第十六話 救出作戦
ルイーズは連れ去られてしまった。かつてルイーズの友人だったという男、イスマイル・バイバルスによって。
目まぐるしい展開が続き、ぼくはしばらくの間なにも考えられなかった。
バイバルスが現れたときルイーズと共にプネウマの鏡の部屋にいたため、初めこそ疑われもしたものの、ルイーズに直々に連れてこられたのだとわかると、誰にも構われなくなった。それどころではないと言ったほうが正しいかもしれない。
ぼくを放置したまま事態の収拾に奔走する人々を見ていて、ぼくはようやく自分が置かれた状況の深刻さがわかってきた。
――元の世界へ帰れないのだ。
ぼくは辺りの兵士たちに元いた世界について尋ねてまわった。だけど、誰もそんなことを知るはずもない。からかっているか、頭がおかしいと思われるだけだった。
――そんなばかな。
ひどい動悸がする。次第に目の前が真っ暗になっていく。あまりにも絶望的な状況に、心がついていかない。ぼくは呆然としたまま、一階の広間の椅子に腰掛けていた。
これからどうすればいいのだろう?
生きていかなければならないのか? この見知らぬ世界で? 魔物や凶暴なモンスターに満ち溢れた、この世界で? 母さんとも二度と会えないまま。
知らず涙が零れた。
――突然すぎる。あまりに突然すぎるよ。
「大丈夫か?」
うなだれていた頭にコツン、とコップを当てられた。見上げると、そこにはリュクルゴス隊長が立っていた。彼は手に持った飲み物をぼくに差し出し、心配そうにぼくの顔を覗き込んだ。
「陛下のこと、知らせてくれてありがとな。怖かったろう」
そう言って、隊長はぼくの頭に軽く手を置いた。わっと泣き出しそうになるのを、ぼくは必死でこらえた。
ルイーズがさらわれたとき、一番動揺していたのはリュクルゴス隊長だった。がっくりと膝をつき、自分自身の愚かさを罵っていた。それが今では冷静さを取り戻し、ぼくを気遣ってくれている。
「すみません……。あの短剣を投げたのはぼくなんです」
そう。ぼくがルイーズがさらわれる原因を作ったのだ。あのとき、短剣を拾ってさえいれば。
「いいや、それはお前のせいじゃない。ちゃんとそういうことを確認しなかった俺や、兵士たちの責任だ」
リュクルゴス隊長は気を取り直すように、笑って言った。
「そういえば自己紹介がまだだったな。もう知っているかもしれないが、俺はリュクルゴス・ヘイロウタイ。こう見えても討伐隊の隊長だ」
リュクルゴス隊長は、黒の長い髪を後ろで一つに束ね、額にはバンダナを巻いていた。いかにも軍人らしくがっしりとした体には、革でできた鎧を装備している。歳は三十代前半といったところだろう。顔は日焼けしていて、精悍ではあるが、温かみのある顔立ちだった。
ぼくは力なく笑い返すことしかできなかった。
「エンノイア・グノーヴァーです」
よろしく、と言いかけた時、広間で歓声が上がった。
見ると、広間で兵士たちが一様に整列していた。兵士たちの前には、中年の軍人が立ち、その男が『陛下を救出するぞ!』と一声叫ぶと、兵士たちが一斉に賛同の声を上げた。
「王さまを助けに行くんですか? その、『魔界』に」
「ああ、もちろんだ。バイバルスの思うツボではあるが……それしか方法はあるまい。すでに執政官から救出の命令が出ているしな」
ぼくははっとした。ぼくをこの世界に連れてきたのはルイーズだ。ルイーズならば、元の世界への帰り方を知っているかもしれない。
バイバルスは「魔界へ来い」と言っていた。目的はわからないけど、ルイーズにすぐに危害を加えるつもりはないようだった。
あきらめるのはまだ早い。ぼくは心を奮い立たせた。
「じゃあ、俺はそろそろ行かなきゃならん。エンノイア、大丈夫か? 一人で帰れるか?」
「大丈夫です。ありがとうございました、リュクルゴス隊長!」
ぼくが元気を取り戻したことに安堵したらしいリュクルゴス隊長は、整列している兵士たちの前に歩み出た。
「諸君。我らはこれより国王代理、執政官閣下の命によりて、国王陛下救出の任に就く。敵は魔界に通ずる非道の魔術師、イスマイル・バイバルス。だが同志たちよ、恐れることはない。我らアイオリア軍が力を合わせれば、恐れるものなど何もない。各々、心してかかるがよい……!」
そう言うと、リュクルゴス隊長は自らの剣を掲げた。兵士たちも同様に剣を掲げ、鬨の声をあげた。
広間の窓から差し込む光を受けて、無数に掲げられた兵士たちの剣が、きらきらと輝いていた。