卒業
「行儀よく真面目なんて糞くらえブヒ~」
それは校舎の影で芝生の上から吸い込まれる空を眺めつつ幻とリアルな気持ちを感じていた時だった。
ブヒヒヒブヒヒヒ~ブヒヒヒブヒヒヒ~
なんとも個性的なバイクの音が鳴り響いていた。
見ればそれは3匹の子豚だった。正確にはデフォルメされた豚のゆるキャラ。顔に十字傷やサングラス。リーゼントをきめている。豚達はバイクを乗り回し学校の廊下をわがもの顔に走り回っていた。手には金属バットを持ち窓ガラスを壊して回っている。
「この支配からの卒業ブヒ~」
とても荒んだ学校だ。それを行っているのが普通の生徒ならだが。
でもそれをおこなっているのは豚のゆるキャラなので暴れていてもあまり怖くはなかった。イメージ的には年がら年中晴れ晴れで急がなくっちゃ嘘でしょな牛さんを彷彿とさせる。分かるかな?分からないでしょうね。
そんなことを考えているとチャイムが鳴った。僕は教室のいつもの席に座りいつものように勉学に励もうと教科書を開いた。しかし…
「残念です」
すぐ近くで女の声がした。
「また単位を落としてしまいましたね」
顔を上げると女がそう言って眼鏡をくいっとあげたところだった。
「マドンナ先生」
彼女は豚ではなく人間だった。その名もマドンナ先生。スーツをビシッと決めて髪の毛をポニーテールに結んでいる。きつい印象の美人だった。名前からしてマドンナだしそりゃあ美人だった。
「豚の中、温かい…温かいわ」
「なんですか? 」
「いえ、言ってみただけです」
眉をしかめるマドンナ先生。そりゃあいきなりそんなこと言われたら眉の一つや二つしかめもするだろう。しかしそんな表情も美人さんだった。
「変なこと言うと内申点を下げますよ? 」
マドンナ先生は美人だったが基本的に恋愛対象には入らない。何故なら彼女は性格がきつめな先生キャラだったからだ。恋愛漫画では攻略キャラは女子生徒だ。先生キャラは対象外。特にきつめの眼鏡の先生キャラと言えば人気などであるはずもない。M気のある一部の読者には是非とも踏んづけて欲しいとコアな人気になるかもしれないが勿論僕はそんな一部の読者ではなかった。
「マドンナ先生相変わらずお綺麗ですね。今度映画でも行きませんか?」
僕はそんな一部の読者ではなかったが10年間も単位を落とし続けたせいで年齢が30に迫ろうとしていた。僕にとってマドンナ先生とてもはや年下だった。意地を張ったところも可愛く見える、なくもなかった。繰り返すけど別にMとかじゃないからね。本当に。
「セクハラはやめて下さい」
映画の誘いはピシャリと断られる。流石はきつめの性格の先生キャラ。僕はちょっとゾクゾクっとした。
「また働きながら授業を受けるつもりですか? 」
マドンナ先生は僕のお誘いなどなかったかのように話をつづけた。
「もう単位を取れないまま10年目です。諦めるという選択肢もありますよ? 」
「諦めたら卒業できないじゃないですか」
僕はそう言いながら素早く考えた。単位を取るための授業は週に1度だけだ。これならば働きながらも授業を受けることができる。授業を受けるには東京に行かなくてはならないので中々大変ではあるのだができないことはなかった。
「また高校生に交じって授業を受けます」
僕は単位を落として高校を卒業して地元を離れて大学に入った。そして社会人となり地方勤務となった。その間、毎週1日は東京に行って高校で授業を受け続けている。そして未だに単位をとることができないでいた。高校生に交じって授業を受けるのは恥ずかしかったが幸いにして生徒のほとんどは豚さんだったのでそこまで恥ずかしい思いはしなくても良かった。いい加減高校から解放されたいと思うのだが悪いのは単位を落としている自分なのだから仕方がないのだった。
「はぁ…では」
マドンナ先生は飽きれながらプリントを差し出してきた。
「今回のカリキュラムです。授業で使う教科書は今年のと同じものが使えます」
そこには授業の日程が書かれている。
「教科書は買わなくていいんですか? 」
僕は首をひねった。教科書の値段は6万8000円だったり5000円だったり、毎年まちまちだがただということはなかった。まぁただならただで助かるのだが。
「試験には受かっていたので今回はただです」
「試験に受かっていた? 」
僕はますます首をひねった。
「試験に受かっていたならもう授業は受けなくてはいいのではないですか? 」
「試験に受かっていたので別の単位を取らなくてはならなくなったのです。今回で最後です」
「別の単位なのに教科書は同じものを使うのですか? 」
「細かいですね。そういうものだから仕方ないでしょう」
そういうもんなのだろうか?
「本当は単位なんて取るのをやめて学校にこなくてもいいんですよ? 」
終いには先生はそんなことを言いだした。
「他の人はみんなそうしています。全ての問題を乗り越えることなんてできないのです。見ないふりをして大人になるのです」
「そうでしょうか? 」
でも僕はそうは思わなかった。父も母も他の学校の先生も周りの大人たちは問題は全てクリアして大人になっている。ならば僕もそうやって大人にならないといけない。
「超えられない問題なんてありませんよ。ガチれば余裕です」
「余裕じゃないから単位を落としているのでは? 」
先生は冷ややかに言った。
「でももうちょっとで合格なんでしょう? 」
先生は困ったような顔をした。
「正確には貴方はもう単位はとることができません。別のカリキュラムの単位をとることによって合格になるだけです」
「もう単位をとることはできないのですか? 」
衝撃の事実に一瞬僕は何を言われたのか分からなかった。それじゃあ僕は一体何のために10年間も授業を受け続けていたのか? しかも今回は試験には受かっていたのに合格にならなかったという。本当はそうやって一生卒業させる気はないのではないか? 事態が飲み込めてくるにつれ怒りが沸きあがってきた。
「それはそうですよ。考えてみてください。社会人にもなって高校の単位を取ろうとするなんて異常じゃないですか? 」
「それはそうですけど。だってそれは…」
と言いかけてようやく気が付いた。
「これは夢ですからね。理不尽さは仕方がない」
そうこれは夢だった。夢だから単位が足りなくても卒業できたし、仕事をしながら高校にも行けていた。ついでに生徒はみんな豚のゆるキャラだしマドンナ先生もよくよく見れば実写ではなく漫画やアニメの容姿をしていた。
「気が付いたようですね」
「そうですね。今回は明晰夢ってことですね。気付く確率は70%くらいですね」
「今回はって…今までの夢も全部覚えているのですか? 」
「全部かは怪しいですが10回くらいは見てますよね」
僕は高校を卒業してから時々この夢を見続けていた。勿論夢の内容など目を覚ませば忘れてしまうが夢の中では覚えている。ああそう言えば前にこう言う夢見たなぁ。続きかと気づいたり気付かなかったりする。思うに何か過去に思い残したことがあるのでこんな夢を見るのだろう。
「ならなぜこんな夢を見続けているのか貴方も分かっているはずでしょう? 」
やり残したこと、具体的には高校の時にやり残したことがあるのだろう。高校の単位を取らないといけない夢だから、やり残したことを無視して成長したからこういう形で夢を見続けているのだと思われる。そのやり残したことを達成しない限り僕はこの夢を見続けるのかもしれない。
「そこまで分かっているのなら教えてあげましょう」
マドンナ先生は少し迷っていたがやがて意を決したように言った。
「貴方のやり残したこと…それは」
僕のやり残したこと、それは
皆まで言われずともそれも僕は十分に分かっていた。
「青春をちゃんと過ごしたかった事です」
「選択科目で世界史ではなく地理を選んでしまった事です」
「え…? 」
「ん? 」
僕らはお互いきょとんとした顔で見つめあった。
「えっと、貴方は勉強のために青春を犠牲にしました。そのせいで心残りがあるのですよ? 」
「いやいや何言ってるんです? 勉強しなかったら大学に入れずに資格も取れずに仕事にもつけなかったじゃないですか」
まずは生活の基盤を確立する方が先だ。例え青春を謳歌したとしても受験に失敗した就職に失敗しては元も子もないではないか。
「でもそのせいで青春が…」
先生は混乱したように言った。
「青春って何ですか? そういうもっさりとした素晴らしいみたいなイメージじゃなく具体的に行ってもらわないと分かりません。そんなことより僕は地理で80点取れなかったのが心残りで仕方なかった。僕自身は世界史の方ができたのに先生や先輩から世界史より地理の方が簡単だと勧められ安直に地理を選んでしまったことをずっと後悔していたのです。後で世界史の問題をやってみたら80点どころか90点取れたのになぜ僕はあの時周りの声に耳を傾けてしまったのか。皆ができるからと言って僕ができるわけではないし皆ができないから僕ができないわけではなかったというのに」
「いやいやいや」
マドンナ先生は頭を抱えて首をふった。
「貴方は高校の頃私に憧れていたでしょう!」
そういうと先生は眼鏡をはずした。眼鏡を外した彼女はアニメのキャラではなくなり高校生の同級生の同級生から一番人気の女の子、マドンナの姿に変わっていた。
彼女はクラスで一番の美人。みんなの憧れの存在だった。アイドルグループにいても見劣りしない可愛さだった。その圧倒的な存在感にみんな遠巻きに牽制しあっていたものだった。
「私と付き合えなかったことが心残りなのです」
マドンナ先生ではなくなったマドンナ同級生は諭すようにそう言った。
「でも彼女は高根の花すぎて俺を相手にしてくれるはずないですよね? 」
振り返って考えても彼女と突き合うビジョンがわかなかった。
「そこを頑張ってみないとというのが心残りでしょうに」
マドンナはじれったそうに言った。
「それはアイドルと付き合いたい並みに無謀なのでは? 」
「でも彼女はアイドルじゃないでしょう? クラスメイト。手の届く存在です」
「いや別に友達でもなんでもなかったし無理ですって。知ってます? 特に親しくもない相手から告白される、今それって告ハラとかいうんですよ? 」
「だったから普段の生活で距離を縮めていけばよかったじゃないですか? 」
「何言ってるんですか。彼女は高根の花です。付き合いたいならクラスで人気者でなくてはいけません。そうなるためには小学生位からやり直さないと無理でしょう」
「そんな大袈裟な…」
唖然とするマドンナ。でもそういうものだと思う。最低限釣り合うポジションにいないと一考の余地さえなく振られるだろう。そのためには小中高とある程度クラスの人気者だったりしなくてはいけないだろう。
「考えすぎですよ。彼女がそんな人間ならそもそも好きになっていないはずです」
マドンナは何故か僕を元気づけるように言った。
「きっとやればできますよ」
「そうですか? 10年前なら深く考えずにそう考えていたかもしれませんが今はある程度現実が見えています。どう考えても無理だと思います」
思い起こせば世界史ではなく地理を選んだ時だってそうだった。本当は地理より世界史の方が簡単だと思っていたのだ。世界史にはストーリーがある。ストーリーがあればいくらでも覚えられる。覚えること自体は地理の方が少なかったが地理にはそういったストーリーがなかった。だから覚えること自体は少なくても覚える事は難しかった。でも皆が地理の方が簡単と言うならそうなのかもって流されてちりを選んでしまったのだ。今回だって同じだ。なんとなくわかる。例え他人がどう言おうとも、やはり僕がマドンナと付き合う未来なんて存在しなかっただろう。ただ一つ例外があるとするならば心当たりがないではなかったが…
「そうですね。それでも一つできることがあったならそれは彼女にちゃんとふられることだったのかもしれませんね」
恋愛ドラマでもちゃんと振られるのは大事な事だと言われている。それなら別に彼女との関係性がなくても出来ることだ。実際には振られて殺傷事件を起こす輩もいるみたいなのでドラマみたいに上手くはいかないみたいだけどね。
「違いますよ」
しかし彼女は首を振った。
「ちゃんと思い出して下さい。彼方も皆が好きだから好きになるような素直な性格ではないはずです。もっと捻くれていたはずです」
なかなか辛烈なことを言われている。でもまぁ確かに僕は高校の頃容姿が綺麗だとか言うだけで好きになるような人間ではなかった。もっと逆張りしていた。そのせいで今の今まで彼女のことを好きだなどと夢にも思っていなかったほどだ。でも今は夢に見ているから夢には思っていたのかな? アッハッハッハ!
「貴方という人は…」
マドンナはあきれ顔だった。だけど次の瞬間には何かから解放されたような、すっきりしたような顔で僕を見つめてきた。
「でもこれでようやく単位は取らなくてもよくなったかもしれませんね」
「それはどういう? 」
「だって貴方はずっとあえて…」
マドンナの話は最後まで聞くことはできなかった。言い終わる前に僕は目を覚ましてしまったからだ。
…
「おはよう」
目を覚ますと彼女が笑いをかみ殺すようにたっていた。彼女はマドンナみたいに美人ではなかったが愛嬌のある雰囲気をもっていた。
「学校に行くんだって?」
「そう、東京の高校にいかないと」
「東京って。あんたの地元じゃないじゃない」
彼女はこらえきれなくなって笑い出した。
夢から覚めてしばらく夢の理屈に支配されぼんやりする。でも次第に現実を思い出してくる。
そうだ違う。そもそも俺は地方から東京の大学にいっていたので設定が逆転している。本当はこうだ。地方の高校出身。東京の大学に行って卒業後、全国展開の会社の地元支部に就職したのだ。
彼女と知り合ったのも会社だった。彼女とは同期で付き合って3年くらいになる。もう結婚してもいい頃合いなきがするが、俺は言い出さないし彼女も言い出さないない。なんとなく時間がすぎてしまっていた。今ではもう恋人を通り越して家族みたいな気安い関係となっている。
「どういう設定なの?」
俺は寝言を言ってたらしく彼女に散々馬鹿にされた。
「いやでもこの違いにも意味があるのかもしれないよ夢占いだとさ」
後で夢占いをネットでぐぐってみよう。そう思いながら俺はベッドから起き上がった。からかってくる彼女を無視して寝間着から着替えて顔を洗って歯を磨きく。そうやっている内に夢の内容はどんどん忘れて言って何を調べようとしていたのかも忘れていった。
そういうものだろう。夢なんてものは。
ただ
「もうそろそろいいのかもしれない」
俺はまだ俺のことを馬鹿にしてくる彼女を見ながら、今までなんとなく言い出さなかったことをなんとなく言いだしてもいいような、そんな気がした。