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第二十八話 テラスティアの宝玉

 司祭が――亡くなってしまった。

 ぼくは司祭の体にすがりついたまま、少しも動くことができなかった。冷たくなっていく彼の体よりも早く、自分の体温が失われていく気がする。

 外の人に知らせたり、司祭の遺した言葉について考えたり。すべきことはたくさんあったはずだが、今のぼくには何も考えられなかった。

 涙は出ない。しかし指先の震えがずっと止まらなかった。悲しいのか、怖いのか、あるいは悔しいのか。自分でもわからなかった。


 やがて、扉の向こうから複数の人の話し声と足音が聞こえた。リュクルゴス隊長たちが魔物を倒し終えて戻ってきたのだろう。声を聞いているだけで、興奮し顔を紅潮させた兵士たちの様子が容易に浮かぶ。

 しかし今のぼくにとって、浮かれた人々の会話など耳障りな音でしかなかった。

 立ち上がらなければと思うが、体に力が入らない。

 そのうちに、扉の向こうの足音が激しさを増した。声も先ほどのような浮かれたものではなく、不安に満ちたざわめきへと変わった。

 やがて開け放したままの部屋の入り口に複数の人の気配を感じた。

 おそるおそる顔を上げると、やはりリュクルゴス隊長率いる討伐隊数名だった。街に残ったのか、副隊長のゾアはいない。彼らは司祭の亡骸にしがみついたぼくを見て初めなにがなんだかわからなかったようだが、そのなかの一人が思わぬことを口にした。

「お、お前。よくも司祭様を!」

 ぼくの思考は完全に停止していたにもかかわらず、その兵士の言わんとすることを理解するのに長くはかからなかった。あまりの想定外の事態に、ぼくは驚愕して目を見開いた。

「ち、ちが……ぼくがやったんじゃ……」

 何か言わなければいけないと思うのに、頭が混乱して言葉が出てこない。

「司祭様から離れろ!」

 ぼくは全身の力が抜けていたにもかかわらず、本能的な力が働き、慌てて司祭の体から飛びのいた。

 ずっとしがみついていたせいで、ぼくのシャツは血で真っ赤に染まっていた。シャツの下の肌に、貼りつくようにじっとりと嫌な感触が伝わった。

「あの、怪しい男が入っていくのを見たんです」

「どこにもいないではないか!」

「また、バルコニーから出たのかも……バイバルスはワイバーンを召喚できるし……」

「そんな目立つものが飛び立ったら、戦っていた我々とて気づいたはずだ!」

 ぼくがなにを言っても通用しない。部屋にたった一人で、司祭の亡骸を目の前にして、シャツを血で染めた人間の話など誰が信じるだろう。

 誤った方向に状況を理解した他の兵士たちもヒステリックに騒ぎ立て始めた。

「いつも俺たちの周りをちょろちょろして。どうりで怪しいと思ったんだ」

「これが目的だったのか」

「貴様を連行する!」

 兵士の一人がぼくの喉に剣を突きつけた。ひっ、という声さえも飲み込む。わずかにでも動けばその鋭い切っ先が触れてしまう。

 まさかこんなことになるなんて! 冷や汗が顔をつたい、目の前が真っ暗になった。

 別のすこし立派な鎧を着けた兵士が乱暴に腕を掴む。抵抗するすべはなかった。彼はぼくの膝の裏を蹴り無理やりひざまずかせると、リュクルゴス隊長に険のある声を投げかけた。

「この少年を雇ったのは隊長だとおっしゃっていましたね」

 奥から、これだからウタイは信用ならないんだ、と囁く声が聞こえる。

「おい、やめろ。隊長、疑うわけではありませんが、いずれにせよあなたの責任は免れませんよ」

 リュクルゴス隊長はどんよりとした目でぼくを見ていたが、やがておもむろに口を開いた。

「ああ、そのとおりだ」

 ぼくはその言葉に絶望した。隊長まで、ぼくを疑っているなんて……。

「ここに兵を残していかなかった、俺の責任だ。だが、司祭様を亡き者にしたのはその少年ではないと思うぞ」

 騒然となった室内に、リュクルゴス隊長の低い声が響く。さほど大きな声ではないのに、その貫禄のせいか、一気に部屋が静まり返る。

 彼は無言のままつかつかと司祭の体に歩み寄ると、目で床を示した。

 相変わらず白タイルの床には真っ赤なシミが広がっている。リュクルゴス隊長はそのまま視線を移動させた。

 その先を追うと、部屋を横切るように、司祭の体の下に広がるシミから点々と赤い液体が続いていることに気付いた。

 そしてその行きつく先は……壁だった。

 いかにもひんやりと冷たそうな、石造りの壁。周囲の壁には隙間なく本棚が並べられていたが、意識して見れば不自然なほどその壁の部分だけぽっかりと開いていた。

 血はそこで途切れている。

 リュクルゴス隊長は血の跡をたどるように歩き、不審な壁に近づいた。そしてその壁を押した。

 ぼくは息を呑んだ。石と石のこすれる音がしたかと思うと、壁の一角、扉一枚分ほどの大きさの区画が、まさに扉のように奥に向かって開いたのだ――いわゆる隠し扉というやつだ。

 隊長がこちらを睨むと、ぼくを掴んでいた兵士は気まずそうに手を放した。

 助かった……。ぼくは全身の力が抜けて、その場にへたり込んだ。

「神官を呼んでくれ」

 リュクルゴス隊長は神官の一人に、この隠し扉について尋ねた。神官は初めこの状況に激しく動揺していたが、この神殿にはもともと有事に備えて直接街の外へと出られる隠し通路がつくられていたこと、そしてそのことは一部の神殿関係者だけの秘密であったことを話してくれた。


 隠し扉の向こうを覗き込むと、ひんやりとした空気が流れてきた。

 暗くてよく見えないが、下向きの階段が続いているようだ。そしてその階段にもやはり赤い液体が点々と垂れていた。

 リュクルゴス隊長はすぐに数名の兵士を調査に向かわせた。

「向こう側に取っ手はない。こちら側からしか開けられないようだな」

 向こう側から開けるときは扉を引かなければならないのだから、取っ手がなければ開けることができない。リュクルゴス隊長が扉の反対側をさわり、取っ手がないことを示す。

 まだ手の震えはおさまらなかったが、疑いが晴れたことでぼくの頭は落ち着きを取り戻し、ようやく伝えるべきことを思い出した。

「怪しい神官が部屋に入るのを見ました。でもぼくがこの部屋に入ったとき、すでにそいつはいなくなっていたんです」

 ぼくは神殿に戻ってきた経緯、神官の妙な歩き方について話した。

「そうか……神官か……」

 リュクルゴス隊長は目を閉じ、ぼくの話を苦渋に満ちた表情で聞いていた。それもそのはず、ぼくたちはまたしてもバイバルスにしてやられたのだ。

 それも、まだ助かるかもしれないルイーズと違い、司祭の命は無残に奪われてしまった……。

「バイバルスは、どうして隠し通路のことを知っていたのでしょう?」

 さっきの兵士――小隊長らしい――が、おずおずとリュクルゴス隊長に尋ねる。しかし隊長は首を振った。

「それは、わからん。大学で情報を得たのかもしれん」

 ぼくはもうひとつの謎について考えていた。なぜバイバルスは司祭を狙ったのだろう? 普通に考えれば、ぼくたちに魔界への行き方が伝わるのを阻止するためだろう。だけど、そもそも魔界へ来いと言ったのはバイバルスなのだ。

 考えるうちに、ぼくは大事なことを思い出した。

「司祭様が亡くなる直前に、魔界への行き方を伝えてくれました」

 ――プネウマの鏡に宝玉を。魔界の封印が解ける。

 リュクルゴス隊長は宝玉という言葉を聞き、はっとした表情になった。

「この言葉の意味がわかるんですか?」

「ああ。この国で『宝玉』といえば、テラスティアの宝玉しかあるまい」

 この世界に来てから、『テラスティア』という言葉を何度か耳にしている。

 テラスティアというのは、いつかシーアが話していた、かつてこの国を含め広大な土地を支配していた国だ。

 リュクルゴス隊長によれば、テラスティア時代につくられた五つの宝玉というものがあるらしく、その宝玉をプネウマの鏡に嵌めることによって魔界への扉が開かれるのでは、ということだった。そういえばそんな穴が鏡の縁に空いていたのを、ぼくは思い出した。

 宝玉はテラスティア時代の神殿の遺跡に厳重に祀られているらしい。

 リュクルゴス隊長は『厳重に』という部分を特に強調して言った。

 神殿の場所こそわかってはいるが、その入り口は固く閉ざされ、今まで開かれたためしがないという。

 要するにテラスティアの神殿の遺跡の中に宝玉がある、というのは伝説のようなもので、実際にそれを目にした者はいないのだ。

 しかもテラスティアは現在の三か国にまたがる巨大な国だったので、その神殿もまた三か国のあちこちに点在している、と。

 このアイオリアに二つ、東のアディスという国に一つ、北のチュートニアという国に二つ。

 それを集めるのに、どれくらいの時間がかかるのだろう。そして、いつになったらぼくは元の世界に帰ることができるのだろう。

 あまりの果てしなさに、ぼくは再び崩れ落ちそうになった。

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