第十二話 闇よりの使者 part 2
「だれが王になろうと同じこと。わたしの邪魔はさせん!」
男の背後から、無数の黒い糸のようなものが飛び出した。糸は部屋中を覆うように広がっていき、ルイーズとぼくのまわりを取り囲んだ。そしてあっという間にルイーズを縛りあげると、彼女を高々と持ち上げた。
「王さま!」
巻きついた糸が、ルイーズの腕や胸を痛々しく締めつける。ぼくは彼女を助けようと走った。しかし、一瞬ふわりと浮きあがる感覚がしたと思うと、みるみる床が遠ざかっていく。
「うわああああ!?」
いつの間にかぼくの足にも糸が巻きついていたようだ。右足に巻きついた糸で持ち上げられ、ぼくは逆さまの状態で、宙づりになってしまった。
右足に全体重がかかり、付け根が引き裂かれそうなほど痛んだ。
「何するんだよ! 放せよ!」
男は全く見向きもしない。
「バイバルス、エンノイアを放しなさい! その子は関係ないはずよ」
ルイーズが顔を引きつらせながらも叫ぶ。
「さてね、それはどうかな。この少年はいずれ王になるのであろう?」
男は面白がるように言った。
「ならば……今のうちに始末しておいたほうが都合がいい」
男の声に反応するように一斉に糸が集まってきて、ぼくの体を縛りつけた。骨にまで伝わるほどの、強烈な痛みが走る。
――まずい。このままじゃ、本当に殺される。
ぼくの脳裏に、母さんの顔が浮かんだ。
――お願いだ。せめてもう一度だけ、母さんに会いたい。だから、それまでは死にたくないんだ。
ぼくは、だれともわからない相手に必死にすがった。
ふと顔の横に気配を感じて目を開けると、デュークが心配そうにぼくを見つめていた。しかし残念なことに、鳥であるデュークにはどうすることもできないようだ。
「ぼく、もうだめかもしれない……」
デュークのつぶらな瞳がきらりと光った。そして彼はあきらめたのか、ぼくの視界から消えた。
コツン。
ズボンのベルトに硬いものが当たる。見れば、デュークがくちばしでベルトをつついているようだ。
コツコツコツコツ。
注意を引くように、何度もつつき続ける。
「なんだよデューク。ベルトがどうかして……」
ぼくははっとした。
そうだ。シーアにもらった短剣。
王宮へ入る前、シーアは丸腰では不便だろうということで、ぼくに短剣をくれた。ぼくはそれを、ズボンのベルトに挟んでいたのだ。
「ピピッ」
デュークは男のほうへと飛んでいき、まとわりつくように旋回した。男は怪訝な表情を浮かべて、それを払いのける。
危ないよ、と言いかけたとき、ぼくは彼の意図を察して口をつぐんだ。
――これは作戦だ。
ぼくは男に気づかれないように、そっと腰に手を伸ばした。体は縛られているため、ほとんど指先しか動かせない。それでも慎重に慎重に、刀身を引き抜く。
剣を持つことなど初めてだ。指先にずしりと重みが伝わるのを確認すると、落とさないようにそっと回転させ、手元の糸を切る。
ようやく右手が自由になった。足元の糸を切ろうとするが、逆さまの状態では到底無理だ。
ぼくは男を見た。デュークはフードのなかに飛び込むようにして、男に執拗に攻撃を加えている。
そろそろごまかしも限界だ。これ以上はデュークの身が危ない。そこでぼくがとった行動は……。
「行けえええ!」
剣が風を斬る。
考えているひまはなかった。ぼくは男に向けて、思いきり短剣を投げつけたのだ。
ドラゴンを射るのには失敗したぼくだったが、今度は上手くいった。ぼくの投げた短剣は、まっすぐに男のほうへと飛んでいった。
しかし男はすぐに気がつき、何事もないようにバリアを張った。短剣ははじき返され、カランと音を立てて床に落ちる。
見守っていたルイーズが落胆の色を浮かべた。しかしぼくは一瞬のすきを見逃さなかった。
突然のことに、男はわずかに動揺したようだ。ほんの一瞬だけ、ぼくに巻きついていた糸が緩んだのだ。
懸命に足を振り回し、糸から抜け出す。床に激しくたたきつけられたが、痛がっている場合ではない。ぼくはすぐさま男から離れ、充分に距離をとった。
「へへん、まぬけ野郎!」
罵ってみても、男は動揺するどころか、表情ひとつ変えない。もっとも、顔はフードの下に隠れていて見えないが。
「エンノイア。リュクルゴス隊長を呼んで!」
「え!?」
ルイーズが叫んだ言葉に、動揺したのはぼくのほうだった。リュクルゴス隊長ってだれ……!?
「広間にいるはずよ。お願い……リュクルゴスを……リュクルゴス隊長を呼んで!」
「わ、わかった!」
それがだれなのか、その人を呼んだらどうなるのか、わからなかったが、とにかくぼくは部屋の扉へと走った。
男が追ってくる気配はなかった。それどころか、扉に手をかけたぼくを挑発するように、不敵に言った。
「ほう。その隊長とやらが来るまで待っていてやろうではないか」
「……後悔するわよ」
それに対抗するように、ルイーズは強気な声で答えた。