姫子さん、接近
眼鏡女子のなっちゃんと、柔道部の結城君。
ほんわかした二人はどこから見てもお似合いで、登下校の時や教室で一緒にいるところを見かけると、わたしまで幸せになってしまう。
二人ともこつこつ努力型の秀才なのよ。
今朝もホームルーム前に、教科書を広げて仲良く話をしていた。
なっちゃんを見る結城君の優しい笑顔。結城君の話に頷きながら、生き生きとおしゃべりするなっちゃん。
(いいなー)
窓際の席でぽやっと頬杖をして、わたしの視線はやっぱり服部君を追ってしまう。
一緒に住んでいることは、もちろんクラスメイト達には内緒。今、服部君は姫子さんとプリントを見ながらお話し中だ。クラス委員は忙しいんだろう。
黒髪が光り輝くような姫子さん。白い横顔は本当に綺麗。長い睫毛と黒い瞳。ほんのり紅をさしたような唇。
ちらっと誰かが「お似合いですわね、姫子さんと服部君」と、言った。うう、悔しいけれどわたしもそう思う。
こういう時、服部君はわたしと一緒に朝ごはんを食べたのよ、昨晩だってわたしと同じシャンプーを使ったんだから、と、口から飛び出しそうになる。いっそ誰か気づいて、服部君が女子に人気の「ハッピーシャワー☆フレグランス」のシャンプーの香りを漂わせている不自然さに。そして、わたしの髪の毛も同じ匂いをさせていることに!
ううう。ぎちぎちぎち。変な音がすると思ったら、歯ぎしりしていた。だって悔しすぎる。姫子さんは一体なんなの、付き合っているわけでもないのに服部君を独占して。
(いいんだもんね)
開き直りつつ、わたしは一限目の英語の教科書を開く。目を通しているふりをしながら、おなかの中は嫉妬で真っ黒だ。
(姫子さんだって、まさかわたしと服部君が一つ屋根の下に住んでいるなんて知らないんだから・・・・・・)
服部君とプリントを見ながら話をしている姫子さんが、一瞬、きらっとこちらを見たような気がした。
黒目勝ちの凛としたまなざしが、わたしを映したみたい。いいや、これは自意識過剰ってやつだ。くふう、わたしは溜息をつきながら立ち上がる。
ホームルームまで時間がまだあった。ちょっとトイレに行って気持ちを落ち着けてこなくては。いつものぽやぽやっとしたわたしに戻らないと、また鼻血を噴出することになる。
とぼとぼと、わたしは教室を出た。
**
ホームルーム前の女子トイレは静まり返っている。
洗面台で手を洗いながら、つくづく自分の顔を眺めた。
桜山しのぶ。ちびでやせっぽちで、目ばかり大きい普通の顔。スタイルだって綺麗なわけではない。もうちょっとこう、ふっくらと出ているところが欲しい。
夏服になると体つきがよく判るので、余計に悩ましい。
(涼し気でいい)
と、良い方に思おうとするけれど、姫子さんのお美しい姿を思い出すと、鏡を見るにつけしゅんとしてしまう。
成宮姫子さん、本当になんて綺麗なの。さらっとした長い黒髪は癖がなく、うごく度に風になびくよう。お顔は抜けるように白くて、眼の黒さが際立つ。人形のように可愛らしいお顔なのに、凛として高貴な感じ。そればかりか、スタイルもおよろしくていらっしゃる。
服部君を侍らせているのが姫子さんではなく、もっと普通の女の子だったら、わたしは素直に妬けるんだろう。
相手が姫子さんなので、とてもかなわない。二人でいるところを見たくないけれど、どうしてもちらちら見てしまう。そしてしゅんとしちゃう。
(あーあ)
なんだか元気がない。
このところ、服部君と一つ屋根の下と思うだけで鼻血が垂れるので、慢性的に貧血なのだ。瀬戸川さんが必死になってレバーを提供してくれるけれど、とてもじゃないけれど追いつかない。だばだー、だばだー。
なんて損な体質。
これでは、服部君と五分以上見つめあったら死んでしまうかもしれない。おばあさまの言う通り、鍛錬が足りないせいで鼻血が出るのだろうか。
(いつか、服部君を見ても鼻血を噴かない体になれる日が来るんだろうか)
とほ、と、ハンカチで手を拭く。そろそろ戻らなきゃ、と思う。
瞬間、鋭く神経に刺さるような感覚があり、本能的にわたしは動いた。風を切る光。しゅっと音を立ててそれは飛んで過ぎ、わたしの髪の毛が僅かに切れて舞い上がった。
たんたんたんっ。
軽い音を立てて、トイレの個室の扉に突き立ったものが三つ。
なんだこれ、お星さま。油断なく構えながら、横目でその、飛んできた凶器を見る。可愛い形、星みたいだわぽやぽやっ。
でもその星たちは、鋭い切っ先をしている。トイレの壁に突き立って、きらんと光っていた。当たったら怪我するところだった。
「やはり使い手ね、しのぶさん」
聞き覚えのある声。
はっと振り向くと、いつの間にかそこに立っていたのか、姫子さんが微笑んでいた。優雅に腕組みをして、わたしを見下ろしていらっしゃる。
してみると、このお星さまを投げたのは姫子さんか。
「危ないじゃないの」
と、わたしは抗議した。ここは怒って良い場面だと思う。普通の女の子なら怪我していたところだ。
だけど姫子さんは眉一筋変えなかった。わたしの抗議には取り合わず、こう言った。
「服部にあなたのことを探らせているところですが、やはりわたしの見立てに間違いはなかったようですわ」
なにが見立てよ。人に刃物を投げつけておいてごめんなさいもナシか。
むっとしつつ、あれっとわたしは引っかかる。今、姫子さんなんつった。服部君に探らせている?
「成宮の秘伝の書が行方知れずになって久しい。服部から、しのぶさんも関わっているようだと報告が来ています。もしやしのぶさん、秘伝の書の在りかを御存じなのでは」
リンゴーン。
予鈴が鳴った。ぼんやりと立ち尽くすわたしに、きらっと星のようなまなざしを投げて、姫子さんは踵を返す。さらっと黒髪が揺れた。
「あの書がなくては『あちら』に戻れない故。しのぶさん、身に覚えがおありですわね」
こつこつと足音が遠のいた。
秘伝の書。
もしかしたら、あの変な巻物のことか。でもどうして姫子さんがそんなことを知っているのか。
なによりわたしがムッとしたのは、服部君にわたしのことを探らせているという言い方だ。
姫子さんはこう言いたいのか、服部君が桜山でわたしの「修練」のために同居を承諾してくれたのは、姫子さんの許可と指示の元であると?
予鈴がもうじき鳴り終わる。
わたしはぼーっと、今朝の服部君を思い出す。食卓の向かいで、わたしの鼻血を気遣ってくれた服部君。華麗なる箸さばき。前髪の奥の麗しい瞳。
(なっちゃんに相談してみよう)
胸のモヤモヤが、どんどん苦しくなってきそう。
予鈴が鳴り終わる。そろそろ教室に戻らなくては。
トイレから出る前に、個室の扉に突き立っている三つのお星さまを抜き取ってポケットに入れた。なっちゃんに愚痴を聞いてもらいがてら、ついでにこれも見てもらおう。なっちゃんは物知りだから、これがなんなのか分かるかもしれない。
トイレの扉には、お星さまを抜き取った跡が、綺麗に三つ、残っていた。