第16話:【噛み合い始めた役割】
修正者を退けた後の広場は、静寂を通り越してどこか空虚だった。
俺、林玄宇は、激しい疲労感に襲われながらも、昨日までとは違う「奇妙な軽さ」を自覚していた。
いつもなら、あれだけの大嘘を吐けば【認識酔い】で視界が歪み、世界と自分の境界が混濁するはずだ。だが今は、立っている地面が驚くほど確かで、吸い込む空気の輪郭もはっきりとしている。
「……気づいたみたいね」
隣で壁に寄りかかっていた蘇明蘭が、青白い顔のまま俺を見た。
彼女の肩口からは、依然として微かなノイズが漏れている。だがその瞳は、俺を貫く「監視」の冷たさではなく、何かを「受け入れた」後の深い静謐さを湛えていた。
「何が起きたんだ。俺のハッタリ、あんなにデカかったのに……反動がほとんどない」
「私が、あんたの嘘を【肯定】したからよ」
明蘭は自嘲気味に微笑み、自分の背中の傷をさする。
「本来、観測者の役目は真実を暴き、歪みを正すこと。でも、あの戦いの最中……私は無意識に、あんたが吐いた嘘の『外枠』を、現実の整合性に無理やり押し込めていた。あんたが砂で城を作ったなら、私はその砂が崩れないように、周囲の時間を止めて固定した。……そう、接着剤のようにね」
俺は絶句した。
それは、彼女が本来持っている「真実を守る」という役割を、根本から踏みにじる行為だ。
俺が世界に放ったバグを、彼女が「仕様」として承認してしまった。
「……それじゃ、お前はもう『真実の番人』じゃない。俺と同じ、ただの共犯者だ」
「不名誉極まりないわね。でも、不思議と気分は悪くないわ。あんたの出鱈目な嘘を『正解』として固定している間、私の観測眼はかつてないほど安定していた。……まるで、こうなることがこの世界の裏側に最初から書き込まれていたみたいに」
これまでは、俺が勝手に嘘を吐き、彼女がそれを後から「不自然だ」と糾弾する構造だった。
だが今は違う。
俺が嘘を吐き始めた瞬間、彼女の観測がその嘘を「現実」として受け入れるための器を用意する。
俺が【攻め】なら、彼女は【受け】。
二人の能力は反発し合うのではなく、歯車のように噛み合い、より巨大な現実改変を可能にしていた。
「試しに、あそこにある折れた街灯を見てなさい」
明蘭が顎で示したのは、修正者の攻撃で無残に折れ曲がった鉄製の街灯だ。
俺は彼女の「気配」を感じながら、言葉を発する。
「あれは折れているんじゃない。……光をより広く届けるための、最新のデザインだ」
ハッタリを口にした瞬間、いつもなら耳の奥で鳴る「キィィィィィン」という不快な同期音が、今回は【和音】のように心地よく響いた。
シュン、と。
物理法則が悲鳴を上げることなく、街灯の折れ目は滑らかな曲線へと変貌し、最初からその形で作られたかのようにその場に馴染んだ。
「……マジか。歪み(ノイズ)が全くない」
「私の観測が、あんたの嘘を『正しい過去』として歴史に繋ぎ止めたからよ。……皮肉ね。二人でいれば、この世界そのものを別の物語へ書き換えることだって難しくないわ」
二人は、偶然出会った男女ではない。
この世界のバグを増幅させ、システムを内部から崩壊させるための、最も危険な【機能】。
第2章の幕開け。
最弱詐欺師は、自分の嘘を「真実」へと昇華させる最高の盾を手に入れた。
「……よし、決まりだ。明蘭、俺と一緒に来い。お前のその傷が完全に消えるまで……いや、この世界が俺たちの嘘にひれ伏すまで、隣で俺を『観測』し続けてもらう」
「断る理由がないわ。……あんたがどんなに無様な嘘を吐いても、私だけはそれを見届けてあげる」
手を貸すわけでも、握手をするわけでもない。
ただ、視線だけで二人は新たな契約を交わした。
歪んだ世界の片隅で、最強の共犯関係がここに成立したのだ。




