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第五十九話 次なる地

 それから、あたりは嘘のように静まり返った。どうやらこれで終わりのようだった。

 戦いが終わったのを察した町の人たちが戻ってくる気配がする。ぼくはほっと息をつくと同時に、ある疑問がわいていた。

「アーサーは、あんな魔物が出てくるって知ってたの? どうして教えてくれなかったのさ」

 ぼくの問いに、彼はすました表情で答えた。

「さすがに確信はありませんでしたからね。それにやつを誘い出すまでそのことを気取られるわけにはいきませんでしたから」

 まったく、これだからアーサーは。ぼくはなんだか釈然としなかった。

 水たまりには、レイスになった神官たちが着ていたローブだけがいくつも落ちていた。ぼくはそのひとつを拾い上げ、なんとも切ない気持ちになった。

「彼らをもとに戻すことはできないの?」

 アーサーが、目を閉じて首を振る。

「残念ながら一度亡くなってしまったものはもとには戻りません。絶対にね」

 ぼくは、彼がキッソスの町でも同じようなことを言っていたのを思い出した。

「そんな……かわいそう。神官だからって、みんなに自分勝手に頼られて、命まで懸けなきゃならないなんて、理不尽だよ。エヴァンスも言ってたよ、神官なんてやってられないって」

「民を守る者が理不尽なんて言っていてはいけません。彼らは町の者たちの役に立てて幸せだったと思いますよ。それが神官の本分というものでしょう。一人でも感謝してくれるなら……いや、感謝なんてなくてもいい。わたしはこの国の愛する人々を助けられれば、それでいいんです」

 同じ神官という立場であるからか、いつの間にか主語が「わたし」になっていた。

 アーサーの言うことは厳しくて、立派だ。だけど、それはぼくにとって果てしなく難しいことに思われた。

「ふうん。たまにはいいこと言うんだね」

 思わず皮肉めいた口調になってしまって、ぼくは焦った。けれどアーサーは怒りもせず、むしろ穏やかに笑って言った。

「きみも国を統べるものになるならば、そういう人間になってください。たくさんの場所を見て、たくさんの人と触れ合いなさい。そうすればきっと、この気持ちがわかるようになりますよ」

「ぼくは王になんかならないよ」

 即座に否定したあとで、ぼくは思いがけないことに気づき動揺した。

「ど、どうしてそのことを!?」

 心臓がバクバクする。アーサーは意味深にほほえんで、ぼくの心を見透かしたように言った。

「きみがアイオロスの心臓に映し出されたとき、わたしも陛下の側にいましたからね」

 「アイオロスの心臓」というのは、リュクルゴスが王宮で討伐隊のみんなに見せていた、次の王が映し出されるという水晶のことだ。

 ――やはり、それにぼくが映し出されていたんだ。

 そして、アーサーもその様子を見ていた。

 ずっと隠し通していた事実をあっさりと暴露されてしまって、目眩がするようだった。ぼくは目を見開いて聞いた。

「……アーサーも、ぼくが王だって信じてるの?」

 アーサーは口に指を当ててしばらく悩んだあと、きっぱりと言った。

「いいえ。きみに王の資質があるようには思えませんからねぇ」

「どういう意味」

 自分が王になるなんて考えられないけど、資質がないとまで言われるとなんとなく腹が立つというもんだ。しかし失礼な言い方に口を尖らせながらも、ぼくは意外な答えに拍子抜けした。神が選んだ王を信じないというのは、神に仕える者らしくないように思えたからだ。さっきは神官の本分がどうとか言っていたくせに。デュークの顔を覗き込むと、彼は丸っこい目をさらに丸くして首を傾げているように見えた。

「おーい、なに話してんだ。行くぞ」

 リュクルゴスは町の人たちに事情を説明して、彼らを町まで連れていくところだった。それについていこうとして、ぼくは大事なことを思い出した。

「あ、あのさ。ぼくが『新しい王』だってこと、みんなには言わないでくれる?」

「もちろん。わたしは信じてませんし」

 アーサーはゆったりと目を細めて言った。


 リュクルゴスたちに続いて地上への階段を登ろうとすると、後ろから肩に手を置かれた。

 振り返ると、シーアが立っていた。満足しているような、でもどこか寂しげに見える顔で薄くほほえんでいた。

「仲間に会えてよかったな。じゃあ俺はこれで」

 その言葉に、なぜか胸をつかまれるような気がした。

 ――俺はこれで。

 前もそう言って別れたんだ。そして彼は、ぼくの知らない間に戦って、傷ついていた。

 シーアと一緒にこの遺跡を探索して、ゴーレムや石のドラゴンと戦って。ぼくは、ひょっとしたら彼がそのまま一緒に来てくれるんじゃないかという気さえしていた。

 しかし洞穴の外に出ると、シーアは約束どおり去っていった。


 リュクルゴスの怪我もあったので、ぼくたちは町が落ち着くまでタレスの神殿で過ごすことになった。数日経ったある日、久しぶりに町に出たぼくは、思わず感嘆の声を漏らした。

 町はあっという間に活気づいていた。思えば、最初に来たときはろくに町を見ていなかった。というより、あまりにも人の声がしなかったので、気に留めていなかったのだ。今はうってかわって、早速商売を再開した市場の声でうるさいくらいだった。本当のタレスは、こんなに賑やかな町だったのだ。

 その声に負けじと、石畳の上を走る車輪の音が往来に響く。近隣の町から物資を運ぶ馬車が、山の勾配に沿った緩やかな登り坂をひっきりなしに行き来している。死んでいた町が息を吹き返したように、市場は人や物で溢れていた。

 帆布のようなひさしを張った石造りの店々を覗く。ここはもう海が近いのか、魚を売る店が目立つ。山の側だというのに、潮の香りがした。

「お前、魔物と戦ってたボウズだろ! ほらこれ持ってけよ!」

 リュクルゴスよりもがっちりとした店の親父さんが、ぼくに向かって何匹かの魚を投げてきた。洞穴の中ではちょっぴり怖く、腹立たしく思ってしまった町の人たちだったけど、平和になれば嘘のように気のいい人たちだった。たぶん、人の心はそういうものなのだろう。

 ぼくはこの町で、ちょっとだけ有名人になっているようだ。

 しかし魚をもらったはいいけど、どうやって料理しろっていうんだろう。しかも袋もなにもないので手が生臭くなりそうだ。

 魚を手に持ったまま通りを歩いていると、黒や茶や金の頭に混じって紫色の髪が見えて、ぼくは噴き出しそうになった。

「シーア……ほんとは一緒に来たいんじゃないの?」

 後ろから声をかけると、彼は振り向きもせずに答えた。

「ちげーよ。また森で暮らすのにいろいろ必要になるから準備に来ただけだ」

 シーアは近くの森で狩りをしていたようで、彼の身長ほどもある鹿を背負っていた。

 一目散に町の奥へと歩いていく。特に用事もないがそのあとをついていくと、彼は一軒の店の前で立ち止まった。

 今にも「ぶひい」と鳴き出しそうなグロテスクな豚の頭と、おいしそうに丸々と太った胴体が吊るしてあるので、一目で肉屋とわかった。カウンターの向こうにおいしくなさそうに丸々と太った主人が立っている。

 シーアは彼と何事か交渉すると背負った鹿を渡し、硬貨を受け取っていた。そういえば彼はもともと獲物を売って生活していたんだっけ。

 感心していると、シーアが振り向いて口を開いた。

「なにか食うか?」

「は?」

 ぼくは一瞬彼がなにを言っているのかわからなくて、まぬけな声を出してしまった。

「だから、いろいろ世話になったからおごってやろうって言ってんだよ! なんだよその信じられないって顔は! そんなにおかしいかよ!」

 なにも言っていないのに、彼はなんだかんだと一人でまくしたてていた。

「それよりこれ、料理してほしいんだけど。もらったんだ」

 手のなかの魚を見せると、シーアは「お前ってやつは……」と頭を抱えた。

 神殿の台所を使わせてもらおうということで、山の上に向かいつつ一緒に歩いていたシーアが、再び店の前で立ち止まった。

「おい、あれ見ろよ」

 シーアが指差す先の棚には、乳白色の石でできた小さな彫像が並べられていた。魚やりんごなど妙に素朴なデザインばかりだが、まるで本物を塗り固めたようにリアルだ。

「人魚の石だ」

「に、人魚!?」

 シーアは当たり前のようにうなずいた。魔物やモンスターがいる世界なら、人魚もありらしい。

「そういう噂だぜ。海岸によくこんな彫像のようなものが流れ着くらしい。アイオリアにも対岸のアディスにもこんなものをつくる習慣はないから、その間にある人魚の島から来てるんじゃないかってな」

 人嫌いというわりに、けっこう噂やなんかに詳しいんじゃないか、という言葉は飲み込むことにした。像を彫っている人魚というのを想像してみたが、あまりよくわからなかった。

 それらを目でたどっていくうちに、ぼくはあるものを見つけてぎょっとした。真っ白に塗り固められた人間の手だ。いや、正確には人間の手をかたどった彫像だ。

「不気味だな……」

 シーアが思わず本音が漏れてしまった、という様子で呟いた。彼の言うとおり、しなやかに広げられた指はまるで生きているようで、美しいといえば美しいが、不気味といえば不気味だった。

 ぼくたちがそれを見ていると後ろから白い手が伸びてきた。

「ひいいっ」

「ほーう、人魚の石か。人型とは珍しいな」

 正体は包帯を巻いたリュクルゴスの手だった。彼は腕を負傷して神殿で休んでいたが、だいぶよくなったらしい。

 リュクルゴスは彫像を弄びながら、いかにももったいぶって言った。

「たぶんお前なら、喜ぶだろうな。次の遺跡はアディスにあるんだぜ。人魚の島の近くも通るかもな」

「外国に行くの!? やった!」

 リュクルゴスは楽しそうに目を細めた。そういう彼もゴキゲンのようだ。

「シーア! 外国だよ! 人魚だよ人魚!」

「な、なんで俺に言うんだよ」

 リュクルゴスの予想どおり、ぼくは初めて行く「外国」に胸を膨らませた。もっとも、この国自体がぼくにとっては外国のようなものだけれど。

 ――たくさんの場所を見て、たくさんの人と触れ合いなさい。

 脳裏にアーサーの言葉が浮かんだ。彼に感化されたわけじゃないけど、この世界についてもっと知りたいのは確かだ。

 どうやらここの主人は海岸に流れ着いたものを拾って売っているらしい。人魚の石の他にも、いろいろな生活用品やら錆びた貴金属やらが売られていた。しかし、こんなもの誰が買うんだろ。

 それらをしばらく眺めていると、隣でシーアが息を呑む音が聞こえた。金色に光るなにかを手に取り、どうにもうさんくさい感じのする店の主人に詰め寄る。

「これ、どこで手に入れた?」

「お、お目が高いねえ。それはチュートニアに面する海岸で拾ったのさ。全然錆びていないんだ、不思議だろ」

「くれ」

 シーアは話を遮る勢いでそれを買った。そしてぼくたちに見せたくないかのように、すぐに袋にしまった。

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