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BOMB!  作者: 井川林檎
3/17

恋するマドレーヌ

 なっちゃんが結城君と付き合い始めてから、内緒のお喋りをする時間が減ってしまった。

 前は学校から帰る時に寄り道したりして、いろいろなことをお喋りしたものだけど。放課後なんか、まるで置いて行かれたような寂しい気持ちを抱いてしまう。

 

 だけど、お昼休みのなっちゃんはわたしのモノ!

 いくらアツアツカップルでも、みんなが見ている前でペタペタできないもんね。結城君は男子の中でごはんを食べる。なっちゃんのランチの相手はわたし。

 今日はいい天気だし、久々に屋上でお弁当を広げることにした。

 相談したいこともあったからね。


**


 戦国学園に、この間入学したと思っていたら、もう六月になろうとしている。

 もうじき梅雨だから、晴れの日を思う存分満喫しておかねば。屋上に出ると、柔らかい色の空が広がった。ほわほわの雲が薄くかかっている。

 セメントで固めた広い屋上には、モスグリーンの制服に身を包んだ生徒たちが、三々五々集まって、和やかにごはんを食べていた。


 「……ですのよ」

 「あら、ほほ」


 上級生のお姉様たちに良い場所を取られている。

 だけどわたしたちは、とっておきの場所を知っていた。お上品な方々が想像もしない場所。つまり、屋上のトイレ小屋の裏で、お弁当を広げる。

 見つかってしまったら、んまあ御下品と眉をひそめられるかもしれないが、別にニオイがするわけでもないし、日当たりも良い。なにより、お姉様お兄様がたから隠れてひそひそ話ができるのね。

 ここは、わたしたち二人の秘密の場所なのだった。


 「テストの勉強進んでる」

 「うーん……」


 お弁当を膝の上に置いて、たわいもないお話をする。ほんとに、この時間がどれほどの癒しか分からない。

 桜山のおうちに住むようになってから、わたしのお弁当はいつも重箱だ。家政婦の瀬戸川さんが丁寧に作ってくれるしとても美味しいのだけど、とうてい食べきれない。

 それで、なっちゃんに少し食べてもらっている。

 なっちゃんってば、ダイエットしなくちゃ、とか言っているけれど、今のままのふっくらが可愛いと思うんだ。結城君だって、ぽっちゃりなっちゃんが好きだと思うよ、絶対。

 (ふくふくの色白頬っぺた、触りたくなっちゃうもんなぁ)


 ぽやっと良い時間が過ぎた。

 お弁当がだいぶ進んでから、わたしは周囲を見回して、ずっとなっちゃんに相談したかった件を切り出す。

 お弁当バッグの中から、そっと例のブツを取り出した。


 瀬戸川さん特性の出汁まき卵を口に入れながら、なっちゃんは眼鏡の奥の目を見開いた。

 例の、へんな黒装束から間違って奪い取った巻物だ。こうやって白昼の光の中で眺めたら、実に汚らしい代物だよね。指でつまむようにしてそれを取り出したら、なっちゃんは奪い取るように両手で受け取った。この代物を、汚いって思わないみたい。

 なっちゃん、目がきらきら輝いている。


 「こっこれは、しのぶ、一体どうしたのっ」


 歴史学が好きななっちゃんは、多分、そんじょそこらの先生よりも知識量が豊富だ。明らかに年代物のソレに、なっちゃんは思い当たる節があったらしい。


 周囲に誰もいないことを確かめてから、わたしはあの、美術準備室の一件を話してみた。

 服部君に今日こそラブレターを渡そうと思ってついていったら、美術準備室が変な場所に変わったこと。そこで変な黒装束イケメン忍者にラブレターを奪い取られたので、追いかけて組み敷いて取り返したと思ったら、こんなものを手に入れてしまったこと。

 

 「服部君がね、なんか責任感じちゃって、ラブレターを取り返すの協力するって言ってたんだけど、これはどういう状況だと思う」

 わたしはそこで話を締めくくった。

 そうなのだ。最も気がかりな点はそれだった。

 決死の覚悟で一晩かけて書き上げたラブレターフォア服部君。書いているうちにふんがふんが興奮してきて鼻血を噴いて、何べんも便箋を駄目にした。五回目くらい書き直した時に、貧血を起こしてちょっと倒れた。けれどすぐに立ち直ってまた頑張ってラブレター作成に取り組んだ。

 ほぼ徹夜で書き上げたアレには、わたしの魂が入り込んでいる。


 「何としても取り返さないといけないけれど、万が一、先に服部君がそれを手に入れて見られちゃったら、わたしは」

 力が入りすぎて、あやうくお箸を折るところだった。ぶるぶる膝の上の拳が震える。だばだばと汗が流れて顎を伝う。想像するだにオソロシイ。

 服部君があの端正なお顔で、すっとラブレターを取り出して読み始める――その様子が見えるようだ――凛としたあのお声で、とうとうと朗読されるかもしれない。

 (うわあ勘弁)


 なっちゃんはまじまじと巻物を眺め、慣れた手つきで紐をほどいた。するっと巻物を広げ、鼻にずり落ちた眼鏡を直しながら読み進めている。

 やがてなっちゃんは顔を上げた。眼鏡が日光を反射して、白く眩しく輝いている。


 「魔道霊濡の作り方」

 と、なっちゃんは妙に緊張した声でそう呟いた。なんで今、マドレーヌの作り方なのよ。きょとんとしたわたしをよそに、なっちゃんはクルクルと巻物を元に戻し、丁寧に紐を結んだ。それを名残惜しそうにわたしに返してから、なっちゃんは言った。

 「魔道霊濡は、伝説の秘薬よ。遙か昔、幻の忍者集団が作り上げた、時空を飛び越える爆薬なの」


 へっ。爆薬。時空。マドレーヌが。

 ぽやぽやぽやっ。


 なんて気持ち良い風なんだろう。今、なっちゃん何て言った。

 ぼーっとしていると、なっちゃんは両手でわたしの手を握りしめ、眼鏡を光らせて顔を近づけた。冷静を装っているけれど、口調が緊迫に満ちている。

 「しのぶ、これは凄く凄く貴重なものよ。絶対になくさないで、誰にも渡しちゃだめよー。おうちの勉強部屋の机の鍵がかかるところにしまっておいてっ」

 ぶるぶる。がくがく。なっちゃんは目を泳がせている。


 「そそそ、それで、今度のお休みの日、しのぶのうちにお邪魔するから、その巻物現代語訳させてっ。そしたらそしたらっ」

 鼻息が荒い。こんななっちゃん初めてだ。

 「自由自在にタイムトリップして、歴史の謎を解明する事だってできるんだわっ」

 ムハームハー。


 なっちゃん一体どうしたんだろう。人が変わったみたいに。

 うん分かったよ、今度の土曜ね。わたしはそう言いながら、慌てて巻物をランチバックに入れた。できれば捨てちゃいたいほど汚い巻物なんだけど、これはそんなに貴重なものなの。

 いろいろな謎やツッコミどころを一気にすっ飛ばしている気がするけれど、とりあえずわたしは、なっちゃんに報告できたことで満足しかけていた。ぽやぽや。


 否!


 はっと我に返る。違うよ。こんなことじゃない、わたしが相談したかったのは。

 行方不明のラブレターと服部君のことだ。

 「なっちゃん、服部君にラブレター読まれたらどうしよう。それより、あの変な装束に中身読まれたら、掲示板に貼られて晒されてたりしたら、わたしもう学校来れない」


 わたしは涙を浮かべながら訴えた。

 けれどなっちゃんは、意外にクールに答えた。

 「大丈夫だよー。服部君に読んでもらう予定のラブレターなんでしょう。それから、その変な黒装束は掲示板に貼ったりしないかもしれないじゃん。ラブレターを貼りだすなんて、そんな悪人滅多にいないって~」

 

 どうしてそんなことが分かるのっ。あの変な黒装束は、絶対すごく性格悪い嫌な奴だよー。

 わっと泣き伏したい衝動にかられたけれど、なっちゃんはちょっと微笑んでいる。笑うなんてと思ったけれど、その笑顔を見ると気持ちが落ち着いて来た。


 キンコーン。

 昼休みが終わる鐘だ。

 屋上でランチをしていたお姉様たちは、わらわら談笑しながら校舎の中に降りて行かれたみたい。

 

 こんなに盛り上がっていたのに、なっちゃんはいつどうやって食べてしまったものか、お重の中は空っぽになっている。凄い。そして、助かった、いつもありがとうなっちゃん。

 「しのぶ、良妻賢母になるには食事を残すことなど言語同断。食べ物を粗末にすることは桜山の女として許されません」

 お弁当を残したら、おばあさまが吹雪みたいな声でお怒りになる。なので、なっちゃんのお腹は本当に貴重だ。いつもいつもありがとうなっちゃん。そして、瀬戸川さんにはできればお弁当の量をもっと容赦してもらいたい。


 立ち上がって、なっちゃんは三つ編みを揺らした。眼鏡の奥の目が優しく笑っている。ふんわりとした、いつものなっちゃんだ。

 「しのぶ、服部君に近づけるチャンスじゃないの。頑張れ」

 と、なっちゃんは言ってくれた。ぽん、と肩を叩かれた。そっか、これはチャンスなのか。


 ぽやぽやと、なっちゃんの後から階段を降りる。四階だ。美術準備室がある階。

 予鈴が鳴って、生徒ががらんといなくなった四階の廊下を歩いているうちに、わたしはまたあの、変な草原のことを思い出していた。

 一体あれはなんだったのか。そして、服部君は美術準備室に入ってなにをしようとしていたのだろう。


 「学校の七不思議に、そういうのあったねー」

 わたしの頭の中を覗いたみたいに、なっちゃんは背中越しに言う。ちょうど美術準備室の前を通りかかるところだった。


 夕日が出る頃に四階に来てはならない。見知らぬところに足を踏み入れてしまい、二度と帰ってこられなくなるから。

 ……という、学校の怪談。


 ぞっとした。

 「ほら、戦国学園の四階って、西日凄いじゃない。時間帯によっては真っ赤になるでしょう、全体的に」

 なっちゃんは振り向かずにいそいそと歩き続けている。

 「なんとなく別世界みたいな感じがするからでしょう。そんなものよー、怪談なんて」

 

 だから、しのぶが変な場所に迷い込んだっていうのも、目の錯覚じゃないのかな。

 

 と、なっちゃんはそういうと、振り向いてにこっと笑った。

 階段をとんとんと降りて行き、また振り向いて、しのぶ早くしないと遅れちゃうよと言った。


 わたしは慌ててなっちゃんの後を追いかける。

 そうか目の錯覚か。西日が強すぎて別世界みたいになるから。

 ぽやぽやっと、わたしはなっちゃんの言葉を飲んでしまった。とりあえず今日は、なっちゃんに打ち明けることができてすっきりした。


 がらっと教室の戸を開き、わたしたちは中に飛び込んだ。

 モスグリーンの生徒たちは、授業開始前に友達同士、静かにお喋りをしている。こそこそと席に戻ろうとした時、そっと肩を叩かれた。立ち止まって振り向いた瞬間、心臓が猛烈な勢いでコサックダンスを踊り出した。


 「桜山、数学の宿題を提出していないでござる」

 振り向いたところに前髪をさらっと垂らした服部君のお顔。

 口から飛び出すな心臓。とってかとってか踊りまくる心臓を何とか正しい位置におさめた。危なかった。リミットを越えるところだった。

 

 「ご、ごめんなさい。今出すね」

 慌てて机に戻ろうとして足がもつれて転んだ。

 抱きっ。

 不意にモスグリーンの学ランの腕が回って、後ろから抱きかかえられる。服部君が「危ないでござる」と耳元でささやき、瞬間、ついにわたしのリミッターは外れた。


 どがしゃあ、どたん。

 

 不意打ちは卑怯よ、服部君!

 自分のしたことに、わたしはヒイイと震えあがった。

 服部君は無言で床にひっくり返り、その辺の机がいくつかすっ飛んでいた。クラスメイト達は仰天して飛び上がり、一体何事かとざわめきが起きる。


 「見事な一本背負いだわ」

 一人だけ冷静なのは、服部君と同じくクラス委員の姫子さんだった。

 はっと振り向くと、まるで観察するかのように、壁にもたれて腕を組んでこちらを眺めていらっしゃった。姫子さんは一部始終をご覧になった。わたしは頭が真っ白になる。

 「しのぶさん、あなた使い手ね」

 クールに決めつけると、姫子さんはさらっと長い綺麗な髪をなびかせて、お席にお戻りになった。

 キンコーン。授業開始の鐘が鳴る。クラスメイト達はあたふたと席に戻る。倒された机も元に戻された。みんな、ちらちらこちらを気にしている。


 「服部君、ごめんねっ」

 慌ててかけよった。

 服部君は前髪の間から静かにわたしを見上げ、「ぬかったでござる」と、あの奇妙な口調で言った。そして立ち上がると、しずかに机に戻った。


 こつこつ足音が聞こえてくる。数学の草田先生かもしれない。

 わたしも慌てて自席に戻る。服部君は斜め前に座っている。怪我はなかったかしら。どきどきと心臓は波打つけれど、リミッターが切れることはもうない。わたしはこれ以上ない位、しょぼくれ返っていた。

 (服部君を、投げてしまった……)


 「しのぶ、未熟者ッ」

 おばあさまの叱咤が耳元で蘇る心地だった。

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