タイムトリップと、アホー
期末テストの結果が出た。
分かっていたけれど、あんまり芳しくない。おばあさまのお怒りを思って悶々としていると、後ろの座席の服部君が「具合でも悪いのか」と聞いてくれたのっ。
麗しいばかりではなく、服部君、とても気が付く良い人なんだよな。ううん大丈夫、と笑って答えたら、「そうか、なら良いが」と、心配そうな目で言われた。優しいんだから。あ。鼻血。
慌ててティッシュを鼻に詰めていると、なっちゃんが眼鏡を白く光らせてこちらを見ているのに気づく。口元がにたーと笑っていた。
(イイカンジ)
と、なっちゃんは親指を突き立てている。わたしは真っ赤になってしまう。
気のせいでなければ、ここ最近、服部君との距離が縮まっているような。桜山のうちでは食事量の多さを気遣ってくれて、そっと食べてくれたりする。教室では鼻血を出しては卒倒するわたしを、さりげなく心配してくれる。こころなしか、会話も増えたような気が。
惜しむらくは、目を見つめて長時間お話することができないこと。そんなことしたら――鼻血ブシュー――ヘモグロビンさん達がエライことに。
なっちゃんの冷やかしに赤くなりながら、テスト結果をそっとカバンにしまい、わたしは背後を意識する。服部君は静かに次の授業の支度をしている。全て淡々とスマートになにごともなく済ませてしまう彼。あまりにもそつがなくて、完璧なイメージ。
彼の心を占める女の子がいるのだとしたら、それは誰だろう。
窓からは、透明な日差しが差し込んでいた。
**
「時空を超えるってのはSF上の話じゃなくてね、実現可能なのよ」
知ってた?
お昼休み、わたしたちはタオルを頭にかぶせて、人気のない屋上でお弁当を広げていた。例によってトイレの裏側、程よい日陰で。
夏が近づくにつれ、直射日光が強くなって、お姉様たちは屋上でご飯を召し上がらなくなった。だから、ほぼわたしたちの独占状態である。
なっちゃんは、瀬戸川さんの重箱弁当を食べながら、そう言った。時空を超えるって。わたしはきょとんとする。
空はからっと晴れて、日差しが眩しい。タオルを頭にかぶせていなければ、すぐに脳天が熱くなってしまいそう。
「魔道霊濡の巻物を見てから、確信するようになったわ。それに、タイムトリップについては昔から科学者たちは、実現可能だと考えていたのよ」
なっちゃんはもごもごと天ぷらを頬張った。よく食べられるなあ、この暑いのに。
わたしはゴマ塩お握りだけでお腹いっぱいだった。もう入らない。ギブー。
マドレーヌ。
あの汚らしい変な巻物。一部のひとたちは秘伝の書とか言って、血眼になっているみたいだけど、わたしは未だにあれを勉強机の鍵のかかるところにしまっている。
あんなもん燃えるゴミの日に出してしまいたいと思っていたけれど、なっちゃんが「大事にして」と本気で訴えるので、仕方なく取っておいた。
そういえば、服部君もあの巻物をわたしが持っているじゃないかって聞いてきたことがあったけれど、その時わたしは成宮姫子さんのことで虫の居所が悪かったので、素直に応えることができなかった。今の所、巻物の在りかは、わたしとなっちゃんの秘密だ。
なっちゃんはいつものように眼鏡を光らせ、喋りながら頭の中を高速で回転させている。
すごく色々考えているんだろう。きっとなっちゃんは、わたしが見落としていることも拾いあげているに違いない。
「時空越えが実際に起きていると仮定すると、色々と説明がつくのよ」
なっちゃんは次に、サラダに手を付ける。きゅうりが色鮮やかなポテトサラダ。なっちゃんの手に掛かればパクンと一口でなくなっちゃう。凄いな、憧れちゃう、その胃袋。
「戦国学園の七不思議で、四階の怪があるでしょう。あれは、時空越えを意味しているんじゃないかって、わたしは思う」
なっちゃんは言った。
ぽやぽやっ。
四階の怪がタイムトリップだって。なっちゃん、頭が良すぎて変になっちゃったんじゃないの。
わたしの顔を見て、なっちゃんは苦笑いした。なんだろう、ちょっと小ばかにされたような気がする。
すうっと良い風が吹いた。屋上はやっぱり最高だわ。お姉さま方も、トイレの裏側でごはんを食べたら気持ちよいのに。なんでも体裁ばっかり気にしていたら、一番いいことを取り逃がしちゃう。
わたしはぱたぱたっと制服のスカートに風を入れた。
一方なっちゃんは、重箱を片づけながら、まるで博士が難しいことを解説するかのように語り続ける。聞いていると眠くなってしまう。
「服部君が美術準備室に入り、それを追ってしのぶも入った。そしたらそこは、戦国時代だった」
戦国時代みたいなところよ、と、わたしは口を挟んだ。ホラ貝が鳴って、戦っぽい感じがしただけだ。あと、変な忍者が――風間君にそっくりの――いたこと。
あ、いや、風間君そのものか、あの忍者。ううん、なんだかこんがらかってきそう。一体、わたしは何に巻き込まれているの。
なっちゃんは、わたしのグルグルには取り合わず、淡々と話を続けた。あ、最後に残っていた鮭の塩焼きを口に入れちゃった。いつもながら凄いな。
「なんらかの条件が整えば、美術準備室から戦国時代に飛ぶことができる。そして、そのことを服部君は知っている」
服部君だけじゃない。成宮姫子も、転校生の風間君も、そのことを知っているはず。
なっちゃんは合掌した。ごちそうさまでした、と呟いている。なっちゃんのお腹に入ったお弁当も本望だろうな。瀬戸川さん、今日もあなたのお弁当、美味しくいただかれました。
「つまり、彼らは現代人じゃない」
と、なっちゃんは言った――ような気がした。わたしはもううとうとして、体育すわりをした膝の上に頭を乗せて、目を閉じていたから。
最後までなっちゃんの講義を聞いていなかった。えっと聞き返し、顔を上げた時、なっちゃんが重箱を綺麗に片づけ、風呂敷包みにしてくれているのを見た。
リンゴーン。予鈴が鳴った。授業が始まってしまう。お昼休みって本当にあっという間だ。わたしは伸びをした。
「一度さ、魔道霊濡を作ってみようと思うの。あんた、付き合ってくれるでしょ」
立ち上がりながら、なっちゃんは言った。白く光る眼鏡の奥で、目を細めてわたしを見ている。
はい、と、綺麗に結んだ風呂敷包みを返してくれた。あ、ありがと、と受け取った。
「こんな素晴らしいチャンスはないわ。もしわたしの仮説が正しければ、歴史の謎は全て解明されるはず」
なっちゃんの言い方は、なんだかぞくっとするものがあった。
歴史学が大好きななっちゃん。確かに、タイムトリップが実現したら、嬉しいだろうなあ。
(そんな馬鹿なことがあるわけないじゃない)
と、わたしは思っていたのだけど。
**
学校が終わった。
なっちゃんは結城君と図書館デートをしている。テストの結果が出たばかりなのに、まだ勉強するらしい。真似できないなあ。
野球部員がグラウンドで練習をしているのを眺めながら、わたしは一人、帰路に着く。
服部君は姫子さんに付き従い、クラス委員のお仕事があるし、いつだって帰り道は一人ぼっちだ。いいのよ慣れてる。きゃあきゃあ楽しそうなお嬢様たちの集団を通り過ぎながら、てくてく歩いた。
「よう……」
その時、後ろから声を掛けられた。振り向いたら、風間君が片手をあげて走って来た。なんの用だろう、と身構えたら「その辺まで一緒しようぜ」と言われた。こちらの返事も待たずに、風間君は横を歩きはじめる。
仕方なく並んで歩く。いやだなあ、まるで彼氏彼女みたいじゃないの。距離をあけようとするけれど、風間君の歩調はぴったり、わたしに合わせられていた。
くるくる天然パーマの髪の毛は柔らかくて、クラスメイトの女子の間では好評だ。まるで少女漫画の少年みたい、と言う子もいる。
全体的に甘い顔立ちだから、女子から好かれやすいんだろう。風間君はおまけに、ちょっと軽いんじゃないかと思う程、女の子たちとよく喋った。女子だけではなく、男子からも可愛がられている。
そういえば最初の日、みんなが風間君の魅力にやられたようになった。服部君はあれを「術」と言ったけれど、人から好かれやすいのは天性のものもあるんだろうな。
目があったら、にやっとされた。別に嫌な感じじゃない。風間君は言った。
「バレーボールで床に穴をあけたんだってな」
わたしはぶすっとした。何故その話題を出す。というか、男子にまでその話が伝わっていたのか。
「あれは事故よ。ボールに死んだバレー部員の念が籠っていたんだよ」
と、わたしは答えておいた。
げらげらと風間君は笑った。すごく楽しそうにしている。風が心地よく流れてスカートが揺れた。
ぽくぽく歩きながら、わたしは頭の中で、あの角までいったら用事があるから急ぐとか理由をつけて、風間君から離れよう、と計算した。こんなところ、誰かに見られて変な噂を流されたらたまったもんじゃない。
「違うだろー。あんたの実力だろ」
風間君は言った。甘いスマイルだ。まさにジャニーズ系。この人、黒装束で走って、わたしのラブレター盗んでいったんだよな、そういえば。
ふいに昼間の、なっちゃんの言っていた、タイムトリップ説を思い出した。
(まさか)
風間君は良い笑顔で髪をかきあげながら、言った。
「忘れたとは言わせねーよ。あんた、俺の俊足に追いついて、そればかりか俺に組み付いたじゃねえか」
組み付いた。
変な言い方はよして欲しい。それじゃあまるで、わたしが一方的に襲い掛かったみたいではないか。
むっとして、「それはそっちが、わたしの大事なものを奪ったからでしょ」と言い返した。風間君の目が鋭くなった。
「何言ってんだよ、俺とクンズホグレツやって、屈しなかった上に、せっかく俺が成宮から盗って来た秘伝の書を奪いやがったじゃねーか」
秘伝の書。成宮。
わたしは一瞬、ぼんやりした。
ううん、なっちゃん、あなたの仮説が正しいのかもしれない。
だけど、そんな馬鹿な。だとしたら、服部君って、本当に何者なのよ。わたしは一体、誰に恋してしまったの。
風間君がわたしの肩を掴んで揺さぶった。
「秘伝の書を返せ。あんたが持って立って役にもたたねーだろ」
さらっと、覚えのある香りが漂った。
はっと振り向くと、服部君が立って、こちらをじっと見ていた。いつもの端正なたたずまいだけど、前髪の奥の目に驚きの色が走っているような。
服部君は、わたしと風間君の状態を無言で見つめている。わたしはそれで、やっとこの状態に気づく。
風間君はわたしの両肩に手を置き、顔は至近距離だった。
何も知らない人が見たら、これではまるで、接吻一秒前の様相ではないか。
(冗談じゃないわ)
わたしはとっさに風間君を振り払った。そうしたら、力余って風間君は吹っ飛び、道行く車の上をくるくる回りながら、向こう側の歩道に落っこちた。
なにしやがるんだよー、この女あっ。
風間君の喚き声が聞こえてくる。パッパー、ブッブー。車を運転するおじさんが、目を剥いてこちらを振り向いた。うわわわ、まったやってしまった。
「くんずほぐれつ……」
服部君は、静かな口調で呟いている。
わたしはぎょっとした。服部君、まさかその部分だけを聞いて、なにか激しく誤解していないか。
「……風間は成宮と敵対する者。あまり、勧めたくない相手だが」
服部君は、わたしの横をすっと通り過ぎた。
そのまま背中を見せ、歩いて行く。ああ、服部君、行かないで、話を聞いて。
「そこまで拙者が介入することもできぬ。それに、それほどまでに関係が進んだのであれば、もはや何も言う事はない。桜山に幸あれ」
アホー。
電線の上で、烏が一声哭いた。しのぶのアホー。