第四十九話 友達
デュークがぼくの前を飛んでいく。シーアの後ろ姿は見失ってしまったが、デュークが道案内してくれているような気がした。
「うわっ」
ふいに脇の草むらから四、五匹のトリプスが飛び出してきた。ぼくには目もくれず、みな同じ方向に走り去っていく。
「な、なんなの一体」
ぼくはトリプスが出てきた方向に足を踏み入れた。話し声が聞こえ、木の後ろに身を隠す。
あの男たちだ。バンダナから長いもみあげの出た男と、スキンヘッドの男が立っている。
そして、彼らの前にはシーアがいる。木の下に追い詰められていて、弓は地面に投げ捨てられ、矢はめちゃくちゃに折られていた。
「いいか、これが最後だぞ。宝のありかを吐け!」
シーアは男たちをにらんだまま、動かない。
バンダナの男はシーアにつかみかかった。片手で胸ぐらをつかみ、もう片方の手で顔面を殴る。シーアは人形のように軽々と吹き飛んだ。
「吐けっつってんだろうがあ!」
倒れた彼にスキンヘッドの男がさらに二、三発蹴りを入れる。そして木に激しく叩きつけると、シーアの首に手を当てた。
「言わないと……」
じわじわと首に回された指に力が込められていく。しかしシーアはぐっと歯を食いしばり、なにも話そうとはしなかった。
「こ、のやろう……!」
男がカッと上気するのが遠目にもわかった。その手に一気に力が入ったようだ。
――やめろ。
シーアの苦悶の声が聞こえたとき、ぼくのなかでなにかが弾けていた。
「やめろおぉぉ!」
ぼくは気がつくと声の限り叫んで、剣を抜いて男の脇腹に突き立てていた。男は短い叫び声をあげて地面に突っ伏す。手から解放されたシーアが激しく咳き込む。
「なんだこのガキは!」
バンダナの男が大剣を抜いた。
「やめろやめろやめろやめろおぉぉ!」
生々しい感触にぞっとしながらも剣を引きぬき、めちゃくちゃに振り回すと、耳に剣の転がる音と男の叫び声が響いた。しかしぼくの持つ剣にはなんの手応えもない。
いつの間にか男の腕には矢が刺さっていた。いや、よく見ればそれは矢ではなく、木の枝だ。肘の関節あたりに刺さっているため、かなり痛いようだ。ぼくのことなどそっちのけで、肘を押さえて悶えている。
振り返ると、弓を構えたシーアがいた。ぼくがなにかを言う前に、彼は舌打ちしてぼくの腕を引いた。
「ちょ、シーア!」
傷を負った男たちが追いかけてくる様子はない。しかしシーアは、ぼくの腕をつかんだまま逃げ続けた。足がもつれそうになりながら、ぼくたちは無我夢中で森のなかを走った。
川のそばまで来たところで、ようやく手を離された。とりあえずは逃げ切れたようだ。
ひとしきり息をつくと、シーアが食いかからんばかりの勢いでぼくにつかみかかる。せっかくさっき拭いたというのに、また痛々しく口から血を流していた。
「お前も、エルフの宝が欲しいのか」
「ち、ちがうよ。君がエルフだなんて知らなかったし、宝の話なんて聞いたこともない」
シーアは吐き捨てるように言った。
「なら、なぜついてきた!」
息が詰まりそうになりながら、必死に声を絞り出す。
「そりゃ、心配だったから……」
シーアは鼻で笑った。
「心配? ついこの前知り合ったばかりなのに? 俺がどうなったって、お前には関係ないだろ」
「確かにそうだけど、あの旅でシーアには何度も助けられた。今度はぼくが君を助けたいんだ」
「なっ……なんで簡単にそんなことが言えるんだよ」
ぼくは畳み掛けるように、きっぱりと言った。
「だって、友達じゃないか」
言うやいなや、シーアは後ろにひっくり返ってしまった。そして「あー」とか「うー」とか唸りながら、頭を抱え出した。
「だ、大丈夫? まだ具合が悪いんじゃ……」
シーアはよろよろと立ち上がった。
「と、友達って、お前なあ……」
そしてあきれていたかと思うと、ふと表情を曇らせた。
「俺のこと、知りもしないくせに……」
ぼくはむっとしてシーアの肩をつかんだ。彼はおびえるように、過剰に体を強ばらせた。
「知りもしないくせにと言うのなら、ちゃんと教えてほしい。どうしていつもそんな態度をとるのか。一体、君の人生になにがあったのか……」
青い目をじっと見つめる。
「友達って、そういうものでしょ?」
ぼくが言うと、シーアの顔はみるみる赤くなっていった。ぷいと逃げるように視線をそらし、深々とため息をつく。
「……わかったよ」
そして彼は語り始めた――彼が人間嫌いとならざるを得なかった、壮絶な過去を。
シーアたちエルフは、アイオリアの北の国、チュートニアの東に広がる森に暮らしていたのだという。
「自分で言うのもなんだが、エルフは人間より頭がいい。俺たちは人間よりずっと昔から、チュートニアの痩せた土地で農業技術を編み出し、豊かな暮らしをしていた。そしてそれをまわりの人間たちに惜しげもなく教えていた」
エルフは「宝」を持っていた。幼いシーアは一体それがなんなのか、どこに存在するのかさえ知らなかったが、エルフの長老はそれを「知恵の源」とか、「エルフの存在意義」とか呼んでいたという。
ある日、暴漢たちが村を襲撃し、人間より小柄で力も劣るエルフは、なすすべもなく制圧された。しかし宝のありかを問いただされたエルフは、みな口を揃えて「知らない」と言った。
「本当に知らなかったのか、隠していたのかはわからない。今となってはどうでもいいことだけどな」
逆上した暴漢たちは、村の男性を虐殺し、女性と子供を奴隷として売るため連れ去っていった。
「そいつら、よく見れば隣の村の人間たちだったんだ。俺たちが技術を教えた、な。おかしな話だろ」
「そんな。親切にしてあげてたのに、どうして」
シーアは冷たい笑みを浮かべた。
「チュートニアはアイオリアとはまるでちがう。土地は貧しく、戦争は絶えない。そんなとき、隣に自分たちより豊かな暮らしをして、宝を隠し持っているというやつらがいたらどう思う? 人間飢えればなんでもやるもんさ」
――人間なんてそんなもんさ。自分の利益のためなら、平気で他人を踏みにじるんだ。
それは以前、シーアが語った言葉だった。
「さんざん罵られたよ。『お前たちは宝を一人占めするのか。分け与えようという気はないのか』ってな。一体どうすれば正しかったんだろうな」
あまりにも身勝手な言葉に、絶句するしかない。
それはパーンの森の村をワイバーンから救ったとき、お前たちのせいで村を焼かれたと言われ、追い出されたのによく似ていた。
シーアは村長の息子だった。彼の父親は身を呈してシーアの母親とシーアを村の外に逃がしたが、男たちの魔の手は彼らにも容赦なく迫っていた。
途中で母親とはぐれたシーアは、あっという間に捕らえられた。そして体が小さく容姿の美しかった彼に、男たちは暴虐の限りを尽くした。
淡々と話すシーアの声が、かすかに震えはじめた。
「今でも思い出す。後にも先にも、あんな屈辱を受けたことはない」
血管が浮き出るほど強く握りしめられた拳。彼はその多くを語らなかったが、怒りと悔しさが嫌というほど伝わってきた。
「そのとき……俺は初めて人を殺した。子供だと思って油断したんだろうな。わずかなすきを見せたとき、やつらの喉笛を引き裂いてやった」
「森の入り口に倒れていた男、あれもシーアが……?」
シーアは忌々しげに舌打ちした。
「もっと痛めつけてやればよかった」
それは本心で言っている言葉だとは思えなかった。傷つけられる痛みをだれよりも知っているのは、彼自身のはずだからだ。ぼくの脳裏に、苦しみながらも生き延びるために戦う、悲痛な少年の姿が浮かんだ。
命からがら逃げ出したシーアは、アイオリアに渡った。両親の生死も、共に暮らしていたエルフたちの行方もわからない。そして今でも人を信じられないまま、いつ現れるとも知れぬ脅威におびえて森に隠れ住んでいるというわけだ。
それから六年もの歳月が流れたが、彼に平穏が訪れたわけではなかった。
「失敗した。キッソスの連中にこの耳を見られちまったんだ」
噂は広がり、あの男たち――どうやらやくざ者のトレジャーハンターらしい――を呼び寄せてしまった。
「これでわかっただろ。もう俺に関わるな。お前と俺は、ちがう世界の住人なんだよ……」
シーアはきっと過去の話をすることで、ぼくをおどかして追い払おうと思ったのだろう。しかし、ぼくの考えはちがっていた。
「それならなおさらだめだよ。そんなの心配で放っておけない」
気づけばぼくはぽろぽろと涙を流していた。シーアが一瞬驚いて、気まずそうに目をそらす。
ぼくは目の前のこの小さなエルフを抱きしめたい衝動にかられていた。大変だったね、もう怖がらなくていいんだよ、と言ってあげたい。しかしそれでは余計に彼を傷つけてしまうだろう。
どうしたら彼の闇を払ってあげられるだろうか。どうしたら彼に平和な暮らしを取り戻させてあげられるだろうか。ぼくはずっとそればかりを考えていた。
そうだ、巨鳥と戦ったとき、シーアがいたら、って考えたじゃないか。なぜ早く思いつかなかったんだろう。ぼくはひとつの最良な結論にたどりついた。
「ぼくたちと一緒に来てよ!」
ぼくはルイーズがさらわれたこと、助けるためにテラスティアの宝玉を探していることを伝えた。
シーアはしばらく目を見開いて聞いていた。
「なんだそりゃ。一緒にって、そんなこと……できるわけないだ、ろ……」
心が揺れているのか、最後のほうは消え入りそうな声だ。ぼくはチャンスとばかりにまくし立てた。
「どうして? リュクルゴスは国内屈指の軍人だし、アーサーは神官だよ。暴漢なんて近寄らせないよ。それに、ぼくたちだってシーアの弓の腕が必要なんだ」
シーアはぼくの顔を見つめたまま、長い間沈黙していたが、その表情はなんだか泣き出しそうに見えた。そして静かにうつむくと、近づいていたぼくの体を押し返した。
「……もう戻れ。王さまとやらを助けに行くんだろ」
「シーア……」
ぼくが再び口を開こうとしたとき、背後で不吉な足音が聞こえた。