第三十三話 都の神官
討伐隊の人たちが何人か街の門の前に集まっていて、その中に副隊長ゾアの姿もあった。事情が事情だけに、大々的に見送るわけにはいかない。リュクルゴスは言葉少なに、「後は任せた」とだけ伝えた。
ゾアは、リュクルゴスと共に街を出るぼくを見て驚いていた。
「エンノイア、きみも行くのか?」
「はい、ぼくも王さまを助けたいんです。ぼくは討伐隊員じゃないから、助けに行ったって問題ないでしょう?」
ゾアを含め、みんなはぼくの言葉にただあっけにとられていた。
突然現れて突然去った謎の少年――彼らはぼくのことをそう思っただろうな。
ちなみにリュクルゴスにはさんざん家や家族について問い詰められた。ぼくは何か言い訳を考えようと思って、ふと都に来る途中に立ち寄った、あのワイバーンに襲われた村のことを思い出した。
「あの……ぼくの家はパーンの森の中の村にあったんですけど、魔物に襲われて壊されちゃったんです。家族もみんな殺されて……」
我ながらなんとも白々しい言い訳だった。居心地の悪さをこらえながら、なんとかそう言い切ると、リュクルゴスは一瞬だけ冷めた目をしたあと、「まあ、そういうことにしておいてやるよ」とちょっと含みのある返事で一応納得してくれた。
城壁についた、巨大な門を見上げる。落とし格子になっていて、城壁の内側に設置された滑車を回すと、連動して格子状の鉄の門が開くという仕組みになっている。今はモンスターや魔物の侵入を防ぐためか、門は下ろされている。
門の前には衛兵隊員の門番が二人、立っていた。衛兵隊には話は通してあるらしいが、彼らは軽く目を合わせただけで、何も言わなかった。
門の開く音が、澄んだ空気に響く。
「さあ、行くか」
リュクルゴスが馬に乗り、手を伸ばしてぼくを馬の上に引き上げた。情けないけどぼくは自分では馬に乗れないので、当分はこうして後ろに乗せてもらわなければならない。振り落とされないようリュクルゴスの背中にぎゅっとしがみつく。ゆっくりと、馬は歩み始めた。
日が沈み、夜の世界が始まろうとしている。
薄闇の空の下に広がる広大な草原を見て、ぼくはめまいがした。あたりには街一つ見当たらない。周りの草を押しのけるようにして門から伸びた簡単な道が、地平線まで続き、やがて空に飲み込まれていく。あとには空よりも黒々とした森が、地平線を縁取るように広がるばかり。
背後で、今度は門の閉まる音がした。振り返ると、ぼくたちの存在を拒むかのようにぴったりと口を閉ざした都の城壁が見えた。
この世界の夜はこんなにも静かだったのだということを、ぼくは初めて知った。
寒くはないのに、思わず身震いする。
「これからどうするんですか? じゃない、どうするの?」
静けさを打ち破るように、ぼくはリュクルゴスに聞いた。彼は馬の手綱を微調整しながら、背中で答えた。
「テラスティアの宝玉を探さなければならないが……その前にちょっと家に寄ってもいいか?」
「家? 家って都にあるんじゃないの?」
ぼくは思わず聞き返した。てっきり、リュクルゴスは都に住んでいるのだと思っていたからだ。
「いいや。普段は王宮の兵舎を使っているが、本当の家はここから馬で二時間ほど行ったアロという小さな町にある。週に一度は帰るようにしているんだ」
へえ、とうなずきながらぼくは思った。毎週毎週わざわざ二時間かけて家に戻るのは大変なんじゃないだろうか。それならずっと兵舎にいるか、都に家を借りるかすればいいのに。
リュクルゴスが馬を走らせようとしたとき、背後で再び門が開く音が聞こえた。それから、ちょっと間の抜けた若い男の声がした。
「待ってくださ~い!」
声のほうを振り返った瞬間、ぼくは自分の目を疑った。
闇に映える、豊かな水色の髪。白く丈の長い服。
「ルイーズ!?」
ぼくは「王様」と呼ぶのも忘れて直接その名前を口にした。
こんなに不思議なことがあるだろうか。なんと、ぼくたちがこれから探そうとしているまさにその人が、ちょうど今ぼくたちが出てきた門から現れたのだ。
リュクルゴスもまた驚きの声をあげた。ただし、彼が叫んだのはぼくのそれとは全く別の人物の名前だった。
「アーサー!」
アーサーと呼ばれたその人物は、白い上品な馬を引きながら、こちらに向かって走ってきた。前屈みでハアハアと息をつき、落ち着いたところで顔を上げる。
――なるほど、確かに近くで見ればルイーズとは別人、それも男だということがわかる。
しかし女性的な顔立ちをしていて、すんなりとした鼻と長い睫毛がルイーズによく似ていた。
何よりルイーズと同じ、水色の髪。この髪を見れば、ルイーズと見間違えるのも無理はないだろう。今までぼくがこの国で見た他に誰一人、水色の髪をした人はいなかったからだ。
彼はルイーズよりも少し長い髪の先端だけを、ピンクのリボンでちょこんと結んでいた。服は白いワンピース……ではなく、重たそうな白いローブ。
ぼくがそんなことを考えているとき、リュクルゴスは彼にしては珍しく、はしゃいだ様子でアーサーと話していた。
「アーサー、一体どうしたんだ?」
「ええ実は、わたしもお供させていただきたくて」
アーサーはかなり物腰柔らかな人らしい。丁寧な言葉遣いで、にっこりと笑って言った。歳はルイーズとそれほど変わらなさそうだが、笑ったときの目尻のシワが特徴的だ。それが彼を余計に柔和に見せているわけだが。
彼は、事の経緯を話し始めた。
「あの光る水晶球を最初に見つけたのはわたしなんです。陛下がさらわれた後、陛下のお部屋で見つけたんです」
「執政官閣下は大神殿で見つけたと仰っていたが……」
アーサーは急に神妙な顔になって言った。
「わたしは水晶球を大神殿の司祭さまに預けました。司祭さまがその後、それを神殿の奥に隠されたようです」
大神殿の司祭が水晶球を隠した――それは初耳だった。
「なぜそんなことを?」
リュクルゴスがもっともなことを聞いた。
「……このような事態になることを恐れたからです。つまり、執政官が発動した水晶球を見て、救出をやめる、と言い出すことを。しかしそのことが執政官に知れてしまい、彼は強引に水晶球を奪ったんです」
そして、アーサーはその細い眉をひそめて言った。
「大神殿は執政官の救出中止の決定には否定的です。それでわたしにあなた方のお手伝いを命じたわけです。全国の神殿もあなた方を全面的に支援しますよ」
「執政官閣下が強引に水晶球を奪い、それを見せつけることで、陛下の救出を中止させた、か……」
リュクルゴスが話をまとめた。
「なにか臭うな。なにかがおかしい」
うん、ぼくもそう思う。思わずうんうんとうなずいていると、アーサーがふとぼくのほうを見てクスッと笑った。
「あなたがうわさのエンノイアくんですね。馬車にこっそり乗り込んだり、タウロスの前で火を焚いたり、無謀にも魔物と戦おうとして弾き飛ばされたりした……」
不名誉なうわさの数々にムッとしながらも、全て事実だったのでうなずいた。
「わたしはアーサー・クロアといいます。大神殿で神官をしています。よろしくお願いします」
よろしく、と言われても……突然現れた彼に少し戸惑っていると、リュクルゴスが場を取りなすように補足した。
「アーサーは陛下のいとこにあたるんだ」
そうか、ルイーズのいとこだったのか。どうりで似ているはずだ。
あれ? ルイーズのいとこ……。姿が似ているいとこ……。
ぼくははっとした。
「王様の代わりに広間に立ってた人!?」
アーサーは頬に手を当てていたずらっぽく笑った。こんなところもルイーズにそっくりだ。
「おや、バレていましたか」
リュクルゴスが苦笑した。
「みんな知ってるよ……」
ルイーズのいとことはいえ、王が世襲でないこの国では「王族」というものはなく、王本人以外には基本的に何の身分も特権もないらしい。特にリュクルゴスとアーサーは元から友達だったようで、気さくな間柄だった。
このまま立ち話していては夜が明けてしまうので、ぼくたちは早々に出発することにした。
空には無数の星が瞬き始めていた。
それと同時に、ぼくの気持ちも少しは晴れやかなものになっていった。