第五十七話 奇妙な真相
階段を上がれず、代わりに苛立ちをはらんだ音だけがぼくたちを追ってくる。らせん状になった小さな段差を登るたび、ぶつけたところがぎしぎしと痛んだ。
やがて地上の白い光が差し込んできたとき、ぼくはようやく胸を撫で下ろした。
隠し扉のなかのハンドルを回すと、ごうごうと音を立て、らせん階段はただの模様と化していく。ゴーレムの暴れるような気配がしたが、あとには神殿らしい静寂が残るだけだった。やつも宝玉を守るため頑張っていたのだから、申し訳ないといえば申し訳ない。
壁に描かれた腰巻きの男アトラスが、ぼくたちの攻防なんてつまらないことだとでもいうように、なんの表情もなく見下ろしていた。
ぼくは隣で息を吐く二人を見た。リュクルゴスは黒々としたひげが伸びていたけれど(アーサーはなぜ伸びていないんだろう?)、二人とも元気そうだ。血色もいいし、ちゃんと足もある。どうやら幽霊ではないらしい。なによりも――。
「エンノイア、一人で大変だったな。いや、二人か。宝玉を見つけてくれてありがとな」
「エンノイアくん、よく頑張りましたね」
――二人とも、懐かしく温かい目をしていた。
ぼくは胸がじんと熱くなった。シーアと二人で暴漢と戦って、遺跡の仕掛けをくぐり抜けて、レイスやゴーレムとも戦って。今までリュクルゴスやアーサーたちがいたことがどれだけ心強かったか。それを実感したのだ。
優しい言葉をかけられて、張りつめていた心がほどけていく気がする。思わず感傷的な気持ちになるのをぐっとこらえて、ぼくは首を振った。泣いてる場合じゃない。
「それが、そうでもないんだ。宝玉が盗まれてしまって。ぼろぼろのローブを着た神官を捜して!」
しかし気が気でないぼくをよそに、彼らは落ち着いていた。
「わかってる。さっきエルフの少年に会って、事情を聞いたよ。今みんなに捜してもらっているところだ」
リュクルゴスは労うようにぼくの肩を抱くと、そう言った。
「みんな?」
彼らはぼくの問いには答えず、神殿をあとにした。なぜか人目を気にするように素早く、隣の洞穴のなかに足を踏み入れていく。
テラスティアの時代に住居として使われていたという洞穴は、外側には人工的な小窓とカウンターがしつらえてあったが、内部はなんの変哲もない四角い空間だった。しかしリュクルゴスが部屋の隅に置かれた平たい石をどかすと、下へと続く階段が現れた。
ぼくははっとした。そうか、これがエヴァンスが言っていた洞穴住居の地下なんだ。
「かつては倉庫なんかに使われていたらしいな」
ぼくの疑問を察してか、リュクルゴスが呟いた。
荒々しく掘られた人工の地下空間は、エヴァンスの言っていたとおり蟻の巣のように枝分かれしていた。先を行く二人に従って進んでいくと、ひときわ広い部屋にたどり着いた。
そこに広がる光景に、ぼくは目を丸くした。こんな暗い空間には不釣り合いに、多くの人が集っていたのだ。子どもから老人まで、みんなシャツにエプロンなど素朴な格好をしていて、おそらく町の人だ。座ったり寝そべったりしながら、壁に寄り集まっている。
心なしかみな疲れた顔をして、服はやけに汚れていた。部屋に足を踏み入れた瞬間どんよりとした視線を一斉に注がれて、ぼくは思わず後ずさった。
そこに同じく汚れた服を着た一人の青年が駆け込んできた。
「神官を見つけました!」
「よしきた!」
急きょ三人で彼の案内するところへ向かう。
そこでは何人かの男たちが誰かを引き倒し押さえつけていた。男たちの腕の下から、ぼろぼろのローブが覗き見えている。それはまさしく、今しがたぼくたちから宝玉を盗んだエヴァンスにちがいなかった。
捕まえたんだ! ほっとすると同時に、しかしぼくの目線はすぐに紫色の髪の人物に引かれた。
「シーア!」
エヴァンスを取り押さえる人々のなかで、小柄で変わった髪色の彼はあからさまに目立っている。
「なんだ無事だったのか」
そう言って、彼はそっけなくぼくを一瞥した。しかしクールな青紫の瞳に明らかに安堵の色が浮かんだのを、ぼくは見逃さなかった。
「くそ……。あいつらと仲間だったのか」
みんなに地面に伏せられたエヴァンスは、悪態をついていた。
「神官のくせに盗みを働くなど言語道断です」
アーサーはそう言うと、エヴァンスの手を踏みつけつつ宝玉を取り上げた。
「これがアトラス神殿の宝玉ですか。このエメラルドのような輝き、なんと美しい!」
彼が宝玉に見とれる姿がさっきのエヴァンスと重なって、ぼくは苦笑した。
「一体どうなっているの?」
「タレスに向かっているとき、途中でこの洞穴の地下にいた町の人たちに助けを求められたんだ。町にレイスが現れて、ひと月も前からここに身を隠しているらしい。エヴァンスも一緒に隠れていたはずだったんだが、いつの間にか姿を消していてな……まさかこんな事態になっていたとは」
彼によればこの洞穴の外はレイスに見張られていて、身動きが取れないらしい。
取るもの取りあえず洞穴に逃げ込んだ彼らだったが、当然ながら次第に物は不足し、体力も消耗してきた。町の者と共に逃げ込んだ司祭と神官たちは、意を決して食料を取りに行ったり、他の町に助けを求めに行ったりしたが、結局そのまま戻らなかった。それに続いた幾人かの町人も同様だった。
そして、洞穴を守るため最後まで残されたのが、末席の神官エヴァンスだった。彼は最初快くリュクルゴスたちを迎えたが、宝玉の話を聞き魔がさしたのだろう。洞穴の地下から穴を掘り、遺跡に潜り込んだというわけだ。
彼の言葉に違和感を覚えつつ、ぼくはうなずいた。どうもおかしい。ぼくたちが着いたとき、タレスの町は普通の様子だったはずだけれど。いや、言われてみれば確かに、異様に静かだったっけ。でも神殿には普通に司祭がいたし、レイスには出会わなかった。とても「見張られている」なんて状況ではなかったはずだ。
ぼくが考えている間にも、彼は話し続けていた。
「……それで、アーサーがレイスを追い払おうと頑張ってはいるんだが、これがなかなか手に負えない。外に伝えようにも、レイスたちが見張っているらしいしな。かといって町の者を放って遺跡に行くわけにもいかず……」
リュクルゴスは口ごもった。彼の後ろには、すがるようにこちらを見つめる町の人たちの姿があった。放っておけない、というよりは、行かせてくれない、というほうが正しそうだ。町の人たちに負けず劣らず困ぱいした様子の彼を見て、ぼくは同情心すら湧いてきた。
「魔法でやっつけたらいいんじゃない? 神さまの力を借りる魔法はよく効くんでしょ」
エヴァンスの魔法で次々と崩れ落ちていくレイスを思い出しながら、ぼくは言った。
「そういうわけにはまいりません。彼らは真っ当に死ぬこともできず苦しんでいるんです。確かに魔法で強引に彼らを消滅させることはできますが、これ以上彼らを苦しめることは、わたしにはできません」
アーサーのぴしりとした声がとんだ。消滅という言葉に、ぼくは冷や水を浴びせられる思いがした。そういうことだったのか。ためらいもなく魔法で倒していたエヴァンスに、また、それに感謝していた自分にぞっとした。
「じゃあどうするっていうの」
「今それを考えているんです」
絶望的な内容とは裏腹に妙に堂々としたアーサーのせりふに、どこからかため息が漏れるのが聞こえた。ぼくもため息を吐きたい気分だ。とはいえ、遺跡の戦いでレイスの苦悶の表情を見てしまったぼくは、魔法で倒したくないという彼の気持ちには同感だった。
「それで、おまえたちはどうやってレイスの目を盗んで来たんだ?」
冷静な口調ながらも明らかに期待を隠せないでいるリュクルゴスの質問に、ぼくは困惑した。
「どうやってもなにも、普通に……」
口を開きかけたとき、みんなの叫び声が聞こえた。
「あいつ!」
数メートル先に薄茶色のローブがはためいていた。取り押さえられていたエヴァンスが逃げ出したのだ。すでに大勢の人が彼を追いかけていたが、ぼくもたまらず駆け出した。
エヴァンスは迷路のようになった地下をためらいもなく駆け抜けていく。ひと月の暮らしでだいぶん構造を把握しているのだろう、やがて眼前に下りてきたものとは別の階段が現れた。地上へと続く階段だ。
「この悪党め!」
「神官のくせに俺たちを見捨てる気か!」
「逃がすな!」
まるでうさぎ狩りのように追い立てていく。ぼくは、興奮した人たちにもみくちゃにされてしまった。
そのなかで、人々を素早く掻き分けて前に躍り出た人物がいた。リュクルゴスだ。
彼は剣は抜かず、素手でエヴァンスの腕をひねり上げた。体格ではるかに彼に負けているエヴァンスは短い悲鳴を上げ、瞬く間に捕らわれる。
「やっちまえ!」
様子を見守る町の人たちのなかから、誰かが叫んだ。それを皮切りに、みんなはやいやいと賛同し始めた。
「ちょ、ちょっと。そこまで言わなくても……」
ぼくは、避難生活で随分気が立っているらしいみんなのことが少し怖く感じ始めていた。懸命に前に歩み出ると、リュクルゴスが苦笑しつつなにかを口走るのが見えた。
――あなたが逃げ出したくなったのもわかる。
ぼくには彼がそう言ったように聞こえた。
エヴァンスはなにも答えず、うつむいた。そしてぼさぼさの髪の下から呪文が聞こえるや否や、リュクルゴスのそばに炎が沸き起こった。
「くそ……っ」
マントに火がつき、リュクルゴスはひるんだ。手が離れた隙に、エヴァンスはさらに走る。彼が階段を駆け上がろうとしたとき、同時に階段を下りてくる複数の人影が見えた。
その正体は意外な人たちだった。ぼくたちが町に来たときに話を聞いた、タレスの司祭と神官たちだったのだ。やっぱり無事だったんじゃないか。
そう思いつつ、葬列のようにしずしずと下りてくるさまに、ぼくはふと寒気がした。なにかが変だ。
エヴァンスは逃げるのも忘れ、裂けるほど目を見開いて青ざめていた。




