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第二十七話 失われた希望

挿絵(By みてみん)


 ――どうか思い過ごしであってほしい。

 そう願いつつ、ぼくは疑惑の神官が消えた方向へと急いだ。

 もしもあのローブの男がバイバルスだとしたら、一刻の猶予もない。ぼくはノックをする間もなく、神殿の中でも一際立派な扉を乱暴に開け、中に飛び込んだ。


 一瞬、中には誰もいないのかと思った。

 確かに、ぼくの目の高さに人はいなかった。円形の石造りの部屋には、壁に沿ってところ狭しと本棚が並べられていて、部屋の中央には、分厚い本が乱雑に積まれた豪華な机が置かれていた。机の縁には金があしらわれ、眩しいほどに光っている。優美な曲線を描いた机の脚。そのラインを辿り、徐々に目線を下げると、ぼくの視界に恐ろしい光景が映った。


 机の前に大きく横たわった物体。それは、血を流して倒れる司祭の姿だった。

 緋色のローブの胸のあたりに、明らかに布地の赤とは異なるドス黒い液体が染み出していた。

「あ……あ」

 声にならない。足の力が急速に失われて、無意識のうちに尻もちをついた。歯の根がかみ合わずガチガチと音を立てている。次第に目の前が霞み始め、ぼくの意識は遠のこうとしていた。

 しかしその時、視界の隅に僅かに動く司祭の口元を見つけて、ぼくは気を取り戻した。まだ息がある!

「司祭様!」

 ぼくは震える足でよろけながら必死に立ち上がり、慌てて司祭に駆け寄った。仰向けに横たわった司祭の背に手を差し込み、抱きかかえようとするが、支える力を失ったその体をぼく一人の力で持ち上げることは不可能だった。

 引き抜いた手に赤黒い液体がべったりと貼りつく。よく見れば、血で汚れたローブの胸元には、鋭利な刃物で差し抜かれたような跡があった。

 司祭を貫いた凶器はおそらく胸から背にまで達したのだろう。背から溢れ出た血は白いタイル張りの床を真っ赤に染めていた。

 全ての血液が流れ出てしまったかのように、蒼白な顔面。虚ろなその瞳はかろうじて開かれてはいるが、ぼくを見ているのか、いないのか。

 ぼくは彼に一刻も早く手当てを受けさせてあげたかった。部屋の扉は開け放したままであるにもかかわらず、怪我人の手当てで忙しいのか誰もこちらの様子に気づかない。早く外の神官たちに知らせなくては。そう思って立ち上がろうとした時、思いがけず強い力に引き戻された。


 なんと司祭が、弱々しく投げ出されていたその手でぼくの上着の裾をしっかりと掴んでいたのである。

 彼の顔を見ると、目は光を取り戻しカッと見開かれていた。そして、口を何らかの発音の形に動かしているのが見て取れた。その口元は確かに何かを語ろうとしているのだ。

 しかし、ヒューヒューと息が漏れるばかりで、声になっていない。

「司祭様! 司祭様! しっかりして下さい! 何を仰ろうとしているんですか!?」

 口に耳をつけるようにして、必死に司祭の言わんとする言葉を掴もうとする。すると、その口元からかすかに声が漏れ始めた。

「魔界……かた……かりました」

「魔界!? 魔界への行き方がわかったんですか!?」

 ぼくの問いかけには答えず、司祭はなおも声を絞り出す。

「プネ……マ……に……ぎょ、く……を」

 司祭の声はかすれていて、上手く聞き取れない。

 『プネ……マ』とはプネウマの鏡のことだろうか? 『ぎょく』とは何だろう?

 司祭は辛そうに肩で息をする。せっかく光を取り戻した瞳が、今にも閉じられようとしていた。それに、急に力んだせいだろう。胸元のドス黒いシミの上に、新たに真っ赤な血が吹き出てきた。

 もう見ていられなかった。やはり手当てを。立ち上がろうとするが、またも強い力に引き戻される。この状態で、どこからそんなに強い力が生み出されるのだろう。その瞳から光が失われつつあっても、ぼくを掴んだ手だけは絶対に放そうとはしない。


 ぼくは悟った。彼は自らの死を覚悟しているのだろう。その前にどうしても彼の責任を果たしたいのだ。

 必死に司祭の肩をゆすり、彼の目が閉じられるのを阻止する。

「お願いします! もう少しだけ頑張って下さい! 『ぎょく』とは何ですか!?」

 ぼくの言葉が届いたのか、彼は再び目を見開いた。

「ほ……ぎょく……」

「ほ……ぎょく? 宝玉!?」

 司祭は頷く代わりに大きく息を吸った。そして、今までで一番力強い声で言った。

「魔界の封印……解ける」


 ――プネウマの鏡に宝玉を。魔界の封印が解ける。


 これが司祭の伝えたかったことだろうか。これが、魔界への行き方だと。

「そうですね!? 司祭様!」

 もはや返事はなかった。そこまで言い終えた司祭は安心したように、静かに目を閉じた。

 ぼくは司祭の体にすがりつき、必死に呼びかけ続けた。


 しかし何度呼びかけても、どんなにゆすっても、閉じられた目が再び開かれることはなかった。

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