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第二話 選ばれし少年

「やあエンノイアくん、久しぶりだね。おや? その鳥は」

 ロバートが、ぼくの肩にとまったデュークを見るなり、茶色い目を細めた。

 ぼくはデュークを連れたまま居間に来たことを、ひどく後悔した。ありがとう、なんて絶対に言いたくなかったからだ。

 無言のままのぼくを見て、母さんが取り繕うように、急いで会話をつないだ。

「この子ったら、今朝からずっと肩に乗せてるのよ。よほど気に入ったのね。それにしてもこの鳥、見慣れない種類ね。一体どこで買ったの?」

 ほら、あんたも気になるでしょ、とでも言わんばかりに母さんが目を合わせてきたので、ぼくはわざと目をそらした。

 そんなぼくたちの挙動には気づきもせず、ロバートは嬉しそうに説明を始めた。

「この前遅くまで残って仕事をしていたら、ぼくの職場に突然現れたんだよ。開いた窓にとまっていたんだ。ふしぎなことに、ぼくが近づいても全然逃げなかったんだよ。エンノイアくんがペットを飼いたがってるって聞いていたから、ちょうどいいと思って」

 母さんがウンウンと、うすら寒い相づちを打つ。

「ともかく、気に入ってもらえたんだね。よかったよかった」

「さすがロバートね」

 気づいたらロバートと母さんが、勝手に喋って、勝手に盛り上がっていた。なんだ、ぼくのことを話題にしているふりをしながら、結局は二人で話したいんじゃないか。

 ぼくはソファに座る気にもなれなかったので、居間の入り口に立ったまま、なるだけ表情を変えずに言った。

「べつに。こんなもの、もらったって迷惑だよ」

「エンノイア!」

 母さんがヒステリックに怒鳴りつける。

「あはは。突然だったもんね。悪かった」

 ロバートは頭を掻きつつ、眉を下げて笑った。

 これだ。ロバートのこういうところが腹立つんだ。たまには怒ってみればいいのに。

「ごめんなさい、ロバート。普段はこんな子じゃないんだけど……」

「で? なんなのさ。大事な話って」

 いいかげんイライラしてきたので、ぼくは母さんの言葉を遮って聞いた。

 母さんははっとした表情で急に静かになると、顔を赤らめた。

「あ……それがね。わたしたち……」

 そこで言いよどみ、ロバートと目を合わせる。ロバートは励ますように、大きくうなずいた。

 そして母さんは今朝ぼくに話を切り出したときのように、もじもじと体をくねらせながら、ついにその言葉を口にした。

「結婚しようと思うの」


 しばらくの沈黙。

「え……?」

 ぼくの頭は文字通り、まっしろ、だった。

 結、婚……? 母さんとロバートが……?

 それは充分に予測していたことだったのに、いざその段になるとぼくの思考は完全に停止してしまった。

「どうして……?」

 ぼくは、ほとんど独り言のようにつぶやいた。最後のほうは声になっていなかった。

 母さんはそれを単純な質問と受け取ったようで、眉をひそめて笑った。

「どうしてって。あんただってわたしたちが付き合ってること知ってるでしょ」

「そういうこと言ってるんじゃないよ!」

 思わず大声で叫ぶ。

 ロバートと母さんが、面食らった表情でこっちを見ている。

「どうしてこんなやつと結婚するんだよ。母さんはいつもそうだ。ちょっと優しくされたらすぐその気になって。こいつだって、結婚したら父さんみたいに豹変するに決まってる。母さんは全然わかってないんだ……」

 自分でもなにを言っているのかわからなかった。ただ、二人の結婚を阻止しなければならなかった。

 目を閉じ、拳を痛いほど握りしめて、黙ったら負けだとでもいうようにひたすら言葉を放った。


 そのとき、鋭い音とともに左頬に痛みが走った。目を開くと、母さんは顔を真っ赤にして、手を振り上げていた。母さんがぼくの頬を叩いたのだと理解したのは、数刻経ってからだった。

「レナ!」

 ロバートが慌てて母さんを制止するが、母さんはそれを振り払うようにして声を荒げた。

「あんたはどうしてそうわからず屋なの……! そりゃ、いきなり『この人が新しい父親です』なんて言っても、無理だと思う。だけど、あんたは一度でもこの男性(ひと)のことを理解しようとしたことがあるの!? ロバートは一生懸命あんたと打ち解けようと頑張ってるのに……」

「よさないか、レナ!」

 再びぼくに手をあげようとした母さんを、ロバートが押しとどめる。そしてなだめながら、ゆっくりと椅子に座らせた。

「ともかく、座って話そう。ほら、エンノイアくんもこっちにおいで」

 しかし、今のぼくにはロバートの言葉などひとつも届かなかった。母さんがロバートを好きなことも、母さんに叩かれたことも、ロバートが場を取り仕切ろうとしていることも、なにもかもが理不尽で、不愉快で、気持ちが悪かった。

 ――いやだ。

 ぼくの頭にあるのは、ただそれだけだった。そして、ぼくはひとつの結論にたどりついた。

「……いだ」

「え?」

 母さんをなだめていたロバートが、こちらを振り向く。母さんはうつむいたままだ。

 ぼくはついにその言葉を口にした。


「母さんなんて大っ嫌いだー!」

 声の限り叫んだあと、ぼくはたまらず部屋から走り出た。

 ロバートがぼくの名を呼んだ気がしたが、もう止めることはできなかった。ドアを突き破るのではないかと思うほどの勢いで、玄関を飛び出す。


 ……どうしてあいつなんだよ。

 母さんが仕事で疲れてるときも、父さんが長く家に帰らないときも、支えてきたのはぼくなのに。


 街の人が驚いて、駆けているぼくの方を見る。

 でも、気にもとめず走り続ける。


 やっぱりヤキモチなのかもしれない。でも、怖いんだ。母さんがぼくよりロバートのほうに行っちゃうのが。

 お願いだから、ぼくを一人にしないでよ。


 涙がこぼれてきた。それをごまかすように、ぼくはひたすら走り続けた。

 背後で必死に後を追いかけてくる気配がする。それは母さんでも、ロバートでもなく、デュークだった。ぼくは追いつかれまいと、走り続けた。

 街灯や赤レンガの家並みが、飛ぶように流れていく。

 十分ほど走っただろうか。ふと気づくと、ぼくは川原に立っていた。

 川原の周りに立った木々の葉が、寒そうに揺れている。今は三月、まだ春と言うには早すぎる。川面から流れてくる冷たい空気が、ぼくの火照った顔を冷ましていく。いつの間にか日は暮れて、ぼくはあたりが肌寒くなってきたことに気がついた。

 ――コートを着てくればよかったな。

 すこし冷静になって、あらためて思った。学校から帰ったあと、着のみ着のまま飛び出してきた。シャツの上にベストと、制服のジャケットを着ているだけだ。

 これからどうしよう。一度帰ろうか?

 ぼくは首を振った。いや、帰るもんか。ずっとここにいて、心配させてやろう。そう思ったとき……。

「……エンノイア」

 いつかも聞いた声が、ぼくの名前を呼んだ。男とも女とも、若者とも老人とも区別がつかない。話している内容はわかるのに、どんな声だと表現することができない。そんな、頭のなかに直接語りかけてくるような響きだった。

 そうだ、これは、今朝教室で聞いたのと同じだ。

「だれ? どこから話しているの?」

 ぼくは宙に向かって叫んだ。

 あたりには誰もいない。近くの木の枝に、追いついてきたデュークがとまっているだけだ。木々のざわめきが一層激しくなって、声の主は、あっさりとぼくの質問に応じた。

「我が名はアイオロス。……おまえはあの男から母親を取り戻したいのだろう?」

「!」

 「取り戻す」という言葉に、ぼくの心は動揺した。なぜ声の主はそんなことを知っているのだろう。

「と、取り戻したいだなんて……。ぼくはべつに……」

 こんな姿も見えない相手だというのに、ぼくは必死に言い訳した。

「隠さずともよい。わたしにはおまえのことがわかっているのだ」

 ぼくのことがわかっている? 一体だれだというのだろう。

 すると、声の主はとんでもないことを言い出した。

「その願い、叶えてやろう」

「本当に!?」

 そんなばかな話があるわけがない。わかっていても、心臓の鼓動は止まらなかった。

「……でも、どうやって?」

「すべてはわたしの思うがまま。おまえは、どうしたい? おまえは、なにを望むのだ?」

 声の主は面白がるように言った。ぼくは、どうしたいんだろう。母さんとロバートを結婚させたくない。だから、だから――。

 恐ろしい考えが浮かびそうな気がして、頭を振った。ちがう、そこまでしたいわけじゃない。

「母さんに、ロバートのことを忘れさせて。二人が出会わなかったことにしたい」

 ぼくは、震える唇で懸命に告げた。声の主は静かに、わかった、とだけ答えた。

「ただし、条件がある。アイオリア国の国王が持つ『プネウマの鏡』を割ってほしい。そうすれば、願いを叶えてやろう」

 ぼくは首をひねった。

 アイオリア? まだ世界地図はよく覚えてないけど、そんな国は聞いたことがない。

「アイオリアって……そんな国どこに……」

 そう言いかけたとき、目の前が明るく輝いた。あまりの眩しさに、まわりが見えなくなった。木々のざわめきも、川の流れる音も消えていった。

「エンノイア!」

 消えゆく世界のなかで、母さんの声が聞こえた気がした。

「エンノイアくん!」

 これは幻だろうか。白んだ視界のなかに息を切らしながらこちらに走ってくる母さんと、その隣にロバートの姿が見えた。

「母さん……」

 二人に手を伸ばそうとするが、届かない。そのうちに、ぼくの意識は遠のいていった。

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