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第四十八話 再会

 町に繰り出したぼくは、まず服を取り替えた。シャツはすっかり血だらけだったから、あんな格好で歩いたら町の人の注目を浴びてしまう。

 買ったのは茶色のチュニックに、ダボッとしたズボン、それにブーツだ。お店のお姉さんが適当に見繕ってくれた。

「あらあら、似合ってるわよ。かわいいわねえ」

 かっこいいって言ってほしいな。

 ズボンをブーツに押し込み、腰に剣をさすと、この世界の住人になったみたいだ。

「前の服は捨てていいかしら? それにしても、ずいぶんと変わった服ねえ」

 制服を捨てて母さんに怒られないか心配だったけど、あんなぼろのまま帰ったらもっと怒られそうだ。ぼくは結局、捨ててもらうことにした。

 この国のお金の単位はダランというらしい。ぼくは十五ダランを払って店を出た。


 昼食がてら、パンに肉を挟んだスナックをつまみながら歩いていると、一軒の民家の前にアーサーを見つけた。町のなかだと青い髪がよく目立つ。先ほどの青年と一緒だ。

 そういえば家に来てくれと言われていたっけ。興味を引かれたぼくは、二人に駆け寄った。

「ぼくもおじゃましていいですか?」

「神官さまのお弟子さんですか? いいですよ。父もきっと喜びます」

 青年はぼくがアーサーと一緒にいたのを知っているからか、快く了解してくれた。感じのいい人だ。


 今までこの国で貧富の差を感じたことはなかったけれど、この家はお世辞にも裕福とは言えなかった。まわりの民家に押し潰されるようにして建つ小さな家は、石壁にひびがはいっていて今にも崩れそうだ。

「うちは革職人をやってます。ほら、君が今履いているブーツ、それもぼくがつくったものです」

 家のなかにはなめした革や、つくりかけのブーツが乱雑に置かれている。そして、暗く狭苦しい部屋の奥にひとつのベッドが置かれていた。

「親父、アーサーさまが来てくださったよ」

「……っ」

 ぼくは思わず後ずさって、後ろにいたアーサーにぶつかった。

 声をかけられた父親は、ぼくたちの訪問を喜んではいなかった。それは――。


「これ……生きてない……よね?」

 ベッドに横たわる人物は人形のように静かだった。蝋のように凍りついた顔は、どう見ても生きた人間のそれとはかけ離れていた。

 青年は、血の通っていない男の頬を愛おしそうになでた。まるで体温を感じない。ひやりとした感触が、青年の手を通してぼくにも伝わってくるかのようだ。

「おかしいんですよ。昨日からひとことも話してくれなくて。あんなに口うるさかったのに……」

 恐怖と嫌悪感が足元から這い上がり、全身を包み込む。ぼくは今すぐこの場から逃げ出したい衝動にかられた。

 アーサーの顔を見上げると、彼は慣れた様子で、極めて冷静に言った。

「かわいそうに……。残念ですが、もう亡くなっていると思います。町の神官に手厚く葬っていただきましょう」

 青年は泣いているのか笑っているのか、うつむいて小刻みに震えだした。

「だ、大丈夫……?」

 ぼくが声をかけようとすると、突然彼はアーサーの手をとり、すがるように叫んだ。

「お願いします。魔法で父を助けてください!」

 アーサーはやっぱり、というようにため息をついた。

「あいにくそんな術は知りません。人間ひとの運命は誰にも変えられないのですよ」

「ぼくは父を蘇らせてもらえるよう、何度も祈りました。そうしたらあなたが現れたのです。これこそ神のお導き、神官さまならどうにかしてくださるんじゃないかと」

 青年はアーサーの手に額をこすりつけるようにして、何度も何度も頭を下げた。

「お願いです。父は嘘のひとつもついたことがない立派な人間です。貧しくとも弱音ひとつ吐かずにがんばってきたんです。そんな父が世の悪人たちよりも先に天に召されなければならないなんて、なにかの間違いだとしか思えません。父は……」

 青年はいかに父親が素晴らしい人間であるか、いかに生きるに値する人間であるか、語り続けた。アーサーはそんな彼の言葉を、目を閉じてじっと聞いていた。そしてゆっくりと目を開くと、ぽつりと言った。

「あなたが彼の死を受け入れられなければ、彼は悲しむでしょうね」

 青年ははっと顔を上げた。

「永遠に沈まない太陽は美しいでしょうか? 永遠に散らない花は美しいでしょうか? 死があるからこそ、生が輝く。天に召された瞬間に、彼という物語が完成したのです。見てください。ほら、安らかな顔をしているでしょう? 死を否定するということは、彼の生きた人生すべてを否定することになりますよ」

 青年はその言葉を聞き、がくりと崩れ落ちた。

「夜の帳が下りるように、木々の花が散るように、死は誰にでも訪れるのですよ。そこには生きるべき人間も、死ぬべき人間もありません。何人もその運命に抗う手段を知らず、神の御意思に従うだけです」

 アーサーの語る言葉ひとつひとつに聞き入っていた青年が、ついに涙をこぼした。

 アーサーがこんなにまじめに語るなんて。ぼくもつられて涙が止まらなかった。

「そう、神のみが……」

 アーサーはぽつりと呟いて、ぼくに町の神官を呼ぶよう伝えた。


 さっきの出来事について考えながらぼんやりと歩いていると、ある建物からやけに賑やかな声が聞こえてくるのに気がついた。扉がすこし開けられているのでなかを覗くと、どうやら酒場のようだ。

 ガラの悪そうな男たちがジョッキ片手に盛り上がっていて、むせ返るような臭いと熱気が伝わってくる。

 まったく、昼間からよく騒げるもんだ。さっきの出来事ですっかり意気消沈していたぼくには、入ってみようという気さえ起こらなかった。

 そのとき、勢いよく扉が開けられ、ぼくは思いきり弾き飛ばされた。

「いきなり開けるなんてひどいよ!」

「ああん? なんか文句あんのか」

 ぼくはろくに相手を見ずに文句を言ったことを後悔した。出てきた数人の男たちは、荒くれ者を絵に描いたようなやつらだったのだ。

 そのなかのひとりが、ぼくの首根っこをつかんだ。ひげもじゃの赤ら顔でじろりと睨みつけ、高々と持ち上げる。

「ちょ、苦し……」

「やめないか! 子供相手に」

 なかから女の人の声が飛んでくると、男はめんどくさそうに舌打ちして、ぼくを投げ捨てた。そのまま男たちはどこかへ向かっていく。ベルトに短剣を数本さして、背中には大剣と、やけに武装しているのが気になった。

 恰幅のいいおばさんがなかから出てきて、ぼくを助け起こしてくれた。あーあ、新しい服が台無しだ。

「いやだね。あいつら三日ほど前からこの町に入り浸っているんだよ。なんでも、銀髪の少年を探しているんだとか」

 銀髪の少年、という言葉にぼくはどきりとした。

「ど、どうしてその子が狙われているの?」

「さあ、そこまでは知らないね。だけど聞いた話によると、その子は弓の達人だそうだよ」

 間違いない、シーアだ。ぼくは心臓の鼓動が早まっていくのを感じた。

「それからその男の子、とってもハンサムなんだってね。ああ、もし出会ったら……」

「あの人たちがどこに向かったのか教えて!」

 話を遮られたおばさんは不満そうだったが、彼らが森へ向かったということを教えてくれた。


 町を出て、おばさんに教えられた方向に行くと、そこにはたしかに森が広がっていた。

 時刻は午後三時をまわったくらいだろうか。とはいえ、まだまだ日は高い。探索する時間はあるだろう。

 早速森に分け入ろうとすると、なにかにつまずいた。

「ひ……っ」

 ぼくは声にならない声を上げた。さっきぼくをつまみあげた男が、ひどい状態で倒れていたのだ。複数の切りつけた跡があり、首には矢が貫通していた。これが致命傷になったようだ。たぶん、もう絶命している。

 あちこちに折れた矢と血しぶきが散乱して、戦いのすさまじさを物語っていた。

「ま、まさかシーアが……?」

 そのとき、後ろから手をかけられた。

「うわあああ!」

 心臓が飛び上がるかと思った。

「お、おどかすなよ。お前の声に驚いた」

 聞き慣れた声に振り向くと、ぼく以上に驚きの表情を浮かべたリュクルゴスの姿があった。その後ろにはアーサーもいる。

「なにやってる。町に出たままなかなか帰らないから心配したぞ」

 さっきのおばさんにぼくが森へ行ったことを聞いて、心配して来てくれたらしい。

「それで……なにがあったんだ?」

 彼はぼくの顔と死体とを見比べて、困惑の色を浮かべた。たしかに、彼からしてみたらわけがわからない状況だろう。

 ぼくはかいつまんで事情を話した。追われている少年が知り合いかもしれないこと、追いかけて来てみたら男が射抜かれて死んでいたこと。

「なるほどな……。俺も神殿でこいつらの噂を耳にして、気になっていたんだ。すこし探ってみるか」


「ピピッ」

 しばらく三人で歩いていると、デュークがなにかに感づいたように飛んでいった。あとについていくと、男が死んでいた地点からそう遠くないところに、なにか光るものが見える。

 それがなんなのかをたしかめようとして近づいたとき、ぼくは絶句した。

 光っているように見えたのは、倒れている少年の髪の毛だったのだ。銀色シルバーブロンドの波打つ髪が木漏れ日を反射し、川面のように輝いていた。

 まだあどけなさの残る、端正な顔だち。どこからどう見ても、シーアにまちがいない。

 ――まさかまた会えるなんて。

 しかしぼくの胸にわいたのは、再会の喜びなどではなかった。それがシーアだとは認めたくないほど、彼の状況は悲惨なものだったからだ。

「この少年がそうなのか?」

 ぼくは無言でうなずいた。

「ひどいことを……」

 リュクルゴスが悲痛な面持ちでつぶやいた。

 顔が腫れ上がっていて、鼻や口から血が出ている。透きとおるような美しい髪はかき乱され、破れた服の隙間から、あちこち打撲しているのが見てとれた。

 さっきの男たちがやったにちがいない。シーアは非道な暴力に抵抗して、やつらのひとりを射抜いたんだろう。

「怪我はひどいですが、命に別状はありません。気絶しているだけのようです。気付け薬を飲ませておきましょう」

 アーサーが簡単に傷の具合を調べる。それから瓶を取り出すと、それを飲ませた。

 命に別状はない、という言葉に胸をなで下ろすと同時に、悔しさでいっぱいになった。

 人前で眠ることさえ警戒していた彼が、ぐったりと他人に体を預けている。その姿が、妙に痛々しく感じられた。

 手当てをしていたアーサーが、驚きの声を上げた。

「この子はエルフみたいですね」

「なんだって!?」

 それを聞くなり、リュクルゴスまでもが驚いていた。

「エルフって?」

「チュートニアに住む、俺たち人間とは異なる種族だ」

「人間とは異なる、って……」

 ぼくは倒れているシーアを見た。

 にわかには信じがたい話だ。そもそも他の種族、というのがよくわからないし、シーアはどう見ても普通の人間にしか見えなかったからだ。

「まあ、それほどちがいはありませんよ。人間より賢いだとか、動物と話ができるだとか、いろいろ言われてますけど、実際のところどうなのかは知りません。でもエルフである証拠に、ほら」

 ぼくははっとした。アーサーがそっと髪の毛をどかすと、まるで絵本に登場する妖精のように、耳が尖っていたのだ。いつも髪を下ろしているから、前に会ったときには気がつかなかった。

 ようやくシーアの青い瞳がうっすらと見えはじめた。ぼくたちが顔を見合わせて喜んだ瞬間、シーアはざっと飛び退き、おびえたようにこちらをにらみつけた。

 駆け寄ろうとするぼくを制して、リュクルゴスが話しかけた。

「安心しろ、俺たちはあいつらとはちがう」

 両手を広げ、敵意のないことを示す。

「なあ、君は何者なのか、ここで一体なにがあったのか、話してくれないか?」

 ひとことずつ語りかけるように、優しい口調で言う。しかしシーアはいっさい口を開こうとはしなかった。

 リュクルゴスは首を振った。

「言葉が通じないのかもしれないな」

「そんなばかな!」

 さんざんぼくと話していたのに、言葉がわからないだなんて、そんなはずはない。

「シーア、ぼくだよ。エンノイアだよ」

 距離をとって、なるだけ刺激しないように優しく言ったつもりだったのに、シーアはぼくを憎しみを込めた目でにらみつけた。ぼくは恐ろしくなって、それ以上なにも言えなくなってしまった。

 最初に会ったときでさえ、これほどまでに冷たくはなかったはずだ。

 なにが彼をこんなふうにしてしまったのか。胸がひどく痛んだ。

「とりあえず手当てだけでも……」

「さわるな!」

 それははっきりとぼくたちにわかる言葉だった。リュクルゴスは一瞬瞠目して、笑顔になった。

「なんだ、話せるんじゃないか。だったら……」

「さわるなと言ってるだろ!」

 シーアは息を荒げながら、伸ばされたリュクルゴスの手を払いのけた。そして引き止める間もなく、森の奥に走り去っていった。

「シーア!」

 追いかけようとするぼくの肩を、リュクルゴスがつかんだ。

「待て。追いかける気か?」

 彼の言わんとするところはわかる。

 探ってみるとは言ったものの、ぼくたちの一番の目的はルイーズを助けることだ。シーアに構っている場合じゃない。


 ――でも。

 ぼくは首を振った。

「リュクルゴスたちは先に行って」

「しかし……」

 優しいリュクルゴスのことだ。ぼくが行くというのなら、きっと一緒に行こうとしてくれるだろう。でも、彼には彼の仕事がある。ほくはリュクルゴスの目を見つめて、はっきりと言った。

「大丈夫。任せて。きっと後で追いつくから」

 リュクルゴスはもう止めようとはしなかった。ぼくの固い決意を悟って、あきらめたようにうなずいた。

「……わかった。気をつけろよ」

「これを持って行くといいですよ~」

 それまで黙って様子を見ていたアーサーが、また瓶を取り出した。昨日ぼくに無理やり塗りつけた、あの傷薬だ。ぼくは苦笑して受け取った。

「はは……、ありがとう。二人も気をつけて!」

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