第二十二話 道中 part 4
「ときにエンノイア。お前、剣は使えるか?」
ぼくを励ましてくれていたリュクルゴス隊長が、ふいにそんなことを言った。
「つ、使えません」
隊長は、ぼくに戦ってほしいのかな。しかし剣なんてまともに握ったこともなければ、使えるはずもない。ほんとにぼくはここにいても役立たずだ。せっかく励ましてもらったのに、ますます落ち込んでしまった。
すると彼は、思いがけないことを言った。
「覚える気はないか? よかったら後で教えてやるよ」
「ほんとに!?」
その言葉に、ぼくは心が踊った。ルイーズがあのローブの男バイバルスに捕らわれてしまったとき、隊長の剣さばきがかっこよかったのなんのって。そんな彼に、剣を教えてもらえるだなんて!
自分が剣を振るっている姿を想像すると、おとぎ話のヒーローのようだった。
「もちろんお願いします!」
「お、威勢がいいな。見込みがあるなら毎日教えてやるよ」
ぼくはめいっぱいうなずいた。
やっぱり「嫌われている」だなんて、ぼくを励ますための嘘だったんだな。こんなに親切な人が嫌われ者なわけないもん。
それから、ぼくは仕事の合間に剣を教えてもらえることになった。
とりあえず見よう見まねで、手渡された剣を両手で持ち、正面に構えてみる。
「なかなかいいじゃないか。よし、打ち込んでこい」
そう言って、隊長はぼくと距離をとった。
「あ、はい。えーっと」
ぼくは、さっき見た兵士たちの剣の使い方を思い出していた。たしか、こんな感じだったかな。
「やあっ」
適当なイメージでそれっぽい声を上げ、数メートル離れたところに立っている隊長に向かって走った。それから、恐る恐る剣を振り上げる。そして恐る恐る振り下ろす。
しかし距離の取り方を間違えたのか、剣先は隊長には届かず地面に突き刺さった。
「あれ?」
隊長は笑いのツボにはまっているようだった。
「あ、は、は、は。傑作だな」
気を取り直してもう一度。今度はしっかり近づき、剣を片手に立つ隊長の間近で刃を下ろす。
しかし、彼を切ってしまうのではないかと思うと途端に怖くなって、ぼくは剣を振り下ろす手の力をゆるめてしまった。
隊長は自らの剣でぼくの剣を弾き飛ばした。
「遠慮なくやってくれ。お前に手加減されるほど落ちぶれちゃいないぜ」
驚いているぼくに、隊長は挑発するように言うと、もう一度やってみろと言った。
さっきのでこつをつかんだのか、今度はスムーズに近づくことができた。心のなかでかすかに躊躇しつつも、めいっぱい剣を振り下ろす。
かなりの力を込めたというのに、隊長は片手でぼくの剣を受け止めた。耳に痛いほどの金属音が響き、反動で手がじいんと痺れる。
「よし、今度はこっちからだ!」
交わらせた刃を離し、今度はリュクルゴス隊長がそれを振り下ろす。ぼくはとっさに目をつぶり、身を縮めた。
「目を閉じるな! 自分の剣で受け止めるんだ!」
ぼくはその言葉に目を開くと、剣を斜めにして構えた。そこに斬り込むようにして剣先が当てられる。かなりゆっくりではあったが、ぼくは心臓のどきどきが止まらなかった。
それから、ぼくたちは何度もそれを繰り返した。初めはゆっくりと、徐々に速く。
「なかなかスジがいいな。だが、斬り込む際にまだためらいが見えるな。もっと思いきり振り下ろさなければだめだ」
力強くうなずくぼくに、隊長はすこし複雑な表情をした。
「もっとも、そのためらいを忘れてほしくはないけどな……」
彼は、今日はこれまで、と言って汗をぬぐった。そして剣をしまうと、近くにいた若い男を呼び寄せた。
「エンノイア、紹介しよう。討伐隊副隊長、ゾアだ。わからないことはこいつに聞くといい」
まだ二十代半ばくらいだろう。あどけなさの残る顔をした彼は、この国では珍しく短髪で、いかにも若者らしく、日に焼けて、活き活きとしていた。
「じゃ、俺はこのへんで。また後でな」
そう言って彼が仕事に戻ろうとすると、そこに衛兵隊のヴァシリス隊長が通りかかった。
「おやリュクルゴス隊長、ひまそうですな。おたくの雇った少年のせいでこちらは大忙しですよ」
「あいつはなかなかやります。タウロスを前にして逃げ出すそちらの兵とはちがってね」
彼らはまた皮肉合戦を繰り広げていた。
その光景をぽかんと眺めているぼくに、副隊長ことゾアが、よろしく、と手を差し出してくれた。彼は休憩時間らしく、ぼくたちは無事だったテントの側に腰掛けることにした。
「きみがエンノイアくんだね。なにか聞きたいことはあるかい」
さっそくぼくは気になっていることを聞いてみることにした。
「すっごく失礼なことかもしれないんですけど」
「なんだい。何でも言ってごらん」
「リュクルゴス隊長とヴァシリス隊長って、仲が悪いんですか?」
あまりにぶしつけな質問にゾアは少々面食らったような顔をして、あたりを見回した。他の兵士たちはテントを繕ったり馬車を修理したりしていて、ぼくたちを全く気に留めていないようだ。彼はそれを確認すると、苦笑しつつ答えてくれた。
「ああ……。残念ながら、事実だね」
「どうして仲が悪いんですか?」
「それにはちょっと込み入った事情があるんだ。アイオリア軍には、『討伐隊』と『衛兵隊』があるだろ」
ぼくはうなずいた。
「それぞれの隊を束ねるのが、リュクルゴス隊長とヴァシリス隊長なわけだが、さらにその二つの隊を統括する、『将軍』という役職が存在する。現在アレキサンダー様がその職に就いてらっしゃるが、その方が引退なされば、当然次の将軍はどちらかの隊の隊長ということになる。まあ、そういうことさ」
ゾアは言葉尻を濁したが、ぼくにはだいたい想像がついた。つまり、次の将軍をめぐって、仲が悪い。そういうことだろう。
「実のところを言うと、ヴァシリス隊長の方が、一方的にリュクルゴス隊長を目の敵にしているんだが……おっと、これは聞かなかったことにしてくれ」
「それで、結局のところどっちが優勢なんですか?」
ぼくはリュクルゴス隊長に将軍になってほしいと思った。ヴァシリス隊長はどことなく意地が悪そうだからだ。
「それはまだ何とも言えないな。ヴァシリス隊長の御家は代々、軍の要職を勤めてきた家系で、実力・家柄ともに申し分ない。だが癇癪持ちだし、差別主義だし……人望があるとは言い難いな。対するリュクルゴス隊長は、特に討伐隊からの支持が大きく、王からの信頼も厚い。……厚すぎるというべきかな」
ぼくが首を傾げると、ゾアは声をひそめて、言葉を選びながら言った。
「ほら……わかるだろ。陛下は隊長に対して、つまりその……特別に好意を寄せているから、ヘタに昇格させたりすると、よからぬ噂を立てられかねないんだ。陛下が隊長をひいきしている、とかね。実際には、陛下は感情で決めたりなさる方じゃないんだが……。だから、誰もが納得できるような大きな手柄がなければ、リュクルゴス隊長が将軍になるのは難しいんだ」
ふうん。わかったようなわからないような。
「それともうひとつ……これは俺から聞いたって言わないでほしいんだけど」
渋るゾアに話を促すように、ぼくは何度も頷いた。
「リュクルゴス隊長が将軍になるのを難しくしている一番の理由は、彼が異民族だということなんだ」
「異民族?」
あまり耳慣れない言葉に、ぼくは思わず聞き返した。
「そう。彼はアイオリア人ではない。このアイオリア島の西部に住む、ウタイ族という部族の出身なんだ」
ぼくははっとした。
リュクルゴス隊長の名前はリュクルゴス・ヘイロウタイという。
ヘイロ――ウタイ。
ぼくが変わった名字だというと、周りの兵士たちに笑われたことがあった。それから、リュクルゴス隊長の言葉を思い出した。彼は自分のことを「嫌われ者だ」と……。それを言うと、ゾアはひどく悲しい顔をした。
「うん。皆が皆ではないが……ウタイを嫌ったり、バカにしたりする者がいるのは確かだね。それに、十年ほど前までウタイ族とこの国は戦っていたんだ。そのせいで、ウタイを恨んでいる者もいる」
ぼくは悲しくなった。あんなに親切で明るい良い人なのに、出身や立場の違いで、嫌われたり、笑われたりするなんて。
そんなぼくを見て、ゾアは付け加えた。
「とはいえ、彼が傑物であるのは確かさ。そんな不利な立場にありながら、若くして討伐隊長となり、今では多くの兵たちに支持されている。そのことがそれを証明しているよ。俺も隊長のことを尊敬している」
「おおい、ゾア。ちょっと来てくれ!」
ゾアが言葉を続けようとしたとき、リュクルゴス隊長がゾアを呼んだ。彼は冗談っぽく頭を抱えた。
「ああしまった、おしゃべりが過ぎたようだな。悪いくせなんだ。じゃあ、またね」
そう言って、ゾアは行ってしまった。
リュクルゴス隊長について話すゾアは、本当に誇らしげだった。