第四十話 昔話
「長いな……」
「疲れたあー」
ぼくたちの呟く声が赤銅色の壁に吸い込まれていった。
「どうもおかしいですね。戻って様子を見てきます」
まるで疲れた様子のない(というか、この人はさっきから汗ひとつかいていない)アーサーがそう言い、ぼくとリュクルゴスは休憩することにした。
ぼくたちはもうずいぶん長いこと、この洞窟の中をさまよっている。
入り口の巨鳥をなんとかやり過ごし、扉の謎を解き、ようやく神殿の地下に入ることができた。エレベーターの扉が閉まると、目の前にはぽっかりと洞窟が口を開けていた。エレベーターと平行に、細長い道が左右に伸びている。ぼくたちはとりあえず左へ歩いてみることにした。
暗闇の中へと足を踏み入れた瞬間、壁に点々と備えつけられた松明がひとりでに灯った。
「火が……勝手に!?」
顔をひきつらせたぼくたちの前で火はリレーのように次々と灯っていき、次第に洞窟の奥までが煌々と照らされた。ごつごつとした壁が奇妙な形の陰影を生み出していく。
しばし息を殺して辺りをうかがう。しかし洞窟の中はぼくたち以外、何の気配もしなかった。
先は細長い通路になっていて、松明が灯ったことで、奥は右向きの曲がり角になっているのがわかる。
「気味が悪いですね。まるで誰かに見られているみたいで」
「やめてよ……」
アーサーがそんなことを言うので、一層気味が悪くなってきた。床に長く伸びる自分たちの影が、起き上がって襲いかかってくるような気がする。
ぼくたちはお化け屋敷に入ったときのように三人ひっつき合って、おっかなびっくり進んでいった。
曲がり角の先はまだ火が灯っていないらしく、真っ暗だ。暗闇から何かが飛び出してくるんじゃないかと思わず身構えてしまう。しかし何事もなく、曲がった瞬間次の通路の松明が灯っていった。
先ほどと同じように通路が奥まで照らされていくのを眺めながら、ぼくは一瞬目を疑った。背後にエレベーターがないことを除けば、そこは前の通路と全く見分けがつかなかったのだ。赤銅色の壁、細長い通路、そしてその先はやはり右に折れていた。
これでは同じ場所に戻ったのかと錯覚してしまう。一本道だから迷うはずはないが、決して気分のいいものではない。
そのとき、ふいにどこかでゴゴゴという、重たいものが動いたような音が響いた。
「な、なんだ!?」
皆の顔が再び凍りつく。しかし周りを見渡しても何も変わった様子はなく、音がやむと今度は気持ちが悪いほどに静まり返った。
誰からともなく溜め息をつく。さっきから緊張しっぱなしで、心が折れそうだ。
そうしてぼくたちは先へ進むと、再び角を右に曲がった。
ぼくたちは落胆した。次の通路にも松明が灯ったのだが、その先はやはり細長い通路で、右に折れていたのだ。
そしてその次も、その次の通路もまたそうだった。しかし、出口は一向に見えない。
ひとつひとつの通路は百メートル程度とはいえ、何度も何度も曲がっているとさすがに疲れてきた。ほとんど義務的に足を動かしているような感じだ。
そうしてだんだん苛立ちもつのってきたころ、アーサーが様子を見に行ったというわけだ。
壁にもたれかかって座る。もはや怖いという気持ちすらなくなってしまったぼくは、この空間にもだんだんと慣れてきて、退屈になってきた。
「ねえリュクルゴス、聞きたかったんだけど……」
こんな場所でする話ではないとは思いつつも、ぼくは今朝から聞きたいと思っていたことを口にした。
「うん?」
「あのさ……」
思った以上に自分の声が響くのに驚いて、ぼくはあたりを見回した。リュクルゴスに立ち入ったことを聞くと、なぜだかアーサーに怒られそうな気がしたからだ。しかし彼はもうだいぶん遠くに行ってしまったらしい。
「どうしてリュクルゴスは、こんなに王様に尽くすの? 命令されたわけでもないのに」
奥さんを悲しませてまで、とは言わなかったが、リュクルゴスは途端に思いつめるような表情になった。
「ご、ごめん。言いたくないならいいんだけど」
リュクルゴスは自分の表情がぼくを心配させていることに気がついたのか、慌てて手を振った。
「ああ、いや、ちがう。難しい質問だと思ってな」
それから彼はまたしばらく考えこむようにすると、ぽつりと言った。
「……俺はあの方を尊敬してるんだ」
「尊敬?」
王様なんだから尊敬だというのなら、きっとこの国の誰もがしているだろう。
「よくわからないよ」
いまいち納得できないでいるぼくを見て、リュクルゴスはうっすら口角を上げた。
「そうか……じゃあ、しばらくおっさんのつまらない昔話に付き合ってくれるか?」
そう言って、リュクルゴスは「昔話」を始めた。ルイーズとリュクルゴスが初めて出会ったときのことだ。
アイオリアとウタイの戦争が始まったのは今から三十年ほど前。まだルイーズが即位する前で、アケロンという王が国を治めていた。アケロンは野心的な男で、国を大いに発展させたが、同時に他民族への侵略を目論んでいた。
彼が特に目をつけたのがアイオリア島の西部に住むウタイという民族。寒冷化のため、百年前に他の大陸から入植してきた民族だった。それはまだその地がアイオリアの領土ではない頃だったが、アケロンはそれをウタイの侵略とみなし、反撃という名目で打って出た。
リュクルゴスは物心ついたときからウタイの兵士だった。ただ戦うためだけに育てられ、十二のとき戦場に駆り出された。彼の叔父と、義兄弟と、従兄弟が戦場でアイオリア軍に殺された。たくさんの女性たちがアイオリア軍にもてあそばれた。
はじめこそ優勢だったアイオリアだが、王が崩御すると国内は混乱し、勇猛な戦士の部族として名高いウタイとの戦いは膠着した。そしてようやくアイオリアがまとまり始めたとき、ウタイがアイオリアに送り込んだ密偵から、新しい王自らが戦場に現れるとの情報があった。
まだ成人を迎えて間もないリュクルゴスは、かねてから計画していたあることを実行しようとしていた。
それは――アイオリア王の暗殺だった。
「暗殺!? どうして!?」
普段の彼からは想像もできない恐ろしい言葉に、ぼくは悲鳴のような声を上げた。
「勝ち負けなんかどうでもよかった。ただ……俺は疲れていた。もう終わりにしたかったんだ……なにもかも」
一際低い声で放った最後の言葉に、ぼくは背筋が寒くなった。
次にアイオリアが攻めてきたとき、ウタイは敗北を喫したが、リュクルゴスは倒した敵兵の服を奪いアイオリアの陣営に忍び込むことができた。
「今考えてみればあんなにたやすく忍びこめたのはおかしなことだったんだが、あのときは若かったし、頭に血が上っていたから気がつかなかったんだな」
リュクルゴスはそう付け加えた。
ウタイ人はリュクルゴスのように黒い髪黒い目をした人が多いが、アイオリア人にもそういう外見の人はいるし、見た目ではアイオリア人と区別がつかないらしい。リュクルゴスは持ち前の観察力と社交力でアイオリア兵になりすまし、何事もなくアイオリアの陣営で数日を過ごした。そしてある日、いかにも王のものと思しき豪華な天幕に近づくことができた。無防備に開け放たれたその天幕の中には、見たこともない空色の髪をした若い女性が見張りもつけず背を向けて立っていた。
――リュクルゴスは最初、王の愛人か娘かと思ったという。
「こんなことお前に言うのもなんだが……。女連れで戦場に来るなんて俺たちはナメられているのかと、たまらなく腹が立ったんだ。べつに彼女に恨みがあったわけじゃないが、腹いせに乱暴してやろうと思った」
そうしてその女性に手をかけようとしたとき、彼女が振り返った。
リュクルゴスは目を見張った。まだ少女のようにあどけないその女性は、リュクルゴスの想像を超えた美貌と、ウタイ族の女性とはちがう柔らかな雰囲気を持っていた。
それは即位したばかりの、若き日のルイーズだったのだ。
「俺はあのとき自分の置かれた立場も忘れて、ただ彼女に見とれていたよ」
リュクルゴスは話しながら、幸せそうな、それでいてどこか寂しそうな目をした。どちらにしても心ここにあらずという感じで、ぼくの想像の及ばない何かに思いを馳せているようだった。
「馬鹿だよな。俺は敵の顔はおろか、性別さえ知らなかったんだから」
そう言って、力なく笑った。
ルイーズが何らかの合図を送ると、どこからともなく兵が現れ、一斉に周りを取り囲んだ。
――罠だったのだ。すでに間者の存在を察知していたルイーズは、リュクルゴスをあえて泳がせていたのだった。
リュクルゴスは、ここで初めて目の前の少女こそがアイオリアの王であることを悟った。
「俺は思いつくままに彼女を罵ったよ。アイオリアが俺たちにした仕打ち、アイオリア人がいかに野蛮で残虐なケダモノかをな」
当然アイオリア王は怒ると思っていた。リュクルゴスは思いの全てをぶつけたあと、死を覚悟していた。
しかしルイーズが見せたのは、予想外の反応だった。
彼女はリュクルゴスのことを心底哀れみ、心から謝ったのだ。床にひれ伏し、涙を流したのだ。
前の王は愚か者だった、しかし戦争を引き起こしたのはアイオリア全体の責任で、ひいては自分の責任であると。そして、責任を持ってこの戦いを終わらせるつもりであると。
「なんか……拍子抜けしちゃってな。どうしたらいいのかわからなくなったよ」
そして彼女は信じられないことを口にした。頭を下げて、リュクルゴスに頼んだのだ。罪を免れる代わりにアイオリアにつかえ、ウタイとの停戦に協力してほしい、と。
戦争をやめたくとも、多大な犠牲を強いて戦争に臨んだ国民の手前、急に引き揚げることはできない。ルイーズはウタイに決定的な打撃を与え、最小限の犠牲で停戦に持ち込むために、近々奇襲作戦を実行するつもりだと話した。そのためには、ウタイとの内通者が必要なのだと。
当然リュクルゴスは断った。今さら命など惜しくはなかった。
「俺は言ってやったよ。『アイオリアに利用されるくらいなら、俺はアンタを殺して、喜んで死を選ぶ』ってな」
するとルイーズは、持っていた短剣ごとリュクルゴスの手を自らの胸に引き寄せた。慌てて駆け寄る兵士たちの前に魔法で風を起こし、その足を止めた。
切っ先が彼女の白い肌を血に濡らすのにも構わず、ルイーズは言った。
『ならば殺しなさい! 私が死ねばアイオリアは負け、きっとこの馬鹿げた戦争を終わらせられるでしょう』
それから再び、哀しむ表情をして言った。
『けれども……それでは何千何万という人間が犠牲になる。私はそれが心から残念でなりません。それでも構わないというのなら、どうぞ』
ルイーズの目は本気だった。リュクルゴスはこの交換条件を受け入れるしかなかった。彼はすでに、この若く聡明な王に心を奪われていたのだ。
リュクルゴスはその後、辛くも逃げ帰ったかのように振る舞い自軍に戻った。そして何食わぬ顔で過ごしながら、アイオリアの付け入る隙を慎重に探った。
そのうちリュクルゴスはウタイの伝統行事に目をつけた。ウタイにはもともと大地の精霊を祀る風習があり、春分の日には精霊を模した石像を王に献上するのだが、このとき何かしらの隙ができるかもしれないと考えたのだ。
連絡はウタイとアイオリアとを行き来する商人によって行われた。彼が像のことをルイーズに伝えると、ルイーズは像の図面をよこせという奇妙な要求をしてきた。そんなものを何に使うのか釈然としないままではあったが、リュクルゴスはウタイの中でもある程度自由のきく立場にあったため、なんとか図面の写しを手に入れ、ルイーズに送ることができた。
春分にはまだ少し早い日、精霊像は前線に出ていた王の元に届けられた。それを見たリュクルゴスは驚愕した。いや、リュクルゴスだけでなく、像を目にした誰もがそうだった。
その像はかつてないほど巨大なもので、大の大人が手をつないで取り囲んでも十人は必要という代物だったのだ。王はたいそう喜び、戦争中にもかかわらず最大の贅を尽くしてこれを祝った。
そうして皆が酔い、騒ぎ疲れ寝静まった頃、像を内側から壊す者があった。空洞になった像の中から現れたのはなんと――アイオリア兵だった。
リュクルゴスから図面を受け取ったあと、ルイーズは国内の選りすぐりの職人を集めた。そして元の百倍の大きさで石像をつくらせた。ルイーズは像の中に兵を仕込むという奇策を考え出したのだ。
突如現れたわずか十数人のアイオリア兵によって、あっという間に王は取り押さえられた。王を人質にとられたウタイ軍は武装解除し、ついにアイオリアに降伏することとなった。
信じられないことに、そのときアイオリア兵はウタイ人を一人たりとも傷つけなかったという。
そしてウタイがアイオリアの属州になるという形で戦争は終結した。
ルイーズは自らウタイの地に赴き、リュクルゴスにしたように頭を下げて前王の暴挙と自らの卑怯な作戦を詫びた。西の荒れ地を開拓することを税の代わりとし、ウタイの自治は大幅に認められた。
それがルイーズが即位して一年の話だというから、驚きという他ない。
ウタイの自治は守られたが、リュクルゴスはこのままでは自分の身が無事ではすまないことをわかっていた。最小限の犠牲に留めるためといえど、彼はウタイにとって、裏切り者にちがいなかったからだ。すでに連絡役の商人も捕らえられた。いずれ図面を流したのがリュクルゴスであることが露見すれば、制裁を受けるのは免れられないだろう。
リュクルゴスは混乱に乗じて、慣れ親しんだウタイの地を離れた。しかしもはやウタイ人でもアイオリア人でもない彼には、居場所などなかった。
あてもなくさまようリュクルゴスを見つけたルイーズは、彼をアイオリアの王宮に招いた。そして信じられないことに、リュクルゴスにアイオリアでの職と戸籍を与えようとした。
『私は日々モンスターや魔物の襲撃におびえる人々を救うために、新しく討伐隊という組織をつくろうと考えています。あなたは相当腕の立つ人だそうですが、その腕を今度はアイオリアの人々のために生かしてみる気はない?』
リュクルゴスは嬉しかった。この王につかえることができたら、どんなに幸せだろうと思った。
しかし、彼は首を振った。
『自分にそんな資格はありません。あなたに接触したのも、元はといえば乱暴するためだったんです。そのあとは殺そうとさえした。せっかく助けていただいた命ですが、このまま罪を免れのうのうと生きるのは自分の心が許せません。どうぞ罰してください』
ルイーズは笑って言った。
『あなたが私を殺そうとしたのが罪だというなら、ウタイ人を殺す命令を出した私も同罪だわ。あなたが死罪を選ぶというのなら、私も絞首台にのぼらなければ』
リュクルゴスは唖然とした。もはや言い返す術はなかった。
「俺はあのとき、自分とは器のちがう人間を見たと思った。彼女こそアイオリア島を治めるのにふさわしい。彼女の理想を叶えるためなら、俺は命続く限りこの身を捧げようと、そう思ったんだ」
リュクルゴスは、だから自分はルイーズに尽くすのだと、自らを納得させるように言った。
退屈しのぎには壮大すぎた話にぼくは呆然としていた。ぼくの知らない、二人の歩んできた道だ。気軽な気持ちで尋ねただけだったのに、何もかもが想像を超えていて、とても実感がわかなかった。松明に照らされたリュクルゴスの横顔が、別人のように見えた。
ぼうっとしていたぼくの耳に、いつからそこにいたのかアーサーの声が聞こえてきた。
「盛り上がってるとこ申し訳ないですが、どうやら閉じ込められたようですよ」