第五十話 君のために
「ガキどもが……なめたまねしやがって」
草むらから現れた足音の主は、バンダナの男だった。ひじから木の枝を生やした左腕は、血を流し、力なく垂れている。
男は背負っていた大剣を抜くと、いきなりシーアに向けて振り下ろした。シーアは頬をわずかに切られただけで、すばやい動きで身をかわす。行き場を失った刃の先が地面に突き刺さった。
ぼくにもシーアにも、緊張が走った。金縛りにでもあったかのように、男を見つめたまましばらく動けない。
怒りにかられて、もはや宝のことなど頭から消えてしまったのだろう。凶悪な印象は同じだが、さっきまでの男がまとっていたそれとは雰囲気がちがう。地面から乱暴に剣を引き抜き、顔を上げた男の目は、明らかに殺気に満ちていた。
「そ、そっちが先に襲ってきたくせに」
「そんな理屈が通じる相手じゃないぜ」
言い返そうとするぼくを静かに諌め、シーアは腰にさした短剣を抜いた。
「戦うなんて無茶だよ!」
「どこに逃げても一緒さ。俺はどうせ……」
シーアはそれ以上言わなかった。残雪のように瞳を縁どるまつ毛が、寂しげに揺れていた。
「お前は逃げろ。これはお前には関係のないことだ」
この期に及んでもそんなことを言う彼に、ぼくはむっとした。ぼくは剣を抜き、シーアの隣に立った。
「言ったでしょ、君を助けたいって。ぼくは裏切らないってことを、証明してみせるよ」
シーアは何度もぼくを助けてくれた。今度はぼくが助ける番だ。ぼくになにができるかわからないけれど、ここで逃げるような卑怯者にはなりたくなかった。
そして、絶対に裏切らない人間もいるんだって、絶対に崩れない友情もあるんだって、身をもってシーアに示したかった。
そしてぼくはひとつの賭けに出た。
「ぼくがこいつをやっつけたら、一緒に来てくれる?」
シーアは無言だった。驚いているのか、怒っているのかわからない。ただ、彼の心に静かな炎がともったのだけは感じた。
ぼくは駆け出し、男に斬りかかった。
「なんだあ? それでも剣のつもりか?」
男はなんでもないことのようにぼくの剣を受け止めた。森のなかに金属音が響き、驚いた鳥たちが一斉に飛び立つ。
ぼくは交わった剣を右にスライドさせながら飛び退き、さらにもう一度斬りかかった。
後ろでシーアが息を呑む気配がした。いつの間にそんなことができるようになったんだ――そう言われたような気がした。
本当はぼくにこんなことできるはずがない。剣なんてこの前リュクルゴスに教えてもらったばかりで、数えるほどしか握ったことがない。でも、やるしかないんだ。その思いだけが、ぼくを突き動かしていた。
再び剣が交わる。男は細身な外見のわりに怪力で、剣ごと弾き飛ばされそうだ。刃の向こうから、強引に力で押してくる。
剣の背が当たる。そう思うくらいのけぞったとき、男がかすかに笑ったような気がした。
途端、向こうの力がふっと抜けた。全力で押し返していたぼくは、勢い余って転びそうになった。
「しまっ……」
すきを見せたぼくに、男の影が覆いかぶさる。
――やっぱり今のぼくじゃ、力不足だ。ただでさえいつもリュクルゴスたちに助けられてばかりなのに。だれかを助けたいだなんて、とんだ思い上がりだ。
ぼくの一瞬の後悔を打ち破ったのは、シーアの短剣だった。
気づけば頭上で長さのちがう二本の剣が交わっている。二人の剣の大きさにはあまりにも差があるので今にも押し切られそうだが、シーアはもう片方の手で男の腰から剣を抜き、男の腹に突き出した。男は跳ぶようにしてそれを避ける。
ぼくは首を振った。
――あきらめるのはまだ早い。
ぼくは立ち上がり、すかさず一撃を加えた。すでに負傷している左腕を斬られ、男はかすかなうめき声を上げる。しかしすぐさま態勢を立て直し、ぼくやシーアに斬りかかる。
シーアは元々持っていた短剣と、男から奪った長剣で応戦していた。攻撃を短剣で受け流しながら、長剣を繰り出す。
一方男は半狂乱で剣を振り回していた。その動きはめちゃくちゃとはいえ馬鹿力で、当たったらひとたまりもないことは容易に想像がついた。
ぼくは、シーアの隣に立ち男の脇腹を狙う。しかし暴れる男にはうまく当たらず、シャツをわずかに赤く染めるだけで、致命傷には至らない。
ぼくはシーアがかなり消耗していることに気がついていた。度重なる襲撃に、彼も限界が近づいているのだろう。息は荒く、足どりもおぼつかなくなってきている。それでもシーアの剣さばきはなかなか巧みなもので、男の刃は当たりそうで当たらない。
「しぶといやつめ。決着をつけてやる」
男はじれったそうに舌打ちすると、シーアに向けて大きく剣を振りかぶった。
シーアはとっさに長剣と短剣を顔の前で交差させ、攻撃を防いだ。その動きにまちがいはなかったはずだ。
それでも、男の怪力の前には踏みとどまることができなかった。
激しい音とともに、彼の身体は軽々と弾き飛ばされ、木に激突した。そして力なくその場にうなだれた。
「シーア!」
ぼくはすばやくシーアに駆け寄った。身動きひとつしない。そしてぼくの身には、ゆっくりゆっくりと、足音が迫っていた。
「お前も死にてぇか」
声に振り返ると、男が近づいてきていた。
足の震えが止まらない。それでも絶対にこの場を動くわけにはいかなかった。
――これ以上、ぼくの大事な友達を、この哀れな種族を、傷つけさせてたまるものか。
戦法なんて知らない。シーアもかなわなかったやつにぼくが勝てる可能性なんて、万にひとつもあるはずがない。
わかっているのに、ぼくの腕は自然に剣を構えていた。