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BOMB!  作者: 井川林檎
12/17

乙女の純潔、しのぶの決意

 ぐるぐる、むらむら、ぐるぐる。

 灼熱の空の色はまるで鼻血。妙に足元がぐるぐるする変な場所をさ迷い歩く。わたしは何かを探していた。とても不安で、とても切ない。

 必死で周囲を見回すけれど、辺り一面、鼻血色。時々黒いものが見え隠れする。目を凝らすと、それは人型になる。黒装束の人が走っている。ぐるぐる。


 「ちょっと待ってよ」

 わたしは叫ぶ。秘儀、北風小僧。韋駄天より早く走る、桜山の秘伝の技だ。

 相手がたとえ熟練の忍者だろうと、必ず追いつくことができるのだ。わたしは走る。前を行く黒装束は手に何かを持っている。鼻血色の赤に目がかすみそうになるけれど、必死にそれを見る。そして、はっとする。

 そうだ、それこそわたしが探し求めていたもの。どうしても必要なもの。


 ラブレターフォア服部君!

 そうよ、一晩かけて書いた、命の欠片が入り込んだ告白のお手紙だ。


 あの黒装束が、わたしの手から奪って行ってしまった。冗談じゃない、返せ!

 「うぉおおぉおおぉおんどりゃあああああっ」

 どばばばば。足元から煙が沸き立つ勢いだ。北風小僧マックス。わたしはついに黒装束に追いついて背後から組み付く。相手も抵抗する。ごろごろと地面を転がり、わたしは相手を組み敷いた。

 

 「返しなさいよっ」

 いいや、これはあんたの気持ちだろう。俺がありがたくいただいておくぜ!

 どこかで聞いたことがある声が、かるーいノリで答えた。唖然としていると、相手は優しく微笑んだ。覆面をしたその顔に、服部君の面影が重なり、わたしは飛びのく。嫌だわたしなんてことを。服部君を組み敷いてしまうなんて!

 

 相手は立ち上がると、そっとわたしのラブレターを開く。そして、音読を始める。

 あなたを想う赤い夜。わたしの鼻血も同じ色。真紅の思いを受け止めて。世界で一番あなたが好き。わたしの恋は、赤い色。

 赤。赤。情熱の赤。だい、だい、だーい好きっ。


 「あんたの気持ちはよくわかったぜ」

 手紙を読み終えた彼は、そういうと不意に振り向く。その柔らかい髪の毛、その甘い顔立ち――わたしは悲鳴を上げた――違う、あんたじゃないっ。

 

 「うぅうぅう、くそっ」

 ぎりぎりと歯ぎしりの音が立つ。おのれ風間、どうしてくれよう。乙女の純血、もとい、純潔の恋を踏みにじるとは。

 

 桜山、桜山。

 耳元で涼し気な服部君の声が聞こえる。ああ、服部君、あなたはいつも遠い。こんなにお慕いしているのに、ラブレターすら渡すことができない。

 涙がじわっと浮き出して、つっとほっぺを流れた。肩が軽く揺さぶられる。桜山、起きるでござる――わたしは泣きながら目を開いた。なんだ夢だったのか。正気に返って見回したら、そこはいつものわたしの部屋だ。朝日がカーテンを透かしている。

 泣いていた顔をこすりながら起き上がろうとすると、ごちんと額がなにかにぶつかった。あいたたた、と、おでこを庇うと、ぶつかった相手も「痛いでござる」と言っている。


 ござる?

 わたしは恐る恐る手を顔から離した。今にも接吻しそうな至近距離に、彼の顔が覗き込んでいた。服部君。遅刻を心配して起こしに来てくれたのか。

 頭の上の目覚まし時計は、もう七時を回っている。きゃっと起き上がったら、タオルケットの下の、薄い寝間着がむき出しになった。寝間着の胸元は緩く、ぷらんと開く。


 服部君が、固まった。さわやかな前髪の奥の目が泳いでいる。

 そして、わたしは、鼻血を噴いた。


**


 お乳を見た側ではなく、見られた乙女の方が鼻血を噴く図。

 「もうわたし、本当に好きな人とは両想いになれないのかもしれない」

 

 お昼休み、いつものように屋上のトイレの裏で、なっちゃんと重箱を開いた。

 今日は朝からブルーである。寝坊して、服部君が起こしに来てくれた超絶ラッキーイベントを、台無しにした。鼻血のせいで。


 なっちゃんは美味しそうにカマボコを食べている。夏に食べるおせちみたい、と、呑気に呟いている。なっちゃんはいいなあ。


 この間、風間君とのツーショットを見られて服部君に誤解されて以来、ほんのり色づき始めていた恋は見事に散ったかのようだ。やることなすこと、残念な方に転ぶ。

 こないだなんか、夕食の時、服部君の御膳を前に置こうとしたら、手が滑った。きちんと正座したおばあさまと、凛としたたたずまいの服部君。その服部君の頭のてっぺんから、とろろ昆布の味噌汁がかかった。きゃあっ、ごめんなさいと叫んだ拍子に、また手が滑って、次はモズクの酢の物が顔面に。端正なお顔が大変なことになった。

 わたしは焦ってかけよろうとして、たたみの上で足を滑らせた。ずべーん。ちゃぶ台ごと天井に舞い上がり、瀬戸川さんが丹精込めて作ってくれたお夕食がみんな、吹っ飛んだ。しかも、どういうわけか、ぶちまけたごはんが全部、服部君の上にべちょべちょ落ちかかる。ひえええ。


 「ごめんなさい、服部君」

 「良い。気にするな桜山」


 もずくととろろ昆布と納豆和えとモツァレラチーズ入りグラタンで彩られた服部君は、そんなことになってもなお、きちんと正座し背筋を伸ばしている。そこに、天井高く舞い飛んでいた小皿が一枚、ことんと落ちてきて、服部君の脳天を直撃した。きゃあきゃあ叫ぶと、服部君は何でもなさそうに、「問題ない」と言った。

 うわあああ、服部君、いっそのことわたしをなじって頂戴。

 

 「しのぶ、未熟者」

 一方、おばあさまは一人、ちんと正座して、お茶碗にてんこもりのご飯を召し上がっていらっしゃった。目を伏せ、淡々と食べておられる。流石おばあさま。桜山の女はいかなることがあっても動じてはならぬ。そして、食う。

 

 (未熟者でございますっ)

 しゅん。

 夏間近の青空の下、わたしはどよーんとしていた。

 そうしている間も、なっちゃんはどんどん食べている。あ。一のお重が空になった。いつもながら凄い。


 「思うんだけどさあ、服部君、しのぶのこと嫌いじゃないんじゃない」

 なっちゃんは、お魚の尻尾をむぐむぐ口からはみ出させながら言った。

 いつも親切だし。もしかしたら、風間君とのツーショットを見て、ちょっと妬いてたりして。


 そ、そうかな。

 わたしは半信半疑だった。服部君はあまりにも淡々としているし、常に紳士的だから、感情が全く読めないのだ。

 風間君とのことで誤解された時は若干気まずかったけれど、あれ以降も変わらず親切に接してくれる。実は、それがちょっと切なかったりするのだけど。


 なっちゃんは眼鏡の奥の目でわたしを眺めながら、お弁当を片づけた。二のお重クリア。一体なっちゃんの胃袋はどうなっているの。


 「鼻血を出すことを恐れずに、はっきり言ってみるのもいいんじゃなーい」

 なっちゃんは最後のお重に箸をつけながら言う。他人事のように軽い調子。

 鼻血さえ出なければ、と何度思ったか分からない。だけど、いっそのこと、鼻血を噴きながら当たって砕けてみれば良いのではないか。


 そうだ、今わたしが一番苦しんでいるのは、服部君に風間君とのことを誤解されたままだということ。

 もし仮に恋が玉砕したとして、思いは伝わる。誤解は解ける。もともと片思い、振られて当然。なっちゃんは、さばさばとそう論理づけている。


 ついに三の重がすっからかんになった。大変おいしゅうございました、と、なっちゃんは合掌する。にこーと口元が微笑んで満足そうだ。良かったね瀬戸川さん。

 

 「奪われたラブレターを取り戻すより、鼻血を噴いて告白するのが効率的」

 と、なっちゃんは博士のような口調で言った。ひゅっと人差し指をつきたて、眼鏡の奥の目を光らせる。

 「なんでも効率が大事なのよ。ごはんの食べ方だって、どの順番から食べれば一番胃の中に納まりやすいか常に計算してるの。テストの勉強でも、もちろん恋も同じ」

 効率よ。効率なのよ!


 なんだか、恋愛が数学の式みたいに思えて来た。片思いは間違った数式なのかな。

 いまいち元気になれないまま、昼休みが終わろうとしていた。効率はともかく、鼻血を噴いて玉砕してもいいから、服部君の誤解を解くべきだという考えには同意できる。

 そうだわたしは、まず服部君の誤解を解きたい。少なくとも、わたしと風間君はなんでもない。それどころか、風間君こそ、ラブレターを奪った憎い敵なのだから。


 「うん。服部君にぶつかってみる」

 スカートの上で握りこぶしを固めた。脳内でその場面をシュミレーションしてみたら、つーっと鼻血がこぼれて来た。

 リンゴーン。予鈴が鳴る。

 なっちゃんはお重を綺麗に風呂敷で包んでしまうと、すくっと立ち上がった。三つ編みが風に流れ、モスグリーンのスカートがはためく。なっちゃんの眼鏡が光っている。


 「あのねしのぶ。実は、魔道霊濡の制作に取り掛かっているのよ」

 すごく難解。だけど諦めない。もう少しで成功しそうなんだ。なっちゃんは背中を向けながら、淡々と語る。

 「もうちょっとで完成しようとすると、ちょっとの油断で、ボンッ、って爆発しちゃうの。うちのオーブン、駄目になりそう」


 でも、絶対にあきらめない。必ず作り上げて見せるの、魔道霊濡を!

 めらめらとなっちゃんの後姿から闘志が燃え立つみたい。わたしはぽやぽやっと、なっちゃんを見上げていた。


 ああ、いい天気だな。眩しい日差し。これからどんどん夏になってゆく。

 予鈴が鳴り終わった。わたしも立ち上がり、なっちゃんの後を追った。


**


 服部君に告白する。

 鼻血噴いてもいいから、告白する。


 そればっかり考えているうちに一日が終わった。

 秘密のお座敷でおばあさま直々の修練を受けている最中も、今日は上の空だった。べしびたどかびたん。天井からつるされた丸太の振り子は、もれなく直撃する。ぱかんどたっ。足元の落とし穴にひっかかり、地下まで落ちる。そして最後にはついに、おばあさまの背負い投げをもろにうけて、ぼこんと壁にぶち当たる。一瞬、壁と一体化したと思ったら、つーと壁づたいに落ちた。べたん。

 「しのぶ、今日は身が入っていません。これでは修練の意味がない」

 もう良いから休みなさい。明日以降はこのようなことがないように。

 冷然と突き放すようなおばあさまの口調に項垂れつつ、わたしは秘密のお座敷を出た。


 桜山のお屋敷は忍者屋敷みたい。くるっと壁が回ると、わたしの勉強部屋に出ることができる。なので、例えば服部君のような、外部から来たお客さんに、秘密の修練を悟られずに済むのだ。

 ドレッサーの前で道着を脱いだ。ちっちゃい胸、ぺたんとしためりはりのない、やせっぽちの体。

 まじまじと見ていると悲しくなってくるので、そそくさと服を着た。そうだ、こんなぺたんこの胸を見たからといって、服部君が動揺するわけがないではないか。

 なにしろ服部君は、いつもあの、ナイスバディ才色兼備の成宮姫子の側にいるのだ。

 (あー、落ち込んできた)


 桜山、いるか、と、服部くんの声が襖の外で聞こえる。慌ててわたしは道着を隠した。

 すうっと襖が開いて、服部君が顔を出した。夕食だから居間に来るようにと、ばば上が仰せだ――服部君はおばあさまのことを、ばば上と呼ぶ。

 「あっ、ありがと」

 まともに目が合った瞬間、鼻血がつっと落ちた。慌ててティッシュを詰める。告白する時はティッシュボックス一つで足りるだろうか。幸先不安だ。


 服部君は、うむ、と頷いて背中を返しかけたけれど、また不意に振り向いた。どっきん。心臓が危うくコサックダンスを踊りだすところだった。

 「桜山、なにか気がかりなことがあるのか」

 と、服部君は言った。揺れる前髪の奥、瞳に微かな憂いがあった。

 「拙者では、相談相手にはならぬか」

 

 いやそのアンタが悩みの種ってゆーかアンタなんだよ問題はっいやいやアンタというより鼻血なんだな実は鼻血が諸悪の根源くそったれ鼻血。


 心臓コサックダンス止まれ。あと、脳内の暴走野獣もいったん停止。

 わたしは深呼吸した。その拍子に、鼻血がもう片方の鼻の穴からもたらっと出る。ああ、今夜もレバーをしっかり摂らねば。


 「ありがとう服部君。うん、お話したい事、あるんだ実は」

 そのうち、聞いてくれるかな。約束だよ。


 「む。約束だ。必ず聞き届ける」

 服部君はしっかり頷く。唇のはしに微笑みが浮いていた。涼やか。

 

 そして目が合う。ああ駄目だふんがふんがむらむらむらあっ。リミッターが外れそうになる。駄目。嫌。鼻血よ出ろ。どばー。


 「ばば上に、桜山は支度にもう少しかかると伝えておく」

 非常に気づかわし気に服部君は言って、そうっと襖をしめた。とんとんと足音が遠ざかる。なんて優しい心遣い。涙が出て来た。

 うるうる泣きながらティッシュを鼻につめ、わたしは一層心を固めたのだった。


 (どうなってもいい。例えあのラブレターが永久に取り戻せないままでも構わない。わたしは)

 わたしは、告白してみせる。鼻血の出過ぎで命危うくなろうとも。


 服部君、好き。

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