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BOMB!  作者: 井川林檎
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ラッキーフンドシ

 「ねー、なっちゃん、服部君って現代人っぽくないと思わない」

 と、聞いてみたけれど、なっちゃんは、ええ、どうして、と聞き返してきた。いや、どうしてって言われても。

 それでわたしは、諦めて黙ってしまう。


 梅雨が始まった。今日もじっとり天気。お昼休みだけど屋上にはいけなくて、わたしとなっちゃんは机をくっつけてお弁当を食べていた。

 教室に入り口付近で男子たちが集まって、わいわい騒ぎながらゴハンを食べている。なっちゃんの彼氏の結城君は、友達と学食に行ったみたいだ。


 男子の群れの中で、服部君はごく自然に溶けこんでいる。

 「ハットリ、数学の問題見せてくれよー」

 と、秀才の服部君は、宿題を見せてくれとか、教えてくれとか、よく言われている。けれど服部君は武士のように毅然と答える。

 

 「嫌でござる」


 ござる。

 わたしはその語尾を噛みしめる。服部君、すっとお鼻が取った色白の肌。さらりとした髪の毛が顔を覆っているけれど、そこから覗く凛とした瞳。

 清潔感を感じるそのお声で彼は言う。「ござる」と。


 「どこが現代人ぽくないの。普通だよ」

 なっちゃんは言う。

 普通。うーん、普通って何。


 今日もわたしのお弁当は超絶デラックス。瀬戸川さんが丹精込めて作ったテンコモリの豪勢なおかずを、淡々となっちゃんは片づけてくれている。

 

 一方で男子たちは、女子たちもいるというのに、悪ふざけを始めている。

 じとじと暑くなったせいか、このごろうちのクラスでは野球拳が流行っている。放課後、暇な男子たちが面白がってやっているのを、女子たちが「やーね」と言いながらも、ちらちら見ちゃってる。

 お坊ちゃまもお嬢様も、庶民となんら変わりがないんだと思う。

 じゃんけんして負けた人が服を一枚ずつ脱いでゆくのだけど、女子たちも心得たもので、男子の誰かがパンツ一枚になる前にその場から逃げてしまう。


 男子っていいなあ、暑くなったら脱衣できるんだもの、気軽に。

 ぽやぽやっとわたしは思った。頬杖をついて何となくそっちを眺めた。なっちゃんは黙々と重箱の中身を綺麗にしている。素敵ななっちゃんの胃袋様。


 アウトー、セーフッ、よよいのよいっ。

 男子たちが盛り上がっている。


 「しのぶ知ってる、野球拳は古くからある宴会芸なのよ。由緒正しいものなの」

 なっちゃん、脱いでゆく男子たちには興味がなさそうだ。カマボコを箸でつまみ取り、じっくりとその彩を鑑賞してから口に運んだ。はぐぅ。


 えーそうなんだ、なっちゃん物知りぃ。

 ぽやぽやっ。わたしはぼーと眺めている。あらー、今度の選手は服部君だわ。拙者もやるでござるか、と言っているけれど、本当に素敵。どうして誰もその時代劇調の口ぶりに突っ込まないのかしら。まあいいわ。


 「よよいのよいっ、よよいのよいっ……」

 

 服部君、じゃんけんが壊滅的に弱くていらっしゃるのかしら。

 運動も勉強も無敵を誇っているのに、野球拳はからきしダメみたい。あっらー、また負けた。うふふ、かーわいい。


 きゃー、嫌ですわー。

 もう、なにをしているんですのー。


 女子たちが悲鳴をあげたみたい。みんな立ち上がって教室から脱兎のごとく逃げてゆく。でもいいの、服部君を見ていたら全てがどうでもよくなる。あ、鼻血。


 ごそごそティッシュで鼻を覆っていたら、なっちゃんが鮭を箸で摘み上げ、白く光る眼鏡の奥からそれを見つめた。微笑んでいる。

 「これは良い鮭だわ。しのぶ、あなた食べないなんてもっての他よ。もう少し何か食べたら」

 言いながら、ばくんと口に入れてしまった。凄いわなっちゃん。あんなにゴテゴテ詰め込まれていたおかずがこんなにスッキリ綺麗に。


 「負けたでござる」

 ついに服部君が完敗した。

 武士のように潔く負けを認める。色白の上半身。引き締まってすごく素敵。あー、悩ましい。駄目だわ鼻血が。


 服部君がモスグリーンのズボンのベルトを緩めたのと、なっちゃんがお弁当を食べ終わったのは、ほぼ同時だった。

 するっとズボンが落ち、服部君は健康な、きりっとしたお尻を丸出しにした。男子たちは、おおー、おおおー、と、賛美の声を送っている。


 「さすがハットリ」

 「もうトランクスもブリーフも時代遅れだな」

 「俺なんかボクサーブリーフだけど、ハットリ見たら、晒す勇気がなくなったぜ」

 

 ハーットリ、ハーットリ、フンドーシ、フンドーシ!


 「ごちそうさまでした」

 と、なっちゃんが言い、ちらっと眼鏡の奥の目を動かした。そして、手に持っていたお箸を落とした。

 同時にわたしも我に返った。心臓が。心臓が、コサックダンス。いやいや駄目、駄目よ心臓。

 

 服部君のパンツは、褌だった。

 純白の褌が健康的なお尻にめりこんでいる。隙のない鍛え上げられた肉体。梅雨のじめじめも一気に吹き飛びそう。

 

 「俺も褌にしよう」

 「ああ、褌専門店にオーダーしよう、今日学校から帰ったら」

 「あれ見たら、もうトランクスなんか履いてこれないぜ」

 

 時代は褌。褌こそ漢の証。


 沸き立つ男子たちの中で、服部君は淡々と着衣する。ズボンをあげ、シャツを着、ワイシャツのボタンを留め。

 そこがわたしの限界だった。

 ぶーっと鼻血が噴き出した。心臓コサックダンスをなんとか食い止めた。リミッターは外れなかった。目隠しイノシシと化し、裸体の服部君を攫って逃亡せずに済んだ。

 その代わりに鮮血が鼻から噴き出し、猛烈なアーチを作る。教室横断。ぶしゅー。


 真紅のアーチがかかり、そこには虹が生じる。

 男子たちは振り向き、女子がみんないなくなったと思っていた教室に、ひっそりとわたしとなっちゃんが居たことを知る。

 

 「あっ」

 「あっ」


 男子たち全員と、なっちゃんの悲鳴があがる。

 どうとわたしは椅子から転がり落ちて、そのままきゅうと意識を失った。


**

 

 「しのぶ、この未熟者」


 おばあさまが冷たく言った。

 わたしはたたみの上で正座し、しゅんと頭を垂れる。返す言葉もない。


 か、こん。

 開け放された障子からは縁の向こう側が見える。桜山のお屋敷は日本庭園が綺麗。鯉が泳ぐ池には鹿威しがついていて、時々澄んだ音を立てる。


 けれど今のわたしは庭園を愛でるどころではなく、真っ赤になって頭を垂れるしかできなかった。


 お昼休みに大量の鼻血を噴いて失神し、そのままわたしは桜山まで運ばれたらしい。

 気が付いたら自室の布団で寝かされており、鼻にはティッシュが詰め込まれていた。流石にふらふらしたけれど、瀬戸川さん特製のレバニラを食べたおかげで、血は増産された。

 体は元気になったけれど、心は未だに流血している。男子の、それも服部君の褌を見て鼻血を噴くなんて、わたしはこれからどうすれば良いのだろう。


 おばあさまはきりっと帯を締め、美しく正座をなさっておいでだ。

 ぴしりと言った。


 「何度も言っている通り、鼻血は気合で止めるのです。鼻血で教室に虹を作った等、桜山の女としてあるまじき所業」

 「あう」


 顔を上げられない。桜山の女であろうとなかろうと、普通は鼻血で虹は作れない。それもこれも、わたしの体質のせいだ。

 「おばあさま、わたし、秘めた力なんていりません」

 思わず口からぽろっと零れた。


 感情のたがが外れたらリミッターが外れて、人外級の力を放つ能力なんて。

 これを隠し通すことで、どれほど神経を削らねばならないか。

 

 ううう、と、口元を抑えて涙をこらえた。

 もう嫌です。鼻血を垂れるのは嫌です。

 泣きそうになりながらも、わたしの脳裏では未だに鮮烈に、純白の褌を食い込ませた素敵なお尻が蘇るのだった。あ。鼻血。


 ぼたぼたっと畳に落ちるのは、涙ではなく、鼻血。

 打ち震えるわたしを、おばあさまはしばらく無言で眺めておいでだった。叱咤してほしい、どうせなら。しのぶ、未熟者、鼻血娘と罵倒していただけたらどれほど楽だろう。

 何も言われずに見つめられるのが苦しすぎる。


 だけどその時、廊下に座っていた誰かが穏やかに立ち上がり、部屋に入って来る気配がした。


 「しのぶ、あなたは桜山の女。克服しなければならないことが山とある。日々の修行も続きます」

 顔を上げなさい。

 おばあさまに言われて、わたしは鼻を抑えながら顔を上げた。そして、驚愕のために、抑えていた手を緩めた。だばだー。


 おばあさまの横に正座しているのは、制服姿の服部君だった。きりっと背筋を伸ばし、前髪の間から鋭くこちらを見下ろしている。

 どうしてここに服部君が。ものを言おうにも、口からはあうあうとしか出てこない。


 「服部君が、しのぶを背負って、屋敷まで届けてくれたのですよ」

 礼をいいなさい、しのぶ。


 びしっとおばあさまに言われ、わたしは慌てて頭を畳にこすりつけた。

 「あああ、ありがとうございますっ」

 なぜか、服部君に敬語を使ってしまっている。果てしなく動揺している。幸い、まだ血が足りなくてリミッターが外れるところまではいかない。鼻血がだばだば出るだけだ。


 「拙者にも責任がござる。まさか女人が見ているなど知らず、あのようなものを晒してしまった。あいすまぬ」

 俺も悪いんだ。まさか見られているなんて思わなかったんだ。あんなものを見せてしまうなんて悪かったよ――現代語訳。


 あのようなもの。褌お尻。あ、だめ、またフラフラしてきた。服部君、思い出させるなんて酷い。


 「事情は聞きました。それで、決めたのです」

 涙と鼻血を零し続けるわたしに、おばあさまは無慈悲にも言い放ったのだった。


 「服部君にお願いしたところ、快く引き受けて頂けたのです。服部君には、しばらく桜山に寝泊まりしていただきます。しのぶの鍛錬のためです。よいですか」


 男子の裸体などに心を乱すなど言語同断!

 平常心を保ちながら日々を過ごすよう、これから努めるのですよ。


 「わかりましたか、しのぶ」

 返事は。


 ああ、意識がまた遠くなりつつある。せっかくレバニラで血を補充したのに。

 

 「桜山、とりあえず止血を」

 服部君が身を乗り出して、その長い指でわたしの顎を上向けてくれたけれど、その刺激に耐えることができず、「きゅっ」と、わたしは倒れてしまったのっ!

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