第五十四話 さまよえる魂
地下に下りるための方法を探す。しかしそれは、意外にもあっさりと見つかった。
「ここになにかあるぜ」
シーアが壁に小さな隠し扉を見つけた。それを開けると、なかにはハンドルのようなものがある。
円形をした床には、中心から外側に向けて放射状に線が引かれていて、ちょうどオレンジの断面のような模様になっていた。シーアがハンドルを回転させると、その床が模様の線に沿って割れ、機械的な音を立てて回転しながら沈んでいく。そうして地下へと続くらせん階段となった。
「すげえな……」
エレベータもあったくらいだから、テラスティアの人たちにとってこんな仕掛けを作るのは簡単なことだっただろう。遺跡の仕掛けを初めて見たシーアは、率直に感嘆の声を漏らした。
しかしその仕掛けは、ぼくにとって新たな不安を生み出した。入り口に二人の馬があったから、てっきりここにいるものだとばかり思っていたのに。仕掛けが動いていなかったということは、リュクルゴスたちは明らかにこの場所を訪れていないことになる。
「ここには来てないみたいだね。町に戻ろうか」
「宝玉だけでも探してみたらどうだ?」
シーアはそう言って松明で階段を照らした。先は真っ暗で、ほんの数段先しか見えない。
そうだ、リュクルゴスたちを探すのも大事だけど、ルイーズを助けるには早く宝玉を集めなくちゃ。彼らがまだここの宝玉を回収していないのなら、ぼくがやるしかない。目の前の暗闇を見て心が折れそうになるのを、ぼくはなんとか奮い立たせた。
「わかった、そうするよ。シーアはここで待……」
「何度も言わせんなよ。仲間と合流するまでだって言ってるだろ」
シーアは呆れたようにつぶやいて、ためらいなく階段を下りていった。
「あ、待ってよ!」
三十段ほど下ったところで底までたどり着く。暗闇に目が慣れてくると、そこが巨大な空間であることがわかった。地上よりもすこし涼しいような気がする。
シーアが、手に持った松明で辺りを確認する。床は黒光りしたタイルが張られていて、左右にはエキゾチックな模様の描かれた柱がずらりと並んでいる。その無機質な光景に、ぼくは思わず鳥肌が立った。
ぱっと見ただけでもアイオロス神殿の地下とはずいぶんと様相が異なるのがわかる。自分の息さえもうるさく感じる静けさに、妙に緊張してしまう。
「行くよ……」
「ああ……」
しかし、どちらも一歩も動かない。松明の火の揺れる音だけが虚しく響く。
「なんで行かないの? まさかビビってるんじゃ」
「そ、そんなわけねえだろ。お前が『行くよ』って言ったから先に行くと思ったんだよ」
「嘘……ひっ」
暗闇に目を凝らしていたぼくは、奇妙なものを見つけて呻き声を上げた。
「な、なんだよ変な声出して」
かちんこちんに体を強ばらせたシーアが、苛立ち混じりに尋ねる。
「あれ……」
ぼくは目を疑った。暗闇のなかに、ふっと人影が見えたのだ。ぼくの指差した方向を見て、シーアも絶句する。その人影に足はなく、体は奇妙に透き通っていた。
そしてねずみのように柱の間をすばやく動き回りながら、みるみる大きくなり、気づいたときにはシーアに飛びかかっていた。
「シーア!」
そいつは透き通った手でシーアの首を絞めつけた。シーアは引き剥がそうと抵抗するが、不思議なことに伸ばされたシーアの指は自身の首に触れるだけで、人影には触れることができない。松明も振り回すが、そいつには火をつけることさえかなわなかった。
ぼくははっと我に帰り、剣を抜いた。しかし切りつけても突き刺しても、透き通った体をしたそいつには、まるで効果がない。空気を切っているかのようだ。それに、下手をしたらシーアに当たってしまいそうだ。
口が左右に大きく裂け、不気味な笑い声が響く。苦しむシーアを前にして、ぼくにはなす術がなかった。
そのとき、どこからか呪文のような声が聞こえた。するとたちまち影はぞっとするような声を上げて苦しみだし、蒼い炎を噴き上げて消えてしまった。なにが起こったのかわからないでいるぼくたちに、今度は引きずるような足音が近づいてくる。
寒気がするのに、妙な汗をかく。剣の柄を握る手にひときわ強く力を込めたとき、松明の光にぼろぼろの茶色いローブを着た小柄な男が照らし出された。
「危ないところでしたね。レイスに普通の剣はききませんよ。神の力を借りた魔法でないと」
そう言って、屈託なく笑う。ぼくは肩の力が抜けるのを感じた。
「あなたは?」
「わたしはタレスの神官です。エヴァンスといいます」
エヴァンスと名乗った彼は、フードをとった。歳は四十歳くらい、髪はぼさぼさで、あご全体に焦げ茶色の無精ひげを生やしている。神官だというのに、おせじにも綺麗とは言えない身なりをしていた。
「近頃レイスが町によく現れるんです。わたしはその原因がどうもこの神殿にあるのではないかと思い、調査に来たのです」
彼の言う「レイス」とはあの透き通った人影のことらしい。報われぬ魂が魔界に引きずり込まれると、あのような姿になってしまうのだそうだ。モンスターでも魔物でもなく、早い話が幽霊だ。ぼくはぞっとした。
「それで、あなたたちは?」
ぼくは彼に、リュクルゴスたちを探していることや、彼らが見つからないので先に宝玉を回収しようとしていることについて話そうとした。しかしシーアは待ったをかけるように、ぼくの言葉を遮って言った。
「お前はどうやって入ってきたんだ?」
思いもかけない言葉に、ぼくはどきりとした。入り口のらせん階段は動いていなかった。だからこそ、リュクルゴスたちがここに来ていないことがわかったんだ。エヴァンスはぼくたちより先にここにいたようだが、一体どうやって入ったというのか。
固唾を呑んで見守っていると、エヴァンスは口ごもった。
「いえ、それは……。とにかく、一緒に奥まで行ってみませんか? まだほんの一部しか探索していないんです」
ぼくはシーアと顔を見合わせた。なんだか怪しい。とはいえ、これ以上追求してもどうしようもない。仕方なく、ぼくたちは彼と行動を共にすることにした。
ぼくたちは話しながら柱の間を進んでいき、部屋の最奥部まで来た。壁に、床同様黒光りしている扉がある。
「鍵がかかっていますね」
エヴァンスが扉を調べたが、それは予想通りの結果だった。
扉の横には小さな四角い穴があり、そのなかに金色の小さな鍵が置かれていたのだ。ただし、穴には鉄格子がはまっていて、手が入らない。そして横に、ぴんとはね上がったレバーがついていた。いかにもこれを引き下げれば鉄格子が開くと言わんばかりだ。
「そんなばかなことってあるか?」
シーアが呆れた声を出した。確かに鉄格子で塞いでおきながら、すぐ横に開けるためのレバーがあるというのも変な話だ。
「とりあえず試してみようよ」
「気をつけてくださいね」
ぼくはこんなものになにを気をつけるんだと思いながらも、レバーを引き下げた。
その瞬間、ガタンという音がした。それは鍵の入った穴からではなく、ぼくたちの頭上から響いた音だった。何事かと思って見上げると、体がぐらりと傾いた気がした。いや、ぼくの体が傾いたのではなく、目の前の柱が傾いたのだ!
妙にスローモーションに見えたかと思うと、柱はあっという間にぼくたちのほうへ倒れてきた。本能的に体が横に動く。そしてものすごい振動がしたあと、ぼくがさっきまで立っていたところに巨大な柱が盛大に倒れ込んだ。
「だ、大胆な仕掛けだな……」
シーアが、倒れた柱とぼくとを見比べながら言った。
「やだなあ、ビビっちゃって。ははっ、はっ……」
ぼくは強がってみたが、驚きすぎて尻餅をついたまま動けなかった。
「どうです? もう一回引いてみますか?」
一度下げたレバーは再び自動的に上がっていた。しかし、ぼくは全力で首を振った。これ以上はこりごりだ。
「いやちょっと待て」
シーアがレバーの取っ手を握ったので、ぼくは焦った。
「いやいや、それはもうやめようってば」
しかし、シーアは予想外の行動に出た。下に引くように見えたレバーを、回転させたのだ。すると、いとも簡単に鉄格子が開いてしまった。
「行くぜ」
そうクールに言い放つと、シーアは鍵を取った。
ぼくは立ち上がろうとして、あることに気がついた。
「ちょっと手を貸してくれる? 腰が抜けた……」
扉を開けても、通るためのスペースは半分くらいしかなかった。入り口の上部が石のようなものでみっちりと埋め固められていたのだ。
「なんだこりゃ」
シーアが小突いてみるが、コンコンと固い音がするだけだ。その奥は一直線の長い廊下になっていた。仕方なく、身をかがめて通る。
廊下に出たぼくは、石の正体が気になり、後ろを振り返った。そして、松明の薄明かりに浮かび上がるそいつを見て、戦慄した。
それは、いわゆる泥人形というやつだった。ぼくの背丈の倍ほどもある大きさで、頭を天井につっかえさせながら、壁全体にどっしりとおさまっている。扉はちょうどこいつの両足の間をくぐるような形になっていた。要するに入り口を塞いでいたのはこいつの――股ぐらだったのだ。
ぼくにつられて後ろを振り返った二人も、言葉を失った。シーアはゴーレムを叩いた拳を見た。
当然ながら生きてはいない。しかし、はっきり言って嫌な予感しかしなかった。
なんの装飾もない人型だったが、胸に緑色の宝石のようなものがはまっている。それを見て、エヴァンスが緊張をはらんだ声で言った。
「そういえば、聞いたことがあります。ゴーレムは胸の宝石が動力なのだと」
それを聞いて、シーアはぼくに松明を預けると、弓を用意し始めた。
ぼくは目を見開いた。
「ま、まさか弓で宝石を壊すつもり?」
「動き出す前にやっつけといたほうがいいだろ」
動き出す、という言葉にぼくはぞっとした。
まっすぐに矢が放たれる。この暗さにもかかわらず、シーアは見事に胸の宝石を打ち抜いた。宝石は音を立てて割れた。しかしゴーレムはただ突っ立っているだけで、なんの変化も起こらない。
「あれ?」
「ほっといて行こうぜ」
ぼくたちは背後を確認しつつ、おっかなびっくり進んでいった。
そうして、もうひとつの扉を開ける。
扉の先はかなり広く、人工的な洞窟になっていた。だれもいないのに、あちらこちらに松明が灯っていて、ここは明るい。
そして部屋の真ん中には階段があり、その上にはアイオロス神殿で見たものと同じ、祠があった。
「やった……!」
「思ったより簡単だったな」
その後部屋中をくまなく探索してみたが、真ん中の階段以外は普通の洞窟で、特に変わったものはなかった。当然、リュクルゴスたちも見当たらない。
レイスと戦って疲れていたし、宝玉を取ったあとはなにが起こるかわからないので、ぼくたちは祠に入る前にすこし休憩することにした。
地下の水脈と繋がっているのだろう、部屋の隅には川が流れていた。ぼくはそこで水を飲み、持ってきていた水筒にも汲んだ。