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BOMB!  作者: 井川林檎
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ラブレターと四階と、まっかっか

 成宮姫子さんは、クラスでもダントツのお嬢様だ。

 華族のお家柄だそうで、凄いお屋敷にお住まいだという。見た目も麗しくて、さらっと靡く黒髪は淡い光を跳ね返して輝くようなの。抜けるように白い肌に、黒目勝ちの大きな瞳とくっきり赤い唇が映えてるっ!

 お人形さんのようにお綺麗で、凛としておられて、まさに姫。そのうえ学業も運動もおできになっちゃう。服部君と二人でクラス委員をしているけれど、何事にもそつがない。


 「服部、集めたプリントを職員室まで持ってゆきますよ」

 今日も、姫子さんはお美しい。そして、近寄りがたい。

 家臣にでも申し付けるかのように、もう一人のクラス委員である服部君に、そうお命じになる。


 なるほど、提出物のプリントは確かに集まっている。姫子さんは箸より重いものはお持ちにならない。なにしろ、おカバンですら、ご自分でお持ちにならないんだから。送迎のひとが代わりに教室まで運んでくる。日中は、主に服部君が荷物持ちをしている。

 

 「どうしていつも、服部君なんだと思う」

 

 授業開始前。

 しゃなりと姫子さんが出て行かれ、その後をプリントを抱えた服部君がかしづいてゆくのを見送り、ぼそっとなっちゃんが呟いた。

 この間席替えがあったばかりで、今回はとても幸運だった。隣の席はなっちゃんなので、内緒話し放題なのだ。

 

 結城君は一番前の席で、静かに教科書に目を落としている。前までは二人並んだ席だったのに、なんだか可哀そうだけど、わたしはやっぱりなっちゃんの側が嬉しい。

 六月に入って夏服になった。女子は半そでブラウスの襟元にモスグリーンのリボン。梅雨が近づいているけれど、制服の白さが夏っぽくて、浮かれてしまう。


 ぽやっとしていたわたしは、なっちゃんの囁きに我に返る。

 なっちゃんは眼鏡の奥の目で、わたしを観察していたのだろう。ぼーっと、わたしは服部君を見送っていた。頬杖をついて、服部君が物静かにプリントを集め、それを姫子さんに見せている様子とか。

 まるでナイトみたい。素敵だわ服部君ムラムラムラア――眺めているうちに興奮してきて鼻血が込み上げてきたところだった。なっちゃんが声をかけてくれたおかげで、わたしはぽやぽやしながら鼻血を垂らさずに済んだ。

 ちなみにわたしはティッシュボックスを常備している。いつ鼻血を噴いても良いようにするため、自分なりに工夫していた。クラスの女子からは、身体がお弱いから鼻血を頻発なさるんですって、まあ御気の毒だわ、などと噂されている。


 「二人は付き合っているわけではないみたいだよ」

 ひそひそと、なっちゃんは言った。わたしは真っ赤になった。いやだわなっちゃん、付き合うだなんて。

 だけどやっぱり、姫子さんに尽くしている服部君を見ると、ちりちり心が焼けることがある。


 「なんでも、服部君のお家は、代々、姫子さんのお家の家臣だったらしい」

 なっちゃん、どうしてそんなこと知ってるの。ぽやぽやっと、わたしは頷いた。なんだって、家臣、代々。えらくまた、時代がかった関係だこと。


 「だから、小さい時から姫子さんの家来みたいにしてきたんだってー」

 

 その時、服部君と姫子さんが教室に戻って来た。がらっと扉が開いて二人が姿を現し、静かに席に着く。その後から、どかどかと英語の太田先生が入ってきて、グンモーニンエブリバデーと言った。

 「起立」

 澄んだ声で姫子さんが号令をかけ、みんなは立ち上がる。

 「礼、着席」

 きりりとした姫子さんの後姿。本当にお姫様みたい。なんて綺麗なんだろう。ぽやぽやっと見惚れた。立っても座っても絵になる姫子さん。いいなあ、服部君と並んだらお似合いだもの。どうしたらあんな風になれるんだろう。


 「桜山」「し、しのぶっ」

 そっと声をかけてくれる人がいる。

 なっちゃんがあわあわとわたしを見上げている。後ろの席では、服部君がじっと立ち尽くすわたしを見つめていた。


 そう、今回の席替えの何がラッキーって、なっちゃんが隣なのも嬉しいけれど、すぐ側に服部君に来てくれたことだ。最初は緊張したけれど、やがて、横ではなく後ろに来てくれたことがいかに幸運か思い知ることになった。

 服部君は後ろにいるので、お顔が見えない。ので、ぼーっと眺めているうちに鼻血が噴き出す心配はない。でもすぐ後ろにいるので、この席周辺は服部君濃度高し。ムラムラモラモラ。そう、この空気の中に、服部君が体内から吐き出した二酸化炭素が混じっている。ふんがふんがすーすー。わたしはいつだって一生懸命、息をしていた。

 (きっと、こんなに服部君を堪能できることなんて、人生で二度とないんだ)

 味わえるうちに味わっておくんだ。くんくんふんがふんが、服部君の呼吸した空気っ。


 「桜山……」

 もう一度、服部君が呼んだ。

 なあに服部君。心臓がコサックダンスを踊りだしそう。おばあさまに鍛えられた気合の力で心臓を所定の位置に押しとどめているのがやっとなのよ。ばっくんばっくん。そんなに見つめないで、鼻血が。


 「桜山、座るでござる」

 

 えっと聞き返した。見回すとクラスメイトはみんな着席していて、ぽやっと立ち尽くしていたのはわたしだけ。

 太田先生が片方の眉を上げてわたしを睨んでいる。目があって、にやーと分厚い唇をほころばせた。

 嫌な予感は当たって、わたしはそのまま教科書を読ませられることになる。しどろもどろに英文を読み上げ、がたんと椅子に腰を下ろした時、たらっと熱いものが伝った。

 鼻血が出ている。慌てて鼻にティッシュを詰めた。何とかならないのかな、この体質。

 興奮してリミッターが外れかけたら、鼻血が出る。昔からそうだ。パパは、鼻血を出すことで体のエネルギーを消耗させ、暴走を抑えるように潜在意識が動いているのではないかと難しいことを言っていたっけ。

 

 ああ、服部君。悩ましすぎる、その存在。


**


 下校時間を迎える。今日もなんとか無事に終わった。

 ばらばらとクラスメイトたちは教室を出てゆく。なっちゃんともここでお別れだ。放課後は結城君との時間だから。

 じゃあね、また明日ねー。手を振り合って教室を出ようとしたら、結城君と目があった。大柄で温和な顔をした、優しそうな男子。なっちゃんと惹かれ合うのも頷ける気がする。

 「桜山さん、悪いね」

 と、言われて慌ててしまった。ううんそんな、いいのいいの、二人の時間は大事でしょっ。内心、なっちゃんを取られてしょげているのを見透かされた気がして、慌ててわたしは教室を飛び出した。


 ふと、四階の美術準備室が気になった。

 あの日、服部君を追いかけて入ってみたら、変な世界が広がっていた。ちょうどこの時間だったし、もしかしたらまたおかしな現象が見られるかもしれない。


 なんとなくあちこち見回した。廊下には今から部活に行くひとや、うちに帰ろうとするひとたちが歩いてゆく。誰も上の階に上がってゆこうとしないみたいだ。

 わたしは決心した。思い立ったが吉日、ちょうど今がチャンスかもしれない。わたしは一人、みんなと逆の方向に駆けて行き、しいんとしている階段を駆け上った。四階まで一気に走ってゆく。ぐずぐずしていたら、誰かに見つかって、何しにいくのか聞かれるかもしれない。


 したんしたんと颯のように階段を飛び越えて行き、あっという間に四階に到着する。

 誰もいない四階。廊下の窓からは西日が薄っすら差しこみ、あたりは赤く染まり始めていた。


 てくてくとわたしは歩き、美術準備室の引き戸を開いた。がらっと音を立てて扉は開き、色々なものが雑多に詰め込まれた美術準備室の風景が目の前にはあった。


 狭いラックの間を通りながら、あちこちを眺める。生乾きのカンバス。ポスターカラーの箱。かぴかぴに絵の具がこびりついた汚いパレット。色々なものが棚に押し込まれている。

 準備室には光が差さない。暗い場所だった。

 わたしは足を止めた。そうだ、このへんだった、あの時変な現象が起きたのは。


 立ち止まったけれど、しいんとしているばかりで何も起きない。

 しばらく待ったけれど、草原みたいな場所に出るとか、変なホラ貝の音が聞こえてくるとか、そういうことは一切なかった。


 (どこかに置き去りにされてないかな……アレ)

 カバンを床に置いて、ぎゅうぎゅうにものが詰め込まれたラックの中を物色した。アレ。そう、あの大事なもの。あの日、変な忍者みたいなやつに奪い取られたままになっている、ラブレターフォア服部君。

 もしかしたら、あの変な奴がここに置いていったかもしれない。なにしろ、あんなラブレター、持っていたところで何にもならないから。


 「ないなあ……」

 古いスケッチブックが重ねてあるところを調べたり、ポスターカラーの箱をずらしてみたりしたけれど、アレはどこにもない。

 諦めきれずに、別のラックの合間に入る。こちらは一層暗い。自分の頭より少し高いところに、画集が雑然と並んでいる。手紙を隠すとしたら、あそこじゃないかな。

 わたしは背伸びして手を伸ばした。すると、すぐ側から同じように伸びてきた手があって、ぽやっとしていたわたしはいきなり手が触れ合って仰天して、悲鳴を上げかける。


 「きえ」

 驚かしてはいけない、桜山しのぶを。

 暗がりでいきなり手と手が触れ合った瞬間、わたしの心臓は跳ね上がり、リミッターは外れた。サバンナを駆ける獣の速さでわたしは相手の懐に飛び込み、背負い投げを仕掛ける。

 ところが相手は、わたしの動きを見切っていた。思いがけなくわたしは両手を捉えられ、相手の顔を至近距離で見上げることになってしまった。


 「その手はもう食わないでござる」

 そのお声は。そして、その、暗がりで光るりりしいお目めは。

 心臓はコサックダンスを踊り狂っているけれど、両手を捉えられ、動きを封じられたわたしは暴走することができなくなった。お陰で外れたリミッターが戻り、そのかわりに鼻血がぼばっと飛び出したのだった。

 

 だばだば鼻血を垂らすわたしを、服部君は気の毒そうに見つめた。手を緩めてくれたので、わたしは慌ててポケットのハンカチを探る。なんということだろう、こういう日に限ってハンカチを忘れて来てしまっている。

 青ざめていたら、すっと白いハンカチが差し出された。服部君が、わたしにハンカチを貸してくれようとしている。


 「大丈夫でござるか」

 心配までされてしまった。わたしは真っ赤になってハンカチを受け取った。ごめんなさい服部君、綺麗なハンカチを汚してしまう。これ、洗濯したら落ちるかしら。

 

 「秘伝の書を、桜山も探しているとは」

 

 鼻をおさえていたら、なんだか服部君が変なことを言った。

 うろたえていたわたしは、まともに返事もできない。なにその秘伝の書って。


 服部君は、困惑したようにわたしを見つめていた。ああその真摯なまなざし。見つめられたらまた心臓がコサックダンスを踊りそうになった。わたしは慌てて目を逸らした。


 「……桜山、貴殿は何者か。正直、拙者には貴殿がよく判らぬ」

 

 呟くように言うと、服部君はじいっとわたしを覗き込んできた。そうしているうちに鼻血はだばだば溢れるし、白い綺麗なハンカチはきっともう取り返しがつかないことになっている。駄目だわこれ、新しいの買ってお返ししなくては。

 「しのぶ、未熟者。鼻血は気合で止めるものです」

 おばあさまの叱咤の声が耳元で聞こえる気がする。精神一到何事もなさざらん。鼻血だって止めようと思えば――ダメ、服部君の顔がすぐそこにある。だばだばだー。


 「桜山の事を、知る必要がある」

 ひっそりと、服部君は言った。低い声だったけれど、宣言するような強さがあった。

 

 えっ、なに、わたしのことを知りたいって?

 服部君そう言わなかった?


 我に返ったとき、既に服部君は準備室を出てしまっていて、そこに残っているのはわたしだけだった。

 ぽやぽやぽやっ。

 

 さっき、取りだそうとして手が触れ合ってそのままになっていた、重たそうな画集がずれて、斜めに傾いている。

 ラブレター探しどころではなかった。混乱した頭をもてあましながら、わたしはおろおろとカバンを拾い上げ、もたもたと部屋を脱出する。

 

 四階の廊下は西日で真っ赤になっていた。

 引き戸を締めた瞬間、部屋の中からパカパカと馬の蹄みたいな音が聞こえたような気がしたけれど――多分きっと、幻聴だろう。


 今日は、瀬戸川さんにお願いして、レバーを使ったお料理を一品足してもらおうかな。

 鼻血の出し過ぎでフラフラしている。困った体質だ。

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