大怪獣ジゴンス
動画配信者のマサルがある地方の山村に居を移してから一週間が過ぎた。ここまで特に不便なこともなく暮らせている。ネットなどでよく聞く、田舎特有の押しつけがましいご近所付き合いなどもなかった。これは当たりなんじゃないか。そう考えてほくそ笑む。
彼はもともとが籠りがちで人と接することをあまり好まない。だから都会の喧騒の中で生きることに嫌気が差して、この地へやってきたのだ。正直博打ではあった。せっかく引っ越したのにベトベトした人間関係に呑み込まれてはたまらない。それが杞憂であったのなら幸いだ。
田舎へ移住することを考え始めたのは動画配信の収入が安定してきてからだ。趣味の分野に特化したチャンネルを開設したのはほんの気紛れから。それがたまたま時流に合っていたようで、チャンネル登録者はいまも順調に伸びている。途中から始めた資産運用もうまくいっていた。独り身でもあるし――結婚の望みなどとうに捨てている――、贅沢をしなければ自分ひとりくらいどうにでもなる。
まずは暮らすだけでコストが高くつく都会の暮らしから離れる。それはマサルにとって当然の帰結であった。それで様々な情報を集めだしたところ、ちょうどいいタイミングでこの村のある自治体の移住支援の施策を発見したのだ。
手厚い住宅支援。就労支援 (これはいまのところ不要だが) 、移ってきたその日には役所の担当者が引っ越しの手伝いまでしてくれた。地域社会へ溶け込めるようにと、村人らへの紹介も抜かりない。今後も窓口的なサポートをしてくれるということで、人付き合いが苦手なマサルにとって、まさに至れり尽くせりであった。
ここに来て、変わったことがある。よく外出するようになった。今回の移住はコンテンツとして動画で公開している。それで移住後の暮らしをVlogとして撮影しているのだ。マサルのチャンネルのファンたちにとって、これも興味を惹くものであったらしい。再生数はよく伸びているし、好意的なコメントも寄せられた。
撮影しながらひとりで喋っている見知らぬ男性に対しても村人たちは好意的だった。嫌な顔ひとつせず挨拶が飛んでくる。さらに畑で採れた野菜などをお裾分けまでしてくれた。それを受けてマサルも前より積極的になった。道で自分から声をかける。すると彼らはもっと喜んでくれた。マサルはこの村での暮らしが自分の性に合っていると思った。
そんなある日の午前中、老人がひとり家を訪ねてきた。引っ越してきた日に、担当者から自治会長と紹介された人だった。痩せて背が高く、身だしなみのしっかりした清潔な人という印象。動作も矍鑠としている。
「急で申し訳ないんですが、今夜公民館に来てもらえないかと思いまして」自治会長は丁寧で柔らかい声音で用件を伝えた。
「なにかあるんでしょうか?」マサルは警戒しながら尋ねる。
「いえいえ、そうたいした事でもないんですが⋯⋯」自治会長は手の平を左右に振った。「実はこの村では満月の日に特別な風習がありましてね。ほら、もうすぐ満月でしょう?それでそのご説明をしたいと思いまして。ついでにアナタの歓迎会もね、ささやかなものですが」
特別な風習と聞いて、一瞬 “因習村” という単語が脳裏に閃いた。歓迎会というのも厄介なものだ。マサルはなんとか回避できないものかと考える。
「いやあ歓迎会なんてそんな、悪いですよ」とりあえず遠慮してみた。
「そっちはね、本当にそんなたいしたアレじゃないんですよ。結局私ら年寄りが理由をつけて集まりたいだけなんですから」自治会長は微笑んだ。「ただね、風習の方はお知らせしないと混乱されるだろうという話になりましてね。だからこれだけでもいいのでお付き合いください」
そうまで言われてしまえばもう断ることなどできなかった。気が向かないのを隠して承諾すると、自治会長は満足して帰っていった。
日が暮れてから公民館へ向かう。場所はこれまでの散歩で立ち寄ったので知っていた。村の他の家々よりも少しだけ新しい感じの小さな建物。瓦屋根の色がオレンジ色でよく目立つ。
明け放たれた玄関でマサルが訪いを告げると、少々お年を召した御婦人が前掛けで手を拭きながら現れた。自己紹介すると、彼女も返してくれた。どうやら自治会長の妻であるらしい。いま婦人会で食事の支度をしているから上がって待っていてくれと告げられる。
中ではすでに酒盛りが始まっていた。老人たちから温かく迎えられる。女性に働かせて男たちだけ酔っぱらっているのに都会で生まれ育ったマサルは違和感を覚えたが、まあ田舎とはそういうものなのだろうと納得した。自分に妻でもいたら問題になったかもしれないが、そんな人はいないのだから。
酒を無理強いされたらと心配したが、そういうこともなかった。飲めないからと最初に断ると、それからこだわることもなく、コップにペットボトルのお茶を注いで渡してくれた。
間もなくテーブルに料理が並べられた。豪華というわけではないが、婦人会が腕によりをかけて拵えてくれた宴会料理。山菜の天ぷらや素朴な味の煮物など、ジャンクな食生活を送るマサルには馴染みのないものばかりだったが、どれも美味しくいただけた。この村は居心地がいい。やはり当たりだ、とマサルは確信した。
宴もたけなわ、というほどでもないが、マサルの腹が十分に満たされた頃、自治会長がやってきた。傍らには彼よりもずっと年上であるように見える浴衣姿の髪の長い老人。性別がわからない。男性だろうか?女性だろうか?
自治会長はその人をマサルのすぐ前の席へ導いた。着席したふたりにマサルが頭を下げる。
「いやいや、そうかしこまらないでください」自治会長はにこやかに笑う。「紹介いたします。コチラは我々の村の長老。吉田さんです」
その吉田と呼ばれた老人は、ジロリと鋭い視線をマサルに向けた。ヨボヨボの年寄りとは思えない迫力に、マサルは息を呑む。
「ジゴンスが来るのじゃ!」しゃがれた声で長老が叫んだ。声は高いような気がするが、やはり性別は判然としない。
「ジゴンス⋯⋯ですか?」マサルは思わずオウム返しにする。「あの、それはいったい?」
「満月の日にはジゴンスがやってくる!」長老は続けた。
マサルが困って自治会長を見ると、彼はひとつ頷いて説明を始めた。
「実はこの土地には、なんというか⋯⋯いま風に言えば怪獣でいいのかな、そういうものが出るんです。それの名前がジゴンスと言います」
「は?怪獣⋯⋯?」マサルはからかわれているのかと思って周囲を見回す。先程まで酔っ払って笑っていた村人たちはみな真剣な表情でマサルを見つめていた。
「いや、こんな事を聞かされても信じられないだろうね」自治会長も笑みを消して続ける。「しかし本当なんですよ。満月の日のお昼に、ジゴンスは必ずこの村に現れるのです。ほらあの、東の方に山がふたつ並んでいるでしょう?アソコの間から」
「え?お昼?夜じゃなくて?」
「はい、お昼です。ちょうど正午くらいにヒョッコリと顔を出すんです」
この真面目そうな自治会長がまさか嘘を言っているようには思えなかった。他の者も同様である。誰ひとり笑っている者はいない。マサルはゴクリと唾を飲み込んだ。
「そ、それで僕はどうすれば⋯⋯」
自治会長はここでようやく表情を崩した。
「いや、特別することなどありません。ただ当日のその時間は外に出ないようにした方がよろしいでしょう」
「ジゴンスが来るのじゃー!」
長老だけは大仰に叫び続けたが、村人たちはもはや話は済んだとばかりに宴会を再開した。マサルは村人たちへ今後ともよろしくと、簡単な挨拶をした後、その場を辞去した。
夜道は月で明るい。もうすぐきれいな円を描くだろう。その日の昼に怪獣がやってくる。怪獣ジゴンス。マサルは東の山を見た。薄っすらとシルエットが浮かんでいる。アソコの間に出るとなるとけっこうなサイズじゃないか。大怪獣ジゴンスと呼ぶべきだろう。
マサルの血が滾る。これはチャンスではないのか?それをカメラに収めることができたなら、とんでもない事になるんじゃないか?大バズリする自分を思った。動画の再生数はスゴいことになるだろう。自分にはあまりないと思っていた野心がムクムクと鎌首をもたげる。
この機を絶対に逃すわけにはいかない。マサルは夜空の月を見上げて、拳をギュッと握りしめた。
当日、マサルは自分の家の庭で、準備万端待ち構えていた。相手は大怪獣である。ここからでもバッチリ撮影できるはずだ。縁側に腰掛けて、日が昇っていくのを眺める。気温が上がっていく。もうすぐ正午だ。
備え付けの古い柱時計がボーンと鳴った。マサルは東にカメラを向けた。後ろでは続けて十一度鐘が鳴る。それが鳴り終わっても何も現れなかった。やはり担がれたのか⋯⋯そう思ってカメラを下げようとしたその時だった。
東の山と山の間から巨大な何かが姿を現した。それはふたつの丸々とした双丘で、その中央部分には⋯⋯ひとつ目だろうか、いや、それよりは深い、穴のような⋯⋯
「てかケツの穴じゃねえか!」マサルは天に向かって叫んだ。
そう、それはまさしく尻と、その中央の肛門であった。おそらく自分のものを鏡で映せば、同じようなのを見ることができるだろう。それほど完璧な、中年男性のケツの穴であった。
「見てしまわれましたか」
その声にマサルが振り向くと、そこには自治会長がいた。その傍らには小柄な長老が、この前とまったく同じ服装で立っている。
「あの、アレがジゴンスですか?怪獣っていうか、いや怪獣ではあるでしょうけど、ケツですよね?」マサルが問う。
「だからジゴンスと言ったじゃろ?」長老が鼻を指でほじりながら答えた。
「え?ジゴンスってケツの穴って意味なんですか?」
自治会長は深く頷いた。それからマサルに懇願するように言った。
「お願いです。アレをそっとしといてもらうわけにはいかないでしょうか?あんななりでも悪さもしない奴なんです。私たちはこれからもアレとともに静かに暮らしていきたい」
その言葉にマサルは静かに微笑む。
「大丈夫です。僕はこれを公開したりなんかしませんよ」そう言って撮影を止めた。「こんなのYouTubeに出したらチャンネルBANされちゃいますよ」
ジゴンスの姿はそれほどまでにセンシティブなものであった。こんなもの!出せるわけがない!
やがて五分ほどでジゴンスはその姿を消した。最後まで見送ったマサルは自治会長に尋ねる。
「アレは何をしに来るんでしょうね」
「それはわかりません。しかしこれからはこの時間は室内にいたほうがいいと思いますよ」
「それはなぜですか?」
「アイツはたまに屁をこくんじゃ!」長老が叫んだ。「すっげえ臭えから。直で食らったら気絶するくらい」
「臭いだけなんですけど、まあ危ないですからね。中にいたほうがいいでしょう」
「わかりました」マサルが答えるとふたりはニコっと笑い、帰っていった。
それからもマサルはこの村に住んでいる。いつも満月の日の昼には家の窓を閉めてやり過ごした。たまにブリッという音が聞こえてきた。
了
※ 熊本地方の方言で「じごんす」は尻の穴を指しますが、この物語はフィクションなので舞台の村は架空の場所です。なおこの言葉はアリジゴクの巣という意味で、肛門をそれに見立てているわけですね。めでたしめでたし。




