第四十二話 祈り
「せめてもう少し炎が明るければなあ……」
岩壁を探りつつ、ぼくはつぶやいた。この炎が問題なのだ。こんな小さな炎では見えない部分が大きいし、揺らめきが目をちらつかせて探しにくい。
確かに、どこかにすき間があるというのはわかる。目を閉じて感覚を研ぎ澄ますと、肌にやんわりと風が通り抜けていくのを感じた。
ここがアイオロス神殿だというのもうなずける。アイオロスは、風の神なんだそうだ。
風が炎を小さく揺らすのを見て、ぼくはふとした好奇心にかられた。自動的に灯るこの松明の炎を、あおいで消してみる、ということだ。
しかし消えたのもつかの間、弾けるように火がわき起こると、松明は再び明々と灯った。
もう一度やっても、結果はやはり同じ。ムキになって何度も消そうと試みるが、何度やってもこの松明は自動的に灯ってしまうようだ。
「エンノイアくん、遊んでないで真面目に探してください」
ついにアーサーに叱られてしまった。
「いや、あのさ、この松明って消せないのかなあって思って」
アーサーの動きがぴたりと止まった。手をあごに当て、思案する風に眉をひそめた。
「ご、ごめん、おかしなこと言って。どうでもいいよね、ハハハ……」
さっきのアーサーの挙動不審に対する恐怖もあって、ぼくは焦った。しかし彼はぼくの言葉など全く意に介さないように言った。
「それは……ひょっとすると当たりかもしれませんよ」
「当たりって?」
ぼくが首を傾げると、彼は床に置いた金属板を指差した。それには……確かこう書いてあったはずだ。
『絶望の中から見いだす光もある。光の下にあるものだけが真実ではない』
――光の下にあるものだけが真実ではない。
ぼくたちは、はっと顔を見合わせた。では、暗闇の下なら……。
「でもこの火、消せないよ。勝手に灯っちゃうもん」
「まあ見ててください」
アーサーはそう言ってぼくたちを自分の後ろに下がらせると、杖を両手で地面に突き、呪文のようなものを唱え始めた。
「あ、デュークが……」
通路を飛び回っていたデュークだけが、アーサーの後ろに隠れ損ねてしまった。しかしそれをアーサーに伝えるより前に、彼は勢いよく杖を振った。
その瞬間、ぼくたちのいるところから曲がり角まで、強烈な風が洞窟内を通り抜けた。
デュークはあっという間に奥の壁まで吹き飛ばされた。その様子が見えたのもほんの一瞬のことで、風は吹くと同時に次々と松明の火を消していった。
しばらくあたりは真っ暗になる。
そしてまた、手前からぽつぽつと火が灯り始めた。デュークもわけがわからないといった様子でヘロヘロとこちらにやってくる。
何事もなかったかのように、全てが元の状態へと戻っていく。
しかし、ぼくたちは見逃さなかった――松明が全て消えたとき、岩と岩のわずかなすき間から、細い光がこぼれ出ていたのを。
「見たか……?」
「うん……」
「ええ……」
急いでその地点を調べてみると、岩の凹凸にしか見えないほどのかすかな亀裂が入っていた。
息を呑んでそれに手を掛ける。すると、まるで動きそうもなかった岩が、自動ドアのようにひとりでに動いた。
そして岩の後ろに現れたのは――エレベーターだった。来たときと同じように、扉が青白い光を放っている。
「やった……!」
思わず安堵のため息がこぼれる。しかし、ぼくたちは肝心なことを忘れていた。本来の目的は、エレベーターを探すことではなかったはずだ。
「ねえ、帰り道が見つかったのはいいけど、宝玉は?」
アーサーが顔の前で人差し指を振った。
「岩が塞いでいたのが、なにもここだけとは限らないでしょう?」
そう言って彼は角を曲がって、次の道で同じように松明を消した。そこでは何も見えなかったので、さらに曲がる。
そうして三つめの道まで来たとき、例の光が見えた。エレベーターは外側の壁、すなわち正方形の外周部分にあったが、今度は内側の壁だった。つまり岩の向こうは、この洞窟の通路に囲まれた部分ということになる。
ぼくたちをさんざん悩ませたループの内側に、何があるというのか。ぼくは胸が高まらずにはいられなかった。
ぼくたちが見守るなか、岩はおもむろに動いていった。
◇◆◇◆◇◆◇
ぼくたちの上げた驚きの声が、岩壁にこだました。
そこは意外にも明るく、目を見張るほど広大な空間になっていた。巨大な竪穴のようだ。
真ん中には小さな祠がある。まるで地上の神殿のミニチュアのようだ。
「これはすごいですよ! 上の神殿は不心得者の侵入を防ぐためのカモフラージュだったんです。あれこそがアイオロス神殿の本体にちがいありません」
アーサーが珍しく興奮した様子で言った。
「真面目に試練を乗り越えた者だけが、祈ることができたというわけか……」
リュクルゴスが感無量といった様子で壁を見上げた。
竪穴の岩壁にはどうやって描いたのか、地面から天井に至るまで無数の絵が刻まれていた。風化してはいるが、かすかに見て取れるものもある。収穫の絵やら、子供の絵やら、雑多なものばかりだ。
「今は神に祈る際、紙に願いごとを書いて奉納しますが、昔は壁に絵を刻んでいたのでしょう」
「しかしいつしかこの神殿の存在も忘れ去られていったんだな」
千年前の人々が祈りを込めてこれらの絵を描いたかと思うと、不思議な高揚感と共に、胸が締めつけられるような切なさを感じる。
「ぼく、ここに祠を建てようと思ったのもわかる気がするよ」
八、いや十階建てくらいの高さはあるだろうか。天井はとにかく見上げるほど高く、不思議なことにキラキラと光っていた。
それは、さながら教会のステンドグラスを思わせた。祠の白い壁が光を受けて輝く様は、神秘的という他なかった。
「高さから言って地上とつながっているんでしょう。岩のすき間から日が差して、あんな風に見えるのだと思います」
確かに、ところどころに開いた穴から空の色がのぞいていた。
その穴から、芥子粒のように小さく見えるコウモリが行き来している。コウモリにはいい思い出のないぼくだったが、そいつらのおかげで天井の高さをより実感できるのだった。
「危ない!」
そのまま一歩踏み出そうとしたぼくをリュクルゴスが押し留めた。
「な……!?」
ぼくが足を置こうとしたところには、地面がなかった。ぼくたちが通ってきた横穴と祠の建つ地面との間には、大きな溝があったのだ。崖がずっと下まで伸びていて、底は見えない。
「昔は橋があったのでしょうか……」
そういえば、崖の両端にはボロボロの柱の跡のようなものがある。千年の間に橋は崩れたのだろう。当たり前だ。
下を覗き込んでいたリュクルゴスが、苦々しく言った。
「どうやらそう簡単に祠に近づかせてはくれないようだな」
一難去ってまた一難。今度は溝をどうやって越えるか、ぼくたちは頭を悩ませるはめになった。
「さて、どうしようか?」
崖っぷちに腰掛けて、ぼくたちはウンウン唸っていた。よく見ると、ここにも金属板があった。今度は地面に貼り付けられている。
『勇気ある者、アイオロスの加護を得ん』
「よっぽど怖い橋だったんですね」
「だって底が見えないもん」
ぼくは試しに崖下に石を落としてみた。でもどれだけ待っても、全く音がしない。しばらくして、リュクルゴスがなにかを決意したように立ち上がった。
「考えてても仕方ない。勇気ある者だけがアイオロスの加護を得られるんだ。ここは直球勝負、だな」
「ですね」
ぼくは意味がわからなくてぽかんとした。
「どういうこと?」
「簡単なことさ。飛び越えりゃあいいんだよ、ぴょんっと」
「ええっ!?」
意味はわかっても、驚かずにはいられない。
溝は深いが、幅は三メートル半といったところだ。つまり、助走をつければ跳び越えられないということは、ない。理論上は。
そういえば、金属板もまるで「踏み切り位置」とでも言わんばかりに絶妙な場所に置かれている。でも、でも。
「そういうことなら、お先に失礼しますね」
なんとぼくたちがなんだかんだと言っている間に、アーサーが軽々と跳んでいってしまった。
ローブをはためかせて、危なげなくふわりと着地する。
「早く来てくださいー」
「ローブを着ているくせに、よくもあんなに身軽に跳べるもんだ」
リュクルゴスが半ば呆れつつ、感心した。
「で、どうする。お前、先に行くか?」
声がちょっとうわずっている。ぼくが全力で首を振ると、リュクルゴスは肩をすくめて、意を決したように跳んだ。
その後ぼくは数十分にわたって、恐怖と格闘していた。
「跳んでみたら意外と簡単でしたよー」
「踏み外してもちゃんとつかまえるから安心しろよ」
リュクルゴスが受け止めるように手を広げてみせるが、ぼくは未だ踏み出せずにいた。
溝の底を覗き込んで、身震いする。見ているだけで闇に引きずりこまれそうな気がする。だめだ、こんなもの跳び越えられるはずがない。
「でもつかみ損ねたらごめんな」
「それはむごい!」
自分たちが跳び終わったからって、いい気なもんだ。怖がるぼくを見て、二人とも腹を抱えて笑いだした。
「あっ、デューク!」
なんと、デュークまでもがぼくを見捨てて先に飛んでいってしまった。そりゃ、空を飛べるあいつにとっちゃ、こんな溝なんてどうってことないんだろうけどさ。
だんだん腹が立ってきて、怖いという気持ちより見返してやりたいという思いが強くなってきた。
「じゃあ跳ぶからね!」
「おう」
そこはリュクルゴス、笑うのをやめて、ちゃんと際で待っていてくれた。
ひとつ深呼吸する。
二歩手前から助走をつけて、金属板のぎりぎりのところでジャンプ、だ。踏み切りが手前すぎると、届かないからな。
ぼくは、しっかりと頭の中でシミュレーションした。
しかし、どうしてこんなことになってしまったんだろう。着地のことばかりに気を取られていたぼくは、勢いをつけすぎてしまった。
行きすぎた……と気づいた頃にはもう踏み切る場所はなくなっていた。金属板を通りすぎたぼくの爪先は、ガクンと下に落ちた。それに従って、かかと、腰、頭……と前のめりになっていく。
「ちゃんとつかまえるから」と伸ばされたリュクルゴスの手は、届くはずもなかった。青ざめた二人の顔がぐらりと傾き、ぼくの視界は闇一色になっていった。