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「申し訳ございません、お怪我は?」
馬車の後ろのステップに乗っていた、フットマンが下りてきてカレンに手を差し伸べる。
「平気です。お気になさらず」
フットマンが、カレンの手に図々しく触ってくる。
カレンはそれを一瞬無礼だと思った。
こんな者にも、気安く手を触られる立場になったのね...
堕ちたと思っても、上辺だけね。たったこれだけの事で、不敬だと思うなんて...
カレンはフットマンの唇にあえて触った。
「あの馬車に追いつかなくていいの?あなたフットマンなのでしょう?」
「オレは、フリーデン伯爵家に仕えているんだ。一人部屋も頂いている。よかったら来ないか?」
フットマンはよほど自分に自信があるのか、カレンの手をずっと握って離さない。
フリーデン伯爵家に勤めていると言えば、女の子が寄ってくるのだろう。
カレンは、思わず口に出した。
「フリーデン...」
じゃあ、あの馬車にはアズールが乗っていたのかしら?
ボーッとしていて、紋章を見ていなかったわ。
この惨めな私を晒して、フリーデン伯爵家に一矢報いるのも楽しそうだわ。この薄汚れたワンピースでアズールに万が一会えれば、淫らに誘ってあげましょう。
「行くわ」
フットマンの名はシュネー、フリーデン伯爵家のタウンハウスに務めている。
今は舞踏会シーズンで王都のタウンハウスに滞在していて、フリーデン伯爵の嫡子アズールの世話をしていると道中誇らしげに語ってくれた。
一週間後の王家主催の舞踏会の話を、シュネーが自慢気に語る。
ふふっ...本来ならアズールと出席の予定だったわね。
それまでに、私を消したかったのね、あの親子は。
カレンから皮肉めいた笑みが溢れる。
大きな門が見えてきた。
白の彫刻の施された柱が左右に建っていて、門を通り過ぎると、美しく手入れされた庭園が目の前に広がり、エントランスまでは一本道で庭園を眺めながら行くことができる。
シュネーは、庭園を通って使用人棟まで連れていこうとしている。
カレンは可笑しくて、しょうがなかった。
庭園を眺めながら、エントランスまで向かうこの歩道は、使用人が堂々と通っていい場所ではない。
カレンにいいところを見せようとしたのだろう。
「そういえば、あんたの名を聞いてなかったな。あんたさ、目を見張るほどの別嬪さんなのに、着ているものは貧相で...勿体ないな。オレが...」
カレンの容姿は、美貌の父親譲りの美しい紫の目に艷やかな銀髪だった。今は髪がぼさぼさで艶を失っているが、平民ではありえない容姿ではあった。
前方から、アズールとオーリオが親しげに腕を組んで歩いてきて鉢合わせした。
シュネーが真っ青になった。
「カ、レン...?!」
アズールの目が見開き揺らめいた。
あら、気付いてもらえてよかったわ。
「お姉さま...」
オーリオの声が掠れた。
シュネーが、カレンの隣でガタガタ震えている。
カレンは隣で震えているシュネーを横目に見て、気の毒になった。
そうよね、こんなの普通は解雇よね。
しかも嫡子と、その婚約者が散歩中に真正面から使用人が出くわすなんて。
街で引っ掛けた女を連れて、庭園を我が物顔で散策する使用人なんて...
「助けて、あげましょうか?」
カレンが背伸びをして、シュネーの耳に唇を寄せてささやく。
アズールが息をヒュッと吸って、目を剥いた。
カレンは貴族令嬢とはかけ離れた、男を誘うような鼻にかかるような、ねっとりとした声を出す。
「ご無沙汰してますわ、フリーデン伯爵子息さま、アルバニー子爵令嬢さま」
そしてカレンはあえてカーテシーをしなかった。
「こちらの抱えている私設騎士団の方たちの、お相手をしようと思って来たら、つい懐かしくなってここのお庭を散歩したくなったの。ごめんなさいね」
シュネーの目を見て、さっさと去るように促す。
「お姉さま、なんて破廉恥な!」
「破廉恥なんて...ご存じない?以前フリーデン伯爵子息さまもご利用なさってましたよ、ね?」
カレンは当てずっぽうで言う。
「カレン...!!」
アズールがカレンの腕を強く掴み上げる。
痛いっ
「私が屋敷の外に連れ出す。シュネー、オーリオを応接室に連れて行ってくれ、頼む」
アズールがカレンの腕を掴んで、引きずるように乱暴に引っ張っていく。
それをオーリオが、心配そうにずっと目で追う。
「シュネーは、雇ったばっかりなのね。私を知らなかったもの」
「君は、今どこにいるの?」
「ダレルさんのところよ」
アズールが、額に手を当てた。
「はぁ...ずっと探させていたのに。王都にいたとは...」
「こんな箱入りの女が、どうやって王都から出て生きていけると?」
「あなたがあのパブに連れて行ってくれてよかった。あなたのおかげよ、王都で頼れるところ、私ダレルさんしか知らなかった」
「パブって_そんなところに子爵令嬢がいると思わなかった...私も」
「探してどうするつもりだったの?」
「...君は、私が君を愛していなかったとでも?」
アズールがカレンと正面から向き合う。
「オーリオと、仲睦まじそうだったわ」
アズールが眉を顰める。
「婚約の解消は、仕方なかった。私はまだ当主ではない。なんの権限もない」
「わかってるわ。私はあなたを忘れるために、ここにきたのよ。ふふっ来てよかったわ、仲の良さそうなお二人を見れたもの。もう門に着いたわ、お見送りありがとう」
パブに戻ったカレンは、有り金を全てダレルに渡し、浴びるように酒を飲んだ。
「カレンさま、そのへんでもうお止めください」
ダレルがカレンのグラスを取り上げる。
「ねえちゃん、大丈夫か?そんな無茶な飲み方しなきゃ、やってられないことでもあったのか?」
声を掛けてきた男は、ハンターのように見えた。
筋肉質な体は、いくつも傷跡があった。
カレンは指先で男の腕の傷跡に触れた。
ダレルが諦めたようにカウンターの奥に戻った。
「呑まなきゃ、やってられない気分よ。慰めてくれる?」
カレンがカウンターに肘を付き、男を見上げると前髪を掻き上げて形の良い額を晒す。
「いいのかよ、誘いだと取るぞ」
「あんたの名前を教えてくれ、オレの名は...」
カレンはグラスを持ち上げると、氷の入った水滴のついたグラスで男の唇を塞ぐ。
「お願い、名前は聞かないで。情を移してほしくないのよ」
「あんたみたいな別嬪とやれるなら、一夜限りでも儲けものだ。2階に行くか」
「ええ、今夜は特別に乱れたいわ」
「それは、だめだよカレン」
カレンは、手首を後ろから握られた。
「おい、おい。横取りかよ」
酔っていたハンター風の男が、カッとなってアズールに殴りかかる。
アズールが帯剣していた剣を抜いて、首元に寸止めした。
「彼女は、私の婚約者なんだ。引いてくれないか」
ハンター風の男がカレンを見る。
カレンの悩ましげな表情に残念そうな顔をして、拳を下ろす。
「今夜は、あんたに譲るが明日もここにいるなら、明日はオレの相手をしてくれよ」
「ありがとう、だが、明日の晩は彼女はここには来ないよ」
ハンター風の男は、聞き分けよくパブを出ていった。




