第二十六話 不穏な気配
ぼくは再び司祭のいる神殿に向かって歩いていた。
周囲の建物の破損具合が、魔物の力の凄まじさを物語っている。柱がなぎ倒され、屋根の落ちた神殿。壁が破壊され、居間がむき出しになってしまった民家。
建物の中にいた人々はどこへ行ったのだろう。上手く逃げ延びたのかもしれないし、打ち砕かれた壁や柱の餌食になったのかもしれなかった。
死体を見ることはなかったが、魔物と格闘する兵士に紛れて、怪我人を担架で運ぶ兵士の姿があった。ぼくはワイバーンに襲われた村のことを思い出して胸が痛んだ。
――大きな街はまだ幸いだ。あの村は、こんな手厚い保護を受けることができなかったんだから。
目の前に広がる悲惨な光景と、人々の異様な熱気にめまいがした。早く神殿に戻りたかった。脇腹が痛むせいかもしれない。さっきまでの意気込みが嘘のように、ぼくの気は縮んでしまったのだ。
魔物は街の入り口から大通りに沿って這っていって、中心部あたりにまで達していた。大通り付近の建物は無残に破壊されていたが、幸い司祭のいる神殿は街のなかでも最深部の、小高い丘の上に位置している。空を飛ぶ魔物でなければ、あの人垣を飛び越えて襲われるということはないだろう。
やや丘を登ったところで、下の街から歓声が響いた。
この丘から魔物のいる地点までは五百メートルほど離れているが、街の建物は高くてもせいぜい三階建てで、しかも魔物の襲撃により一部は破壊されていたので、建物が視界を遮ることはない。さらに高低差のせいもあり、街の中心部をよく見渡すことができた。
見れば、ちょうど魔物の一体が倒されたところだった。
蛇のような胴体をした魔物は、その長い体を石畳の地面にぐったりと横たわらせていた。体をS字状にくねらせながら、しばらく痙攣していたかと思うと、次第にその動きは弱まっていった。
そうしてぴくりとも動かなくなったとき、横たわった魔物の胴体に、一人の人間が勝ち誇ったようによじ上った。それを皮切りに次々と人々が上り始め、口々に雄叫びを上げる。
その叫びは、丘の上にまで響いてきた。みんなの勝利にホッとする反面、自分があの場にいないことがすこし悔しい。とはいえ、今さら戻ろうという気にはなれなかった。
残るもう一体の魔物は倒されたほうと全く同じような外見をしていたが、この丘からはより離れた、つまり街の入り口側の方にいた。しかしその一体もすでに六本の腕が切り落とされ、倒されるのは時間の問題と思われた。安心して、ぼくは司祭のいる神殿を目指す。
魔物に弾き飛ばされた拍子に打った脇腹が、まだヒリヒリと痛む。傾斜のある道を歩くときはなおさらだった。どうせ誰も見ていないのだし、ぼくは脇腹をかばいながら、ヒョコヒョコと妙な歩き方で坂を登っていった。
しばらく行くと、神殿の三角屋根が見えてきた。白大理石でできた柱の一本一本が、春の穏やかな日差しを受けて輝いている。ここだけ見れば、まさに平和そのものだった。
しかし重厚な装飾のついた扉を開け神殿に入ると、なかはざわついていた。控えの部屋に怪我人が寝かされている。神官たちが忙しそうに動き回っていた。
所在なく立っていたぼくは、一人他とはちがう動きをする神官の姿に気がついた。彼は怪我人の手当てをするでもなく、静かに奥の部屋へと消えていった。奥は司祭のいる部屋だ。
そのとき、ぼくはふと違和感を覚えた。
彼の歩き方はどこか変だったのだ。ぼくがさっきやっていたように、腹部を押さえながら、妙な足取りで歩いていった。そう、まるで、腹に怪我でもしているかのように。他の神官は誰も彼のことを気に留めていない。というより、怪我人の手当てに忙しく、その余裕がないようだ。
目深に被ったフードに、腹部の怪我……。ぼくはふと嫌な予感がした。