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BOMB!  作者: 井川林檎
8/17

刺客あらわる

 そろそろ直射日光が辛くなってきた。

 夏が近づくにつれ、屋上でごはんを食べるお姉様お兄様たちの数が目に見えて減ってゆくみたい。

 わたしとなっちゃんは、相変わらずトイレの裏に隠れて、こっそりお弁当を食べた。場所が他にあっても、なんだかこの場所が居心地よくなってきたのだ。


 相変わらず、瀬戸川さんの重箱弁当は凄い。どどおんどどんどどおん。効果音が鳴り響きそうな迫力。お重をひとつ外すごとに胸が詰まる――ごめんほんとごめん瀬戸川さん、わたしこんなに食べられないよぅ。

 一方で、なっちゃんはわたしとは別の意味で胸を詰まらせているみたい。眼鏡の奥の目をうるうるさせて、ほっぺをピンクに染めて、心の底から待ちわびていたのが分かる。本当に、なっちゃんが桜山の子だったら良かったのに。


 「レバー率が高くなってきてるね」

 なっちゃんがエビフライを食べながら言う。

 わたしはお茶を飲みつつ空を見上げた。あー、綺麗な夏空。雲一つない。こんな天気の時にセメントの上で座っていたら、じりじり脳天が焼けてきそう。

 (屋上ランチ、そろそろできなくなってくるなあ)


 

 ああ、そうそう。わたしはポケットに入っていたお星さま三つを取り出してなっちゃんに見せた。

 朝、トイレで姫子さんが投げたやつ。

 なっちゃんはカマボコを噛みながら、片手でお星さまを受け取った。きらりん。眼鏡が白く光る。なっちゃんはまじまじと眺めた。手が打ち震えている。


 「し、しのぶ。これどこで」

 なっちゃん、声が震えてるよ。わたしは、今朝のことを詳しく話した。なっちゃんは興奮を抑えきれないように、ぶるぶる体を震わせている。

 

 「これは手裏剣。それも、幻の忍びの一族のものよ」

 手裏剣。わたしはぽやっとする。手裏剣ってあの、忍者が投げるあれ。あ、なるほど。


 お星さまみたいで可愛いと思ったけれど、そういえばそれは手裏剣だった。どうして気づかなかったんだろう、ぽやぽや。

 (いやいやいやいや)

 すぐにわたしは我に返る。手裏剣はわかった。問題は、どうしてこの、現代日本の、私立戦国学園で手裏剣が現れるのかということ。

 どうして成宮姫子さんが、手裏剣なんぞを。

 

 すうっと良い風が流れる。なんだか眠くなってしまいそう。お昼のすぐあとの授業が数学というのは、もはや昼寝しなさいと言われているような気がする。

 授業中に居眠りしてるなんて、おばあさまにばれたら大変なことになってしまうけれど。

 

 なっちゃんは手裏剣を睨みながら、指を顎にあてて、ううんと考え込んだ。眉間に皺をよせ、眼鏡を光らせて。

 一方でわたしは、鳶が頭上をくるくる回っているのを、ぽやっと眺めている。いい天気だなー、お昼寝日和なんだけどなー。

 もう少しで予鈴が鳴る頃、なっちゃんはいきなり、「魔道霊濡を作ってみようと思ってさ」と、言い出した。ええ、マドレーヌ、食べたい食べたいと言ったら、違う、魔道霊濡よと言い返された。


 「しのぶに見せてもらったあの巻物、現代語訳して大事に取ってあるんだけど、あれって秘薬のレシピなのよね」

 なっちゃんは言った。言いながら、そそくさと手裏剣を自分のポケットに突っ込んでいる。まあいい、わたしが持っていても何にもならないもの。手裏剣なんか、興味もなかった。


 秘薬のレシピ。秘伝の書って、レシピ本だったのか。

 なんだか、力が抜けるみたい。

 

 「つまり、魔道霊濡を作るのに、大匙いくつで何を投入するか、かき混ぜ方は木杓子でざっくりだとか、オーブンで何度で何分焼くとか、事細かく説明してるの。あの秘伝の書って」

 聞けば聞くほどお菓子作りのことを言っているようにしか思えない。だいいち、なんだその、オーブンで何度何分って。

 なっちゃんはわたしの顔を見て、補足説明をした。

 「もちろん、原書にオーブンで何度何分とは書かれていなかったけれど、現代のものに置き換えればそういうことになるということ」

 苦労したわよ、ここまで導き出すのにー。なっちゃんは、ちょっと誇らしげだった。


 ふうん、と、わたしは相槌を打つ。

 秘伝の書の巻物は、秘薬「魔道霊濡」を作る精密なレシピ。

 その巻物を、わたしがひっそり隠し持っている。

 

 「しのぶ、あんたあの巻物、しっかり持ってるよね。まさかなくしてないよねっ」

 なっちゃんに肩を掴まれた。こくこくと、わたしは頷いた。うん、持ってる、大丈夫、なくしてない。頷きながら、お腹の中では、そんな秘伝の書なんかいらないから、ラブレターを早く取り戻したいと叫んでいた。

 ラブレターフォア服部君。魂の欠片が入り込んだお手紙。変な黒装束の忍者が持って行ってしまった。しかも、「これも秘伝の書だろう」とか、勝手な勘違いをして。

 

 あれから何度も美術準備室に足を運んでいるけれど、ホラ貝の音が響く変な草原が現れることは未だにない。

 ラブレターは取り戻せないまま、季節が移ろうとしている。服部君との距離は、なんだかおかしな具合に縮まったけれど――これを縮まったというのだろうか――ラブレターがなければ思いを伝える手段がない。

 (あれもう一度書くの。無理無理無理っ)

 一晩かけて書いた、あのラブレター。鼻血を噴きまくって何度卒倒したか。汗と涙と鼻血の結晶。もう二度と書けやしない。あのラブレターがどんなに大事なものか、あんのこんちきしょう黒装束男、知りもしないで奪いやがった。


 巻物なんかどうでもいい。どうやら価値のあるものらしいけれど、わたしにとっては、ただの汚らしい紙切れよ。もう一度、あの黒装束と会えたら、物々交換でラブレターを取り戻したい。心の底から、そうしたい。

 けれど、どうやったらあの、ジャニーズ風イケメン黒装束氏と再会できるのだろう。本当にどうやったら。ああ、悩ましい。


 リンゴーン。予鈴が鳴った。


**


 午後の授業が始まる前、教室はいつものように平和にざわついていた。

 後ろの席の服部君は生真面目にテキストを開いて、今日の予習をしている。凛とした空気が背後に感じられる。いつもながら、身が引き締まる思いだわ。時々ちょっと、鼻血が垂れるけれど。

 前の方の席では、成宮姫子が席に座り、隣の女子と歓談している。微笑んで、すました感じ。なによ姫子さん、ひとに手裏剣を投げておいてお嬢さま面して。

 手裏剣の一件で、わたしの姫子さんへの心証は、悪化している。


 なっちゃんに話しかけようとした時、教室の引き戸ががらっと開いた。みんなお喋りを止める。

 いよいよ数学の授業だ。のしのしと入ってきたのは担任だった。数学教師の岡本先生。大きな太鼓腹を突き出して、にこにこ満面の笑顔で教壇に上がる。

 「きりーつ、れいっ、着席」

 姫子さんの号令が、凛と教室に響き渡った。みんなが着席したのを見計らって、先生はおもむろに身を乗り出し、言った。


 「お知らせがあります。転校生がうちのクラスに入ります」


 ざわざわっ。

 クラスメイト達は顔を見合わせる。

 わたしもなっちゃんと目を合わせた。

 

 「転校生だって」

 「うん、珍しいねー」


 先生はにこにこ笑顔で、みんなのどよめきを眺めた。クラスが静かになってから、実は、と、また切り出した。

 実は転校生は、今日の午後から授業に参加することになり、そこに来ています、と。


 開きっぱなしの引き戸から、すらっとした人が入ってくる。くるくるっとウエーブがかかった髪の毛は、まるで女の子みたい。だけどこの人は男の子だ。半袖カッターシャツとモスグリーンのズボンは戦国学園の男子の制服。

 隙のない身のこなしで歩いている。すごく運動神経が良いんだろう。俊敏そうだ。


 かっこいい、かわいい、ジャニーズみたいですわ。

 教室のあちこちから、女子のざわめきが聞こえる。お嬢様方、転校生に早くもメロメロになっている。

 そんなに素敵かしら、と、わたしは頬杖をついて、ぽやっと眺めながら思う。そして、自分の背後を凄く気にした。あんな人より、服部君の方が百倍お素敵。ぐふ、ぐふぐふ。


 ちらっとなっちゃんを見ると、明らかにぽーっとなっているので驚いた。結城君という人がいるのに、なっちゃん!

 

 女子たちの視線を独り占めにして、その人は先生の隣に立った。にこっと笑った。きゃあっとお嬢様たちが頬を染める。なによ何がいいのよあんなの。醒めているのはわたしと――前の方の席の、姫子さんも、淡々としたご様子でいらっしゃるのが目に映った――姫子さんだけじゃないのよ。

 

 小悪魔男子は、先生に促されて名前を名乗り、頭を下げた。

 風間君。

 転校生は、風間と言う。

 

 空いている席に座るように言われて、机の間をすり抜けて歩いた。ふわっ。柔らかそうな髪の毛が揺れる。愛嬌がこぼれるような笑顔で、あちこちに会釈をしている。

 気さくないい人。一瞬にして風間君はクラスメイト達の心を掴んだ。みんな、まるで魔法にかかったように風間君に惚れた。


 変だわ。

 わたしは隣のなっちゃんを見て思う。

 明らかにぼーっとして、なっちゃんは真っ赤なお顔。目がハートになっている。

 結城君はどうしちゃったのよ、なっちゃん。


 (こんななっちゃんを結城君が見たら、どうなっちゃうの)

 はらはらして、離れた席の結城君を見たら、結城君も良い笑顔で風間君の姿を眺めていた。ポカーン。


 先生も、男子も女子も、みんなにこにこ、らぶらぶ。

 

 そりゃあ、イケメンだとは思うけれど、わたしはそこまで素敵だとは思わない。第一、風間君の体つき、身のこなし、目や眉、鼻の感じには、ひっかかるものがあった。

 この人、初対面じゃない。本能が警鐘を鳴らしている。誰だろうこの人、前に会ったことがある、それも、すっごく嫌な思い出が。

 「あ」


 フラッシュバック。

 赤い西日の四階、美術準備室のおかしな幻。

 現れた黒装束と取っ組み合いをしたけれど、取り戻せなかったラブレターフォア服部君。

 あいつは。


 「あいつー」

 と、わたしは思わず呟いた。

 ちりちりっと、背中を焼くような感覚があったので、そっと振り向いてみたら、服部君が凄い目をしていたので顎が外れそうになった。

 いつもは冷静沈着、凛として穏やかな服部君の麗しい瞳が、今はなぜか、ぞくっとするような凄みを帯びている。服部君は、あいつを睨んでいた。


 「……風間」

 と、服部君は低い声で呟いた。


**


 「服部君、あの人と、お知り合い」

 ぽやぽやっ。わたしの声を聞いて、服部君は我に返った。凄い目で転校生を睨んでいたけれど、一瞬でいつもの服部君に戻る。

 前髪の奥の静かな目で、服部君はわたしをまじまじと見た。そんなに見つめられたら。あ。鼻血。


 「桜山は、奴の術にはかからぬのだな」

 風間の術。集団心理を操作する、巧みな忍術でござるよ。


 服部君はそう言って、ますます顔を近づけてわたしをじっくり見つめようとした。ぶしゅー。


 がたーん、と、わたしは鼻血を噴いて椅子から転がり落ちる。


 「しのぶさんお気の毒、また持病の発作が」

 「誰か、鼻に詰めるものをっ」


 教室が一気に騒然となる。

 ああ、またやってしまった。もはやわたしの鼻血はクラスの名物。よそのクラスからは、鼻血を噴く奇病を患う女子がいるらしい、と、噂されているとか。

 またおばあさまに、未熟者と叱られてしまう。意識をしっかり持たなくちゃ。


 「桜山、大丈夫でござるか」

 服部君が手を差し伸べてくれるより先に、すっと、ティッシュボックスを華麗に差し出すひとがいた。鼻から血を噴出させながら見上げると、謎の転校生がにっこり笑ってしゃがみこんでいる。

 風間君は親切にも、わたしを助け起こしてくれた。ありがとうと言おうとしたら、耳元で風間君は囁いたのである。


 「秘伝の書、どこに隠した」


 至近距離で、風間君の目がにいっと笑う。ふわっと頭の中に靄がかかり、なんだかあらいざらい言ってしまいたい気分が沸いて来た。巻物はわたしの勉強机の鍵のかかる引き出しにあるわ、と、今にも口から出そうになった時、ぱちんと軽い音がして、わたしは我に返った。


 服部君が、風間君の手を払いのけた。

 わたしを風間君から庇うように、立膝をついている。わたしの目の前には、服部君の襟元が。鎖骨、喉仏、うわあああ、ぶしゅー。

 おまけに服部君は、わたしの肩を抱き寄せながら、こう言ったのだった。


 「そんなちゃちな術など、笑止。おぬしこそ、桜山の大事な書を返せ」

 

 ちゃちな術。ああ、わたしは風間君の術に陥りかけていたのかしら。どこに隠したと問われて、すらすら答えそうになるなんて。

 っていうか、術ってなに。


 それにしても服部君、このままではわたし、出血多量。


 鼻から盛大に噴き出した血はアーチを描く。わー、ぎゃー。クラスメイト達が騒然とする。出たー、桜山の噴火出たー。うわ、これが噂の赤いアーチ。虹がっ、見て、虹がかかってるっ。イイコトありそー。


 「しのぶ、未熟者」

 ああ、おばあさまの冷たいお叱りのお言葉が耳元で蘇る。

 駄目だこりゃあ。ああそれにしても服部君、あなたの腕はなんて頼もしいの。このまま凭れて眠ってしまいたい。ぶしゅー。


 「誰か―、桜山を保健室に連れていけー」

 先生が、のっぺりした声で誰にともなく言った。

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