第5話「天国と、素直な言葉」
我ながら、大胆な提案してしまったと思う。
だけど言ってしまったからには、もうあとに引けない。
「ごめん、散らかってると思うけど……」
二階にある俺の部屋までカートレットさんを案内する。
棚から出しっ放しの漫画本やら学校からのプリントやらで本当に散らかっているにもかかわらず、カートレットさんは嫌な顔一つ見せず――むしろその表情は明るいものだった。
「凄いです。漫画、たくさんですね」
「あ、うん。昨日の夜読んでてそのままだったりで。だらしないよね」
「ううん、羨ましいと思いました。わたしの部屋には、ないですから」
「ないって、漫画本が? まったく?」
はい、とカートレットさんは苦笑いを浮かべて頷く。
「おばあさまが、勉学に不要な本を買うこと、許してくれませんから」
「そうなんだ……厳しいんだね」
お金持ちだから、どんな漫画やアニメのグッズも買い放題じゃないかと思ったけど。案外そんなこともないらしい。
にしたって、まったく許されないというのも……。
「カートレットさんって、街外れにある工場の会社の、創業者のお孫さんなんだよね」
「いえ、違います」
「え?」
「よく言われますけど、違います。おばあさまにとっては親戚ですが、わたしはただの……そう、遠縁というものになります。孫ではないです」
割と衝撃の事実だった。
きっと遠縁という情報に尾ひれがついて広まったのだろう。
どっちにしてもお嬢さまのは間違いなさそうだし、孫娘でも遠縁でも大差ない気がしてくる。
「じゃあ、この街の高校に来たのも……」
「はい、あの工場は関係ないです。おばあさまがたまたま、この辺りに住んでいただけで」
「そうだったんだ。偶然だったんだね」
「小さい時にも何度か、おばあさまのお屋敷には来たことがあります。この街は静かで、とても過ごしやすいと思います。だから、好きです。この街」
お淑やかな声と笑みで形作られた『好き』という言葉に、全然関係ない俺までドキッとしてしまう。
やっぱりカートレットさんは可愛い――それは当然なんだけど、なんというか。
「俺も好きだな、今のカートレットさん」
「え?」
「学校にいる時よりも、話しやすいっていうか。学校ではずっと高嶺の花だって思ってたけど、今はそんな風に感じないというか」
カートレットさんの頬がみるみる赤く染まっていく。
そして照れたように俯かれたことで――俺もやっと思い知った。
たった今、自分がどれだけ恥ずかしいセリフを口走ったのかを。
「いや、その――そんな変な意味じゃなくて。隣の席だけど、中々話す機会がなかったから、つい」
「そう、ですか……話しやすいなら、嬉しいです」
カートレットさんが顔を上げてくれた。
なんとか取り繕えたみたいだけど……そもそもなにを取り繕ったのかもよく分からない。
「そ、そうだ。『アラ敗ケ』の漫画だったよね。ちょっと待ってて」
またなにか誤魔化すような声になりながら、部屋の奥にあるウォークインクローゼットを開ける。
『アラ敗ケ』の漫画は随分前に段ボールの中にまとめて片づけていた。確かDVDも一緒に収納していたはずだけど……。
――と、コートなどの冬物の服に隠れていた衣装ケース、その上に積まれていた大きな段ボールを引っ張り出し、中を開けてみた。
「わぁ――……」
綺麗な青い目をいっそう輝きを増した気がした。
箱の中身は、『アラ敗ケ』のコミックス全32巻と、アニメのDVDボックス――小学校時代にコツコツ貯めていた小遣いをつぎ込んで買った代物だった。
「凄いです……本物を見たの、初めてです」
「本物?」
「イギリスにいた時、パパに頼んで、インターネットのサービスでアニメを見ていました。でも、本やDVDは持っていませんでした」
なるほど、そういうことか。
最近はアニメも動画配信のサブスクが当たり前だ。カートレットさんも海外でなんらかのサブスクを利用して視聴していた、という意味なんだろう。
「これ、手に取って見てもいいですか?」
「え? もちろん」
「ほんとですか! ありがとうございます」
また無邪気な笑顔を見せながら、カートレットさんは箱の中から『アラシは負ケズ!』のコミックス1巻目を取り出した。
大切に仕舞ってはいたものの、カバーも中のページもだいぶ色褪せてしまっている。
それでも表紙を見るや、カートレットさんは貴重な宝石でも手にしているみたいに瞳を煌めかせていた。
「とっても感動です……もしかしてこれ、全巻ありますか?」
「うん、一応」
「凄いです。まるで天国ですね」
なんと大げさな……。
と、安易に突っ込んでいい雰囲気じゃなかった。
コミックスや箱の中を見つめるカートレットさんの眼差しは本当にきらきら光っていて、心の底から嬉しそうなことが伝わってくる。
こんな反応をされる、こっちまで不思議と顔が綻んでしまう。
俺じゃなくて『アラ敗ケ』のおかげではあるけど……それでも、こんなに喜んでもらえることは素直に嬉しい。心の中がぽかぽかと温かい気持ちになってくる。