第三十話 運命
都への帰りの様子は、まさに葬式のようだった。
行きで遭遇したあの牛のモンスターにも会ったし、帰りに何事もなかったわけではないが、正直あまり思い出したくはない。
誰も余計なことをしゃべらないし、笑わない。重苦しい空気に息が詰まりそうだった。なによりぼく自身、元の世界に帰れる希望が失われたようで、暗澹たる思いが胸を覆っていた。
そしてぼくたちは今日、ようやく都アエロポリスへとたどり着いた。
都の人々にどこまでの情報が伝わっているのかは知らない。だが王を失って、心なしか皆不安そうな表情を浮かべているように見えた。
ぼくたちは街の人々に見守られながら、賑わう市場を横目に、王宮へと向かう。
最初に来たときは王に会いに来る人々で賑わっていた王宮も、ルイーズがいなくなってしまった今はひっそりとしている。王宮にいるのは見張りに残された数名の兵士たちと、王宮に勤めているらしい人たちだけだ。ルイーズの従兄弟だという代わりの人物が立っているかとも思ったが、それはなかったようだ。
しばしの休憩時間の後、兵士たちは討伐隊、衛兵隊に分かれて、それぞれ王宮の一室に集められた。
――いよいよ、都へ戻った理由が語られるようだ。
ぼくも討伐隊の方で話を聞かせてもらえることになった。入り口の大広間よりは狭いが、それでも三百人ほど収容できそうな大きな部屋。そこにちょうどそのくらいの数の討伐隊の面々が、整然と並んでいた。邪魔にならないよう部屋の隅の方に立ち、語られる時を待つ。
兵士たちはさすがに疲労の色が隠せないようだったが、それ以上に緊張しているのがわかる。ぼくだってそうだ。
やがて整列した兵士たちの前に、リュクルゴス隊長が現れた。彼はいっそう青ざめた顔をして、倒れるのではないかと心配になるほどだった。隣には副隊長のゾアが控えている。手に何か持っているようだが、上に布が掛けられていて見えなくなっていた。
まずは兵士たちに簡単なねぎらいの言葉がかけられる。
しかし彼らが聞きたいのはそんな言葉ではない。それは隊長もよくわかっているだろう。早く事情を説明してほしい――急かすように、部屋中に異様な緊張感が漂った。
そして、彼はおもむろに口を開いた。
「なぜ都へ戻ってきたのか、皆も気になっていることだろう」
その通りだ、というように皆が無言でうなずいた。
「実は先日都から通達があったのだ。我々は議会の決定により……」
ゴクリ。ぼくは生唾を飲み込んだ。
「陛下の救出を中止する」
誰もが、その言葉を理解するのに時間を要した。部屋は奇妙な静けさに包まれた。
そして静寂は突然破られる。
「なぜですかっ!?」
「そうだそうだ!」
「ここまできてどうして……!」
一人の兵士が発言したのを皮切りに、皆がワーワーと騒ぎ立て始め、質問の嵐となった。
ぼくは何を言っていいのかもわからず、違う世界の出来事のようにただその様子を眺めていた。
「まあ待て、落ち着け。これを見てもらえばわかる」
リュクルゴス隊長が手で皆を制し、ゾアに合図を送った。
ゾアは手に持っていた何かに掛けられた布を取り去った。
布の下にあったものは――水晶球だった。
ちょうど片手に乗るくらいの大きさで、あやしげな光を放っている。
不思議なことに、中には何の仕掛けもないように思われるのに、その水晶球は中心から自発的に発光しているように見えた。それも、脈打つように光が揺らめいている。
ぼくはそのことに驚いて、兵士たちの顔を見た。
しかしぼくの予想に反して、彼らの表情は水晶球が光っていることに対しての驚きではなく、絶望の色を浮かべていた。
もう、誰も何も言わない。ある者は溜め息をつき、ある者は頭をうなだれていたが、皆総じて事態を把握したようだった。
リュクルゴス隊長は彼らが事情を理解したことを確認するようにうなずくと、口を開いた。
「俺たちがヒエラポリスに着いた頃、執政官閣下が大神殿でこれを見つけられたそうだ。これでわかっただろう? ……つまりはそういうことだ」
皆はそれを聞いてあからさまに落胆していたが、ぼくだけが全く意味がわからない。
「あの……」
ぼくは場の空気を乱すことを承知で、思い切って声を出した。シンとしているので、さほど大きな声でなくとも端から端までよく通る。
そこにいた全員が一斉にぼくのほうを振り返った。
大勢に注目され、たじろぎながらも、ぼくは必死に言葉をつないだ。
「わかりません。どういうことですか?」
こんな状況だからか、誰も笑ったりはしない。リュクルゴス隊長はぼくと目が合い、少しだけその表情を和らげた。
「お前もこの国の王が他の国のような世襲ではなく、アイオロスによって選ばれることは知っているだろう?」
そういえば、ルイーズがそんなことを言っていたっけ。ぼくはうなずいた。
「この水晶球はアイオロスの心臓と呼ばれる神器だ。王に、次に王となるべき人物の姿を知らしめる役割がある。しかし普段は光を失っていて、王の死期が迫ったときのみその力を発揮する。王は最期の仕事として、自分の王位を継ぐ者を見つけねばならぬということだ」
死期、という言葉に鳥肌が立った。だんだんわかってきた気がする。
続きを聞くのが怖かった。
「今この水晶球は光っているだろう。王でなければ次なる王の姿を映し出すことはできないが、この水晶球が『活動』していることは間違いない。つまり……」
足が震えてきた。ぼくは必死に首を振った。もういい。もうわかったから。
そんなぼくの思いとは裏腹に、リュクルゴス隊長は――おそらく意図的に――淡々と説明を続けた。
「陛下の死期が近いということだ。近いといってもときには一か月後だったり、ときには一年後だったりするが、この水晶球が王の死期を間違うことは絶対にない。今現在陛下が存命にせよ、どうせ死期が近いのなら救出しても無駄……それが議会の出した結論だ」
ルイーズが……死、ぬ?
あの水色の髪をした女性。ぼくが今まで出会った中で一番きれいな女性。
あの柔らかい手。優雅な微笑み。まだ会って間もないけれど、ぼくは確実に彼女に魅了されていた。
その彼女が……死ぬ。全く実感が湧かなかった。
そしてなにより彼女が亡くなれば、ぼくは永遠に元の世界に帰る術を失うことになる。
永遠に……?
ここでぼくは一つの大きな疑問に行き当たった。王にしか次の王の姿を映し出すことができないというのなら、むしろ全力でルイーズを救出すべきではないのだろうか? そうでなければ、この国は永遠に新しい王を見つけられないことになる。ぼくがそのことを口にすると、隊長は大きくうなずいた。
「いいところに気がついたな。その通りだ。しかし、王というのは、アイオロスの声を聞くことができるそうじゃないか。新しい王もまた然りだ。おそらくその者が自ら名乗り出るだろう、というのが議会の見解だ」
リュクルゴス隊長はなぜか「議会の決定だ、議会の見解だ」という言葉を何度も繰り返す。自分は納得していない、ということだろうか。
しかし、そうか。王というのは、アイオロスの言葉を聞くことができる。確かにそんなことを、どこかで聞いた気がする。ルイーズが探さなくとも、いずれはその者が名乗り出るだろう、と。それは一応的を射ているように思われる。
そしてぼくはあることに気がついた。いいや、本当はずっと前から気づいていたのかもしれない。だけど、考えたくなかった。それはぼくの人生を完全にひっくり返してしまうほどの、恐ろしい事実だから。
なぜぼくがこの世界に呼ばれたのか――全ての答えがここにある。
そう、その「新しい王」こそが、ぼくなのだ……。