神様は救って欲しい
「神です、救ってください」
店に入るなり開口一番ぶっとんだことを言い放ったのは、今私の前でカウンターに腰かけている自称『世界救世神』。世を忍ぶ仮の名前はメシアさん、らしい。
ボサボサの髪に不精ヒゲ、イバラを編んだ丸い冠。
着ている服は白い法衣のようなもので、その容貌は控えめに言って胡散臭い。
「えっと、救ってくださいというのは?」
とりあえず水を差しだし、メシアさんの話を聞くことにする。
自称救世神は水を一気に飲みほすと、ふうっと息を吐いて顔をあげた。
「このお店は悩みごとを何でも聞いてくれるという噂をきいてね」
うちは私とごく少数のスタッフで経営している、小さなスナックだ。
確かに私はよく悩みごとの相談を持ち掛けられる。
まだ三十歳にもなっていない人生経験の浅い小娘だけど、ハッキリした物言いが受けたのか、クチコミで評判が広がっているらしいのだ。
今夜はスタッフは私一人で、今のところお客さんもメシアさんだけ。とりあえず彼の悩みをじっくり聞いてみることにしようと、カウンター越しに向かい合う。
「そうね、それじゃあ……。とりあえず、救ってくださいってことは救って欲しい悩みがあるんでしょ。良かったら話してくれる?」
「はい。これは東京都こころのお悩み相談電話室にも相談したことなのですが……」
「電話したのかよ!」
この救世神、予想以上に社会のセーフティーネットを活用しているようだ。
「いやなんか、人の声が恋しい時、あるじゃん?」
「それはまあ、あるけどね……。それで?」
続きを促すと、メシアさんが唇を噛みしめるようにして言葉を続けた。
「はい。悩みといいますのも、救世神を長くやっているとですね、たいがい困った時にだけ民衆に祈られるんですよ」
「困った時の神頼みっていうやつ?」
「そうそう、それです。ほんまそれ、マジ卍。普段は無信仰のくせに困った時だけ神様仏さま稲生様。あんまりじゃないですか!?」
「俗世くさい救世神ねぇ……」
私がまゆをしかめてみても、鼻息を荒くした彼の勢いは止まらない。
「だって困った時に頼むぐらいなんだから、願いごとの内容なんてだいたいはもう無理ゲーなんですよ! もうだいぶ詰んでる、これムリ! 叶いっこない願いや出来るわけない頼みばっかなんですよ、ちくしょう!」
「うわぁ身も蓋もない」
「それなのに、ほんのちょっと祈って願いがかなわなかったらドヤ顔で『神様なんていない』ですよ!? もうバカかと、アホかと。ほんとひどいっすよね!」
「まぁまぁメシアさん、ちょっと落ち着きなさいよ」
「挙句ついこの間はとうとう『神は死んだ』とかいわれましたよ! もう激おこ!」
神は死んだってニーチェの言葉よね?
メシアさんの『ついこの間』、年代が広すぎでしょ。
おいてけぼりの私をよそに、自称救世神はさらにヒートアップしていく。
「あーもう、神は死んだとかどいつが言ったんだ! あ、ドイツが言ったんだ、ぬはは! …ってやかましいわ!」
ひとりノリツッコミしてるし。
「と、ところでご注文は? 何か飲んだら?」
メシアさんを少しでも落ち着かせるべく、そしてちょっとは注文しろやという意味も込めて私がメニューを差し出す。受け取ったメシアさんは不意に目に涙を浮かべだした。
「おお、なんて優しい。あなたはお悩み相談界の聖母だ、ナンマンダー」
メシアさん、それ呪文違うから。
あとうちはスナックなんだからお酒頼んで、お酒。
「では赤ワインとパン、それに魚料理をひとつ……」
ああ、そこはきっちり合わせてくるのね。私は突っ込みを放棄してメシアさんが注文したものを手早く用意する。
といっても出した料理は市販のフランスパンと、簡単レシピのイワシのムニエル。ワインだってグラスワインの安価なものであった。
カウンターに並べられたそれらを、メシアさんはものすごい勢いで平らげていく。
「うまいっ! 最後の晩餐よりもうまい! ああ、罪の味がするぜぇ……!」
最後の晩餐越え頂きました。
軽い、あまりに軽い。それでいいのこの人。
私がなかば呆れていると、メシアさんは突然ぶるりと身震いをして素っ頓狂な声をあげはじめた。
「預言……」
「えっ? どうしたのメシアさん?」
「預言きたー!」
大きな声を出したまま、頭を抱えたメシアさんが店の外へと駆け出していく。
「く、食い逃げ!? でも、荷物は置いたままだし……」
取り残された私があっけにとられている間に、妙にスッキリした顔のメシアさんが店の中へと戻ってくる。
「ふぅ……。突然失礼いたしました」
「もう、預言って何よ、びっくりさせないでよね」
「いやはや申し訳ないです。預言は時と場所を選んでくれませぬゆえ……」
「それで、その預言っていうのはどんなのが来たわけ?」
私の質問に、メシアさんはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「本来は秘密にするべきですが、ここは悩み相談の聖母がおわす場所、こっそり教えて差し上げましょう。ただし、絶対に秘密ですよ。今日の預言はですね……」
今までにないメシアさんの引き締まった表情と預言という言葉に、私は固唾を飲んで次の言葉を待った。
「明日の天気は晴れのち曇り。降水確率は30%です!」
「天気予報じゃねーか!」
「花粉の量は少な目、洗濯物を干すなら午前中がいいでしょう」
「続けるのかよ」
ダメ、この救世神なにもかもがズレている。これは新しいタイプのお客さん。
とにかく。私だって悩み相談の名手としてスナック界隈で評判をあげてきたんだから。ここは軌道修正、会話を戻していかなくっちゃ。
「あ、そうだ! ねぇねぇメシアさん。結局悩みっていうのはなんなの? さっき言ってた、無理難題を祈られるのがつらいっていうのが悩み?」
「イエス! メシアだけに、イエスっ! な~んちゃって!」
「……」
「……い、いえす」
だ、ダメよ。めげちゃダメ。
相談を、相談を続けなきゃ!
「こほん。そうねぇ、メシアちゃん。祈られると、なにがつらい思いをしちゃう?」
「うん。なんというか、もっと祈られる神の気持ちも考えて欲しいな~って」
「そうね、考えて欲しいわよね。メシアさんが気になるのは具体的にどういうこと?」
「困った時だけ神に祈って解決しようっていう、庶民たちの都合のいい考え方かな」
神経質そうにカウンターを指で叩きながら、メシアさんが眉を上下に動かして首を左右に振った。ともすればウザいといってしまいそうな顔から視線をそらすようにして、私は適当に相槌をうつ。
「なるほどね。うん、祈って解決なんて考えは良くないわよね」
「だってそうじゃん!? 祈って何か叶うなら、メシアだってはりつけ回避余裕だったはずだもん! そりゃあもうすんごい祈ったけど、無理無理、りーむー! 全然回避出来なかったからね、はりつけフラグ!」
「はりつけフラグ……」
メシアさんはそれからひとしきり、いかに自分が報われないか、苦労ばかり背負わされるかを語り続けた。
「本当に災難だったわね、でも今は元気そうで何よりよ」
身振り手振りを交えて唾を飛ばして喋る自称神に、私は全力の営業スマイルを向けた。
「ウィ、ごもっとも。さすがはお悩み相談の聖母は話がわかるぅ……。あ、喉かわいた。赤ワインいただけるかな」
わあ、話すだけ話したら酒にシフトした。
いいのかなぁ、悩みとか祈りとかの問題は結局解決してないんだけど……。
「はい、赤ワインどうぞ」
「ありがとう。ふう、うまい。これは最後の晩餐よりうまい……」
本日二度目の最後の晩餐越えいただきました。
決して語彙は豊富じゃないわね、この救世神。
酒を飲み続けるメシアさんが、不意に自分の左腕に目を落とした。白い法衣のような袖から露出した腕には、時計など巻かれていない。
「おっともうこんな時間か。そろそろヴァルハラに帰るよ」
残ったワインを飲み干した彼に、私はふと思いついた質問を投げかけた。
「ねぇ、メシアさん。メシアさんが本当に神なら、どうして自分自身を救わないの?」
「あー、それよく言われます」
よく言われるのかよ。
「神業界にはですね、神は自分を救ってはいけないというルールがありまして」
「どういう業界、それ」
「神たるもの、堕落してはいけませんからな! ヒック」
それ、ワイン飲みまくって顔真っ赤にしながら言うセリフじゃないから。
あなた今めっちゃ堕落しきってるから。
「では、お会計をよろしく聖母」
「聖母じゃないですが……。赤ワインが八杯とおつまみで……。一万四千円になります」
「おやおや良心的、天国価格。これで……。あっ、領収書お願いします」
「領収書貰うんかい!」
つい声に出てしまった。ああもう、本当にこの人は……。
「ええと……。領収書のお名前、メシアさんで大丈夫ですか?」
「ああ、名前のところは現世ネームの田中太郎でよろしく」
わぁ、メシアの本名普通過ぎ。
「じゃあこれ、領収書です」
領収書を手渡すと、受け取ったメシアさんが微笑んで手を上にかざした。
「今日は楽しかった、ありがとう。またくるよ」
そう告げたメシアさんの姿が、徐々に透けていく。
「えっ、なにこれ! ちょっとメシアさん!?」
慌てて手を伸ばしたさきで、メシアさんはふっと煙のように溶けて消え去った。
「メシアさん……。まさか、本当に神様だったの……?」
消えてしまった空間をぼんやりと見上げてから、さっきまで散らかっていたカウンターに目を向けた。そこには未開封の赤ワインの瓶とグラスが置かれているだけであった。
神様は、本当にいるのかも知れない。
私がそう思った夜から一日が過ぎ、二日が過ぎ……。
今日もスナックのドアを開いて、いつものように彼がやってきた。
「すいません、神です。救ってください」
「毎日来るのかよ」
世界救世神、メシアさん。
現世ネームは田中太郎。毎回きっちり領収書だってもらっていく。
私のお店に、ちょっと不思議でおかしな常連さんが増えた。私は彼の言葉に毎日苦笑しながら、新しく仕入れたワインを彼に振る舞う。
それは奇妙で滑稽な、私と神様のささやかな交流……なのかもしれない。