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BOMB!  作者: 井川林檎
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桜山しのぶ、その特異な身の上

 わたし、桜山しのぶ、15歳。

 この春、めでたく私立戦国学園に入学したの!

 戦国学園はいわゆるお嬢様おぼっちゃま学校で、小学校時代からエスカレーター式に上がってくる生徒がほとんど。そんな中、普通の中学から受験して入学した、わたしとなっちゃんみたいな生徒は珍しい。

 

 「歴史学の道に進みたいの」と、なっちゃんは小学校のころから言っていた。夢を叶えるためには是が非でも戦国学園に入学する――実際、中学二年の頃から始まった、なっちゃんのお受験勉強はすさまじかった。

 三つ編み眼鏡で全く目立たないなっちゃんだったけれど、努力家で、ひっそりと成績優秀。積極的にカミングアウトしないので、テストの番数が学年上位に入っていても、そんなに注目されなかったっけ。

 

 なっちゃんが戦国学園に入ったのは頷けるとして、どうしてわたしが入学してしまったのかというと・・・・・・。

 それは、大ばあさまの御意向に逆らえなかったから。きらびやかなお嬢様の中に混じって、ハイレベルなお勉強にいそしみたいなんて、これっぽっちもわたしは思っていなかったのよ。

 「しのぶはいずれ桜山家に婿取りをする身故」

 と、時代劇みたいなことを、床に伏した大ばあさまは言った。大ばあさまは百を超えたご高齢であらせられる。小学校5年の時に、パパに連れられてこのお屋敷に越してきて以来、毎朝、障子の向こう側でお休みになっている大ばあさまに挨拶するのが日課だった。

 その、朝の御挨拶の時に、真っ白い床に入り、真っ白な寝間着をお召になった大ばあさまが、重々しく仰せになったことがこれだ。


 「志望校、うーん、お金がかからない県立のどっかに入れればいーや」

 と、ぼんやり思っていたわたしの頭の中を見抜いたようなお言葉であった。しのぶは戦国学園。これ以外は認めません。偏差値、お受験失敗、そんなことはあり得ない。もししのぶが不合格だった暁は、そんな生き恥晒して生きられぬ。しのぶを道連れに婆は死ぬ。

 そんな無茶苦茶なことが21世紀の現代で通用するわけがないのに、桜山のお屋敷では大ばあさまのお言葉は絶対なのよ。あの、冷徹なおばあさまですら、大ばあさまには逆らえない。


 その日以来、悪夢の受験戦争が始まって、中学生活後半は思い出したくもない勉強攻めの日々となった。うう。


 家庭教師やら、塾やら通信講座やら、山のようにやらされて、やっとのことで、受験直前の学力テストで志望校安全圏に入ることができたわたしに引き換え、なっちゃんは涼しい顔で学年5位内の座をキープしていた。

 「こつこつ勉強してたら大丈夫だよー」と、なっちゃんは眼鏡の奥の優しい目で微笑んでいたけれど、したくもない勉強を無理やり詰め込まれていたわたしにとって、「こつこつ」は「骨骨」としか聞こえなかった。


 (こつこつ・・・・・・ほ、ホネが砕けるような苦痛・・・・・・)


 なっちゃんの場合は確かにこつこつ勉強の積み重ねの成果。

 わたしの場合は付け焼刃の一夜漬け的勉強。一応合格はしたけれど、まあ間違いなく、学年最下位、なんとか滑り込めた位の点数だったろう。受験が終わったあの日は、不合格だったら大ばあさまと二人で怪死することになるけれど、永遠に勉強地獄が続くよりは全然ましだと思った。

 合格発表の前夜は、さすがにうなされたけれど。


 「不合格うらめしや」

 寝ている部屋のふすまがスーッと開き、すり足の音が頭の上で聞かれるも体は金縛りで動けず。「しのぶ道連れ婆は逝く」――ぐわっと迫る大ばあさまの皺だらけな顔、見開かれた目は赤、ほとばしる悲鳴――ひいやあああああ、あああっ!

 汗ぐっしょりで目覚め、肩で息をしたものよ!

 (もうやだ、ママが生きてた頃に戻りたい)


 しのぶはこのままで良いのよ、野に咲く小さい花みたいに、のんびり生きていれば十分。

 優しかったママは、ぽやっとしているせいで、幼稚園でも学校でもみそっかすだったわたしに、よくこう言ってくれた。

 「しのぶには凄いパワーがあるんだもの。大丈夫、自信を持ちなさい。あなたはママの大事な子」


 しのぶの凄いパワー。

 確かにわたしには常人ではないモノがある。けれど、それは絶対に知られたくないモノ。こんなの取り柄でもなんでもない。むしろ、恥ずかしくて永遠に隠しておきたい位。

 常時のんびりと、草を食む牛みたいなわたしだけど、リミッターが外れるとオカシクなる。小さい頃、デパートでもらった赤い風船が手から離れて飛んでいった。パパとママが慌ててわたしを抑え込もうとしたけれど、それより早くわたしはデパートの建物の壁を垂直に駆けあがっていた。

 しぱぱぱぱ。ガラス窓を磨いているお兄さんの横をすり抜けて駆け上り、ついにわたしは風船をキャッチした。きゃー、あんなところに小さい子が。下から悲鳴があがり、はっと我に返ったのが運の尽き、風船を持ったままわたしは真っ逆さまに転がり落ち、墜落の寸前でくるくる回転して見事着地した。

 救急車やら、報道陣やらが押し寄せてくる寸前で、パパとママは必死になってわたしを抱えて逃亡、メディアに顔出しせずに済んだ。

 「しのぶはオットリのんびりした子に育てなくては」

 パパとママの意見は一致したらしい。そのかいあって、わたしは人一倍、ぽやっと呑気な子に育ったのだった。


**


 ぽやぽや育っているうちに、いつもわたしの味方だったママが病気で亡くなった。

 白い病室で、点滴を着けた姿で、ママはどんどん痩せていった。けれど、わたしがお見舞いに行くと、元気だった時と同じ顔でにっこり笑って、しのぶは良い子ねと言ってくれる。そのままのしのぶで良いのよ、しのぶはしのぶ、世界でたった一人だけのしのぶ。

 痩せた手で頭を撫でてくれたママ。亡くなる寸前までママは意識があって、最期に会った日も、しのぶは良い子、自信を持ちなさいと言ってくれた。

 翌日、学校で授業を受けていると、突然学年主任の先生がクラスに呼びに来た。ママが亡くなったからすぐに帰りなさいと言われ、一瞬、なんのことかわからなかった。ぽやっとした頭のままうちに帰ったら、もうママの体は家に返されていて、白い布を掛けられて横たわっていた。

 ちいん。お線香のにおい。昨日までちゃぶ台があった場所に、お葬式用の飾りが並べられていた。


 パパが――会社から駆け付けたままのスーツ姿で、パパがこちらに背中を向けて、ママの側に座っていた。振り返らずにパパが、しのぶ来なさい、と言い、俯いたまま立ち上がって席をあけた。


 ぽやっとわたしはランドセルをしょったまま、パパの温もりが残る座布団に座り、白い布のかかったママを見つめた。ママなの、本当にこれはママなの。


 「しのぶ、ランドセルを下ろしなさい。仏様の前では手を合わせなさい」

 凛とした声に顔を上げると、今まで会ったことのない痩せたおばさんが、強い目をしてわたしを見ていた。

 ママの亡きがらを挟み、わたしとおばさんは顔を合わせた。誰だろうこのひと――見回すと、部屋の中には何人か、知らない人が座っている。狭い借家の中がいっぱいになりそうだ。

 

 ママが亡くなってから即座に駆け付けたこの人たちが、パパ側のおうちの人達だと知ったのは、お葬式が始まってからだった。

 厳しい声でわたしの無作法を指摘したおばさんは、パパのママ、つまりわたしのおばあさまに当たるお方で。


 「葬儀が終わったら、桜山の家にいらっしゃい」

 お葬式の間もママが亡くなったことにピンと来なくて、ぼうっとしていたわたしに、おばあさまは言った。何事にも動じない、突然の葬儀にも万端の様子で臨み、的確にものごとを処理する姿は、怖いほどだった。

 このおうちはどうするの、と、わたしが聞いたら、どうするのではなく、どうしましょうとお言いなさい、と、ぴしりと言われた。


 「ここは借家です。あなたは本来、桜山の子なのです。これで……」

 美しい葬儀の飾りの中で鎮座する、ママのお骨が入った壺を見やりながら、黒い着物のおばあさまは言った。

 「あるべき姿におさまるのですよ、そうでしょう、陽子さん」


 陽子さん。ママの名前を呼びかけるおばあさまの目はどこか悲しげだったけれど、口調は凛として、やっぱりわたしには怖く思えた。

 ママと桜山のおうちの人達の間で何があったのか、わたしには分からない。けれど、ママが亡くなったことで、わたしの運命は大きく変わったらしかった。

 

 おばあさまは厳しく怖い人だけれど、温かい。しのぶは桜山の子、ちゃんとご自覚なさい。ことあるごとにぴしりと決めつけられたけれど、わたしはおばあさまが、どこか嫌いになれなかった。

 ぽやぽやしているわたしを見るにつけ、おばあさまは溜息をついたりお小言を言ったり、決して甘い顔はしなかった。

 

 「三つ子の魂百までと言うけれど、しのぶのノンビリは最早手遅れ」

 そう言いながらも、おばあさまはわたしをしつけることを諦めなかった。

 

 桜山家の子であるからには、桜山の秘術を全て身に着けてもらいます。やがては婿を取る娘、強く美しい良妻賢母となるべく、修練を積むのです。

 

 きりっと白い鉢巻をしたおばあさま。

 学校のテストは、なかなかおばあさまの期待には応えられない。けれど、おうちに帰ってからおばあさまが教えて下さる桜山の秘術は、一生懸命に覚えた。

 わたしはおばあさまに褒めてもらいたかったから。


 「おばあさまと仲良くしてね」

 争い事を好まないママが、あの笑顔で、そう言っているような気がしたから、わたしは頑張って、おばあさまの言う事を良く聞くように努めてきた。


**


 なぁんて、わたしの身の上のことなど、誰も知らない。親友のなっちゃん以外は。

 なっちゃんは、ママが亡くなる前、幼稚園の時からの友達だし、色々なことをお話しできる。

 

 おばあさまにしごかれても、ぽやっとしたところは全然直らなかったけれど、なっちゃんは「しのぶのそういう所が好き」と言ってくれる。

 なっちゃんがいてくれたから、わたしはぽやっとした自分をキープできたのかもしれない。


 しのぶは野に咲く花のように、のんびり生きていればいいのよ、と死んだママの言葉が遺言みたいに心に刻まれており。

 なっちゃんからは、ぼうっとしてるしのぶが好きと言われ。

 

 お陰様でわたしは、ぽやっとしたまま戦国学園の高校一年生。学力はビリだし、自分の秘めた力を人前で晒すのは控えているので、運動もまるでダメ子のまんま。

 ぽやぽやっと、モスグリーンのセーラー服姿で、上品なお嬢様がたの中に混じって。

 だけど周囲は花盛り、みんな好きな人の事で心はいっぱいだ。早い子は小学校の頃から付き合う別れるという言葉を口にしていた。

 (わたしには縁のない世界だなー)

 頬杖をつきながら、休み時間、クラスメイト達が楽しそうに噂し合うのを聴いていた。


 ところが、親友のなっちゃんまで、そんなカレシカノジョの世界に行ってしまったなんて。

 「あのねしのぶ。実はね……」

 恥ずかしそうに顔を赤くして打ち明けてくれたなっちゃんに、わたしは、おめでとうと言うのがやっとだった。

 

 好きになる。告白する。付き合う。

 

 なっちゃんが結城君と付き合い始めた頃から、わたしにも、遅まきの春が訪れたらしい。

 なんだろう、このどきどきした感じ。こうしていられない気持ち。セーブしていないと春風の中、きらきら光に包まれて走り出してしまいそうな――それこそ尻に火の着いた目隠しイノシシみたいにふんがふっふ目ぇ血走らせてふごふご突進どかーん――判らないわ何なのこの気持ち、これって一体なに。

 

 入学した時から不思議に目が行く、クラスの優等生、どこか不思議な彼。

 服部君のことを、わたしは好きなのかもしれないと気が付いてからは、心に歯止めが効かなくなっていた。

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