百鬼夜行の愛され河童
妖怪話です!ゆるゆるです!河童ちゃんが皆に愛されてます!
大寒も間もなくだというのに、妙に生暖かい風の吹く日であった。
気が急いた月が夜の帳よりも足早に天へと昇っていったが気味の悪い事にやけに赤い。
「こんな日は碌な事がねえんだ」
皆何事か感じ取っているのか、足早に家路へと急ぐ。
普段は客でいっぱいのうなぎ屋も寿司の屋台も今日に限っては閑古鳥が鳴くばかり。
「うちのばあさんが死んだのもこんな日だった」
蕎麦屋も暖簾を下げながら、隣の縄暖簾の親父に肩を竦めて見せた。
「ほれ、そこの油問屋の孫が最近伏せってたろう。こんな日は連れて行かれやすいんだ」
「大枡屋の大旦那が初孫だって喜んでいたのになあ」
蕎麦屋と縄暖簾の親父達は血の気の引いた顔を見合わせ、両肩を手で払って厄を落としながら店の雨戸をきっちりと閉めた。
油問屋の大枡屋はまるで通夜のように重苦しい沈黙が満ちていた。
半月ほど前から5歳になる初孫がなんとなく身体を壊しがちになり、ここ数日は大熱に苛まれて意識も無いような有様だった。
真っ赤な顔で呻きながら時折『嫌だ』『怖い』と泣きじゃくる。
ありったけの伝手を使って呼び寄せた高名な医師に見て貰ったが、おかしな事に悪い所はひとつも無いのだと首を傾げるばかり。
しかし熱は下がる気配もない。
熱冷ましの薬湯を匙で少しずつ飲ませるくらいしか手が無かった。
母親の方も心配のあまり寝込む始末。
父親は近所の寺や神社に片っ端から駆け込んで、息子の平癒を神仏に祈っていた。
使用人も全員が真っ白な顔をして孫の様子を覗っている。
今夜辺りが山では無かろうか。
誰も一切口にはしないが、誰もがそう思った夜だった。
その夜更け。
その時は来た。
突然ごうごうと吹き始めた風ががたがたと通りに面する家の雨戸を鳴らす。
家中の行燈の火が不気味に揺れた。
修行を積んだ高僧や山伏ならば、遙か彼方からやってきた異様な気配の正体を見たかもしれない。
先頭は手ぬぐいをかぶった三毛猫だった。
短い竿につけた破れた提灯を前足で不器用に捧げ持ち、二本の後ろ足でふらりふらりと屋根の上を歩いている。
その破れ提灯には大きな一つ目があり、破れた穴からはだらりと長い舌が垂れていた。
その後に続くのはカラコロと下駄を鳴らす寺の小僧。
よくよく眺めてみれば提灯にひとつやってしまったのか、この小僧も一つ目だ。
更にはぞっと寒気のするような髪の白い美女が続く。
女の回りには一足早く大寒が来たかのような大粒の雪がちらついていた。
女はまた、寒々しい音を響かせる三味線を掻き鳴らしていて、山伏然とした格好の鼻の長い赤い顔の天狗が、三味線に合わせて葉団扇を振り回す。
ひとつ振ればごうと風がうねり、ふたつ振れば通りの砂粒四方に散らばせ、みっつ振れば行燈の火が激しく踊るのだ。
その他にもお化け唐傘や九尾の狐や牛鬼といった名だたる妖怪達が列をなして屋根の上を下を練り歩く。
百鬼夜行だ。
蕎麦屋の親父の言うとおり碌な日では無かった。
気味悪い赤い月の下、季節外れのぬるい風と共に、その名の通り百の妖怪達が凶事を連れてやってきたというのか。
「ひゃはははは!歌えや踊れや!」
「祭りじゃ祭りじゃ!」
「ほれ品川の海に向かえ向かえ!船幽霊共が酒を汲んで待っておる」
「海坊主が大きな鱶の活け作りを馳走してくれるとさあ」
「美人の磯女はおるかの」
「そうさおるに違いねえ」
そうではなかった。
妖怪達は年に数度ある、海の妖怪の宴会に向かっているだけだった。
どれほどの人間が胆を冷やしているかも知らぬげに、酒盛りの前から陽気に歌い踊る傍迷惑な行列であった。
列の中程で水かきのある手足をふりふり不器用に踊っていたのは小柄な河童の河太郎。
海の妖怪の宴会がどういうものかはわからなかったが、皆が楽しそうなので自分も一緒にはしゃいでいた。
ところがあんまり激しく踊ったものだから頭のてっぺんの皿に貯まっていた水がとぷんと溢れ、ぬるい風に吹かれて河童の皿は見る間に乾いてしまう。
「あれえ」
途端に河童は目を回してひっくり返った。
傍でゆらゆらと怪しく揺れていた鬼火が怒鳴る。
「あっ!おおい!!河童のヤツが倒れたぞう!」
百鬼夜行の列がぴたりと止まった。
妖怪達はなんだなんだと口々に河童の周りに集まってくる。
「なんだいまたかい」
呆れたように雪女が河童を覗き込んだ。
ふうと冷たい息を河童の頭に吹きかけると、雪玉がとさりと皿に積もる。
「困った子だねえ」
その雪玉を溶かすように九尾の狐がぺろりとひと舐め。
「なにまだ子供だ仕方ない」
気位の高い九尾を宥めながら酒徳利を担いだ川獺がこれまたぺろり。
「どれ儂も」
「釣瓶火の旦那は止めてやりなあ」
「気持ちだけで十分さ」
ゆらありと揺れる青い火は、皆で止めた。
本人は親切のつもりだろうが釣瓶火の火で炙られては河童の皿はひとたまりも無い。
一つ目小僧がぺろり。
化け狸がぺろり。
鬼がぺろり。
小豆洗いがぺろり。
妖怪達は雪玉を水に変えるように河童の皿を舐めてやりながら、自分の妖力を少しずつ河童に分けてやる。
「なんにゃ、まーた河童か!」
先頭にいた猫又も騒ぎを聞きつけとって返してきたようだ。
「世話の焼けるやつにゃああああ」
「ひゃああああん!」
猫又の舌にざりざりと容赦なく舐められて、河童は文字通り飛び起きた。
飛び上がった河太郎の皿には妖力の水が満ち満ちていた。
これならしばらくは心配ないだろうと、河童の回りに集まっていた妖怪達はまたなんとなくの列に戻ってまた海に向かって練り歩きを始める。
「いくぞい河童」
猫又が肉球でぺしぺしと河童の甲羅を前に押し出した。
「はあい」
素直に返事をして、行列に混ざる。
「雪女、景気のいいのやってくんな」
「あいあい」
雪女は再び三味線を鳴らし始めた。
景気のいいのには違いないが、雪女のせいかどうやっても寒々しい音になる。
寒々しいと感じるのは人間だけで、妖怪達は気にした風もなくでたらめに手足を振り回し踊っているのだが。
「おうい猫又」
「なんだいのっぺらぼう」
「この二軒先の油問屋はどうする」
「ああ、あそこなあ。以前は気難しい龍神が住んでたんでわっちらも頭を下げて横切ったもんだが。あの家の奴等ぁ、何も知らんで池を潰しちまったから奴さん怒って出て行っちまった」
「それであの家にゃあ龍の怒りが渦巻いてんのか」
「わっちらにゃあ関係のねえ話ってもんさ。このまままっすぐ行っちまいにゃ」
「あいよぅ」
猫又は手に持っていたお化け提灯をのっぺらぼうに持たせた。
その提灯は百鬼夜行の先導が持つ旗印のようなもので、妖怪達の間では一種憧れの的である。
この度は猫又が勝ち取ったものだが、どうにも鈍臭い河童が心配で、先に行く気になれなかったようだ。
「猫又どん、いいのかい」
あんなに誇らしげに提灯を掲げていたというのに。
「なあに、構いやしねえさあ。目を離した隙に河童が干上がっちまったんじゃあせっかくの船幽霊の自慢の酒も不味くなっちまわな」
「おいらは岡の池の河童で海はこれが初めてだけど、そんなに美味しいものなのかい」
「馬鹿、美味いなんてもんじゃねえよう。船幽霊の酒を海の魚のお造りを肴にきゅうーっといっぱいやった日にゃあ極楽浄土に真っ逆さまに昇っちまうってもんよ」
「お造りってのはきゅうりより美味しいかい」
「ははは、河童にゃやっぱりきゅうりの方が上等かもにゃ」
「なんだあ、そうかあ」
雪女の三味線の音と共にそぞろ歩きながら、妖怪達はぬるりと壁を通り抜ける。
屋根の上も歩くし、壁も通り抜けるし、水の上を歩けば霞に溶けもする。
それが妖怪というモノだ。
不意に屋敷を取り囲んだ禍々しく重苦しい空気に、家人は身を縮めて念仏を唱えた。
一方禍々しい空気の元凶達は
「なんでえ調子っぱずれの音だなあ」
なんて読経の善し悪しを暢気に言い合っている。
「辛気くさい家だね」
「ほら、ここさぁ龍神を追い出した家」
「ひぇぇ、大それた事する人間だなあ」
「おいおい、また行列が止まっとる」
「どうしたどうした」
河童の手を引いたまま猫又は襖を通り抜けた。
襖の向こうの広い部屋にはぎゅうぎゅうに妖怪達がひしめいている。
その中心は真っ赤な顔で絹布団に横になる子供と、その枕元にひっそりと座る長髪の雲水僧侶だ。
「童に触れてはならぬ」
白皙の美貌にかかる白髪に裾の霞んだ墨染めの直綴。
何より百鬼夜行の妖怪共を見ても顔色ひとつ変えぬ様子は、どう見ても人ならぬものだ。
「あっ、死神さん!」
野次馬根性で鬼の股下から顔を出した猫又と河童だったが、声を上げたのは河童の方だった。
少しばかり目を瞠った雲水は、鬼と猫又と河童とを順番に眺めて、ああと頷く。
「あの時の河童か」
「なんでぇお前ら顔見知りか」
猫又もまた、河童と死神の顔を見比べた。
「夏の盛りに道端でその河童が干からびておったのでな、見かねて水をやっただけの事」
「おめえは何度行き倒れてんでぃ!」
「あれね、ちょっと隣の沼まで行こうとしたら思いの他暑くて……。死神さん、あの時はどうもありがとう」
「あの時お前の命数は尽きておらなんだ。拙が手を出さずとも助かっただろう」
「まったく鈍臭い河童が世話になったなあ。……で、死神がそこに座ってるってぇことはこっちのガキはその命数ってヤツがヤベえのかい」
病床の子供を肉球で指すと、膝に揃えられた死神の手が強く握り込まれた。
人間にも広く知られているが、死神が枕元に座るのはその人間の寿命が尽きる時。
人間には死神が人を殺すと思われているが、人を殺すのはあくまでも寿命であり、身体から抜けた魂をあの世に案内するのが死神の仕事である。
「百鬼夜行の妖怪共に言っても詮無きことだが」
死神は誰かを見るともなしに視線を子供の布団の刺繍に落として呟いた。
独り言という体だ。
「この童は本来70まで生きると閻魔帳に記されてあるのだ。ところが何の因果か龍神が撒き散らしたこの家の厄をこの童が一身に負ってしまったのだ。こんな事は前代未聞も良いところでな。あの世でも決めあぐねておる。地獄の沙汰が下るまで、拙がこうして付いているという訳だ」
「はあ、お上ってえのは気の長いこって。お沙汰が下る前にガキがくたばっちまったらどっちにしたって賽の河原行きだろうに」
猫又は子供の顔を覗き込む。
自分を飼っていた長唄の師匠の子供も、この位の年で流行病で死んでしまった。
あの時の飼い主の悲しみ様はただの猫心にも染みたものだ。
「地獄としても閻魔帳に載らぬ不慮の死は避けたいところなのだが」
河童は猫又の耳を軽く引っ張った。
「猫又どん、この坊も死神さんもなんか可哀想だよ。お前は頭が良いだろう。なんか妙案はないかなあ」
まるで我が身の事のように眉を下げ悲しそうな顔をする河童に、しびびと尻尾が震えてしまう。
「そうさなあ。地獄も龍神様とは事を構えたくねえんだろうなあ。おおい、誰かここに住んでた龍神様の事知ってるヤツぁいねえかい」
「あたしゃ昔ここんちの軒下に住んでたんだけどねえ」
妖艶な遊女が回りを押しのけて進み出てきた。
「おう、絡新婦かい。どんなだった」
「ちと短気だが情に厚いお方だったよ。この坊やだけが自分のせいで苦しんでるって知ったらそりゃあ大慌てしそうなもんさ」
「ふうむ、そんじゃあなんとかなりそうだ……。よし、因果を逆にしちまおう」
猫又は力自慢の妖怪を四匹ばかり見繕い、それから河童にひそひそと耳打ちした。
ぽん、と蓮の花が咲くように河童は笑う。
「うん、うん!」
それから死神の腕に飛びつくと襖の上の欄間を指さした。
「ああああ!死神さん!あれはなんだろう!!」
その勢いに押されるように死神がそちらに目を向けたその時。
「それいまだ!」
猫又の号令で四匹の妖怪が子供の布団の四方をひっつかんで持ち上げ、くるりと頭と足の向きを入れ替えた。
「何を……」
さすがの死神も妖怪の奇行に面食らった様子だった。
そして途端に表情も寝息も拭うように穏やかになった子供に目を瞠る。
「うまくいったみてえだなあ」
「猫又、これはどういう事だ」
「『死神が死にそうなガキの枕元に座ってる』を『死神が枕元にいるからガキが今にも死にそうだ』に変えてやったのさ」
「そのような事が……」
「百鬼夜行の妖怪が浮かれてやらかしたとでも言っときな。さあさあ今日は道草が多くていけねえや。道草よりも酒とお造りだろう。行った行った」
「あいあい」
「あいつら待ちくたびれて酒を飲み干しちまってんじゃねえか」
「そいつぁ困る。急げ急げ」
妖怪達は次々と部屋の壁を抜けていった。
凶事の百鬼夜行がまさか死にかけの子供を1人救ったのだとは誰も思うまい。
「死神さん、今日は海の妖怪と宴会なんだよ。一緒に行こうよ」
くいくいと河童が死神の手を引いた。
「ううむ」
確かに子供の命数は70までに戻っている。
もはやこの屋敷に死神の役目はないだろう。
「河童の人懐こさはどうにもならんにゃあ。あんた、付き合ってやんなよう。いわばあんたらの恩人ってやつだろう」
猫又はやれやれと溜息をひとつ。
河童はキラキラとつぶらな目を輝かせて死神を見上げている。
水かきの付いた手は膠を貼り付けたようにしっかりとくっついて、死神を離す気はないようだ。
「……そうだな」
死神はするりと立ち上がった。
「死神を謀った巫山戯た百鬼夜行の後を追わねばなるまいよ」
に、と笑う様が存外男臭くて粋なものだから。
河童の頬が何故かぽうっと赤く染まった。
孫の突然の快癒を油問屋の大旦那は涙を流して喜んだ。
お礼参りに神社を巡っていた父親が龍神の池を埋めたせいだと天啓を受け、大旦那は大慌てで庭に立派な社を建てると龍神を改めて丁寧にお祀りした。
それ以降、油問屋の者達は日々参拝を欠かさなかったお陰か、店は病人を出す事も無く永く繁盛したという。
「河童が死神に口添えしてくれた」
元気になった子供がそんな事を言うものだから、龍神の立派な社の隣に河童の為の小さな祠を建てる。
子供が祠に熱心に手を合わせるものだから、大人たちも自然と丁寧に河童を祀るようになり。
季節には欠かさずきゅうりを供えるようになったという。
河童ちゃんは初恋の死神さんに再会できたので、今後カッパなりの猛アタックを仕掛けることになります。
死神さんは困惑しつつも河童ちゃんの可愛さにそのうち絆される。