第五十三話 滅びの町
ぼくたちが神殿の扉に手をかけたとき、入れ替わりにキリエさんが入ってきた。
彼はぼくたちが治療してもらっている間にも、何度も様子を見に来てくれていた。このあと討伐隊の駐屯地にあいさつに行こうと思っていたけれど、ちょうどよかったと思った。
「もう発つのか?」
彼はぼくたちの大荷物を見て、目を丸くした。
「はい。いろいろとお世話になりました」
「ふむ」
せっかく別れのあいさつをしようとしているというのに、キリエさんは聞いていないばかりか、難しい顔でシーアを眺めていた。突然視線を向けられて、シーアは困惑顔だ。
そして彼は神官の一人に何事かを伝えると、シーアだけを別の部屋へと招く。相手が同胞であるキリエさんだからか、シーアは戸惑いながらもついていった。
ぼくはぽつんと広間に残されてしまった。彼らのことだから大丈夫だとは思うけど、ちょっと不安だ。
「シーア、なに、その髪……!」
「うるせー」
二十分ほど経って戻ってきたシーアは、ぼくの予想を超えて大変なことになっていた。なにも怪我をしたわけじゃない。あの銀色の髪が、見事に染まっていたのだ。聞けばエルフはみな銀色の髪をしているらしく、キリエさんも黒く染めているそうだ。どうりで妙に光沢のある色だと思った。
彼はシーアの髪が町で目立ってしまうことを気にしていたのだ。エルフが銀髪だということはアイオリアでは有名ではないが、目立てばそのぶん厄介事も増えてしまう。と、そこまではいいのだが。
「黒く染めようと思ったんだが、あまりに見事な銀髪だったのでうまく染まらなかった。すまない」
彼は極力申し訳なさそうにふるまっていたが、口元が笑っていた。ぼくの横には、見慣れない紫色の髪をした少年が不機嫌そうに立っていた。
「行くぞ!」
シーアはとっとと神殿から出ていってしまった。キリエさんは悪びれるのも忘れて、腹を抱えて大笑いだ。
「ははは、は。髪を染めたりなんかせず、安心して暮らせる日が来たらいいな」
彼が笑いながら何気なく呟いた言葉は、ぼくの心に重く響いた。
ふと、ルイーズの優しそうな顔が浮かんだ。きっといつか、彼女がそんな国にしてくれるだろう。
――あなたがこの国の王よ。
そんな声が聞こえる。ちがう。それをするのはぼくじゃない。
「エンノイア?」
急に黙り込んだぼくを、キリエさんが心配そうにのぞき込んだ。
「あ、すみません。それじゃ、ほんとにありがとうございました」
「うん。達者でな」
「あなたも」
ぼくは今度こそキリエさんに別れを告げて、神殿をあとにした。
「シーア、待ってよ!」
シーアは振り返ることもなくずんずん歩いていった。白い町並みに紫色の頭が消えていく。あれじゃかえって目立つんじゃないか? まあ誰もエルフとは思わないだろうけど。
それでも髪の綺麗さは相変わらずで、なんだかエキゾチックな雰囲気になっていた。紫がかった瞳ともマッチしているし。うん、よく見れば悪くないかもしれない。
町の門をくぐると、司祭が用意してくれたらしい月毛の馬がつながれていた。シーアが前に乗り、ぼくはうしろに乗る。シーアが腹を蹴ると、馬はゆっくりと走り出した。
やわらかな風に長い髪が揺れる。この町に着いたときはまさかシーアと出発することになるとは思わなかった。この世界に来てシーアに会って、都に着いて、ルイーズがさらわれて、リュクルゴスたちと旅をすることになって、あの暴漢たちと戦って。思いもかけないことばかりだった。
決していい方向に転がってきたわけじゃない。けれどこのときばかりは、ぼくは不思議な運命のめぐり合わせに、心から感謝した。
「えへへ。嬉しいな」
「な、なんだよ気持ちわりぃな」
ぼくが背後で突然笑ったので、シーアは心底気持ち悪そうにした。
「気持ち悪いって。誰が助けたと思ってるの?」
「助けたのはキリエだろ」
素直じゃない物言いに、ぼくは口を尖らせた。
「あーあ。森に置いてくればよかった」
「じゃあタレスまで歩いていけよ」
言葉が出なくなったぼくに、シーアはにやりと笑う。
――あれ、シーアってこういう性格だったっけ?
憎まれ口を叩く彼の横顔は、不思議と楽しそうに見えた。
それから二日ほど。馬で走るにつれて、あたりは山がちな景色になってきた。起伏が激しく、ごつごつとした岩肌がむき出しだ。洞穴のようなものが見えるが、そのなかのいくつかは奇妙に角ばっていたり、規則的な間隔に並んでいたりして、妙に人工的だ。
これに似たものをいつかテレビで見た気がする。そう確か、岩をくり抜いて、なかに人が住んでいるのだ。そんなことを考えながらその場を通り過ぎかけたとき、穴のなかからなにか物音が聞こえた気がした。
「もしかしてだれかいるんじゃない?」
馬を下りて覗いてみるが、穴のなかには人っ子ひとり見当たらない。
「だれかいますかー?」
声をかけてみても誰も返事をしない。
「確かに音がしたんだけどなぁ」
「風の通り抜ける音だろ。早く行こうぜ」
シーアは露骨に顔をしかめ、逃げるように足を早めた。
しばらくして、ぼくたちはタレスの町にたどり着いた。もしかしたらリュクルゴスたちはもう宝玉を手に入れ、次のところに向かったかもしれないが、どちらにせよ神殿には立ち寄ったはずだ。
タレスの町は山の斜面にへばりつくようにしてつくられていた。
「やけに静かな町だな」
「まだ朝の早い時間だからかな?」
見た目にはキッソスと同程度の規模の町だというのに、シーアの言うとおり、人影は全く見当たらなかった。ぼくたちは散策もほどほどに、山頂にあるタレスの神殿に向かった。
このぶんだと神殿にも誰もいないのではないかと不安になったが、神殿にはちゃんと神官たちがいて、司祭がぼくたちを出迎えてくれた。司祭の顔はフードですっぽりと覆われていて、顔色が悪く、彼には悪いがどことなく陰気な印象のする人物だった。見ただけで人を安心させるようなキッソスの司祭とは大違いだ。そしてリュクルゴスたちの所在を尋ねたぼくたちに告げられたのは、予想外の言葉だった。
「そのような方はお見えになっていません」
彼らと別れてから一週間以上が経つというのに、普通に馬を進めていればタレスにたどり着いていないわけがないのだが――。
「途中でなにかあったのかな……」
ぼくの胸に不安がよぎった。
「町のまわりにある洞穴はなんなんだ?」
シーアが尋ねる。
「テラスティア時代の住居ですよ。このあたりは山が多いので、あのような住み方をしたようです」
やっぱりあれは家だったんだ。でもまさか、千年も前のものだったなんて。
「今も住んでいるわけじゃないよね?」
「なぜですか?」
「あの、音が、したような、気がして……」
司祭の表情が読めないので、なんとなく言いよどんでしまう。
「それは風の音でしょう」
司祭はシーアと同じことを言った。
とにもかくにも、ぼくの頭はリュクルゴスたちのことでいっぱいだった。もしかするとどこかですれちがったのかもしれない。地図によると、次の宝玉のある神殿はどうやら先ほどの洞穴住居のあたりにあるらしい。なぜ神殿に寄らなかったのかはわからないが、もしリュクルゴスたちがすでに宝玉を手に入れていれば、そこになにか手がかりがあるかもしれない。
神殿を出てから町の外に歩き出そうとするぼくの横に、シーアが馬で駆けてきた。
「なにやってんだ。早く乗れよ」
「え、シーアも探してくれるの?」
「当たり前だろ。そいつらが見つからないと帰れないからな」
確かにシーアはぼくと一緒に来るのを「仲間と合流するまで」と言っていたけど、律儀というかなんというか。ともかく、ぼくたちは一緒にテラスティアの神殿に向かうことになった。
「地図によるとこのへんみたいなんだけどな……」
地図には神殿の詳しい場所はかかれていない。一応付近を拡大した別の地図ももらってはいるが、それでも茶色く塗られた山のイラストの下にバツ印がつけられているだけだ。
崖に沿って歩いてみるが、それらしきものは見当たらなかった。あたりにはやはり司祭の言っていた「洞穴住居」があるばかりだ。
「これはきっと市場の跡だね」
窓のようにくり抜いた穴が一列に並んでいる。かなり風化しているが、窓の外側にはカウンターのような出っ張りが残っているものもある。そこから顔を出して売る姿がありありと想像できた。
横目で覗くと、今の穴のなかはしんとしている。暗闇から誰かがひょっこり顔を出すのではないかと思ったが、もちろんそんなことは起こらなかった。
そのとき、ぼくたちの乗った馬が急に騒ぎ出した。首で手綱をぐいぐいと引っ張り、どこかへ連れていきたがっている様子だ。シーアははっとした顔になると、馬を自由に走らせた。
馬の向かった先は、ひときわ巨大な洞穴だった。これは自然にできたもののようだ。
「リュクルゴスたちの馬だ!」
ぼくは洞穴のなかに二頭の馬を見つけた。おそらく茶色いほうはリュクルゴスの馬、白いほうはアーサーの馬だ。地面に座り込んで、ずいぶん衰弱しているように見える。
「一体なにがあったんだろ……」
「こいつら腹が減ってるらしいぜ。一週間くらい放置されてるみたいだ」
何気なくつぶやくとシーアから答えが返ってきたので、ぼくは驚いた。見れば彼はリュクルゴスの馬をなでている。そういえばエルフは動物と話せるんだっけ。
「動物と話すのってどんな気持ち? 何語で話してるの?」
「いや話すっていうか、意思が伝わってくるって感じで……」
シーアが突然口を閉じ、意味深な目で馬を見る。そしてその馬たちはある一点を見つめていた。彼らの視線をたどり、ぼくは目を見開いた。
「神殿だ!」
真っ暗で、目を凝らさなければ見えないが、確かに三角屋根と複数の柱がある。それは、奥まった岩壁に半分食い込むようにして建つ、テラスティアの神殿にちがいなかった。
どんなに周りが風化していても、神殿の白い輝きだけは失われてはいない。ぼくたちは草の模様の彫り込まれた重い扉を開けた。
そっと足を踏み入れると、なかは円筒形の小部屋になっていて、ぼくが知っている神殿そのものだ。わかりにくい場所にあるせいだろう、こちらの神殿は荒らされていないようだ。
「テラスティア時代の神殿、か。こんなものが、残っていたんだな……」
シーアは目を見開き、感慨深げにつぶやいた。
曲線を描いた壁には、前はアイオロスらしき鳥が描かれていたが、今度は腰巻きだけを纏ったたくましい男性が描かれている。これも神さまの一人だろうか。
ぼくは不謹慎にもちょっと噴き出した。その人は奇妙なポーズをとっていて、まるでなにか荷物を抱えているような格好に見える。しかし、その手にはなにも載っていないのだ。
「変な神さま」
ぼくが絵をじいっと眺めていると、シーアが隣に来て口を開いた。
「アトラス、土の神か。自らが柱となり天上を支えていると言われてるな」
「ええっ。天上って、空ってこと?」
「ああ」
「一人で?」
「ああ」
「重くないの?」
「さあ」
「トイレに行くときはどうするの?」
「本人に聞けよ」
なぜか呆れられたので、ぼくは話題を変えることにした。
「シーアも神さまに詳しいんだね。アーサーみたい」
「アーサーって誰だよ」
それから、シーアの顔がすこし曇った。
「小さい頃に聞いた気がするんだ」
切なげな言い方に、ぼくははっとした。誰から、とは言わなかったが、おそらく両親に聞いたのだろう――今や生死さえわからない両親に。
都に着いたときシーアがテラスティアについて語っていたのを思い出した。あれも、両親から教えてもらったことなのかもしれない。
「こんなとこにほんとにその宝玉とやらがあんのか?」
シーアは困惑しているようだった。それもそのはず、広間はどう見ても行き止まりだ。
「うん、前もそうだったんだ。行き止まりに見えたけど、本当は地下に続いていて」
前の神殿のようなエレベータはない。とすれば、地下に降りるための別の方法があるのだろうか。