に思っている彼にとって、それはどれほど辛いことか、容易に想像ができた。
「リュック、返事が遅くなってごめんなさい。じつは……」
リュクルゴスは独り言のように出だしを読み上げ、顔を緩めた。泣きたいのか笑いたいのかわからないような表情で、目を輝かせている。
「ど、どうしたの変な顔して」
彼は淡々と、しかし高ぶる感情を隠せない様子で声を絞り出した。
「……エルザのお腹に子どもがいるそうだ」
ぼくは一瞬ぽかんと口を開けて、その言葉の意味を考えていた。そして、ようやくこういうときになにを言うべきなのか思い出した。
「おめでとう!」
「おう。ありがとな」
「あ、お、おめでとう……」
シーアもしばらく面食らった表情をしていたが、ぼくの言葉を聞いて思い出したように言った。彼が「おめでとう」と言う光景が新鮮すぎて、ぼくは心のなかで密かに笑ってしまった。
リュクルゴスは目を細めてうんうんとうなずいた。
「それで……傍にいなくていいの?」
もちろんルイーズの救出を放り出して帰るなど彼にはありえないことだとわかっていたが、ぼくは思わず尋ねてしまった。すると、リュクルゴスはちょっとだけ切なそうな顔で肩をすくめた。
「家のことはいいから、頑張ってこいってさ」