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BOMB!  作者: 井川林檎
16/17

真夜中の豆腐屋さん

 なっちゃんは頭が良い子だけど、目隠しイノシシというか、こうと思い立ったら後先考えなくなったり、他が見えなくなったりすることが時々あって。

 (長いつきあいの中で、それはよく判っていたはずなんだなあ)

 

 今日の調理実習室の大惨事。

 おまわりさんやら消防車やらが凄い勢いで駆けつけてきて、生徒も先生たちもみんな大騒ぎをして、まさに蜂の巣をつついたような状況になったのよ!

 ああ、思い出すだけでも心臓がコサックダンス。

 

 調理実習室から謎の爆音が響き渡り、虹色の煙が噴き出したという知らせは、昼休み終わりかけの学園に電光石火の速さで伝わった。

 お昼休みの和やかな音楽はいきなり途絶え、「調理実習室から爆音そして虹色の煙発声、全校生徒はただちにグラウンドに避難してください」と緊急放送が鳴り響く。ジリリリリ。火災警報地作動。


 はわわ、わ、わ。

 全校生徒が血相変えて走ってゆく騒音と恐ろしい緊急放送で、わたしはうろたえる。

 やばい何なのこの状況。ぼうんと破裂したオーブンから噴き出す虹色の煙。なにこれ火事、火事なのこれ。


 昼休みにマドレーヌを焼いただけなのに、こんな有様。

 慌ててるのがわたしだけで、当の本人、なっちゃんは、虹色の煙に包まれてぐふぐふ笑っていたのだけど。

 (肝っ玉・・・・・・)


** 


 昼休み、かねてからの約束通り、わたしとなっちゃんは調理実習室に集合した。なっちゃんは重箱弁当をつつきながら巻物を開き、魔道霊濡の作り方の最終チェックをしてからおもむろに作り始めたのだった。

 材料はあらかた支度してあり、ボウルにどろっとした黄色い液体――どう見てもマドレーヌの生地にしか見えなんだ――を流しいれ、トントン叩いたり、揺らしたりした後、なっちゃんは銀色の型にひとつひとつ丁寧に流し込んでオーブンに入れた。

 「これで完璧にできるはずよ」

 なんと準備万端にも、オーブンは予熱まで済ましてあった。なっちゃんったら、四時間目が終わり、実習室から人がいなくなったのを見計らって、工作しておいたのに違いない。

 ぶーんと音を立てて焼き始めるオーブン。中で焼け始めるそれらは、やっぱりどう見ても、お菓子のマドレーヌなのよね!


 「美味しそう」

 と、わたしが言うと、

 「お砂糖が入ってるからねー」

 と、なっちゃんはこともなげに答えた。わたしが生理用品入れに隠して持ってきた秘伝の書を大事そうに指で撫でまわしている。

 お砂糖が入っているのか、魔道霊濡は。そんなもんで、本当に時空を移動できるんだろうか。ぽやぽやっ。


 わたしがぼーっとしている間に、なっちゃんは重箱弁当を平らげていた。秘伝の書を眺め、魔道霊濡を作り、その片手間にお弁当を食べていたはずなのに、なんて早いのっ。

 つくづくなっちゃんって、人間離れしてる。

 

 「うふふふふ、これで魔道霊濡ができあがったら、歴史の中を旅できるってもんよ。うふふふふ」

 なっちゃんの眼鏡が白く輝き、なんとなくマッドサイエンティストっぽい。

 ふわんとマドレーヌっぽい美味しい香りが漂う。やっぱりこれ、どう考えてもお菓子のマドレーヌだと思うのだけど。オーブンの中を垣間見るに、ふっくらもりあがってゆくそれは、本当に美味しそうに焼けていた。

 (可愛くラッピングして好きな人にプレゼントするのにいいなあ)


 わたしは頬杖をつき、なっちゃんは眼鏡を光らせてぐふぐふ笑っていた。

 その時、ボンと派手な音が鳴り響いて魔道霊濡を焼いていたオーブンが破裂し、もうもうと虹色の煙が噴き上げた。ぎゃっとわたしは悲鳴をあげて丸椅子から転げ落ち、なっちゃんは颯のような勢いで立ち上がって破裂したオーブンに駆け寄った。

 危ない、なっちゃん危なーい。わたしは叫んだが、なっちゃんは虹の煙に巻き込まれて見えなくなっていた。なっちゃんどこー。けほけほ咳き込んでいるところに、あの放送がかかったのだった。


 「全校生徒はただちにグラウンドに避難してください。繰り返しまーす。ただちにグラウンドに・・・・・・」

 

 ひえええ。

 泡を食ったわたしは、虹の煙の中を右往左往した。がしっと手を掴まれ、そのまま引きずられるようにして廊下に飛び出した。髪の毛を乱し、眼鏡がずりさがったなっちゃんが、息せき切っている。

 「逃げよう、しのぶ」

 と、なっちゃんは言う。手提げの中に大事そうにものを詰め込んでいるけれど、焼き上がった魔道霊濡を回収したらしい。

 生徒たちは玄関に向かってわらわら群れており、煙が発生した調理実習室の前は避けられていて静かだった。玄関の方では先生が、落ち着け―、並べ―と声を荒げている。

 

 「なにが起きたのー」

 わたしは聞いた。なっちゃん、ぼさぼさ髪の毛と鼻眼鏡で嬉しそうに笑っている。そして言った。

 「成功したっ」

 

 魔道霊濡を正しく作り上げることに成功した。あの虹色の煙がその証なのよ。うふっふー、やったー。

 なっちゃん、ガッツポーズをしている。そして、わたしに生理用品入れに詰め込んだ巻物を押し付け「これ大事にしてなよっ」と言ったのだった。

 

 おいなにしてる、そこの二人。そっちは危ないぞー。

 玄関の方から先生が叫んでいた。やばい見つかった。なっちゃんはわたしに目くばせして走り出したけれど、ちょっと待って、わたし、この生理用品巾着を丸出しにしたまま行くの?


 レースのついた可愛い乙女乙女した巾着。

 見る人が見たら、その用途にピンと来るだろう。嫌だこんなの持って歩けない。せめてなっちゃん、手提げの中に隠してえ。

 だけどなっちゃんはもう走り出していた。

 仕方なくわたしは、フリフリの巾着を夏服のブラウスの下に隠して走ったのだった。胸元がぶるんぶるんしてやりにくい。はっとした。ああ、これって盛り乳ってやつか。

 (イ、イヤン)

 ブラウスの裾がずりあがるほど、わたしの胸は膨れ上がっている。なんかちょっと嬉しい。


 ばたばた走ってグラウンドに出ると、クラスごとに点呼が始まっていた。

 委員の姫子さんと服部君が前に立って、生徒の名前を確認している。

 わたしとなっちゃんで最後だったらしい。全員いることを確認してから、姫子さんと服部君は先生のところに報告に行く。だけど一瞬、姫子さんが足を止め、こちらをちらっと見たのだった。

 まつげの長い切れ長の瞳が、じいっとわたしを見つめている。謎の微笑みを浮かべていた。


 「怖いですわ」

 「虹色の煙だなんて。一体なにごとですの」


 わいわい喋っている生徒たちの中で、わたしとなっちゃんは目くばせをし合って無言だった。

 なっちゃんは未だに喜びで我を忘れているみたいだけど、わたしはこのとんでもない事態にハラハラしている。オーブンを無断で使ってこんなことになったことがばれたらエライことになる。

 しのぶ、未熟者。桜山の女は学校のオーブンを爆発させるようなことはしません。

 おばあさまの冷たい声が脳内で再生される。ああ。


 幸い、ボヤ騒ぎでおさまった。

 虹色の煙は消防隊が学園の中に入る頃には嘘のようにおさまっていた。窓からもくもくと虹色があふれ出していたほどだったのに。

 誰かがオーブンを使ったらしい、という噂が流れたけれど、犯人を特定するところまではいかなかった。その後、校長先生から今後、無断で調理実習室に入ることを全校生徒に禁じる通達が出た。

 「一体なんだったんだろうか、あの煙と音は」

 「謎ですわ、恐ろしいですわー」

 お坊ちゃまお嬢様方は、その日一日はその話題で持ちきりだったけれど、きっと明日にはすっかり忘れてしまって、夏休みのバカンスについてお喋りするのだろう。


 そして一日がなんとか終わり、わたしは今、桜山の家に帰ってきているのだけど。


**


 お風呂からあがり、部屋に入った途端、違和感に気づいた。

 何者かが入り込んだ気配がある。風間君だろうか。

 

 だけど狭い部屋の中に隠れる余地はなく、やはりそこは無人だった。ベッドの上に紙が乗っていることに気づき、とりあげるとそれは達筆の手紙である。

 すごく流麗な文字なので読むのに苦労したが、どうやら読み解いた。


 「秘伝の書を持って学園に来るべし。貴公の欲しいものと交換する」


 と、書いてあるらしい。

 最後にみみずののたくったような字で「かざま」と書いてあったので、やっぱりあいつか、と分かった。

 一度ならず二度まで。よくも乙女の部屋にしのびこめるものだ。というより、こんなことをする位なら、電話なりメールなり、いくらでも他の方法があると思うのだが。

 メールはともかく、電話番号は連絡網に登録してあるから、風間君も知っているはずだ。


 どかっとベッドに腰掛けて、その汚いお手紙をもう一度読んでみた。

 欲しいものと交換するから、巻物を持って学園に来い、と。

 すうっと窓から夜風が吹き込み、湯上りの肌を冷ました。欲しいもの、すなわちそれは、ラブレターフォア服部君だろう。むらむらあっ。あやうくリミッターが外れそうになり、慌てて心を鎮めた。お陰で湯上りなのに、たらっと鼻血がこぼれてしまった。ちくしょう風間のやつ。


 恐らく風間君は、今日の虹色のボヤ騒ぎで秘伝の書を急いで取り戻す必要にかられたのだろう。

 姫子さんだって何かを感じ取ったような目をしていたし、魔道霊濡を作り出すことに成功したことを悟ったのかもしれない。

 

 わたしはなっちゃんに電話してみた。電話がつながらなかったので、メールを送っておいた。

 風間君にこんなことを言われたので、行ってみようと思う。もう魔道霊濡は作ってしまったことだし、あんな巻物、渡しちゃって構わないよね?

 

 なっちゃんから、大事に取っておいてと言われたから鍵付き引き出しに入れて隠していたのに過ぎないのだ。こんな汚い巻物。

 姫子さんには義理はないので問題がないとして、服部君のことを考えるとちょっと胸が痛んだ。いっそのこと、今、服部君に事情を話してしまおうかと迷ったのだけど、いやいやと考え直す。

 服部君が親切にしてくれているのは、あの巻物のためなのだ。

 (もうこんな巻物いらないのよ)


 わたしは服部君に好きと伝えることができさえすれば良い。

 どうせ、服部君の心はわたしにはないのだから、告白したからといって両想いになれるなどと、思ってはいなかった。

 ラブレターを取り戻して服部君に渡す。それでこの恋は終わる。

 (いい加減、終わらせよう)

 止血のためにティッシュを鼻にねじ込みながら、不覚にも涙が込み上げてきた。


 服部君と一つ屋根の下で過ごした日々。忘れない。ありがとう服部君。

 しのぶは自分の気持ちに決着をつけます。


 わたしは浴衣を解き、ジーンズとTシャツに着替えた。そして、スリッパのまま、部屋の窓から外に飛び出したのだった。


**


 リミッターよ今こそ外れろ。

 しのぶ、解禁。


 夜中の外出を人に見られたらまずい。ましてやおばあさまに気づかれでもしたら。

 さっと行って、さっと済まして帰ってくるつもりだ。そのためには颯のようにならなくては。

 

 秘儀・北風小僧。

 したたたた。


 壁をかけあがり、家々の屋根から屋根へ。闇に紛れて風のように駆け抜ける。

 生理用品入れに入れて、ぶらぶら持ち運ぶ巻物よ。今日でおまえとはさよならだ。同時に服部君とのご縁も切れるかもしれないわけだけど、いつまでも悶々としているのは、それこそ桜山の女にあるまじきことだ。

 服部君。

 服部君。

 さらっとした前髪から覗く凛としたまなざし。

 桜山、と心配そうに声をかけてくれる優しい服部君。

 側にいてくれて、ピンチの時は助けてくれる。

 大好き。

 

 しゅたんしゅたんと屋根から屋根を飛び移りながら涙があふれる。それを振り切ってわたしは駆ける。

 

 しばらくぶりにリミッターを外した。

 やっぱり快感である。自分を押し殺し、普通の女の子に見せかけようとぽやぽやっと過ごしていると、手足が縮こまり、肩が凝るような気がする。

 走っているうちに気持ちが高揚してきて、時折わたしは高く飛び上がり、くるくると回転したりもした。ああ楽しい。すっごく、楽しい!

 (いつも、こうしていられたらいいなあ)


 星空は美しい。

 風は自由の香りがする。

 自分を解放したら、なんて世界が綺麗に見えるんだろう。住宅街を越え、商店街、やがてビルが立ち並ぶ通りへ。

 しゅたんしゅたん。高い壁も駆け上り、屋上から屋上へ。最高だった。


 だけど、まもなく戦国学園が見えて来た時、わたしは息を飲むことになる。

 ビルの上で立ち止まり、わたしはその異様な様を、目の当たりにした。


 そこからは、戦国学園の校舎やグラウンドがよく見えた。

 暗闇の中で大きな城塞のように学園は沈んでいたのだが――うぞうぞ、うぞうぞ――なにか、無数のものが蠢いている。


 それは学園の窓や壁、屋上、そしてグラウンドを蠢いている。

 わたしは目をすぼめる。秘儀・鷹の目。


 桜山の秘儀を使って視力を研ぎ澄ました。すると、黒い蠢きが人間であることが分かる。すごい人数だ。一体なにをしているのだろう。へんな恰好をしている。

 さらに凝視して、その人々が甲冑を纏っていることに気づいた。唖然とした。

 「なにこれぇ」


 ふおーお、ふおー。

 ホラ貝の音まで微かに聞こえてきたような気が。

 (戦国時代の人たちが、なんか、学校で戦の支度をしているッ・・・・・・)


 しばらくわたしは立ち尽くしてその信じられない有様を眺めていた。

 この異様な事態を引き起こしたのは、やはり昼間の魔道霊濡造りだろうか。そう思ったら、責任を感じてしまうではないか。


 「ああーっ」

 ああーっ、なっちゃん!


 白く光る眼鏡を思い出したら、地団太を踏みたくなった。もう、どうしようもないけれど。

 この事態をどうしたら収拾できるのかなんて、分かるわけがなかった。わたしは再度、スマホでなっちゃんにメールを送ると、覚悟を決めて、学園に乗り込んだのである。

 

 (呼び出したからには、風間君はいるわけだ)


 ふおーお、ふおー。

 ホラ貝が町に鳴り響いている。すたっとビルから飛び降りて学園に向けて走っていると、ランニングの人とあやうくぶつかりそうになった。

 すいませんすいませんと謝って通り過ぎる。ランニングの人はこちらには気づいていない様子で、ぼーっとホラ貝の音に耳をすまし「こんな真夜中に豆腐屋か」と呟いた。


 トー、プー。

 (真夜中の豆腐売りということにしておいてお願い)


 朝が来るまでなんとかしなくては。

 町の人たちが、ホラ貝の音を豆腐屋と思ってくれている間に!


 それにしてもなっちゃん、まさか寝てはいまいな。

 あちこち見回し、誰にも見られていないことを確かめてから、わたしはついに、怪しい気配が渦巻く夜の戦国学園の正門を跳び超えたのだった。

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